ウチの庭にダンジョンがあります   作:ShilonkS

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246『木曜日は嫌いじゃないです』

「母さんって、バレンタインにチョコ渡したりとか、した?」

 

 錦地 美寧は、出かける直前の母親に、そんな素朴な疑問を投げかけた。

 バッチリメイクをして、気合いを入れた衣装に袖を通した母は、なに言ってんだコイツ、という表情を一瞬見せる。

 ただいま、夜。

 お泊まりであろう荷物を持って、出かけようとしている母の行く先は、まあ、正直興味はない。

 どうせ男だよ。

 今までと同じ男なのかは知らないが。

 しかし、そんなことは、どうでもいい。

 美寧が今、興味を向けるのはバレンタインデーという一大イベントのみである。

 玄関前で靴を履こうとしているところを呼び止められた母は、美寧の顔を見てから、はぁ、と盛大にため息を1つ。

 娘の顔を見てため息とか、酷くないだろうか。

 

「美寧、バレンタインデーにチョコを渡すという風習はね、チョコレート会社が仕掛けた戦略よ。日本独自なの」

 

「いや知ってるけど……」

 

「知っているなら美寧、悪いことは言わないわ」

 

 母は、がしり、と美寧の肩を掴み、真剣な目を向ける。

 

 

 

「んな御託は無視しなさい。意中の男の前では前日までに思わせぶりな雰囲気を見せて、当日には気合いの入ったラッピングをしたブツを叩きつけるのよ」

 

「やっぱそうだよね!」

 

「ほとんどの男はそれで察するし、もしも向こうから告白してきたら恋愛のイニシアチブは一気にこちらのもの。利用できるイベントはフルに活用しなさい美寧」

 

「めっちゃ分かる!」

 

 

 

 この母親にしてこの娘。

 やはりバレンタインデーというイベントは、最大限に有効活用しなくてはならない。

 母の励ましにより、美寧は再び気合いを入れ直した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「木曜日に会えませんか? チョコレートは好きですか? 木曜日に会えませんか? チョコレートは好きですか? 木曜日に会えませんか? チョコレートは好きですか? 木曜日に会えませんか? チョコレートは好きですか? 木曜日に会えませんか? チョコレートは好きですか?」

 

 ぶつぶつと同じ台詞を呪文のように口の中で唱えつつ、美寧は暗い夜道を歩いていた。

 23時前。

 真夜中である。

 そんな暗闇で、人でも刺し殺しそうなほどに鋭い目つきで、ひたすら独り言をぼそぼそ呟きながら大股の早足で歩く女子高生。恐い。

 昨日は、いや正確には今日、もう面倒くさいから前回と言おうか。

 気を取り直して、前回は秋水にバレンタインデーにご用事がないか尋ねるのを、ものの見事に忘れてしまった。

 秋水に会えて、会話ができて、るんるん気分で別れてしまったのだ。バカヤロウか。

 やはり、初手先制が必要だ。

 勇気と気合いと根性出して、出会い頭の1発目に聞かなければ、どうせまた尻込みしまくってずるずると聞くべきことを聞けずに終わってしまう。

 思い出してみろ。連絡先の交換だって、秋水から言ってくれなければ、今でもまだ連絡先分からず終いなのは容易に想像できる。

 基本的に、自分はヘタレなのだ。

 根性なしなのだ。

 最初の最初に聞くしかない。

 いくぞ勇気の旗掲げ。

 誰だボロ旗だとか言う奴。ぶち殺がしてカラスの餌にするぞテメェ。

 

「木曜日に会えませんか? チョコレートは好きですか? 木曜日に会えませんか? チョコレートは好きですか? 木曜日に会えませんか? チョコレートは好きですか?」

 

 ウォーミングアップもしていないのに顔が熱い。

 早歩きしているからだろうか。

 大股で歩いているからだろうか。

 秋水へ出会い頭に投げつける言葉を、ぶつぶつ呟きながら練習する。

 木曜日は、14日。

 つまりバレンタインデー。

 まずは、本番当日に逢えないかを聞かなければ。

 そして、わざとらしいくらいに、チョコレート渡しますよ、というのを匂わせなければ。

 

「木曜日に会えませんか? 家はどこですか? 会いに行っていいですか? 彼女はいますか? 奥さんはいますか? 誰かからチョコレート貰う予定はありますか? チョコレート貰う予定があるならそれは私がゴミ箱にぶん投げて代わりに私が本気を出したド本命のチョコレート渡しますからそこら辺の女なんか捨てて私に乗り換えるのがオススメだから是非とも私のチョコレートを貰うべきなので木曜日に会えませんか? チョコレートは好きですよねはいと言え先生きっとチョコ好きだから大丈夫ですよね?」

