ウチの庭にダンジョンがあります   作:ShilonkS

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※この物語はフィクションです。実在の政府関係者とは全くの無関係です。
※秋水くん周りとはストーリージャンルが極端に違います。
※作者から政治的意図やスタンスを示すものではありませんし、政府や政治をディスりたいわけではありません。
※今回、話が長ぇです。



251『裏の戦い:政府交渉④』

 

「供給を続ける、という前提自体が、こちらにはないわ」

 

 

 

 ……は?

 一瞬、会議室の誰もが、いや、モニター越しの人々ですら固まった。

 白銀のアンクレットの販売を巡る交渉会議、のはずである。

 販売自体を中断するなど、そんな梯子の外され方をするはずのない協議、のはずだった。

 

「どういう意味ですか」

 

 経産省代表の男の声が、わずかに低くなる。

 いけない。

 感情的になるな。

 熱くなりやすいという自覚がある経産省代表の男だが、この場で感情的になれば、確実に何かがマズい、ということだけは直感で分かっている。

 具体的に何がマズいのかは、分からないが。

 そんな経産省代表の男に応えるよう、鎬は机の上に置いていた資料を一枚、静かに前に滑らせた。

 

「こちらが、今回の会議で正式にお伝えする判断よ」

 

 通訳が一拍遅れて言葉を追いかける。

 

「第一に」

 

 鎬は、淡々と読み上げる。

 

 

 

「当店は、当該アンクレットの買取を停止します」

 

 

 

 え、と会議室がざわついた。

 

「第二に」

 

 間を置かない。

 

 

 

「現在保有している在庫についても、販売を行いません」

 

 

 

 経産省代表の男は、思わず口を開く。

 

「待ってください、それは――」

 

「第三に」

 

 しかし鎬は止まらない。

 

 

 

「安全上の理由から、当該商品を持ち込んだ職人との関係を、全て断ち切ります」

 

 

 

 言葉が出なかった。

 それは提案ではないし、交渉でもない。

 通告だった。

 条件の吊り上げではない。盤面の破壊である。

 

「……ちょっと待ってください。それでは、研究も何も」

 

「危ないものは扱わない。商売人として、当然の判断よ」

 

 内閣府の男が、慌てて口を挟む。

 しかし、鎬は即答で切り捨てた。

 経産省代表の男の頭が、追いつかない。

 

「しかし、それでは話が根本から――」

 

「ええ、覆しているわ」

 

 そこで鎬は、ようやく経産省代表の男の目を見た。

 どこまでも冷えた、氷のような瞳であった。

 

「前回の会議では、峰岸先生が供給を続ける前提で、最大限の折衷案を提示してくださっていた」

 

 一瞬、視線が弁護士の方へ向く。

 峰岸 鉄臣は、微動だにしない。

 右手を腹に当てたまま、政府側の様子を虎視眈々と窺っているようだ。

 否定はしない。

 されど肯定もしない。

 それが余計に不気味だった。

 鎬は続ける。

 

「でも、その前提で話を進めた結果、危険だ、管理する、従わなければ守れない、そういう言葉が返ってきた」

 

 経産省代表の男は、胸の内で反論する。

 守れない、とは言っていない。

 だが。

 

「ならば、供給そのものを中止する。それが一番安全でしょう?」

 

 鎬の声は、感情を含まない。

 論理としては、破綻していない。

 しかし、それでは。

 

「それでは、国の研究も、海外の研究機関も――」

 

「関係ないわ」

 

 即答。

 瞳だけではない。

 鎬の口から紡がれる言の葉もまた、氷のようである。

 

「こちらは別に、国益を背負う立場ではないもの」

 

 その言葉に、経産省代表の男は息を呑んだ。

 それは、まあ、事実だった。

 彼女は民間人だ。

 国の論理を、最初から引き受けてなどいない。

 

「危険で、責任を押し付けられて、自由もなくなる。それで得られる利益が、国の都合でいつ消えるかも分からないなら」

 

 鎬は、事実を列挙するように続ける。

 そして一拍。

 

「やらない。それだけの話よ」

 

 会議室に重い沈黙が落ちた。

 経産省代表の男は、無意識に弁護士の方を見る。

 女の方は、視線が泳いでいる。うっすらと冷や汗が滲んでいるのが見えるし、表情が強張っていた。

 しかし男の方、峰岸 鉄臣は無表情を貫いている。不気味だ。

 

 こいつが、ここまで読んでいたのか?

