リュックサックを背負い、秋水は周囲を確かめながらゆっくりとダンジョンの通路を歩いていた。
下は岩肌、横も岩肌、上を見たなら眩しいな。頭上の光る謎の天井を無視すれば、まさに岩山をくり抜き作られた洞窟である。
つまり秋水にとって、見慣れたダンジョンの通路だ。
だが、秋水はその通路を、何故か若干緊張した面持ちで歩いていた。
「さーて、たぶん大丈夫だろうけど……」
通路はすでに出口に差し掛かっている。
出口という次の部屋への入口なのか、それともT字路なのか。正確には丁字路か。
いや、通路先は、部屋だ。
いつものように、モンスターが待ち構えている広い部屋が見える。
T字路ではないようだ。
行き止まりでもないようだ。
その部屋の入口から、スライムが見えた。ちゃんといるなぁ、と秋水は若干ほっとしつつ足を進める。
通路の終わりに辿り着く。
部屋の入口だ。
秋水はその地点に辿り着き、もう一度大きく深呼吸をする。
予想通りであってくれ、と心の中で一度祈りを捧げてから、リュックを背負ったまま部屋の入口から中を覗くようにするっと顔を出す。
部屋には、数体のスライム。
コボルトはいない。
重要なのはここからだ。
左を見る。
次の部屋への通路に続くであろう、出口が見える。
そして、右を見る。
開け放たれている、岩の扉。
上りの階段が、ちらりと見えた。
「よ――」
予想ドンピシャ。
秋水は思わず両手を挙げ、ゆっくりとガッツポーズをとる。
「――しゃぁああああ……」
溜息のように、気が抜けたかのように、全身を脱力させて安堵の声を漏らす。
ここはダンジョン、地下3階。
周回ルートが開通した。
「わりと楽勝だったんじゃないか?」
そしてコボルトを殴り殺してから、秋水は一息つきながら呟いた。
楽勝、と評したのは今しがた撲殺したコボルトのことではない。
ボスコボルトのことである。
3体がかりというので最初は驚いたが、いざ戦いが始まったら比較的優位に戦えていた、と思う。
それはまあ、棍棒で殴られるわドロップキック喰らうわ、それなりに攻撃こそ受けたものの、ボスウサギ戦のように片腕が消し飛ぶような致命傷は受けなかった。
殴られた腹には痣ができていたし、カウンターでドロップキックを受けたせいで恐らく肋骨が折れていただろうけれども、どちらもポーションですぐに治る程度のダメージでしかない。
つまり、無傷と言っても過言ではない。
上手く立ち回れたじゃないか、と秋水はボスコボルト戦を思い返しつつ、満足そうに肯いた。
過言だよ、とツッコミを入れる者はいない。
ちなみに、ジャケットやヘルメットなどのバイク装備は、破れたり砕けたりという決定的な破損こそ見られないものの、わりとボロボロになっている。壁に叩きつけられたり床を転がったりしたことを考えれば、軽微な破損と評価もできるし、破損は破損とも言える。
客観的には楽勝と言えない戦いだったはずだが、秋水的には楽勝だったなという感想だ。感覚がバグっている。
「やっぱ、武装強化と反発の魔法がデカいんだろうな」
コボルトが死亡演出で噴き出している魔素を左手で吸い込みつつ、秋水は軽く鼻を鳴らした。
武装強化の魔法。
魔素反発の魔法。
この2つの魔法の存在が、ボスコボルト戦で優位に戦えていた最大の要因、と言っても過言ではない。今度こそ本当に過言ではない。
恐らく身体強化の魔法だけでボスコボルトに挑んでいたら、もっと状況は悪かったと思われる。というか、圧倒的不利だっただろう。
棍棒で殴り飛ばされたり蹴り飛ばされたりしても、痛ぇ、で済んだのは、間違いなく防具であるバイク装備に武装強化の魔法を施していたからだ。
バイクショップで買ってきた市販品のバイク装備が、より頑丈に、よりしなやかに、魔法によって防御性能が底上げされた。
だから攻撃を喰らっても、痣ができた、骨が折れた、くらいで無事だったのである。いや無事じゃないのだけれど。
少なくとも、ボスウサギ戦のように左腕よさようなら、という状況には陥らなかった。
それに武装強化の魔法は、武器の性能底上げも担っている。