 

 頭から湯気が出そうだ。

 もし仮に、バレンタインデーに会えません、なんて言われたらどうしよう。

 家に突撃するしかない。

 チョコレートが苦手ですと言われたらどうしよう。

 ならば甘さを極限まで抑えたビターチョコだ。

 彼女がいるから受け取れませんとか言われたらどうしよう。

 そんな奴どうでもいいから私のチョコをプレゼントだ。

 彼女がいようが奥さんがいようが、こちらは寝取る気満々なのだ。どんと来いコノヤロウ。

 ふふふ、略・奪・愛。

 美寧の脳内は暴走しかかっていた。

 なにはともかく、このまま勢いをつけて聞くしかないのだ。

 最初に尻込みしたら、たぶん言い出せない。

 後先考えるな。

 失敗を恐れるな。

 とにかく聞くのだ。

 質問するのだ。

 木曜日に会えませんか。

 チョコレートは好きですか。

 木曜日に会えませんか。

 チョコレートは好きですか。

 同じことをぐるぐると考え続け、美寧はジムへと向かう。

 考えることに集中しすぎて、周囲への注意が疎かになってしまった。

 

 

 

「こんばんは、美寧さん」

 

「ひょえいっ!?」

 

 

 

 急に隣からお腹に響く超絶低音のイケメンボイスが降ってきた。

 真夜中に奇声を上げながら跳ね上がる女子高生。近所迷惑である。

 ばっ、と振り向き、そして見上げれば、あら良い男。

 

 棟区 秋水である。

 

 昨日と同じくジムに向かう道すがらに出会うなんて、これはきっと運命じゃなかろうか。

 いや運命に違いない。

 運命だ。

 て言うか、ちょっと、まって。

 心の準備がまだというか、なんというか、ですね。

 

「ひょぇぇぇぇぇぇ……」

 

 秋水を見上げた美寧の口から、気の抜けたような変な声が漏れ出ていく。

 むちむちパンパンの筋肉に、黒いレザーコートを纏って黒いニット帽をかぶる。

 暗闇に溶けるような、その格好。

 

 いやもう、かっこ、よっ!

 昨日も思ったけれど格好良い。めちゃくちゃ似合ってる。秋水の雰囲気にぴったりばっちりジャストフィットな格好は、控えめに言っても美寧の性癖を一発で歪ませるには十分すぎるほどの破壊力があった。前から性癖歪んでそうと言われたら否定できないけれど。しかし格好良い。こんなイケメンが似合いすぎの格好で外を出歩くと他の女の子のハートを片っ端から射止めるんじゃないかと心配になると言うか、もはやなんらかの法律で取り締まった方が良いんじゃなかろうか思ってしまう。

 て言うか、こんなにレザーコートが似合う男が他にいるだろうかいやいないよ絶対。

 まさに人の性癖を歪ませるような衣装。

 なんだろう、これは誘ってるのだろうか。

 誘ってるよね?

 

 ではない。

 ぱんっ、と美寧は自分の頬を両手で叩いて正気を取り戻す。

 

「おっと?」

 

 奇声を上げて跳び上がったり変な声を漏らすくらいは、いつものこと、と軽くスルーしている秋水だが、さすがに目の前でいきなり自分自身の頬を叩きはじめた美寧の行動に目を丸くした。

 ぐ、と美寧は奥歯を噛む。

 それから、改めて秋水を見上げた。

 こんばんは。

 いい夜ですね。

 今日もよろしくお願いします。

 まずは挨拶を返すべき。

 

 いや駄目だ。

 

 先制パンチだ。

 

 挨拶をして日和ったら、絶対にそこから尻込みする。

 今回、バレンタインデーの約束を取り付けなければ、完全にアウトなのだ。

 挨拶は後回し。

 聞け。

 聞くんだ。

 木曜日に会えませんか。

 チョコレートは好きですか。

 行くぞ。

 聞くぞ。

 勇気を今こそ振り絞るんだ錦地 美寧!

 

 

 

「木曜日は好きですか!?」

 

「え? あ、はい、嫌いではないです」

 

 

 

 美寧は膝から崩れ落ちた。

 

「あれ? み、美寧さん?」

 

 秋水が慌てて隣に座って心配してくれるものの、美寧はアスファルトに両手をついて絶望していた。

 混ざった。

 間違えた。

 木曜日に会えませんか、と、チョコレートは好きですか、という2つの質問が融合合体して事故を起こした。

 木曜日は好きですか?

