254『拍子抜け&肩透かし』
「……あれ、違った」
ダンジョン内、地下4階。
リュックサックを下ろし、ヘルメットとライディンググローブを脱ぎ、秋水は部屋の前の通路にどかりと座り込んでいる。
その手には幻想生物事典なる本。
クラスメイトである渡巻 紗綾音(わたりまき さやね)から借りていた事典と、同一のものである。ネットで新しく買ったのだ。
秋水はその事典を開きながら、残念そうに首を捻っていた。
地下4階の新しいモンスター。
秋水は部屋の中をのぞき込んで、そのモンスターを一目見ただけで、あれは緑色のグレイだ、と思った。
SFでよくあるステレオタイプの宇宙人だ。
ようやく自分の知識内にあるモンスターが登場した、と安堵したものの、とりあえず辞典で調べてみるか、と念のために持ち込んでいた幻想生物事典を捲れば、あれはグレイじゃないことが判明する。
「ゴブリン……え、あれが?」
秋水は思わず腰を半分浮かし、再び部屋の中をのぞき込む。
トラップとしてのスライムが7体。
そして、ゴブリンとかいうモンスター。
コボルトと同じくらいの背丈なので、だいたい120~130㎝くらい。
細身の痩せ型で、ぶっちゃけコボルトよりもひ弱に見える。
緑色の肌に、大きなアーモンド型の目。細い鉤鼻に、大きく尖った耳。
人型ではあるものの、胴体が小さく手足の長いというスタイルは、どちらかと言えばサルに近い。
「えー……」
どこか不満げに言葉を漏らしつつ、再び座って幻想生物事典に目を通す。
ゴブリン。
ファンタジー世界に広く分布する小型亜人種である。
小柄な体躯と粗末な装備を特徴とし、単体での戦闘能力は低い。しかし、群れを成して行動することで脅威となる。
外見は緑色、または灰色の皮膚、尖った耳、大きな目と牙を持つことが多い。文明水準は低いが、簡易な武器やわなを作成する程度の技術力は備えている。
夜行性傾向が強く、洞窟や廃墟を拠点とする。また、明確な階級構造を持つ場合がある。
食性は雑食。家畜や農作物を襲うことが多く、人間社会とはしばしば敵対関係にある。
ゴブリンは正面戦闘を避ける傾向が強く、待ち伏せ、数的優位の確保、罠の使用、弓や投擲武器による攪乱などの戦術を好む。
弱小モンスターの象徴として扱われることが多いが、過小評価は危険である。歴史的記録には、統率されたゴブリン軍団が周辺都市を陥落させた事例も散見される。
ぱたん、と秋水は幻想生物事典を閉じる。
ふー、と細長いため息。
そして秋水は頭を抱えた。
「いや待て待て、俺の知ってるゴブリンって、ヨーロッパの民間伝承に出てくる妖精の名前だぞ。家に住み着いて、夜中に靴屋の手伝いとかしてくれたりする、むしろ精霊の類いだよな?」
秋水は自分の中にあるゴブリンと、事典の中で説明されるゴブリンがあまりに違うことに混乱していた。
ファンタジー的な物語に疎い秋水ではあるが、ゴブリンという名前は聞いたことがあるのだ。
ただし、RPGなどに登場する緑の雑魚モンスターではなく、原点である民間伝承で名前が挙がる、小さくて人に悪戯をする霊的存在の方である。
秋水の中でゴブリンというのは概念的存在であり、見た目は特に固定されていない。
伝承の中では、小さな老人、毛むくじゃらの小鬼、影のような存在、という姿が一定していないからだ。
そして、性格は悪戯好き、家のものを隠す、夜中に音を立てる、という地味にクソ迷惑な妖精であるが、必ずしも悪ではない。
怒らせなければ助けてくれることもあるし、機嫌を損ねれば嫌がらせをしてくる存在。
それが秋水の知るゴブリンである。
だから、普通に敵対モンスターとしてポピュラーな存在ということに、秋水は逆にビックリしていた。
「……いや、そういや、敵対勢力として登場する小説もあったか」
かつて読んだことのある指輪物語やホビットの冒険にも、ゴブリンは登場する。
確か、地下の坑道に住む醜悪で邪悪な種族として描かれていたはずだ。
そう考えれば、ダンジョン内のモンスターとして出てきても不思議ではないだろう。むしろ合致する。
秋水は再び事典をチラリと開いてから、また部屋の中にいるゴブリンの方を見た。
