「明日の会議は私がメインで進行するわ。質問も提案も、可能な限り私が返答する。あなた達は、事態が相当悪くならない限り、口を出さないでちょうだい」
「は?」
開口1発目、目の前の美女が投げつけてきた爆弾に対し、即座に反応したのは峰岸 鉄臣ではなく、その鉄臣の隣に座っていた狂犬ちゃんだった。間違えた。鋒山 志穂が反射的に顔を顰め、低くて短い声を叩き返した。
質屋 『栗形』 のバックヤード。
店の表にはまだ出ていない在庫や、恐らく件のアンクレットとやらが入っているであろう大量の段ボールに囲まれた、少々手狭な空間。
こぢんまりとしたテーブルを挟み、鉄臣と志穂は美女、棟区 鎬と向かい合っていた。
ちらり、と鉄臣は自分の隣に座る志穂の表情を盗み見る。
目まで据わっていた。
「……今の、もう1回、言ってもらえます?」
声まで低い。
あ、これキレるな。
温度の消えた志穂の顔を確認して、鉄臣は軽く察した。
まあ、分からないでもない。
言質。沈黙の同意。責任の押しつけ。弱いところへの落下。最悪の展開について、恐らく鉄臣の頭の中に展開されたそれらと、同じことを志穂は考えたのだろう。
第一声で怒鳴らないだけ、まだマシかもしれない。
「同じよ。明日はできるだけ黙ってて」
怒り出すというオーラをびんびんに放っているにもかかわらず、鎬は一切表情を変えることなく、ひんやりとした言葉で簡潔に切り返した。
いや、簡潔すぎる。
まさに志穂の神経を逆なでする一言だ。
次の瞬間、志穂の声だけが跳ね上がった。
「ふざけないでくださいっ!!」
「志穂さん、落ち着いて」
「弁護士に喋るなと言うことですかっ!? あなた独りで交渉を回せるとでもっ!?」
鉄臣が止めるが、志穂はテーブルを叩いて立ち上がる。
ああ、もう、瞬間沸騰湯沸かし器。
やはり怒鳴りだした志穂が一瞬でヒートアップするが、それを真正面から受けても、鎬の表情はピクリとも動かない。冷めた目で志穂を見上げている。
「交渉の場の発言は、感想じゃありません! 証拠になります! 相手が欲しいのは本音じゃなくて撤回できない言質なんですよっ!?」
そんな鎬へ詰め寄るようにぐいっと志穂は顔を寄せる。
言葉は強いが、言っていることは鉄臣としても完全に同意だ。
明日の会議での発言は、法的な意味を持つ可能性がある。その場のノリで言った、は通用しない。行政相手では言質にされる。契約書の署名と同じ重さだ。 向こうが欲しているのは本音ではない、撤回できない証拠である。
ヒートアップしているわりには、ちゃんと理屈として筋を通している。
鎬を睨んで食ってかかりそうな志穂の隣で、鉄臣は扱いに困ってしまう。依頼人にブチ切れている志穂は止めないといけないだろうが、間違いは言っていないだけに厄介だ。
「それに、もしも黙ってしまったら相手は、異論はありませんね、って前に進めるんですよ……それは、一回通ったら終わりなんですよっ!?」
やめてくれないか。
志穂の隣で鉄臣はそっと自分の胃を撫でた。
反対しなかったという事実だけで、行政は勝手に前に進める可能性がある。
特に今回、相手は強引だ。応えに迷って黙ってしまえば、同意扱いや沈黙の承諾を取られる危険性が非常に高い。
むしろ、向こうはその瞬間を待っている。確実に勝ちとして拾うであろう。
故に、黙っては駄目なのだ。
鎬が答弁をする場合であっても。
当然、鉄臣たちが答弁をする場合であっても。
志穂の意見には完全に同意だが、遠回しに自分にプレッシャーを掛けられているような気がして、鉄臣の胃がしくしく痛む。
これもまた、志穂の意見に完全に同意だ。
「――それとも、彼女に責任を押し付けるつもりじゃありませんよね?」
そこで、す、と志穂の声量が落ちる。
彼女。
この質屋の店主、栗形 祈織のことだろう。
子どものような見た目ながら、この店を切り盛りしている立派な子だ。
ただ、新元素、というものの危険性や世界的なインパクトを、どうやらいまいち理解できていない。
彼女が危惧しているのは常に、店が継続できるか潰されるかであり、身の危険という点はあまり深く考えていないようである。
