筋トレという名の検証実験を終え、家に戻ってシャワーを浴びる。
汗を流してさっぱりしてから、セーフエリアに帰って一眠り。いや、一眠りというか、ガチ寝である。
セーフエリアで2時間程寝れば、8時間睡眠かそれ以上の休息効果を得られるのだ。
しかも、寝つきが良くなり、寝起きもすっきりときた。
しっかり寝ても、時間がたっぷり残る。
人の1日は誰もが皆平等に24時間しかない。その中で睡眠時間を7割以上カットできるのは、地味だが非常に有効なチート効果と言える。
「さーて、それじゃあ……」
寝て起きて、ばっちり休息が完了した秋水は、布団の上で軽くストレッチをする。
できるなら、このままダンジョンアタックを洒落込みたい。
魔法について1つ知見を得たので、それを早速試してみたいのだが、先約があるのを思い出す。
「栗形さんの店に行くとするかぁ」
リュックサックに昨日ドロップしたばかりの白銀のネックレスを入れ、ついでにアンクレットも入れ、秋水は自転車を漕ぐ。
2月の昼はまだまだ短い。春分の日はまだ遠い。
早々と暗くなり始めている空を見上げて、秋水は溜息のように息を吐く。白い息がふっと広がり、それを背にペダルを回す。
「……そのままリュックに入れちまったなぁ」
そう言えば一昨日、アンクレットやらネックレスやらを雑に袋へ詰めすぎて、何とかならんか、と鎬に苦言をご頂戴したのを思い出す。
簡易的な包装紙かなにかを用意しておくと言っていたが、どうなったのだろうか。
そして、どうなっただろうか、と言うならば、鎬は昨日、政府の方々と話し合いをしたそうだ、その結果も気になる。
話が長引く時点で、日本政府は敵、とか鎬は脅しをかけていたが、実際は穏便に話が終わったのだろうか。
結果は気になるが、聞きたいような、聞きたくないような、ちょっと怖い気持ちがある。
まあ、上手い方向に話が進んでいると願うしかない。
赤信号。
自転車を止める。
いつものコンビニが見えた。
同じくテスト期間中だそうなので、流石に律歌はバイトに入っていないだろう、たぶん。
秋水はちらりと腕時計を見て時間を確認する。
祈織の店で白銀のネックレスやアンクレットを納品し、鎬に昨日の交渉会議はどうだったのかを聞いて、帰る頃には夕飯の時間だ。
家の方では炊飯器の中で、発芽玄米とアマランサスやキヌアなどの雑穀米が水に浸かって待ち侘びてくれている。
夕飯は自炊だ。
乾燥野菜をたっぷり入れた味噌汁に、半熟卵に納豆に、適当なメインディッシュを用意すれば完成する、秋水特性筋肉飯である。
で、夜食はどうしよう。
夕飯を食べたら、楽しいダンジョンアタック。
明日の学校へ登校する前に、セーフエリアでもう一寝入りすることを逆算しても、たっぷり8時間くらいはある。
朝食まで随分と時間が空くので、なにか手軽な夜食が必要だ。
「適当にコンビニで買っとくか……」
帰りに夜食を買うことを心のメモ帳に記しつつ、青信号になったのを確認して秋水は交差点を進む。
しばらく自転車を漕げば、祈織の店、質屋 『栗形』 である。
見えてきた。
綺麗になった看板に、ガラス窓の向こうからは明るい店内の光が見える。
そして、やはりまた、外国人。
「こ、懲りねぇ連中だなオイ」
質屋の前に自転車を駐め、またもや祈織に群がっているのかと秋水はガラス越しにさっと店内へと視線を走らせた。
いや、昨日とはどうも、様子が違う。
カウンター前には、明らかに日本人ではない面々が6名程。
しかし、昨日とは違い群がらず、カウンターの前で横一列に並んでいる。
「あ、鎬姉さんだ」
そして、カウンターの奥にいたのは、秋水の叔母、棟区 鎬であった。
ぱりっと決めたスーツ姿に前掛けエプロンという、なんともちぐはぐな格好だが、その抜群なスタイルで強引にファッションとして成立させている。同じ格好を祈織がしたらどうなるだろう、と一瞬想像するが、怒られるから止めておいた。