バールも、剣鉈も、片手斧も、より硬く強化されたからこそ、戦えた。
片手斧なんて武装強化を施していなければ、最初に投擲された棍棒を防いだ瞬間に折れていた可能性だってある。
剣鉈はまだともかく、バールでボスコボルトの皮膚を貫通して突き刺せたのだって、武装強化によって頑丈になっていたからだろう。
武装強化の魔法、編み出せて良かった。
そして、魔素反発の魔法。
魔法によって魔素を引き寄せて吸収する魔素回収の魔法の、逆転バージョンの魔法である。
効果は魔素を弾くこと。以上。
非常にシンプルな効果しかない魔法であったが、その効果はボスコボルト戦で示した通り、絶大だった。
防御に使えばダメージ減少。
攻撃に使えば打撃力向上。
攻撃にも転用できるピンポイントバリア、といった感じだろうか。
魔素を反発させる力分だけ、モンスターから加わる力は軽減され、逆にモンスターへ加える力は増大する、まさに攻防一体の魔法だ。
今のところは身体強化や武装強化のように、全身全てに魔素反発の魔法を施す、という芸当は行えないものの、それでもモンスター相手には十分過ぎるほど凶悪な性能を有している。
特に、モンスターの体内で発動させたときの威力が、ヤバい。
思わず語彙力がなくなる威力である。
魔素を弾き飛ばすという性質上、魔素の塊であるモンスターの体内で魔素反発の魔法を発動させれば、モンスターは内側から破裂してしまうのだ。
その威力は、ボスコボルトも即死する。
決まりさえすれば、という枕詞は必要だが、それを差し引いても凄まじい威力の必殺技が生み出されてしまった。
「ヤベェ魔法を作っちまったなこれ……」
秋水は苦笑いを浮かべつつ、次の部屋を目指して歩き始めた。
ボスコボルトをまとめて殺し、地下2階と同じく周回コースを開通させた秋水は、ボロボロになった装備のまま地下3階の2周目を始めていた。連戦である。
次の部屋の前で秋水はリュックサックを置き、巨大バールを構える。
「身体強化、60%」
流れるように身体強化の魔法を施す。
最近はもう、息をするように身体強化の魔法が発動できるようになってきた。
そして手にした巨大バールという武器と、ヘルメットからジャケットからパンツからグローブから安全靴に至るまで、身に着けた全ての防具に魔力を供給。
「武装強化」
わりとボロボロな装備を、魔法で強化する。
こちらは出力というか、強化倍率を弄れない。
ただ、部分強化との重ね掛けをすることが前提の身体強化と違い、武装は強化倍率が調整できたところで大して意味はないので、あまり問題にはならないだろう。
ふ、と秋水は息を吐き、部屋に足を踏み入れる。
中にいるコボルトは、たったの1体。
「コーティング」
足を踏み入れた瞬間に、コボルトが秋水の方を向いた。
タイミングを合わせて、巨大バールに魔素反発の魔法を掛け、秋水は地面を蹴った。
直進コース。
スライムはいない。
突っ込んできた秋水を迎え撃つように、コボルトは横に棍棒を構えた。
身体強化で底上げされた脚力で、秋水は一息でコボルトとの距離を詰め。
「ずんだっ!」
巨大バールを振り上げ、踏み込みに合わせてコボルトの脳天目掛けて一気に振り下ろす。
それが犬頭を捉えるより早く、踏み込んだ足の膝をコボルトが棍棒で殴ってきた。
一瞬早く、秋水の膝を棍棒が殴打する。
それがどうした。
武装強化と魔素反発を施した巨大バールが、コボルトの頭を真上から叩き下ろした。
身体強化によって倍以上の膂力となったその破壊力が、武装強化で補強された巨大バールにしっかりと乗り、しかも魔素反発の魔法分だけ打撃力が上乗せされた一撃だ。
『ギュッ!?』
脳天唐竹でぶん殴ったコボルトを、無理矢理地面に叩きつけるように崩し落とす。
棍棒を受けた膝はほぼノーダメージ。
もとより膝にはプロテクターが装着されている。
渡巻さん家の律歌さんにお奨めされた、衝撃吸収ぷにぷにひんやりプロテクターだ。
武装強化の魔法で底上げされる性能は、なにも硬さだけではない。衝撃吸収能力もまた、強化されているのである。
