角ウサギを一撃で殺して回り、コボルトも逃げつつ殴りつつ殺して回る。
いつものダンジョンアタックであった。
残念なことに、いつものダンジョンアタックになってしまった。
午前3時。
これからセーフエリアに帰って、着替えて洗濯機をぶん回し、シャワーを浴びて4時までに寝る必要がある。
そして6時に起床して朝食の準備やら洗濯物を干すやらすれば、登校時間はすぐ来てしまう。
要するに、タイムリミットである。
「ダメだったかぁ」
使った剣鉈が欠けたり歪んだりしていないかをちらりと確認してから、秋水は溜息とともに鞘へと納刀する。
魔法による武器や防具の強化は、結局、上手くいかなかった。
失敗にすらならなかった。
魔力は伝達させられる。
巨大バールに限らず、伝達させようと思えば剣鉈にも手斧にも魔力は伝達できた。
それこそ、ライディングジャケットやヘルメットにだって魔力を伝えることはできる。
だが、それだけ。
魔力が伝達される、だけ。
「魔力が籠もった状態で攻撃しても、別にダメージが増える感じもしないし、硬くなった感じもなし、と……」
再び溜息。
魔力は伝えられるが、その魔力を魔法として使用できない。
強化を施せない。
髪や爪は強化ができるのだから、魔力を伝達できれば強化の魔法は施せると思うのだが。
まあ、とにもかくにも、本日の実験は失敗である。
いや、失敗にすら届かない。これはゴミデータだ。
闇雲にトライして、エラーの検証を行えない。
学習方法としては最低。
「ネットでファンタジーの世界観って勉強できるんかな……」
秋水は首を捻りながら、投擲でぶん投げていた巨大バールと手斧を拾い上げた。
とりあえず、ダンジョンアタックはタイムアップである。
勉強不足を痛感しつつ、秋水はダンジョンから引き返すことにした。
部屋の入り口に置いていたリュックサックの傍まで寄ってから、その中に入れていたビニール袋を手に取る。
夜食として買っていた、おにぎりやらサラダチキンの包装、つまりゴミが入っている。
「まあ、魔力を伝達させるコツを掴めただけ、良しとするか」
呟きながら、秋水はビニール袋をくしゃりと握り、握った手の平から魔力をビニール袋へと伝達させる。
ライディンググローブを通過して、ゴミを入れられたビニール袋に魔力が伝わる。
どうやら、素材はあまり関係ないようだ。
今回のダンジョンアタックでは繰り返し行った、自分の体と接触しているものに魔力を伝達させる、という魔力操作は、回数を重ねたせいか随分とスムーズに行えるようになった。
伝達量は、まだ少ないが。
「そんじゃ、今日の夜にもまた来るぜ」
言ってから秋水は、魔力を込めたビニール袋を、ぽい、と近くにいたスライムへと投げつける。
優秀なゴミ処理水饅頭、兼、厄介な設置型トラップモンスターだ。
そのスライムにゴミを投げてから、秋水はすぐに踵を返す。
今日は2月の6日、水曜日。
学年末試験の最終日だ。
頑張りますかねー、と秋水は伸びをしながらセーフエリアに向けて早々と足を踏み出す。
投げたビニール袋はふわりと舞って、スライムへと落ちる。
スライムに触れるその前に、スライムの体から、むにょん、とビニール袋をキャッチしようと半透明な触手が伸びて。
ぱしっ、と触手が弾かれた。
いや、弾かれたのはビニール袋の方か。
ビニール袋を弾く音が聞こえた秋水は、狙いが外れただろうかと振り返るが、振り向けばスライムが再び触手を伸ばし、ビニール袋を空中でキャッチしているところであった。
気のせいか。
秋水は特に気にすることなく、再び向き直ってセーフエリアへ戻ろうと足を進めた。
ビニール袋はスライムに取り込まれ、まだ溶け始めてもいなかった。
試験最終日、が終了した。
とりあえずミスはない。
満点が凄いとか言われたが、秋水にとってはいつも通りである。
テスト用紙を回収し終わり、試験監督である教師が教室を出たところで、秋水は肋骨を開くようにして胸を張って大胸筋をストレッチ。机に向かって試験を解いていると、前屈みの姿勢で大胸筋が窮屈だ。
中学3年生、その総復習と称される学年末試験が終わりを迎えた。
これでもう、高校受験の当日を待つばかりで、中学生活では卒業式までイベントらしいイベントはない。
胸をしっかり広げてから、周りの迷惑にならないくらい静かに溜息。