 

 この論理。

 この切り返し。

 この、供給前提の破壊。

 民間人が即興でやるには、あまりに出来すぎている。

 経産省代表の男は、確信に近い疑念を抱いた。

 これは、弁護士の筋書きだろう。

 だが、その弁護士本人は、なにも口を挿むことなく静かに座っているだけだった。

 そして、沈黙した会議室に、鎬の冷たい声が響く。

 

「ですから、政府が管理するかどうかを決める前に、こちらは撤退を選択するわ。これは本日、この会議終了をもって正式に決定する予定よ」

 

 第一撃。

 それは、交渉の入り口で放たれたにしては、あまりにも致命的だった。

 条件をすり合わせる、どころの話ではない。

 出所不明の品物が、出所不明なままで供給源が費えるのは、あまりにマズい。

 利益や研究以前の問題として、質屋周辺の人材へ、出所を無理やり探ろうとする輩が強引な手段を用いるのが容易に想像できてしまう。

 撤退は、避けねば。

 経産省代表の男が咄嗟にそう判断したが、最初に反応したのは、政府側ではなかった。

 翻訳。

 通訳の声が、鎬の言葉を英語へと変換した、その直後だ。

 会議室の空気が、明らかに変わった。

 ざわ、と。

 椅子が軋む音。

 資料をめくる音。

 誰かが小さく息を吸い、画面の向こうで誰かが思わず立ち上がりかける気配。

 会議室内にいる外国人研究者の一人が、明らかに動揺した表情で隣を見た。

 オンライン画面の向こうでも、複数の顔が同時にこちらを向く。

 

《What do you mean, stop?》

 

 モニター越しに、誰かが声を上げた。

 

《Did she just say “no supply”?》

 

 通訳が、わずかに間を置いて訳す。

 

「……『供給を止めるとは、どういう意味だ』」

 

《This wasn’t discussed!》

「『事前の協議がない』」

 

《We already scheduled experiments based on the next batch!》

「『次回搬入分を前提に、実験計画を組んでいる』」

 

《You can’t just pull out like that!》

「『勝手に手を引くことは認められない』、とのことです」

 

 次々と声が飛ぶ。

 経産省代表の男は、内心で舌打ちをする。

 これは、想定していなかった、という反応だ。

 オブザーバーを勝手に呼んでおきながら、そのオブザーバーに情報を共有していない。

 馬鹿か。

 いや、それとも、これすら戦略の内なのか。

 弁護士の男の表情は変わらない。高みの見物でも決め込むつもりか。それとも、鎬という民間人を矢面に立たせ、晒し者にでもする気か。

 経産省代表の男が顔を歪ませる中、モニターの端に映る白衣の男が明らかに苛立った様子で身を乗り出した。

 

《Is this a government decision?》

「『これは政府の指示か』」

 

 その問いに、経産省代表の男は背筋が冷えた。

 違う。

 政府の決定ではない。

 鎬とかいう女が一方的に言い出しているだけなのだ。

 むしろ供給を止めるな、と政府は説得している側である。

 経産省代表が苛立ちを隠さず声を荒げる。

 

「落ち着いてください! これは日本国内の協議で――」

 

「こちらの判断よ」

 

 鎬の声が、割って入った。

 通訳が即座に追随する。

 

「『No――it’s our business decision』」

 

 通訳が英語を口にした瞬間、ざわめきが一段階、音量を上げた。

 

《This is absurd!》

「『馬鹿げている』」

 

《You were a key supplier!》

「『君たちは計画の要だ』」

 

《You can’t claim safety now, after all this time!》

「『今さら安全を理由にするのか。今まで何だったのか』……荒れています」

 

 通訳が小声で場の注釈を入れるが、そんなことは言われなくても分かる。

 怒り。

 困惑。

 焦り。

 彼らは、未知の元素を含むアンクレットの流通を、当然の前提、として組み込んでいた。

 実験計画も、予算も、そして発表されるであろう論文も、だ。

 それが今、目の前で、何の前触れもなく断ち切られたのである。混乱して当然だ。

 

