角ウサギを殴り殺す。
突っ込んできたその角を、半歩横にズラして避けて、タイミングを合わせて拳を叩き込む。
もふもふとして可愛らしい顔が一瞬潰れ、その威力を物語るように角ウサギの首から上が爆発四散する。
文字通りの一撃必殺。
ついでに、拳に纏っていたライディンググローブのプロテクターも、爆発四散した。
「ぬあああああああっ!?」
まるで大ダメージでも負ったかのように、秋水の悲鳴が響き渡る。
2月7日の真っ昼間。
昨日より通算で3双目のライディンググローブが、これにて無事にご臨終した。
「軍手は完全に強化対象。バイク用のグローブは強化対象だったり対象外だったりムラがある。靴下は多分強化対象で要観察。靴は対象外。肌着やら作業着も強化対象外で、ヘルメットは多分強化対象外……」
お釈迦様となられたライディンググローブを投げ捨てて、角ウサギを拳で爆死させたその部屋の入口に秋水は座り込んで、スマホに情報を打ち込んでいく。
昨日の夕方から今日の昼間で、秋水はダンジョンにほぼ籠もっていた。
ダンジョンアタック、兼、検証実験だ。
身体強化の強化対象に、しれっと軍手が紛れ込んでいる。
それが判明してから、他の装備品も強化対象に紛れ込んでいないか、その検証実験に秋水は夢中である。
結果としては、微妙なところだ。
身体強化の強化対象となっているのは、今のところ確定しているのは軍手だけで、可能性が高いのは靴下、以上である。
靴下に関しては、複数のコボルトを相手にするときにあれだけ走り回ったり、もしくは強化された脚力で踏み込んだりして、それでも消耗が少ないのを思い返してみれば、強化対象に含まれていると思っていいだろう。
「となると、肌に密着している布系が強化対象か? なら、コンプレッションシャツなら肌着も強化対象なんじゃねぇか?」
顎を撫でながら、ふーむ、と秋水は唸る。
表情は明るい。
考察するというのは、楽しいじゃないか。
秋水は投げ捨てていたライディンググローブを拾い上げる。
関節を守るプロテクターの部分が、見事に爆散している。
しかし、それ以外は無事だ。
布地は強化しやすいのだろうか。
いや、布地といっても、その材質は千差万別である。
少なくとも、軍手に使われている素材とライディンググローブに使われている素材は、明らかに別物だ。
これは悩ましい。
秋水はスマホに打ち込んでいるメモの内容を目で追いながら考える。
ふと、画面右上の時間表示が目に映る。
「あ、昼飯の時間だ」
もう既に真っ昼間。
だいぶ熱中してしまったようだ。
ジムにも行かず、昨日からひたすらダンジョンだ。
まあ、流石にぶっ通しでダンジョンアタックはしておらず、食事と睡眠で戻ってはいる。
いるのだが、それ以外はダンジョンだ。
寝床であるセーフエリアもダンジョンであることを考えたら、食事以外はダンジョンに篭もってしまっていることになる。
これは、流石に不健康じゃなかろうか。
秋水は溜息とともに天井を見上げた。
「昼飯食って、ちょっと寝て……どっか出掛けるくらいするか」
せっかくの休日だしな、と思いつつ、秋水は気分転換を兼ねてダンジョンアタックを一休みしようかと考える。堂々巡りで考えてしまうより、新しい刺激を頭に入れた方がいいだろう。
少し考えて、首を捻った。
休憩がてらに出掛けるとして、さて、どこに行こうか。
んー、と小さく唸る。
「…………ジム、かなぁ?」
棟区 秋水、遊びに出掛けるのが下手である。
秋水の通う中学校は、試験期間の翌日は何故か休みである。
生徒の方はテストお疲れリフレッシュ休日として暢気に喜んでいるが、翌日には一斉に試験の答案用紙が返却されるということを考えると、おそらく教師の方は本日必死こいて採点をしているのであろう。お疲れさまなのは教師の方なのかもしれない。
なお、秋水は生徒の方なので、思う存分に休日を満喫させてもらっている。
「でも、ダンジョンばっかりじゃ、思考まで固まっちまいそうだ」
呟きながら秋水は大きく伸びをする。
本日快晴絶好調。
ダンジョンに篭もっていて、今日の天気も知らなかった。