「終わったよーん、疲れたみょーん」
ふと、遠くで不本意ながら聞き馴染んでしまった声が聞こえた。
渡巻 紗綾音である。
ちらり、と彼女の方を見れば、試験が終わって早々とお互いを励まし合うのか慰め合うのかしている集団へと突撃していき、その中の1人へ抱きつくようにもたれ掛かっている。
「わー、紗綾音おもーい」
「なんだとジリちゃんこのやろー、紗綾音ちゃんは今日も羽根のように軽いんだよー」
「紗綾音はテストどーだったー?」
「えっへへー、ばっちりだよ! 勉強頑張ったし、今回は学年首席まで味方にいたもんねー」
「よかったねぇ。私よりも総合順位下でありますように」
「なんで!?」
紗綾音は早速その集団でわちゃわちゃと揉まれている。
今日の紗綾音は、必要以上に秋水へベタベタと絡んできていない。平和である。
昨日と一昨日で、気が済んだのだろう、色々と。
秋水は筆記具などを片付けて、鞄に仕舞い込む。
机は、綺麗なものである。
中学生活ではもう、勉強らしい勉強はない。
勉強机が勉強机としての役目を果たすのは、ある意味で今日までだ。
ビックリするほど未練はないし、感慨深さも感じはしない。
息を潜めて、足音を消して、何もないような中学生活だった。
最近はまあ、色々とあったが。
鞄を閉めて、机の上に置く。
担任の教師が来たら、帰りのホームルームの時間だ。
そして今日は、さっさと帰ろう。
「いや」
思ったところで、小さく小さく、口の中だけで呟いた。
今日はちょっと、図書館に寄ってみよう。
確か朧気な秋水の記憶の中では、幻想辞典だとかファンタジー図鑑だとか、そういう真面目なのかふざけているのかよく分からない書籍が図書館にあった、ような気がする。
以前見かけたときは、特に興味がなかったので、ふーん、くらいに思いながら横目で背表紙だけを見てスルーした。内容は今の秋水が求めているものかどうかは分からない。
分からないが、ダンジョンアタックについてのなにか参考にはなるかもしれない。
ネットで幅広く調べようとすると、別の気になる情報が目に付いてしまって効率が落ちる可能性が高い。なので、まずは下調べは書籍で行ってみるとするか。
ふむ、と秋水は独りで肯く。
ただ、図書館に向かうとなると、学校から家までのルートからはだいぶズレてしまう。
まあ、別に反対方向というわけでもないが。
少し考える。
流石に図書館に行ってから帰るとなると、大回り過ぎるルートになってしまうだろうか。
一度家に帰ってから、自転車で向かった方が良いだろうか。
図書館の他に、昼飯と、ジムと、祈織の質屋へ行く用事もある。
やはり自転車がいいだろうか。
うーん。
「はいよー、みんなテストお疲れー」
ここからの予定を考えているところで、担任の教師がやって来た。
生徒がわらわらと自分の席へと戻っていく。
紗綾音もだ。
今日はあまり絡まれていないし、きっとこのまま帰りも絡んでこないであろう。
平和だ。
とりあえず、紗綾音に絡まれないのなら、帰りのホームルーム終わってからゆっくり考えるとするか。
「棟区くーん♡」
予想に反して絡まれた。
なんでだよ。
ホームルームが終わり、さて教室を出ようかと静かにそろりと立ち上がったところに声を掛けられ、秋水は思わず声を掛けてきたチワワ、ではなく紗綾音を半目で見てしまった。
見てから、自分が半目で人を見ると、睨み付けていると思われてしまう、とすぐに思い直す。
幸いにも紗綾音は驚いた様子もなく、軽く首を傾げて脳天気な面を晒している。
連日紗綾音の絡み方が酷かったものだから、本音が漏れやすくなっているのかもしれない。ストレスだろうか。
「一緒に――」
「帰りません」
「――帰るよ!」
「帰りません」
「帰りませんとかダメだよ棟区くん、おウチにちゃんと帰らないと妹ちゃんとか家族の人が心配して泣いちゃうかもしれないんだよ」
「し」
心配してくれる家族はもう誰もいねぇんだよ。
舌の先まで出かかった言葉が、奥歯の裏で溶ける。
こいつ死なねぇかな。
言葉を飲み込むと、代わりに黒い感想がふつりと浮かぶ。
それは、律歌さんが泣くから、ダメだな。
その黒い感想もまた、飲み込む。
表情は全く動かすことなく、いらぬ感情を2つ腹に落とし込むと、脊髄反射的に口走った紗綾音がはたと気がついたように自身の口に手を当てる。