カウンター奥にいる鎬は、前に並んだ外国人達に向けてなにかを喋っている。
焦っている様子も困っている様子もなく、いつものように真顔で飄々とした無表情。
カウンター前に横並びになっている外国人達は、時折手を上げて鎬に話しかけ、鎬はそれに答えている感じだ。
授業風景のようである。
問題なさそう、と考えていいのだろうか。
鎬の視線は秋水の方には向いていない。
試しに秋水は手を振ってみた。
外国人の質問に身振り手振りを交えながら鎬は喋りつつ、軽く握り拳を上げて親指を立てる。サムズアップのハンドサインだ。
秋水の方は一切見ることなく、サムズアップで立てた親指を、ちょいちょい、と店の裏側を示すように向けられる。
秋水は未だ店の外にいて、一度も秋水の方を見ていないにも拘わらず、そのジェスチャーが自分に対して向けられたのだという謎の確信が秋水にはあった。
「そういや、裏口使えって言われてたな」
質屋の裏口は、ほとんど個人宅の玄関同然だった。
と言うか、玄関である。
鍵を外してその玄関を開けば、質屋のバックヤードだ。
「お邪魔します」
一声掛けてバックヤードに足を踏み入れれば、質屋の休憩スペースとして使用されているっぽいソファーが目に入る。
正確には、ソファーに座っているこの店の店長、栗形 祈織の姿が目に入る。
浅く座り、背もたれに体を預け、天井を向きながら、ぐでぇ、と力尽きている状態だった。
魂が抜けている、とはこのことを言うのだろうか。
「く、栗形さん!?」
「ほえ?」
裏口から秋水が入ってきたことにすら気がつかず、ソファーの上でくたばっている祈織のもとへ秋水は慌てて駆け寄ったが、その声にようやく再起動を果たした祈織が間の抜けた声と共に天井へと向けていた顔を戻した。
目の下の隈。
一目で睡眠不足を察することができる顔をしていた。
「あ、こんばんは秋水くん……」
にへ、と祈織は笑顔を浮かべつつ、背もたれに預けていた体を引き戻してソファーに座り直すも、その表情と声には力なく、動きもなんだか緩慢だ。
「休んで下さい」
駆け寄った秋水は、ぴしゃりと祈織へ言い放つ。
見るからに寝不足である。
睡眠不足で良い事はなにもない。
万病の素であるし、集中力は低下するし、体力は低下するし、筋タンパク合成だって遅れてしまう。
睡眠、大事。
セーフエリアで睡眠時間の大幅短縮を行っているチート野郎が言う台詞ではないが。
一言で休養を言い渡された祈織は、自身の目の下、その浮かんでいる隈をそっと指で撫でる。
「あー……そんなに酷い顔してます?」
「女性に向かってそのような暴言は吐けません。しかし、かなり疲れが溜まっているのは見て分かります」
「秋水くんは紳士ですねぇ」
へへ、と祈織は小さく笑う。
明らかに元気のない笑い方だった。
秋水は背負っていたリュックをテーブルの上に置き、そっと祈織の額へ手を添える。
ぴくっ、と祈織の肩が跳ねた。
「……平熱ですね」
「あ、調子が悪いとかじゃないんです。ただの寝不足なんで」
「寝不足は調子を悪くします。栗形さん、あなたは調子が悪いんですよ」
「子どもに論破されたぁ……」
がくりと肩を落とす祈織を見てから、秋水はぐるりと周りを見渡す。
バックヤードには、色々な物が置かれている。まだ店内には出していない商品達だ。
横になれそうなスペースは、このソファーしかなさそうだ。
2人掛けのソファーは横になるには少々手狭に思うが、小柄な祈織ならギリギリ転がれるであろう。
「栗形さん、横になりましょう」
「おおっと、待って待って、ちゃんと今日は寝るから。今日は爆睡しますから。今から横になったら絶対ガチで寝ちゃうから」
早速横になることを薦めてみるが、両手をぱたぱた振って祈織は断ってきた。
本当に寝るのだろうか。
何があったかは知らないが、秋水は若干疑わしそうな目で祈織を見る。
「あ、秋水くんは今日の分の納品ですよね。昨日に続いてありがとうございます」