てくりてくりと道を歩きながら、見上げた空に向けて白い息が立ち上る。
雲1つない晴天で、日差しがある。
だが寒い。
今年一番の冷え込みだとかなんとかネットニュースにあったな、と思い出しながら、冬らしい寒さに秋水は身を縮ませた。
筋肉が多いと、発熱量も多い。
だから寒さにはある程度強いが、限度というものがある。寒いものは寒いのだ。
「あー……ダンジョンの中の方が快適じゃねぇか……」
ダンジョンの環境を思い浮かべたら、ついつい愚痴のように零してしまう。
温度と湿度は人間に対して適度に保たれ、明るく静かなダンジョンは、まさに暮らすにはうってつけの空間である。
ダンジョンに篭もる方が正解なのかもしれない。
もはや引き篭もりの発想になりかけている間に、秋水は目的地に到着する。
いつものジムだ。
昼飯を食べ、セーフエリアで睡眠をとり、気分転換に出掛けた先は、やはりジムであった。
やはり気分転換には筋トレだ。
頭がリフレッシュする。
それに、寒いときにも筋トレだ。
体が発熱する。
「さーて、今日は肩をメインにやるとするかー」
数秒前までダンジョンに引き篭もりたいと思っていたが、ジムの看板を見た瞬間に秋水の思考が切り替わる。
単純な少年である。
「すっ、ふっ――すっ、ふっ――すっ、ふっ――」
そして、バーベルのパワーラック内で秋水は元気に筋トレをしていた。
床に置いたバーベルを、デッドリフトの姿勢から全身の筋肉を使って一気に床から肩の高さまで引き上げる。
そこから一拍置いて、肩の高さにあるバーベルを頭上まで押し上げる。
床から肩までバーベルを持ち上げるクリーン。
肩から頭上までバーベルを押し上げるジャーク。
クリーン&ジャーク。
さながらウエイトリフティングのような筋トレだ。いや、正確にはウェイトリフティングの一部なのだが。
なお、総重量100㎏台でやる種目ではない。
「ふっ――すっ、ふっ――すっ、ふっ――すっ」
規則正しい呼吸と、姿勢の安定性に力の入れ方、そしてタイミングを意識しながら、秋水はクリーン&ジャークを繰り返す。
床から一気に肩まで引き上げる。
静止する。
頭上に押し上げる。
静止する。
床に下ろす。
クリーン&ジャークは筋トレとしてみれば難易度が高い、と言うより危険度が高い種目である。
パワーラック内で体よりも上にバーベルを持ち上げる筋トレであるにも拘わらず、セーフティバーが一切機能しないのだ。
体勢が崩れたり、頭上で持ち上げ損ねたら、高重量のバーベルが頭上より落下する恐れがあるという、馬鹿の極みみたいなトレーニングである。大半の人は真似しちゃいけない種目と断言してもいい。
「すっ、ふっ――すっ、ふっ――すっ、ふっ――」
それを7回、8回、9回。
秋水は姿勢をブレさせることなく、リズムを正確に刻むようにして繰り返す。
そして、バーベルを持ち上げること10回目。
ゆっくりとバーベルを下ろし、静かに床に置く。
クリーン&ジャークを行うときは、他の種目のように筋肉を限界まで追い込む、というような方法は行わない。まだまだ普通に余力がある感じだ。
だが、これは危険な筋トレ種目なのだ。
「ふぅ……ふぅ……すっ、ふぅぅ……」
上がっている息を整える。
「……よし、肩も温まったな」
ちなみに、これはウォーミングアップ後の本格的な筋トレ種目1発目である。
筋トレはスクワットのような体の各所様々な筋肉を総動員してダイナミックな動きを必要とする多関節種目のトレーニングから、ダンベルカールのように特定の部位の筋肉のみを集中的に動かす単関節種目のトレーニングへと、段階的に移行していくのが鉄板だ。
その理論で言えば、体のありとあらゆる筋肉を一斉に動かす必要があるクリーン&ジャークは最初に行う種目としては悪くない選択肢と言える。
ただ、肩がメインかと言われると疑問が残るところだが、やっている張本人が楽しいので良しとする。
やっぱり筋トレすると頭がすっきりとクリアになるな、と思いつつ、トレーニングベンチに座って秋水はペットボトルに入れたポーションを1口飲んだ。