この店の代表だが、政府機関と渡り合うにはあまりにも力不足。
本当にただの一般私人。
そこについては鎬も理解しているはずだ。
いや、理解しているからこそ。
その栗形 祈織を、いざとなれば政府交渉の矢面に立たせる、と鎬は言っていたのだ。
だからこそ、大胆なことができる。
日本政府という巨大な行政機関相手に、自分で受け答えをするとか言い出せる。
最悪、失敗したとて、構わないからだ。
交渉が不首尾に終わったとしても、祈織に全ての責任を押しつけ、さよなら。
鎬には、そういう最終手段がある。
鎬自身が、それをかつて、はっきりと明言していた。
「あなたが切る気でも、その形にはさせません。責任の落とし先を作るなら、私が先に潰します。彼女は切らせない」
静かに、しかし明確な怒りを込め、志穂は鎬に向かって断言する。
しかし、鎬の表情はピクリとも動かず、冷静に志穂を見上げていた。
その温度差が全く違う二人の視線がぶつかり合うところに、鉄臣は遮るようにゆっくりと右手を差し入れる。
この二人の相性が悪すぎて、胃がキリキリと痛い。
おかしいな、胃薬飲んできたんだけどな。
額に少しだけ汗を浮かび上がらせつつ、鉄臣は志穂を制しながら鎬を見た。
「棟区さん、鋒山の言い方は荒いですが、言ってることは正しいです」
鎬の目をまっすぐ見ながら、鉄臣は口にする。
今回ばかりは、志穂の肩を持たざるを得ない。
いや、依頼人相手に怒鳴り散らすのは問題あるのだが、その怒りは正しいものだ。
ですよね、と自分の主張を認められた志穂が目を輝かせるが、改めて鉄臣は手で制する。主張は認めるが、態度がダメなのだ。
志穂はなんでこんなに鎬を毛嫌いするのだろう、と鉄臣は頭の片隅で考えながら言葉を続けた。
「発言の整理、異議の差し込み、言葉尻の回収。そこが弁護士の仕事です」
「そうね」
「あなたが答える、のは構いません。ですが、我々が黙るのは別問題です」
鉄臣ははっきりと鎬に告げた。
弁護士が黙るのは、問題外なのだ。
そこは譲れない。
鎬の冷たい視線が突き刺さる。ひんやり、と背筋が冷えるような気分だ。ついでに胃が悲鳴を上げている。胃薬飲みたい。
数秒ほど、質屋のバックヤードに沈黙が落ちる。
「まず、1つ訂正をさせてちょうだい」
そしてゆっくりと鎬は口を開きながら、ボールペンを手に取って、テーブルに置いていたメモ用紙にそのペン先を走らせた。
鉄臣と志穂は、鎬の手元に視線を向ける。
さらさらとペンが走り、綺麗な文字が綴られる。
『祈織を切り捨てる気はない』
何故か言葉にはせず、文字に書き起こされた。
店の方に本人がいるからだろうか。
「……いまさら、それを本気にしろと?」
「莫大な金が動いているわ。資料を見せた方が、信用できるかしら」
低い声で唸る志穂ではなく、鉄臣の方をまっすぐ見ながら、す、と鎬が2枚の紙をテーブルに置いて差し出してきた。
資料。
これのことだろうか。
拝見します、と一言断ってから鉄臣はその用紙に手を置き、手前に引く。
腰を上げていた志穂が、どすり、と座る。恐い。
その志穂とともに、鉄臣は資料に目を通した。
アンクレット
1個:2000ドル
販売数:350
単価と販売個数が書かれただけの、簡単な資料であった。
為替を雑に見積もったとしても、1億を超える。
高級なアクセサリーとして見れば、無理のない数字だ。十分に通るだろう。
しかし、鉄臣は次の項目で視線を止める。
寄付。
漢字2文字。
売り上げとは別枠で記載された金額が、そこには記されていた。
販売個数と同じ数だけ、同じ相手からの寄付だ。
それは、白銀のアンクレット1個につき、3000ドル。
研究材料の費用としてはあまりにも格安。
しかし、ただのアクセサリーとしてはあまりにも暴利。
合法だ。
じつにイヤらしい。
寄付は合法なのだ。
だが、説明しようと思えば、いくらでも説明できてしまう。
説明できてしまう、形だ。
そして行政は、こういう数字が大好きだった。
表では否定しづらく、しかし裏ではいくらでも締め上げられる。
寄付という言葉は、説明する側の首を絞めるには丁度良い。
誰の首を?