そんな秋水の視線に気がつき、慌てて祈織は話を逸らしてきた。
まあ、急を要する状態じゃないのなら、無理を言う必要はないか。
寝不足かつ疲れている様子の祈織を気にしながら、秋水はテーブルに置いたリュックサックを改めて手に取った。
何故か、祈織がキョロキョロしている。
「……今日は、昨日のお友達いないですよね?」
昨日の。
紗綾音達のことだろう。
「ええ。昨日は偶々だっただけですよ」
「そうでしたか……いやぁ、秋水くんのお友達は、個性的な子でしたね」
別に友達なんぞではないが。
どこかほっとした様子を浮かべながら苦笑いする祈織に、秋水は適当に肯いて返す。
そう言えば、祈織は紗綾音とは相性が悪そうだった。
相性が悪いというか、ぐいぐいと迫ってくる紗綾音を、どこか苦手としている雰囲気であった。
分かる。
苦手に思うその気持ち、凄くよく分かる。
「そう言えば、また海外の方が来店されているようですが」
あのクソウザチワワのことは横に置き、秋水は店内の方へと視線を向けて祈織に尋ねた。
店内の方からは、鎬の声が少しだけ聞こえてくる。
なにを喋っているかは分からない。
また英語なのだろうか。
社会人凄ぇなー、と思っていると、祈織もまた同じく店内の方へと顔を向ける。
「そうですね。鎬さんが対応してるんですけど、なんかコレの質問攻めっぽいんですよね」
言いながら、祈織はしゃらりと自身の首に掛けた銀の光を指で撫でる。
白銀のネックレスだ。
新商品の宣伝のため、昨日も祈織の首元を飾っていた。
アクセサリー的な審美眼を持ち合わせていない秋水ではあるが、それはとてもよく似合っている、と思う。
いや、女性の身に着けている装飾品を貶してはならない、という母と妹の鉄拳制裁付きの教えが骨の髄まで染みついている秋水は、どんなアクセサリーであろうとも、似合っている、という感想になってしまうので、当てにはならない。
「困っている感じは、なさそうですね」
「そうですね。なんだか整然と質疑応答っぽく行儀が良いんですよ。ま、なに喋ってるかこれっぽっちも分からないんで、本当に行儀が良いかどうか分かんないですけどね、はは……」
祈織の口から乾いた笑い。
大丈夫だ、自分も分からない。と中学生が慰めたところで効果はなさそうなので、秋水は口を瞑っておく。
ふーん、と秋水は鼻を鳴らしつつ、バックヤードと店内を繋ぐ暖簾のところまで足を運び、ちらっとだけ店内側を盗み見た。
「Then are you suggesting that this necklace might not contain the element everyone’s been talking about?」
“では、そのネックレスは噂になっている元素を含んでいない可能性がある、ということですか?”
「Yes, quite so. On the contrary, it may even contain a different substance altogether. That’s really beyond our field, though — without a proper compositional analysis, I couldn’t possibly say」
“ええ、そうね。逆に違う物質を含んでいる可能性もあるわ。こればかりは私達は専門外で、成分分析をしないと何とも言えないわね”
「May I ask a question? You’re familiar with the craftsman who makes these necklaces, aren’t you? Couldn’t you simply ask them about the raw materials?」
“質問です。そのネックレスを作っている職人のことはご存じなのですよね? その職人の方に原材料を質問はできないのですか?”