「なぜ、そこまで急に――」

 

 文科省の人間が、震える声で口を挟む。

 だが、その問いは、外国人研究者の声に掻き消された。

 

《What changed?》

「『何が変わった?』」

 

《Who pressured you?》

「『誰に脅された?』」

 

《Was it the government?》

「……マズいです。政府の差し金を疑われています」

 

 通訳が翻訳ではなく、冷や汗交じりに状況を教えてくる。

 まずい。

 この流れで、政府の圧力、などという印象を持たれれば、外交問題に発展しかねない。

 

「違います!」

 

 経産省代表の男は思わず声を張り上げた。

 

「政府としては――」

 

「危ないからよ」

 

 続けようとした声は、鎬によって遮られてしまった。

 低く、静かな声だった。

 しかし、その一言は、驚くほど会議室を支配した。

 通訳が、それをそのまま訳す。

 は?

 そんな空気が、一斉に広がる。

 

《Dangerous?》

「『危ないとはなんだ』」

 

《In what sense?》

「『どういう意味だ』」

 

 モニターからオンライン参加者の質問が鎬へと飛ぶが、鎬は表情を全く変えることがない。

 

「国からは、管理しなければ危険だ、従わなければ守れない、そう言われたわ」

 

 淡々と。

 

「なら、扱わない。それだけの話よ」

 

 その理屈は、あまりにも単純だった。

 だが、単純だからこそ、反論しづらい。

 危険だと言ったのは、政府だ。

 管理が必要だと言ったのも、政府だ。

 ならば。

 

《So you’re shutting down… because you were told it’s unsafe?》

「『危険だと言われたから手を引く。そういう話か』」

 

 誰かが、信じられないものを見る目で言った。

 鎬は軽く頷いて返す。

 

「ええ。私たちは、研究機関じゃないもの。危険と言われた商品を、責任も取れないまま扱う理由はないわ」

 

 経産省代表の男は、額に汗が滲むのを感じた。

 違う。

 そんな意味で言ったんじゃない。

 だが、その言い訳は、もう届かない。

 海外の研究者たちの視線が、ゆっくりと、しかし確実に、政府側へと向けられていく。

 彼らの目に浮かんでいるのは、明確な疑念だった。

 

 政治が、研究を止めさせた。

 

 そんな構図が、今まさに、出来上がろうとしていた。

 じわり、と追い詰められるのを感じる。

 そんな中で、す、と鎬が動いた。

 なにも言わず、机の端に置かれていた小さなスピーカーに手を伸ばす。

 ただ、それだけの動作だった。

 何故だ。

 嫌な予感が、する。

 鎬はスピーカーを中央に寄せ、淡々と操作する。

 軽い電子音。

 そして。

 

『出所不明の高純度金属が、特定の民間店舗を通じて国外に流出している。もしこれが、敵対的国家やテロ組織に渡ったとしたら、どう責任を取るつもりですか?』

 

 聞き覚えのある声が、会議室に響いた。

 それは、間違いようがない。

 前回の会議で、自分たちが使った言葉であった。

 その言葉が英語へと変換され、モニター越しに流れる。

 瞬間、オンライン参加者の空気が、はっきりと変わった。

 いいや、鎬と峰岸 鉄臣以外、会議室内にいる全員の雰囲気すら変わってしまう。

 

《Did they just say “terrorist organizations”?》

「『テロ組織と言ったか?』」

 

《That’s a serious accusation》

「『それは重大な非難だ』」

 

 経産省代表の男は、歯を食いしばる。

 違う。

 それは、脅しではない。

 リスクの説明だ。

 最悪のケースを想定した、行政として当然の指摘だ。

 だが、文脈を切り取られれば、それは立派な脅しである。

 

『しかも、この金属、日本国内の大学や公的研究機関にはほとんど提供されていないそうですね。なのに、某国の大学へはすでに複数回、売却済みであると資料にありますね? なぜでしょうか? 民間で独占するには、あまりにも倫理が欠如していますよ』

 

 音声が淡々と流れ続ける。

 会議室の誰も、止められない。

 止める理由が、存在しない。

 これは、事実だ。

 確かに言った。

 確かに正しい。

 