それは、もちろん。
「切り捨てない理由としては、信用できるでしょう?」
鎬の言葉が流れ込み、鉄臣の耳がひんやりとした気がする。
信用。
これのどこが信用できるというのか。
これは守るための資料ではない。
確実に、祈織を切り捨てるときに困らないための資料だ。
ぞっとした。
資料に手を触れていた志穂の手が、ぎりっ、と強く握られる。
握り拳を作られた動きで資料用紙がズレる。
ズレて、2枚目の用紙が見えた。
「――っ!?」
鋭く息をのんだのは、鉄臣だっただろうか、志穂だっただろうか。
もしくは、2人揃って、息をのんだのだろうか。
資料は、あらかじめ用意されていた。
用意されていた資料を、テーブルの上に置かれたのだ。
それなのに、2枚目の用紙には、短い文章がこう書かれていた。
『大事な金蔓を手放すバカはいない』
「今は、ね」
鉄臣と志穂が2枚目の用紙に書かれている文字を読み、そして理解したタイミングに被せるように、鎬は小さく、しかし通りの良い声で呟いた。
その瞬間、かっ、と鉄臣は自分の頭に血が上るのを自覚した。
いや、自覚する方が、少し遅かったかもしれない。
「お前は人を金で判断するのかっ!!」
志穂の最大ボリュームの怒声で、鉄臣は冷や水をぶっかけられたかの如く急速に冷静になった。
同時に、自分の両手が固く握り締められているのにも気がつく。手の平に爪が食い込み、血が出そうだ。
いけない、感情的になっては。
「あら、愛や友情を語った方が信用してくれたかしら。店長のことは大好きだもの、頑張って護るわ、とか」
「ふざけるもの大概しろっ!!」
「まあ、恐い」
敬語すら投げ捨て、完全に頭に血が上った志穂を前にしても、鎬は氷のような無表情を一切崩さず、口先だけで戯けてみせた。
それが志穂の神経をさらに逆撫でするであろうことくらい、分かっているはずなのに。
ふぅ、と鉄臣はゆっくりと息を吐く。
アンガーマネジメント。
感情的になってはいけない。
感情的な志穂が、逆に薬になった。
「志穂さん、落ち着いて」
「落ち着……落ち着けますかこんなのっ!? この女、あの子のことを利用するだけして切り捨て――っ!!」
「つまり、今回の件時点では、彼女を切ることはまずない、ということです」
鎬に嚙みついた志穂を、鉄臣は胃を抑えながら宥める。
なるほど、信用できる。
これは確かに、信用できる。
鎬は、祈織を切り捨てる気は、ない。
情ではなく、損得勘定。
いざとなれば祈織を切り捨てる下準備自体は着実に進行しているが、現状では確実に損よりも得が上回っている。
祈織を失えば、質屋も古物も回らない。
つまり現状では、切る方が損だ。
情ではない。
だからこそ、信用できる。
できてしまう。
故に、志穂は激怒したんだろう。
正直、気持ちは分かる。
「理解が早くて助かるわ」
「ですが、棟区さん」
感情的になってはいけない。
しかし、弁護士にとって感情は大事だ。
大事なことなのだ。
鉄臣は思い出す。
政府との交渉を引き受けると決めた切っ掛け。
鎬から依頼をされた時は、日本政府と交渉を行うというのはあまりにも荷が重いと、断るつもりだった仕事である。
それでもなお、この依頼を引き受けた理由を思い出す。
「この件を我々が引き受けたのは、彼女を守るためだ、という点をお忘れなきよう」
「ええ、もちろん」
自分たちは、危機感の足りない一般私人である祈織を見て、彼女を見捨てるのは駄目だと判断したからこそ、日本政府との交渉という超巨大案件を受けたのだ。
だからこそ、その祈織に害が及ぶことは心理的に受け入れられない。
依頼は受けた以上、全力を尽くす。
しかし、感情は別なのだ。
弁護士は、弁護士なのだ。
聖人君子ではない。
鉄臣もまた声を低くして釘を刺したが、当の鎬は涼しい顔だ。
「峰岸先生に優先してほしいのは、裁判の方よ。お忘れなきよう」
そして鉄臣を見つめ、返す刃で放った鎬の言葉に、鉄臣は口を閉じてしまう。
そうだった。
そうだったな。
依頼は断っても一向に構わない。
裁判の方が優先。
その言葉がブラフなのか本心なのかは分からないが、鎬が政府交渉の依頼を持ち込んだ時、確かに言っていた。
隣の志穂がキツく拳を握り締めて、その腕を震わせてるのが見える。
何故こうも、鎬は露悪的な感じで喋るのだろうか。
ふぅ、と鉄臣は小さくため息を吐きだす。
と、そこで店側からバックヤードへの入り口にある暖簾から、巨漢のマフィアがちらりと顔を覗かせてきた。
「大丈夫ですか?」
「うわぁっ!?」