ノーダメージ。
少なくとも秋水自身は、ノーダメージ。
あえて言うなら、ライディングパンツがさらに汚れてしまったくらいだ。
「やっぱ悲鳴があると違うよなぁ!」
『ギャウワッ!』
なかなかにサイコパスな発言を高らかに零しながら、秋水は殴りつけた巨大バールから両手を離し、腰ベルトからすらりと剣鉈を引き抜いて、強引に地に伏せさせたコボルトを思いきり踏みつける。
普通のコボルトとは違い、ボスコボルトは何故か鳴かなかったので、こうやって生々しく悲鳴を上げてくれるコボルトの声は、ある意味で安心させてくれる。
にぃ、と笑みも零しつつ、秋水は逆手に剣鉈を構え直す。
「武装強化あーんどコーティングっ!」
そして剣鉈に武装強化の魔法と魔素反発の魔法を施した。
身体強化が全身と部分で重ね掛けと表現するなら、これは武器に強化と反発の重ね掛け、と表現すべきかもしれない。
体に魔法の重ね掛け。
武装に魔法の重ね掛け。
丁度いい。
逆手に構えた剣鉈を振り翳し、そのまま秋水はトドメを刺さんと切っ先を振り下ろす。
刺さらなかった。
剣鉈の切っ先が、コボルトの喉元に刺さるギリギリのところで、止まってしまった。
コボルトに剣鉈は触れていない。
まさに紙一重、といったところで寸止めされる。
これは別に、秋水の意思ではなかった。
「……間違えちった」
容赦なく刺し殺すつもりで振り下ろした剣鉈を寸止めしてしまった秋水は、自身の失敗を悟って苦笑した。
間違えてしまった。
順番を、だ。
「気を取り直してブッコローっ!!」
即座に秋水は剣鉈に施していた魔素反発の魔法を解除。
その瞬間に、ずぶ、と軽くコボルトの喉元に刺さった剣鉈を、勢いを使うことなく体重と腕力のみで無理矢理剣鉈の刃を捻り込む。
はい、改めまして。
「大・爆・殺っ!!」
コーティング、とは違う言葉を口走りながら、剣鉈に再び魔素反発の魔法を施す。
コボルトの喉元に突き刺さった剣鉈だ。
コボルトの体内で、魔素反発の魔法が効力を発揮する。
ボッ、とコボルトの胸から上が丸ごと吹き飛んだ。
一撃必殺。
いや、巨大バールで叩き伏せたのを合わせたら二撃か。
秋水は軽く細長い息を吐いてから、振り下ろした剣鉈をちらりと確認する。
「問題は、これか……」
魔素反発の魔法は、まさにモンスター特効魔法だ。
モンスターから受ける衝撃は反発する力分だけ吸収され、モンスターに与える衝撃は反発する力分だけ増大する。
防御に使える。
攻撃に使える。
モンスターが魔素で構成されている以上、その魔素を弾く性質をもつ魔素反発の魔法は、ダンジョンアタックをする上では非常に心強い魔法だと断言できる。
ただし、欠点も存在した。
1つは、刃物との相性が途轍もなく悪い、という点である。
バールは良い。
殴るから。
拳も良い。
殴るから。
しかし、剣鉈と片手斧は駄目なのだ。
斬るから。
打撃武器とは相性がすこぶる良い反面、魔素反発の魔法はとにかく斬撃武器との相性が悪すぎる。
「斬る前に弾いちまうんだよなぁ……」
さらに数戦終えた秋水は、ダンジョンの通路を歩きつつ鞘から抜いた剣鉈を眺めていた。
つい先程、コボルト3体を爆殺・斬殺・殴殺の3種盛りでぶっ殺したのだが、やはり魔素反発を施した剣鉈でコボルトに斬りかかると、斬れなかったのだ。
理由は単純。
魔素と反発するから、だ。
魔素反発の魔法は、任意の場所にバリアをコーティングする感じで発動している。
そう、バリアをコーティングしているのだ。
それは剣鉈を鞘で覆ってしまっているのと、なんら変わりがない。
獲物を斬り裂くための刃の部分に魔素反発の魔法を施すと、刃がコボルトに届く前に、魔法の効果でコボルトを押し出してしまうのだ。
刃は、触れて初めて斬ることができる。
触れられなければ、斬れないのである。
「うーん……いちいちオン・オフしながら斬るのも面倒だな……」
首を捻りながら秋水は剣鉈を鞘に収めた。
バールや徒手空拳による打撃は、衝撃を伝える、という攻撃性質上、魔素反発の魔法を施すことによるデメリットは発生しない。むしろメリットづくしである。