頭がすっきりクリアになって、疲れもすっきりクリア。
筋トレとポーションの組み合わせは、ヤバいほどに相性が良い。良すぎる。
ふぅ、と軽く深呼吸をしてから、ペットボトルのフタをきゅっと閉める。
「さ、ミリタリープレスでもやるか」
秋水はトレーニングベンチから早速立ち上がり、床に置いたバーベルをデッドリフトの要領で引き上げる。
クリーンと違って腰の辺りまで持ち上げて止め、それからバーベルカールで肩の辺りまでバーベルをゆっくりと上げ、そこからさらに少し上げてバーベルを静かにラックへ置く。
筋トレあるある。セッティングの動作中、何故か筋トレの動作を挟む。
デッドリフトもバーベルカールもするつもりはなかったのだが、バーベルを持ち上げるという作業が自然と筋トレ動作になっているのは、完全に無意識である。
バーベルをラックに掛けてから、いそいそとセーフティバーを胸の高さにセットする。
ミリタリープレスは肩の種目だ。
肩幅程度の持ち幅で、肩の高さまでバーベルを持ち、そこから頭上へとバーベルを持ち上げ、そしてゆっくりと下ろす。
クリーン&ジャークのジャークの部分を、直立不動で行うような筋トレである。
三角筋と呼ばれる肩の筋肉の、主に前部と側部が鍛えられる。
さらに僧帽筋、上腕三頭筋、脊柱起立筋、広背筋、大胸筋上部、腹直筋など上半身や体幹周辺、そして背筋も同時に鍛えられるため、肩をメインにするときは必ずメニューに組み込む秋水お気に入りの筋トレでもある。
「プッシュジャークやんのかな?」
「ショルダープレスじゃないのか?」
「立ちながらすんの?」
「確か、そういう種目もあっただろ」
「ミリタリープレス、だっけ?」
「バーベルでやるのか」
「ここだとダンベル、50㎏までしかないもんな」
「普通はそれで十分だからな……」
パワーラック近くの筋トレ民が、秋水の方をちらちら見ながらなにやら囁いている。
見られているな、とは秋水も気がついているが、じろじろと見られるのはいつものことなので気にならない。
ヤクザ面が近くにいるから警戒しているのかもな、と秋水は軽く考えているが、実際は見るからに筋トレ上級者のムキムキマッチョ筋肉鎧がどんな筋トレをしているのか、周りの筋トレ民が観察しているだけである。
ちら、と秋水はバーベルの重りを確認する。
クリーン&ジャークの重量のままだ。
バーベルを下から押し上げるジャークの動作は、脚の反動を使える分だけ直立不動状態のミリタリープレスよりも高重量を扱える。
80㎏くらいに落とすか。
秋水はパワーラックから一度出て、重りの調整を行う。
20㎏のプレートを、右に2枚、そして左に2枚入れ、それぞれカラーで固定する。
「よし」
重りのプレートがズレないことを確認してから、秋水は大きく肯いた。
まずは80㎏でフォームを確認だ。
早速始めるか、と秋水は再びパワーラックへ戻る。
なお、バーベルシャフトの本体が20㎏なので、合計すれば100㎏である。結局3桁重量だった。
「すっ」
バーベルの前に立って、息を吸う。
足は肩幅に開き、つま先は正面。
バーベルの真下に立って、手幅は肩幅より気持ち広めに取る。
ゆっくりとバーベル軽く持ち上げ、ラックから外して半歩下がってから腹筋を固めるようにして腹圧を入れる。
バーベルは鎖骨の少し下くらいでしっかりと握り、握り手には均等に力を込めた。
直立。
腰は反りすぎないように要注意。
「ふっ」
そして、短く息を吐きながら、バーベルを頭上へと押し上げる。
肘は完全に伸ばしきらない。
フィニッシュポジションで一瞬静止。
体が前後にぶれないよう、腰を痛めないよう、体幹が安定するように心掛ける。
「……すぅ」
それから息を吸い込みつつ、バーベルをゆっくりと鎖骨下まで降ろして戻す。
力と動きはしっかりコントロールして、重力に逆らうように、筋肉の張りを意識。
大胸筋の力を使わず、あくまで肩の力で重量を受け止める。
バーベルをスタートポジションまで戻した。
戻すと同時に息を吐き、動作を止めることなく流れるように次の挙上動作へと移る。