『経済産業省には産業技術の保護と輸出管理の重大な責任があります。民間企業がこれを回避する動きがあれば、当然、調査権限の行使を検討せざるを得ません』

 

 通訳の声が、わずかに震える。

 外国人研究者の一人が、唸るように言った。

 

《So…… they threatened investigation if cooperation wasn’t given?》

「『つまり、協力しなければ捜査する、と脅されたのか』」

 

 経産省代表の男は、反射的に否定しようとして、口を閉じた。

 否定できない。

 調査権限の行使は、脅しではない。

 行政の権限だ。

 だが、民間の小さな質屋に向けて言えば、それは。

 

『現状、報告された売上や輸出品目において、明確な申告や許可手続きが存在しないまま、海外取引が進められています。外為法上、違反の可能性があります。また、納税処理に不備があれば、脱税行為に該当します。その場合、もはや協議ではなく“摘発”が先となるでしょう』

 

 摘発。

 その単語が翻訳された瞬間、会議室の空気が完全に凍りついた。

 

《They said “crackdown”?》

「『締めつけか』」

 

《So this was coercion》

「『つまり、脅しだった、と』」

 

《This is why the supplier is withdrawing》

「『だから供給から手を引くということか』」

 

 誰かが、納得したように呟く。

 鎬は音声を止めない。

 

『仮にこれを放置すれば、輸出管理違反として国際的な制裁対象となる可能性もあります。そうなれば、民間企業であっても取引停止や資産凍結が現実のリスクとなります』

 

 最後の一言が、流れ終わった。

 鎬は、ゆっくりとスピーカーから手を離した。

 

「……以上が、前回の会議で、私たちが受け取った “説明” よ」

 

 静かな声である。

 沈黙。

 ずしりと重たい、沈黙。

 前回の会議は、録音されていたのか。

 しかも当事者記録だ。文句は言えない。

 政府側の誰もが思わず黙ってしまい、現地参加とオンライン参加の面々すらも黙ってしまった。

 そんな沈黙の中で、鎬は一度だけ、小さく首を傾ける。

 

「誤解をしないでいただきたいのだけど、脅された、と言いたいわけではないわ」

 

 その声は、あまりにも静かで、感情の波がない。

 怒っていない。

 責めてもいない。

 ただ、訂正しているだけだった。

 経産省代表の男は、思わず身構える。

 どう考えたって、脅された証拠を取り出したようにしか思えない。

 しかし、鎬は淡々と言葉を続けた。

 

「危険だ、と説明された。違法の可能性がある、と指摘された。協力しなければ保護は再検討される、と告げられた」

 

 彼女は、そこで一拍置いて。

 

 

 

「それを受けて、商売人として撤退を選んだだけのことよ」

 

 

 

 通訳が、そのまま訳す。

 外国人研究者たちの間に、ざわりとした空気が走る。

 

《That sounds like coercion》

「『それは強制のように思えます』」

 

《So the government pressured her》

「『つまり、政府が彼女に圧力をかけたということですね』」

 

《And now she’s withdrawing to protect herself》

「『そして、身を守るために撤退するわけですね』」

 

《Yes. Conditional protection is pressure》

「『条件付きの保護は圧力だ』、とのことです」

 

 マズい流れだ。

 経産省代表の男は慌てて口を開いた。

 

「待ってください。我々は、あなた方を守るために――」

 

「守るという言葉は、条件付きで使うものではないわ」

 

 差し込んできた鎬の声は、遮るような強引に強いものではない。

 ただ、開いた口を閉じさせるだけの不思議な圧力があった。

 鎬はまっすぐに経産省代表の男の方を見ている。

 見ているが、見られているように思えない。

 まるで、経産省代表の男の、さらに後ろを眺めているかのような目をしていた。

 

「協力すれば守る。協力しなければ、守れない。それは保護ではなく、取引よ」

 

 鎬は事務的に指を折った。

 経産省代表の男は言葉を失う。

 違う。

 それは、行政の現実的な説明だ。

 限られたリソースの中で、優先順位をつける、当然の話だ。

 しかし、鎬は容赦なく続ける。

 

「しかも、その取引に失敗した場合、摘発、営業停止、周囲への波及、という言葉が並ぶ。それを、商売人がどう受け取るか」

 