バックヤードの様子を覗いてきたマフィア、ではない、鎬の甥御である棟区 秋水の面構えとドスの利いた重低音に、志穂が飛び上がるようにして驚いた。と言うか、実際に志穂は一瞬椅子から浮き上がった。
そういう鉄臣も秋水を見て、その巨体と威圧感にビクリと体を震わせてしまう。
「おはよう秋水、今日もいい男ね」
「はいはい、おはよう。喧嘩吹っ掛けんなよ鎬姉さん」
「してないわ……え、私が吹っ掛ける側なのが前提なの?」
「それ以外ねぇだろ……」
顔を見せた秋水を見上げ、驚く様子もなく鎬は軽い口調で秋水へと挨拶をした。
その声色は、ついさっきまでとは明らかに違っている。
同じ人物の声とは思えないほど、柔らかい。
そして鎬は秋水と喋りながら、極々自然な動きでテーブルにあった2枚の用紙、シンプルな資料と、悪辣なる文章の書かれたものの上に手を置いて、す、と2枚目の用紙に1枚目の用紙を被せた。
祈織を金蔓と表現した文字を、隠した。
ああ。
鉄臣は、そこでようやく理解する。
「すみませんでした。叔母が神経を逆撫でするような不要な発言ばかりしてしまって……」
「信用がなさ過ぎて、流石にお姉ちゃん泣いちゃうわよ?」
腑に落ちた鉄臣に対し、事情を全く知らないであろう秋水がぺこりと頭を下げてきた。
礼儀正しい。
外面は威圧感溢れる反社みたいな巨漢なのに、その所作は非常に丁寧だ。
えー、と不満そうに少しだけ表情を崩した鎬を一度見てから、鉄臣は改めて秋水を見上げる。
「いえ、白熱してしまい申し訳ありませんでした。お店の方にも迷惑をかけてしまいましたね」
「まだ客も来ていないので大丈夫だとは思いますが、栗形さんが少々怯えてまして」
「それは重ね重ね申し訳ありません。後で謝罪をしておきましょう」
あまり表情の変化はないが、少し困った様子を見せる秋水を見て、鉄臣は思わず苦笑を浮かべる。
十中八九間違いなく、志穂の怒鳴り声のせいだろう。
自覚しているのか、う、と鉄臣の隣で志穂が気まずそうに言葉に詰まっている。依頼人にはキレ散らかし、営業妨害スレスレ迷惑。説教が必要そうだ。
「とりあえず、そうね、話はここまでにしましょうか」
声の温度を再び落とし、鎬が話をまとめに入った。
正直、ちょっと助かる。
志穂は当然のこととして、鉄臣も頭を冷やしたかった。
明日の会議を鎬が進行するという件は解決していないが、祈織に対する鎬のスタンスが頭をチラついて、今は冷静に話し合えそうにもなかった。
鉄臣は再び軽く息を吐く。
「それでは峰岸先生、明日の会議もお願いするわね」
「はい。明日もまた先週と同じ時間で迎えに行きますので」
テーブルに乗せた2枚の用紙を鎬は回収しつつ鉄臣に軽く頭を下げた。
明日の会議は、先週と同じホテルの会議室で行われる。
隣の県までの移動は、車だ。
鉄臣と、志穂と、そして鎬の3人で向かう。
運転は志穂である。
気性が荒い志穂ではあるが、意外なことに、車の運転は非常に慎重であり、総じて鉄臣の運転よりも上手なのである。
道路交通法を守れない弁護士はバッジを返納すべきです、と力説していたくらいだ。安全運転第一である志穂にハンドルを握らせた方が良いだろう。
特に、鎬を乗せるのであれば。
「明日はよろしくお願いするわね。鋒山さんの運転、丁寧で好きよ」
「……それはどうも」
うっすらと笑みを浮かべながら鎬は志穂に褒め言葉を投げかけるも、志穂は凄く嫌そうな表情だ。
甥御さんの前でその表情は止めなさい。
志穂の鎬に対する拒絶っぷりに、鉄臣は胃を抑える。外見強面屈強マフィアの秋水の方が心配そうにオロオロしているじゃないか。ウチの新人弁護士がヤバい人材で申し訳なさ過ぎて、そろそろ胃潰瘍ができそうだ。この仕事が終わったら人間ドックを受けよう。
拒否の感情を隠さない志穂に対して、浮かべた薄笑いを崩すことなく鎬は大きく頷く。
「ええ。運転が下手な奴は、全員死ねばいいと思っているわ」
交通事故で身内を亡くした鎬の言葉は、あまりにもずっしりと重たかった。
冗談なのか、本気なのか、判断がつかないのが一番たちが悪い。
鉄臣は明日の迎えの時間を頭の中で確認しながら、胃薬の残りを思い出していた。
一応補足しますと、「祈織を政府役人の前に立たせて全責任を被ってもらってから切り捨てる」というのは、鎬さんの中では比較的マシなプランとしてガチで組み込まれています(;´・ω・)
ちなみに、研究者が欲しがる素材で希少金属だと1トロイオンスで3000ドルとか普通にあり得るので、合金状態でも未知の元素なんて素材1個丸ごとが合計5000ドルはあまりにも格安。