「あ、ゴメン、家族の話はあんまり好きじゃないんだったよね?」
よく覚えてるじゃないか、この犬。
ぱちりと顔の前で手を合わせながら、可愛らしく小首を傾げながら紗綾音が謝る。
いつだったか、秋水が家庭の話を好んでいない、と紗綾音は勘付いたことがあった。それの話だろう。
謝られたら、肯くしかない。
秋水は紗綾音の頭に手を置いて、くしゃくしゃと軽く撫でる。
「申し訳ありませんが、今日は図書館に用事があるのです」
撫でると、むふー、と紗綾音は満足げである。やめろとは言わんのか。
「棟区くんは、なんだかんだで撫でるの上手だよね」
聞けよ。
なんだかんだ、ってなんだよ。
目を細めて気持ちよさそうに、それどころか、もっと撫でろと言わんばかりに、背伸びをしてさらに頭を擦りつけるように紗綾音がぐりぐりとしてくる。新しい反抗の仕方を覚えたようだ。生意気な。
「いも――お姉ちゃんも昔はよく撫でてくれたけど、最近はあんまり撫でてくれなくなっちゃったんだよねー」
少しだけ不満そうに紗綾音が口にする。
身長を追い抜かれてナデナデできなくなった、と以前に律歌が言っていたことを思い出す。
結局は双方同じベクトルで不満を持っているのは、似た者姉妹だということだろうか。
そうなのですね、と適当に相槌を打ちながら、秋水は紗綾音の頭をぐりぐり撫でる。
紗綾音が一瞬、妹、というワードを言いかけてから即座に話題の軌道修正を行ったのには、気がついているが触れないことにする。
「で、一緒に帰るよ棟区くん!」
「帰りません」
「えー、引っ掛からないー」
これで引っ掛かったら、ただの馬鹿ではないだろうか。
さらに不満そうに唇を尖らせた紗綾音の頭を両手で掴み、秋水はチワワの毛をシャンプーするかの如くわしゃわしゃと撫でつける。新しい反抗の仕方を覚えたならば、こちらは新技で応戦するまでだ。
「うわー! 流石にちょ、ちょっと、やーめーろー!」
よし、音を上げた。
流石に髪型を乱される撫で方はイヤなのだろう、紗綾音が慌てて秋水の腕をポカポカと殴ってくる。痛くない。コボルトの棍棒でも持って来いというのだ。
「もー……テスト終わったのに棟区くんは図書館なんだね」
「試験関係なく図書館は利用できますよ」
「?」
「凄い不思議そうな顔をするじゃありませんか」
ちょっとなに言ってるかワカラナイ、というように紗綾音が首を傾げた。彼女の中では図書館はイコールで試験勉強をする場所という感じなのだろうか。
秋水は紗綾音の頭から両手を離し、鞄を手にして席を立つ。
「少し調べて学んでおきたいことがあるのですよ」
「テスト終わったのに?」
「試験関係なく学習は続けるものですよ」
「??」
「物理法則に反した現象を目の当たりにしたような顔をするじゃありませんか」
人間は日々精進の一生勉強だ。
少し呆れたように秋水が言えば、ちょっと意味がワカンナイ、みたいな顔をされた。アイアンクローをしてやりたい。
「え、なんのお勉強するの? ま、まさか……テストの復習をするとかいう感じなのかな?」
「実在すら疑われていた絶滅危惧種と遭遇したみたいな顔をするじゃありませんか」
そして何故か恐れ戦いた紗綾音を見て、秋水は軽く苦笑する。
世の中には、試験が終わったらその試験内容を復習するという方々がいるのは知っているが、秋水は学校の勉強にそこまで人生を賭けていない。
と言うか、秋水にとっては試験がそもそも復習という位置づけである。
復習の復習とか、エンドレスループじゃないか。
そう思ってから、はたと気がつく。
しまった。テストの復習をします、と適当に言っておけば、たぶん紗綾音は素直にさようならしてくれたかもしれない。
いや、今のところは明確に否定していないから、軌道修正は可能か。
秋水は少しだけ悩み。
「いえ、学年末試験とはまるで関係のない、趣味の世界の調べ物です」
別に誤魔化す必要もないか、と正直に説明することにした。
特に理由はないが、なんとなく、紗綾音に嘘を口にするのは気が引けた。
何故だろう。
「棟区くんの趣味っていうと、筋トレだよね。秋水くんだったらネットで調べちゃった方が早くない?」
「いいえ、筋トレではないです」
「棟区くんが筋トレ以外の趣味!?」