 彼女は、スピーカーに目を向けた。

 結論は言わない。

 いわなくても、続くであろう言葉は全員が理解できているからである。

 画面の向こうで、誰かが息を呑む。

 これは、感情論ではない。

 完全に論理の話だ。

 守ると言いながら、守れない可能性を強調し、従わなければ不利益が生じると説明した。

 それは脅迫ではない。

 だが、脅迫と区別がつかない構造ではある。

 

「私たちは、弱小の民間事業者よ」

 

 鎬は、事実だけを述べる。

 

「ですから、撤退します」

 

 あまりにも、あっさりと。

 

「危険だと言われた。守れないと言われた。なら、関わらない」

 

 彼女は、淡く微笑んだ。

 

「これ以上、合理的な判断はないでしょう?」

 

 経産省代表の男は、背筋に冷たいものが走るのを感じた。

 憲法22条。

 筋を通しやがった。

 前回の会議では、質屋側はあくまでも供給を続けるという前提を通そうとしていた。

 だからこそ、政府もそれに乗っかろうとしていたのだ。

 そして乗っかった梯子を、足元から蹴り倒した。

 しかも、反論できない形で。

 詰んでいる。

 経産省代表の男は、無意識に視線を滑らせる。

 鎬の隣。

 無言で座る弁護士、峰岸 鉄臣。

 表情は変わらない。

 だが、この構図を最初から描いていた人間の顔に、見えてしまう。

 ただの民間人がこの流れを構築したとは思えない。

 これはやはり、弁護士の入れ知恵だと考えるべきだろう。

 沈黙が、重く会議室を覆う。

 空調の音さえ、やけに耳障りに響く。

 経産省代表の男は、喉の奥に張り付いた乾きを誤魔化すように、資料へ視線を落とした。

 だが、文字はまったく頭に入ってこない。

 マズい。

 このままでは、完全に主導権を失う。

 そう思った、その直後だった。

 

「……待って、ください」

 

 声がした。

 弱々しく、だが確かに、空気を割った声。

 経産省代表の男は、はっと顔を上げる。

 

 声を上げたのは、文部科学省の代表。

 

 さっきまで、政府側の席で一緒に沈黙していた男である。

 顔色は紙のように白く、手元の資料を握る指が、わずかに震えていた。

 

「このまま……供給が止まるのは、困ります」

 

 その言葉に、会議室の視線が一斉に集まった。

 経産省代表の男は、内心で舌打ちする。

 やめろ。

 今、この場でそれを言うな。

 だが、文科省の男は止まらなかった。

 

「入荷しない、という判断は理解します。経営判断の問題というのも、分かります」

 

 声が震えている。

 喉が乾いて、唾を飲む音さえ拾われそうなほどだった。

 彼は一度、息を吸った。

 

「ですが……せめて、です」

 

 声が、掠れる。

 

 

 

「せめて、製造者の情報だけでも。出所が分からなければ、国内の研究は完全に止まってしまう」

 

 

 

 その瞬間。

 モニターの向こうで、外国人研究者の何人かが身を乗り出した。

 

《What did he say?》

「『彼は何と言った?』」

 

《He’s asking for the manufacturer》

「『製作者を尋ねている』」

 

 通訳が言葉を運ぶ。

 経産省代表の男は、冷や汗が背中を伝うのを感じた。

 違う。

 今は、そこを突く場面じゃない。

 なんで今まで出所の話はしても、アンクレットの製造者について触れてこなかったと思っているのだ。

 鎬は、すぐには答えなかった。

 視線を文科省の男に向け、数秒だけ、沈黙を置く。

 その間、会議室の誰一人として口を挟めなかった。

 

「うちは質屋よ」

 

 鎬の声は、相変わらず静かだった。

 

「メーカーでも、流通業者でもないの。入荷、という言葉を使っている時点で、前提が違うわ」

 

 まるで事務処理のように言葉を紡ぐ。

 機械が喋っている方が、よほど感情が籠っているかもしれない。

 

「売っているのは、質入れされたものか、ただの買取品。製造者と継続的な取引関係があるわけでもない」

 

 文科省の男が、びくりと肩を揺らす。

 鎬は淡々と、事実だけを積み上げる。

 

「それに、正式な要請もないまま、個人の情報を第三者に渡すことはできないわ。それは顧客の信頼を、私たち自身が壊す行為ですもの」

 