 いや知らねぇよ。

 土曜日や日曜日ならともかく、木曜日なんて中途半端な曜日に特別な感情を抱いている人の方が希有だろ。

 じゃあなんだ、次の質問はチョコレートに会えませんかと尋ねればいいのか。意味不明が過ぎるだろ。

 美寧の勇気は言い間違いにより、ものの見事に砕けて散った。

 終わった。

 さよならまた来世。

 死にたい。

 

「だ、大丈夫ですか美寧さん?」

 

「たぶん私の心は大丈夫じゃない感じだよ先生ぇぇ……」

 

「えっと……木曜日、好きです」

 

「傷口に塩っ!」

 

 恐らく気を遣って木曜日を好きだと言ってくれたのだろうが、残念ながらそれは美寧の心に改めてトドメを叩き込む言葉であった。

 秋水が手を貸してくれ、美寧は渋々と立ち上がる。

 優しい。

 美寧はゆっくりと秋水を見上げる。

 好みドストライク。

 おかしいなぁ。デカい、ゴツい、ムキムキ、恐い、だなんて、守備範囲外だったハズなんだけどなぁ。すっかり歪まされちゃったなぁ。

 遠い目をしながら、乾いた笑いが美寧の口端から零れていく。

 

「……こんばんは、先生」

 

 そして改めて、美寧は挨拶を口にした。

 先制パンチ、大失敗。

 今からでも尋ねられるだろうか。

 木曜日に会えますか。

 チョコレートは好きですか。

 ダメだ。

 心がヘタレた。

 きっと無理だ。

 なんとなくだが、自分の中にある緊張の糸が切れてしまったのを、美寧は冷静に感じ取っていた。

 これはいつものパターンだ。

 どうせ自分はこのまま、バレンタインデーに会う約束を秋水と取りつけられずに終わるだろう。

 ああ、バカだ。

 なんで言い間違えた。

 せっかく秋水に会えたというのに、美寧の心は真っ暗になっていた。

 

「なかなかの勢いで膝からいきましたが、お怪我はございませんか?」

 

「大怪我したのは心かなぁ……」

 

「心でしたか……」

 

 心配する秋水にも、美寧は思わず自嘲気味に返してしまう。

 ほら見ろ、反応に困ってるじゃないか。

 うわ面倒くさい。

 美寧ちゃん、めんどくさい女になってる。

 自分自身の言葉で自己嫌悪まで顔をのぞかせてきた。

 す、と美寧は視線を下ろす。

 ああ、ダメだ、先生を困らせちゃダメだ。

 とりあえず誤魔化さなきゃ。今日もご指導よろしくお願いしますとか言って、話を逸らさなきゃ。どうせバレンタインデーのバの字も触れちゃいないのだ。いくらでも誤魔化せるだろう。

 

 でも、言い間違いは、悔しいなぁ。

 

 

 

「もしかして美寧さん、木曜日にジムに来られますか?」

 

 

 

 え、と再び顔を上げる。

 秋水は首を傾げながら、変わらず美寧をまっすぐ見下ろしていた。

 

「ああ、いえ、この前も木曜日に来られていたので、そうなのかな、と」

 

 美寧がなにかを言う前に、秋水はすぐに補足を入れてきた。

 この前。

 前の木曜日は、そうだ、ジムに行った。

 筋肉痛から完全復帰して、軽くストレッチでもしようと学校帰りにジムに寄ったのだ。

 そして偶然、秋水と出会えた。

 ああ、そうか。

 あの日も、木曜日だ。

 美寧の前に、光明が見えてきた。

 

「そ、そうですっ!」

 

「うおっと」

 

 理解したその瞬間、美寧は食いつくように前のめりになって大きく頷く。

 

「今度の木曜日もジムで軽く運動するつもりなんだけど、先生もまた同じ時間かなぁ、なんて思ってたじゃんね! はい! 木曜日の筋トレは好きですか!?」

 

「美寧さん、夜中に大声は近所迷惑になりますよ」

 

 やや早口で、いや、だいぶ早口で捲し立てながら秋水に迫れば、秋水は唇に指を当てながら苦笑しつつ注意する。

 しー、というポーズだ。

 なんか、エロい。

 じゃなかった。

 思わず大声になってしまったと、美寧はぱっと口元に手を当てる。

 

「それと、曜日に限らず筋トレは好きですよ」

 

 好きですよ。

 好き。

 ああ、もう、なんで自分は今、この言葉を録音していないのだ。

 きゅーん、とする。

 胸が高鳴る。

 この人は、私の意思を汲んでくれる。

 明らかに意味不明な発言でも、ちゃんと考えて理解しようとしてくれる。

 相性抜群じゃん。

 運命じゃん。

 面倒くさく不貞腐れかけていた心が、ぱぁ、と華やぐ。

 この人といると、心が大きく揺らぐ。

 テンションが上がったり下がったり忙しい。

 なんでこうも私の心を鷲掴みにして離してくれないんだろう。

 ズルい。

 好き。

 

 こっちの方が大好きですよーっ!!!