「手品のタネを見破ったと思ったら全く別の方向からお出しされたような顔をするじゃありませんか」
凄い驚くじゃないか。
いや、まあ、確かにダンジョンアタックを省いてしまったら、筋トレしか趣味はないけども。
紗綾音のそんな反応に、ツッコミを入れるべきか納得をするべきか、秋水は微妙な表情になってしまう。
しかし、すぐに紗綾音が何かを思い出したように、ぽん、と手を鳴らした。
「あーっと……もしかしてゲーム的な話? ファンタジー系の」
言葉に詰まった。
正解である。
大正解の直球ど真ん中である。
急にどうした。読心術にでも目覚めたか。勘弁してくれ。
「……よく分かりましたね。そんな感じです」
「うん、ほら、棟区くんってゲーム的な話に凄い食いついてくるなって思い出したんだよ。え、棟区くんゲーム作るの?」
「作れません」
残念ながらゲームクリエイター的な趣味ではない。
そういえば、魔法がなんだとか魔素がなんだとかいうヒントをくれたのは紗綾音だったし、デカい水饅頭がスライムというモンスターであるというヒントをくれたのも紗綾音だった。
確かに、ちょいちょい紗綾音にはファンタジーの世界観についての話を振っていたことを思い出す。
よく覚えているじゃないか。
秋水は思わず感心してしまう。
図書館への用事は適当にボカしておくかと思ったが、こうも的確に言い当てられたなら、素直に全部言ってもいいだろう。
「あまりファンタジー的な物語に触れてこなかったのですが、少し興味がわきまして。確か図書館の方にそういう事典があったな、と」
「興味がわいたら普通は最初、マンガとかゲームから入るんじゃないかな? 辞典を入口にするのはなくないかな?」
「ありですよ」
「ふーん……」
紗綾音は不思議そうな顔をする。
まあ、方向性の違い、というやつである。
秋水が興味を持っているのは、ファンタジーという『物語』ではない。
あくまでも、ファンタジーという『基本的な情報』が欲しいのだ。
もしも物語が目当てであるのなら、紗綾音の言う通りマンガやゲームが最適なのだろう。
しかし、基本的な情報が目的である以上、物語というストーリー性はむしろ雑音でしかないのだ。
というのを、説明するのは難しそうだ。
と、そこで紗綾音は首を傾げた。
「図書館にあるファンタジー辞典って、世界事典? 幻想生物事典? それともマイナーに、魔術用語辞典とか?」
「え?」
なんか、急に分類分けしてきた。
え、世界事典、幻想生物事典、魔術用語辞典、なにそれ?
「ほら、ファンタジー事典って、種類が結構あるから。図書館に置いてるのってどれかなー、って」
「え?」
「あはは、はじめて異国料理食べた人みたいな顔してるー」
意趣返しのように言いながら、からからと紗綾音が笑う目の前で、今度は秋水が首を傾げる番だった。
ファンタジーの事典って、そんな種類があるのか。
あれか、脚トレと腕トレと背中トレと肩トレと腹トレとコアトレと種類が分かれている感じだろうか。咄嗟に出てきた例えが筋トレである時点で、秋水が筋トレ以外に趣味があると知って紗綾音が驚いたのも無理はないのかもしれない。
「色々あるんだよー、世界観の話に絞ったやつとか、魔法の話を深掘りしたやつとか、錬金術とかエルフみたいな種族の話とか、あとは魔法の武器や防具の事典もあるし、ドラゴンとかモンスターの事典なんてのもあるんだよ」
「く、詳しいのですね……」
「ウチにあるからね!」
えへん、と紗綾音は胸を張る。
ああいうのって本当に買う人いるんだ、と秋水は反射的に思ってから、買う人がいなければそもそも出版されないか、とすぐに納得してしまう。
とりあえず、魔法の武器や防具の事典と、それからモンスターの事典は秋水も欲しい。
ネットショップで色々検索して、何冊か購入するのもありかもしれない。
「事典って名前がつくと、お父さんが買ってくれやすくなるんだよ。たまにお姉ちゃんも読むし……あ」
そこで、紗綾音がふと声を上げた。
微妙に嫌な予感がする。
ちょっと待って、と秋水が言葉を出すよりも、ぴしりと人差し指を立てながら紗綾音が口を開く方が早かった。
「棟区くん! ウチにおいでよ!」
イヤだよ。
チワワに対しては悪い感情を抱きがちな秋水くん。
疑心暗鬼になっていた頃の方が、地雷は踏んでなかったね(・ω・`)