 はっきりと言ったその言葉が、静かに突き刺さる。

 通訳が、同じ温度で言葉を繰り返す。

 文科省の男は、口を開きかけて、閉じる。

 言い返せない。

 言葉を失い、椅子の背もたれに沈み込んだ。

 法的にも、倫理的にも、反論できるものではない。

 文部科学省の男が崩れ、会議室の空気が微妙に傾いた、その直後。

 正面の大型モニターの一つが、わずかに明るくなる。

 オンライン参加者の中の1人が、発言権を求める合図だ。

 

《May I ask one question?》

「『質問を一つ、よろしいでしょうか』」

 

 通訳が、即座に日本語に落とす。

 経産省代表の男は、内心で眉をひそめた。

 まずい。

 こういう時の質問は、大抵ろくなものじゃない。

 だが、拒む理由はない。

 

「……どうぞ」

 

 発言者の映像が拡大される。

 画面に映ったのは、白衣でもスーツでもない、落ち着いた服装の中年男性であった。

 だが、その顔は経産省代表の男にも見覚えがある。

 海外の名門研究機関で、材料科学分野を率いる人物だ。

 

《If the anklet supply stops――What will happen to the new necklace?》

「『もし、アンクレットの供給が停止された場合』――え?」

 

 通訳が何故か言葉を止め、一拍だけ置いてから、慌てて言葉を続けた。

 

 

 

「――『新作のネックレスの方は、どうなるのでしょうか?』 とのことです」

 

 

 

 は?

 一瞬、理解が追いつかなかった。

 新作。

 ネックレス。

 そんな話、聞いていない。

 経産省代表の男は、思わず隣を見た。

 内閣府の男も、警察庁の男も、同じ顔をしている。

 誰も、知らない。

 会議室のあちこちで、同じ動揺が広がる。

 なんだ、その話は。

 誰から、そんな情報が漏れている。

 

《We were informed that the creator is preparing a new piece》

「『作者は新作に取り掛かっていると聞いている』」

 

《Possibly with improved properties》

「『特性が改善されている可能性がある』」

 

《If that is also blocked, the impact on research will be severe》

「『万が一それも防がれたら、研究への影響は計り知れん』」

 

 通訳が淡々と訳すたびに、経産省代表の男の胃が締め付けられていく。

 新作の存在。

 改良の可能性。

 研究価値の上昇。

 なんだそれは。

 

 完全に、情報戦で負けている。

 

 ぎり、と経産省代表の男は握り拳を作った。

 ネックレスとはなんだ。

 アンクレットだけじゃないのか。

 新作の発表など、いつ告知されたんだ。

 政府側の知らない情報が、画面の向こうでは当然の前提として扱われていた。

 その質問に、鎬は一切動揺を見せなかった。

 間を置かず、即答する。

 

「販売できないわ」

 

 短い。

 あまりにも、簡潔な一言。

 会議室がざわめいた。

 いや、ざわついたのは、鎬の近くに座る研究者たちだった。

 モニターの向こうでも、明確な動揺が走る。

 政府側の面々はただただ戸惑うだけであり――いや、文科省の男だけは、他の研究者と同じような表情になっている。

 鎬は、淡々と理由を添えた。

 

「国が、危険だと判断しているものですから」

 

 その言葉が、決定打だった。

 

「アンクレットも、ネックレスも、同じです」

 

 経産省代表の男は、背筋が凍るのを感じる。

 まずい。

 これは、完全に想定外だ。

 政府は、アンクレットしか把握していない。

 いや、正確には、政府が把握している範囲でしか、話を進めていなかった。

 その外側で、研究者たちはすでに動いている。

 情報を集め、先を読み、次を期待していた。

 

《This is unacceptable!》

「『それは許されない』」

 

《You can’t shut down future research like this!》

「『こんな理由で将来の研究を阻止することは認められない』」

 

《This goes beyond regulation!》

「『これは規制の範囲を超えている』」

 

 画面の向こうで言葉が飛び交い、それを通訳が淡々と訳していく。ただし、通訳の額にはうっすらと汗が滲んでいた。

 怒りが、明確に混じり始める。

 その矛先は、政府だ。

 鎬の近くにいた現地参加の研究者も、必死の形相で鎬になにかを尋ねているが、それは弁護士の女が押しとどめている。

 鎬自身は、沈黙した。

 資料に目を落とし、時折、視線を上げるだけ。

 まるで、この先の展開は、自分の仕事ではないとでも言うようだ。

 