呼吸と動きを同調させ、黙々とバーベルの上げ下ろしを反復。
80㎏は動作確認の重量だ。メインの重量よりも当然軽いが、舐めて行うつもりはない。
秋水の鍛え上げられた肩の筋肉が、熱を帯びていく。
じんわりと額に汗を浮かび上がらせながら、10回を超え、11、12と追加して、15回目。
「ふぅぅぅ」
静かに長く息を吐き出してから、スタートポジションまで降ろしたバーベルを、音を極力抑えるようにしてゆっくりとラックへ掛けて戻す。
ちょっと下半身の土台がぶれたかな。
ラックにバーベルを戻してから、秋水は今の筋トレ動作を自己評価した。
股関節周囲が挙上動作のときにちょっと揺れたのが気になる。
クリーン&ジャークは追い込みすぎないように気をつけたつもりだが、やり過ぎただろうか。
もしくは、ダンジョンアタックが流石に長すぎただろうか。
いや、でもポーションで疲労は抜けているので、単純にトレーニングのバランスが悪いのか。
あるいは、ジャークの動作をする感覚が微妙に残ってしまっていたのだろうか。
ふむ、と秋水は軽く鼻を鳴らす。
もう1セット80㎏で確かめるか。
重量を上げず、もう1セットだけフォーム確認を行うことを決めてから、秋水は軽く深呼吸をしてからトレーニングベンチに座る。
なお、100㎏である。
「さて」
ポーションを手に取る。
飲んで回復したら、さくっと次のセットをやろう。
フタを開けて、秋水はふと顔を上げた。
パワーラックの前方は、鏡である。
それは自分の筋トレフォームが崩れていないかを客観的に確認するための実用的な代物であり、ついでに筋トレで水分を抜いてパンプさせた筋肉を見て悦に浸るというナルシシズム的側面も満足させるための代物だ。
顔を上げた秋水は、鏡に映った光景が目に入る。
トレーニングベンチに座った秋水のすぐ後ろで、秋水のことを思いきり凝視していた女性と、ばっちり目が合った。
見られている。
バチクソ見られている。
周りの筋トレ民がちらちら見てくるのはいつものことで気にしないが、直立不動であんぐりと口を開けてガン見されてなお気にならないほど無神経ではないつもりだ。
鏡越しにその女性と目を合わせてしまった秋水は、ペットボトルのフタを開けた姿勢で一度固まった後、ゆっくりとポーションを一口だけ飲んでからそのフタを閉める。
疲労感が消し飛ぶ。
呼吸が強制的に整う。
心拍数が、すぅ、と落ち着く。
すぐにでもミリタリープレスの続きを行えそうだ。
しかし、まあ。
見知った顔を無視するわけには、いかないだろう。
秋水はトレーニングベンチにペットボトルを置きながら、くるりと背後へ振り向いた。
女性が1人。
女子高生だ。
女子高生であるということを、秋水は知っている。
肩まで伸ばした綺麗な明るい茶髪に、ややつり目がちで気の強そうな印象のある顔立ち。
トレーニングウエアは秋水と同じブランドの最新作。
筋トレ歴2ヶ月目のど根性ガール。
「奇遇ですね、こんにちは」
「……先生ってもしかして、片腕で私のこと持ち上げられたりする?」
「え? ああ、まあ、重心さえ合うのなら、反動なくても持ち上げられるとは思いますが」
「やばぁ……ちょっと待って先生、煩悩出てきた、タイムタイム」
「はい」
挨拶をしたところ、急に顔を赤らめながらタイムをかけられる。
煩悩とは一体何なのか。大晦日の除夜の鐘をもう一度リプレイして聞かせた方がよいのだろうか。
ぐりぐり、と赤らんだ頬をマッサージするように捏ねてから、にへ、と彼女は秋水に向けてやわらかい、と言うよりふやけたような笑みを向けてくれる。
「こんにちは先生。ヤバい重量じゃんね、これ。100㎏だぁ」
「はい、こんにちは美寧さん。まだフォームの確認なので、ここにあと40足しますよ」
「……ヤバい重量じゃんね」
秋水くんは美寧ちゃんの根性をめちゃくちゃ高く評価していますが、「ど根性ガール」というのは女子高生にとって別に褒め言葉でもなんでもないよね(´゚ω゚`)
次回は美寧ちゃん視点。
美寧ちゃんの思考パターンが、段々作者の手を離れているような気がする(頭を抱える)