 

 口に手を当てたまま、美寧は心の中で絶叫する。

 そんな美寧を見下ろしながらも、秋水は唇に当てた指を離してから、ふむ、と軽く鼻を鳴らす。

 秋水の癖のようなものだ。

 ふむ、という漏れ出る秋水の呟きは、いつも美寧のお腹を震わせる。

 その鼻を鳴らしかた、えっちじゃんね。

 明るくなった心が、ちょっとピンク色に舵を切る。

 

 いや仕方ないだろロングのレザーコートにニット帽で全身渋い黒ずくめとか力業でねじ曲げたこちらの性癖ど真ん中に直球で叩き込んでくる格好した好きな人が目の前に立っているんだからちょっとくらい頭の中というかお腹というかそこらあたりがムラっとしても仕方がないじゃんねと言うかむしろ自分の外見的魅力にベストマッチさせた完璧スタイルで迫ってくる先生がほぼほぼ悪いような気がしてきたんだけどほぼほぼじゃなくて完全に先生が悪いよね絶対これフェロモン出しまくりで私をどうしたいの先生はもしかして私に襲って欲しいのかなくそう私に先生を押し倒せるだけの腕力があれば今この場で実行に移すことだってできたけどダメだダメだ先生の前では可能な限りお清楚でいたいという乙女心があるのに先生がこっちの理性をゴリゴリ削ってくるからやっぱり先生が諸悪の根源だこれどうしようちょっとえっちな感じに迫るっていう戦略も視野に入れるべきかもしれないじゃんねいやムリでしょそんな度胸ないじゃん私はどうしてくれるんだ先生の似合いすぎ問題が勃発してる素敵に無敵なレザーコートのせいで無垢な少女の情緒がぐちゃぐちゃのメッタメタになってる責任を先生は今すぐに取るべきなんじゃないかな本当にもう好きっ!!

 

 心の中で言い訳のような絶叫を再び繰り返す。

 言い訳のような、と言うか、言い訳である。

 

 

 

「たぶん、以前と同じくらいの時間でしたら、私もジムにいると思います」

 

 

 

 内心大パニック状態の美寧に、そんな言葉が降りかかってきた。

 ふぁっ、と奇妙な声が一瞬出かかったが、口に当てた手で無理矢理押し戻して飲み込む。

 木曜日。

 14日。

 バレンタインデー。

 つまり、逢えるということだな。

 ジムに来れば、秋水に逢えるということだな。

 神は私を見捨てていなかった。

 喜びのあまり美寧は昇天しかけるが、幽体離脱している場合じゃねぇ、と慌てて秋水へぐいっと迫る。

 

「じゃ、じゃあ! 学校終わって4時前くらいにはジム行きます!」

 

「美寧さん、大声――」

 

「あ、でも先生はいるだけでいいから! 知ってる人が近くにいるだけで、凄い安心だから!」

 

 美寧は誤魔化すように手をパタパタ振りながら言う。

 今回は教えてもらうことが目的ではない。秋水に会うのが目的だ。

 それに、秋水と2人きりのジムに慣れすぎているんだろう。昼間のジムは、やはり未だに場違い感がちょっとある。

 秋水がそばにいれば安心だ。

 近くにいるだけで、とても嬉しい。

 

「先生は、いてくれるだけで、価値のある人だから!」

 

 ぐっと拳を握って、美寧は力説した。

 一瞬、秋水が目を丸くする。

 なにか変なことを言っただろうか。

 はて、と思うよりも先に、秋水は少しだけ苦笑を漏らす。

 苦笑だ。

 笑った。

 え、なに、やだ、かわいい。

 

「――美寧さんも、いてくださるだけで、価値のある人ですよ」

 

「ず゜ぴ゛ゅっ!?」

 

 胸がときめくそれより早く、返す刃で斬り殺されて、美寧は再び膝から崩れ落ちた。

 

 

 





 前回の木曜日に美寧ちゃんがジムに顔を出したのが、なんだか勝手に布石になって良かったね(*'ω'*)

 なお、バレンタインデー当日の秋水くんは……
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