《This is unacceptable!!》

 

 モニターの向こうから、荒げた声が響く。

 通訳の声が、ワンテンポ遅れた。

 

「『受け入れられません』」

 

《You’re shutting down future research before it even begins!?》

「『研究の芽を、始まる前に潰すつもりか』」

 

 続けて、別の画面が点灯する。

 

《This is not regulation. This is suppression!》

「『これは規制ではない。弾圧だ』」

 

 経産省代表の男は、思わず唾を飲み込んだ。

 

 ――違う。

 

 ――我々は、そんなつもりじゃない。

 

 だが、抗議の言葉は止まらない。

 

《You pressured the supplier》

「『サプライヤーに圧力をかけてきたか』」

 

《You created a risk environment and now blame them for withdrawing》

「『わざと危険な状況を作り出し、撤退の全責任を向こうに押し付ける腹積もりか』」

 

《This is administrative intimidation》

「『これは行政による明白な脅迫だ』」

 

 通訳が淡々と訳すたびに、言葉が刃になっていく。

 政府が民間を脅した。

 その結果、供給が止まった。

 因果関係は、彼らにとって明白だ。

 経産省代表の男は、慌てて口を開く。

 

「誤解です。我々は、あくまで安全と法令順守のために――」

 

 その言葉を、別の声が遮った。

 

《Then why were threats recorded?》

「『では、なぜ“脅し”の音声が残っているのか?』」

 

 ぐうの音も出ない。

 音声は、既にこの場で再生されている。

 言い逃れはできなかった。

 

《You say it’s for safety, but you never offered protection without conditions》

「『安全のためだと言うが、あなた達が無条件で保護を申し出たことは一度たりともないだろう』」

 

《That’s not cooperation. That’s leverage》

「『それは協力とは呼ばない。操るための手綱だ』」

 

 経産省代表の男は、奥歯を噛むしかない。

 違う。

 行政の現実を説明しただけだ。

 だが現実は、説明の仕方で評価が決まる。

 そして今、この場の評価軸は、政府の手を離れていた。

 

《If this continues, we will escalate!》

「『これ以上続けるなら、こちらも段階を引き上げる』」

 

《We will involve international academic councils!》

「『国際学術会議を介入させる』」

 

《And make this public!》

「『そして、この一件を全て公表する』」

 

 その言葉に、会議室の空気が、さらに冷える。

 公開。

 それは、政府が最も避けたかった事態だ。

 経産省代表の男は、横目で鎬を見た。

 彼女は、微動だにしない。

 反論もしない。

 煽りもしない。

 ただ、起きている事実を否定しない。

 それだけで十分だった。

 そのタイミングで、政府側からも声が上がった。

 文部科学省の男だ。

 

「そ、そうです! ここで供給が止まれば研究は、研究現場は確実に詰みます!」

 

 政府側から発されたはずのその言葉は、味方であるはずの政府側に向けられた。

 完全に内向きの攻撃。

 統制は、取れそうにもない。

 海外研究者。

 海外政府関係者。

 さらには政府内部の文部科学省。

 すべてが、同じ一点を責めている。

 

 “なぜ、供給者を委縮させたのか”

 

 その中心にいるはずの鎬は、沈黙を守っていた。

 まるで台風の中心部。

 経産省代表の男は、背筋を冷たい汗が流れるのを感じた。

 この会議は、もう交渉ではない。

 裁きの場になりつつある。

 

 そして、その被告席に座っているのは、政府だった。

 

 

 





鎬さん「アンクレット売りませーん。だって政府に脅されちゃってー」
研究者『え? じゃあ新作のネックレスはどうすんの?』
鎬さん「売らないわよ。政府に怒られちゃう」
研究者『おいこらクソ政府っ!! なに民間人に圧力掛けてんじゃテメェらっ!! 世紀の大発見を潰す気とかふざけんなよっ!! ぶっころすぞっ!!』

政府(頭を抱えている)
志穂(頭を抱えている)
鉄臣(胃を痛めている)
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