一方、斬ったり刺したりする場合、刃を食い込ませるのを魔素反発の魔法がむしろ邪魔してしまう。これに関しては、バールを刺し込む場合にも当てはまる。
悩ましいのは、一撃必殺の戦法である、モンスターの体内で魔素反発の魔法を発動させて爆殺する、という方法にも悪影響が出ていることだ。
モンスターの体内で魔素反発の魔法を発動させるには、そもそもモンスターの体内に何かしらを刺し込む必要がある。
そう、刺すのだ。
魔素反発の魔法と相性の悪い、刺突攻撃である。
剣鉈なり片手斧なり、それこそバールなりをモンスターにぶっ刺すためには、魔素反発の魔法が邪魔なのだ。反発するから。
故に、魔素反発の魔法を解除して突き刺し、改めて魔法を再発動させる必要がある。
めんどくせぇ。
うー、と秋水は軽く唸った。
決まりさえすれば必殺の威力がある技なのに、決めるためには一手間どころか二手間必要なのである。
実際、コボルト相手なら爆殺するよりもバールで殴り殺した方がよっぽど早かった。
やはりバールなのか。
雑に殴れるバールが最強なのか。
腕を組んで考えながら、秋水は足を進めた。
次の部屋が見えてきた。
開け放たれた扉のある部屋だった。
「おっと」
思わず秋水は足を止めてしまう。
無心で2周目を進んでいたが、再びボス部屋の前まで辿り着いてしまった。
カチャ、とヘルメットのバイザーを上げる。
「うーん、コボルトの手応えも、あんま感じなくなってきてるよなぁ」
ぽつり、と秋水は零す。
武装強化と魔素反発の魔法。
ボスコボルトを相手に優位をとれた立役者であるこの2つの魔法は、通常のコボルト相手の場合は明らかに過剰戦力であることは間違いなかった。
そもそも、身体強化と部分強化だけでも、十分に立ち回れていたのだ。
そこに魔法を2つ追加したら、コボルトが秋水に勝てる見込みはほぼなくなったと言っていいだろう。
なにせ、通常のコボルトが棍棒で殴ってくる程度では、ダメージが殆どないのである。
「てことは、次か」
扉の向こう、広いボス部屋のさらに向こう。
秋水はボス部屋の出口の方へと視線を向けた。
ボス部屋を出れば、通路がある。
2つの道に分かれた通路だ。
片方は、最初の部屋に戻るショートカットコース。そちらを通れば、地下3階の周回ルートだ。
そして、もう片方は、下りの階段。
この次。
地下4階が待っていた。
次のステージか。
秋水は小さく笑う。
楽しみじゃないか。
「でも、その前に」
次に行きたい気持ちを抑えつつ、秋水はボス部屋の入口前にリュックサックを下ろした。
部屋へ殴り込みに行くわけではない。
そもそも、ボス部屋にはスライムしかいない。
秋水はボス部屋へと入らず、むしろ少し通路を戻り、それから壁を調べ始めた。
上から下へ。
下から上へ。
目を凝らしてしっかり見つつ、壁を調べつつ部屋の方へと進む。
ない。
再び秋水は少し戻り、反対側の壁に移動して同じく壁を調べる。
探す。
探す。
見落としがないように、ゆっくりと目を走らせて。
「……あった!」
思わず喜びの声が出た。
秋水が見つけたのは、ボタンである。
岩肌の壁に、同色の小さな押しボタンという、とんでもなく不親切極まりない代物だ。
そのボタンは、上の階にもあった見覚えのあるボタンだった。
すぐ上には、なにか彫り込みがある。
色で線を引かれているわけではなく、まして大きくもない、近づいて初めて分かるくらいに気がつきにくい彫り込みだ。
見覚えがありすぎて苦笑い。
それは日本語ではなく、英語でもなく、しかし文字のような彫り込み。
ダンジョンの扉などで度々見かけるその文字は、何語か分からないが不思議と秋水はその文字が読めるのだ。
秋水は彫り込まれた文字を指でなぞりつつ、ほっと一息つく。
「リセットボタンは各階にあるんだな」
【リセット】
【残り、1】
なお、魔素反発の魔法は、もう1つ無視できないデメリットがあります。
次回は、はい……美寧ちゃんですね(;´Д`)