「If I could, I would have done so already. But that person is terribly reclusive—secretive, really. It’s been quite difficult for me as well. If someone else could handle the negotiations, it would be a relief, but he’s rather misanthropic. A single wrong word, and he might refuse to supply us altogether」
“できたらしているわ。でもあの人、凄い排他的というか、秘密主義というか……私も困っているの。可能だったら他の人が交渉してくれると私も肩の荷が下りるのだけど、そもそもあの人、人嫌いだから下手な対応すると納品も断ち切られるかもしれないのよ”
「Then, if I may, could I ask for a bit more detail about the release date?」
“では別の確認をします。発売日をもう少し詳しくお願いできないでしょうか”
「It hasn’t been decided yet. All I can say is that it will be sometime after next month」
“まだ未定なの。来月以降、としか言えないわね”
「A further question about the release date, if I may. The item is already around your neck—so why is the release still undecided? Surely the general arrangements for its launch have been made?」
“同じく発売日に対して質問です。現物はあなたの首を飾っているのに、何故発売は未定なのでしょうか。発売までの大まかな段取りはされているのでは?”
「This one’s just a sample. According to him, it’s a rather poor attempt, really... But until he’s satisfied with the design, there’s no way to set a proper release schedule. Craftsmen can be such perfectionists—it’s troublesome, isn’t it?」
“これはサンプルよ。あの人からすれば、出来の悪い粗悪品らしいけど……まあ、あの人が納得できるデザインが完成しないことには、発売日の段取りも組めないのよ。職人気質って困るわよね”
「A further question: if a design that satisfies him is never finalised, might the release be cancelled altogether?」
“重ねて質問です。納得できるデザインが完成しなかった場合、発売をされない可能性もあるのですか?”
「That’s right. Which is precisely why we’re not taking any reservations」
“そうよ。だから予約を受け付けていないの”
なに喋っているか流暢すぎて聞き取れねぇ。
秋水はそっと暖簾から身を引いて、祈織のところへと戻った。
ごそごそとリュックサックから取り出したネックレスとアンクレットをテーブルに並べている祈織は、顔を上げて秋水を見上げ、にやりと笑った。
「秋水くん、あの会話に参加できます?」
「お手上げです。せめてアメリカ式の英語でないと、言い回しすら聞き取れないです」
「……ですよね!」
あめりか式? と一瞬だけ祈織は首を傾げたものの、なにかの言葉を飲み込みながら力強く秋水の言葉に同意してくれた。
リュックサックの中にあった白銀のネックレスとアンクレットを全てテーブルに並び終えてから、ほぅ、と祈織は息を吐く。
溜息ではないようだ。
「相変わらず、綺麗ですねぇ。何度見ても癒されます」
「そうですか?」
「そうですよ」
貴金属を見て癒される。
秋水にはよく分からない感性だ。
アクセサリーを見てうっとりするのと、刃物を眺めてうっとりするのと、大して違いがないように思える。別に祈織が危ねぇ女だというわけではないが。
ちらりと秋水は祈織を見下ろす。
寝不足ということは、寝れていないということ。
何かあったのだろうか。
ふーむ、と秋水は少しだけ考えた。
「ところで、栗形さん」
考えても無駄だなと早々に見切りをつけた秋水は、少しだけ声を抑えながら祈織を呼んだ。
祈織の顔が上がる。
「何かありました?」
上げた祈織のその表情が、一瞬固まった。
あー、と呟きながら祈織の視線が右へと逃げ、左へと匍匐前進。
「いやぁ、秋水くんが気にすることじゃ……」
そこまで口にしてから、祈織は腕を組んで考え込んでしまう。
なにか、悪いことがあったようだ。これで気にするなという方が無理だろう。
しかし秋水は祈織を急かすことなく、言葉を待った。
ちらり、と秋水の顔色を窺うように、祈織の視線が上がる。
「……まあ、後で鎬さんから聞かされるよね」
小さい溜息。
それから祈織は顔を上げ、真っ直ぐに秋水の顔を見上げた。
「秋水くん、落ち着いて聞いて下さいね」
その前置きをする場合、だいたいはヤバい話をする前振りでしかない。
なかなかに不穏である。
「政府の人とのお話し合い、真っ向からの対立だそうです」
知ってた(*'ω'*)