「トールキンの世界じゃ、ゴブリンってイコールでオークだったよな。肌が緑色なんて書かれてねぇよ……」
思わず呟くが、いや、とすぐに秋水は頭の中で反論が思い浮かぶ。
コボルトだって、元は同じくヨーロッパの伝承に登場する妖精だ。それに、スライムがドロドロの不定形から、ポップでキュートな水饅頭に進化するくらいだ。ファンタジーのモンスターというのは、時代に合わせて生態系が進化するのだろう。
まあ、妖精が緑色の小鬼に変異するとか、ダーウィンの進化論も真っ青になるミュータントっぷりだが。
事典の方には、テーブルトークRPGや日本のゲーム・ライトノベルの発展により、ゴブリンは緑色の肌を持つ小柄な亜人、というイメージが定着したとされている。
「……文化の発展、恐るべし」
ぱたん、と再び事典を閉じてから、秋水はそれをリュックの中に突っ込んだ。
そしてリュックよりゼリー飲料を取り出して、それを一気に飲む。
まずはカロリー摂取だ。
一息でゼリー飲料を飲み干してから、そのパッケージを見た。
カロリーオフ。
畜生、買うの間違えちゃった。
地味な凡ミスを発見してしまい秋水は若干遠い目をするが、即座に気持ちを切り替えてヘルメットを被ってバックルを締める。
カチカチカチ、とアゴの下でマイクロラチェット式のバックルが固定されていく音がする。
兜の緒を締める、と言うが、ヘルメットのバックルを締めても、なんだか自然と気持ちが引き締まるような気がする。秋水の気のせいかもしれない。
「さーて」
ライディンググローブも装着し、秋水は軽く笑みを浮かべながら立ち上がる。
手には巨大バール。
そしてリュックサックから取り外した片手斧だ。
準備良し。
何の準備か。
当然、殺し合いの準備である。
「身体強化、60%」
全身に巡らせた魔素に、色を落とす。
体の全性能を底上げする、身体強化の魔法。
「武装強化」
続いてバイク装備やバールなどに満たした魔素に、色を落とす。
武器の性能を底上げする、武装強化の魔法。
これが戦うときのベースとなる魔法である。
魔素反発の魔法はタイミングを見計らって使うべき魔法だ。常時発動させるのは、少し問題を抱えているからだ。
全身に施された強化を確かめるように、ぶん、と秋水は巨大バールを一振り。
「行くか」
そして、気負うことなく部屋へと足を踏み入れた。
いや、踏み込んだ。
「ブーストからのまずはトマホークブーメランじゃいおらああああぁぁぁぁいっ!!」
ついでに左手に持っていた片手斧をぶん投げた。
しかも、左腕には部分強化を重ね掛け。
初手、不意打ち、大万歳。
部屋へと足を踏み込んだ途端、秋水の存在に初めて気がついたかのように顔をこちらに向けてきたゴブリンに向かって、勢いよく回転しながら片手斧が飛んでいく。
角ウサギとコボルトならば、突進力以外ではコボルトの方が能力は上だ。
ならば、ゴブリンはコボルトよりも強いと考えるのが自然。
まずは小手調べ。
投げた斧に、さてゴブリンはどう反応する。
避けるか。
払い落とすか。
はたまた何事もないかのように耐えてしまうか。
さてさて、さて。
問答無用で先手を取った秋水の顔には、獰猛なる笑みが浮かんで
ゴブリンの額に、片手斧が綺麗に突き刺さった。
叩きつけられた衝撃に、ゴブリンが思い切りひっくり返った。
「――あれ?」
秋水は思わず、呆気にとられて動きを止めてしまう。
投擲した片手斧の刃が、しっかりとゴブリンの額を捉えたのは、我ながらナイスコントロール、と鼻を高くする案件かもしれない。
かもしれないが、なんと言うか。
脆い。
一瞬見えた限りだと刃の根元近くまで、結構深く刺さった気がする。
コボルトであれば、投擲した片手斧ではそこまで深く刺さらない。角ウサギ相手ならワンチャンやれるかもしれないが。
それに、吹っ飛ぶように転がった。
例え直撃を喰らおうと、コボルトならば転がらずに踏ん張ったであろう程度の威力のはずだ。
不意打ちが上手くいったということだろうか。
それにしては、なんだか。
「いや油断厳禁!」
動きを止めたのはほんの一瞬で、秋水はすぐに踏み込んだ足に力を入れて地面を蹴った。
片手斧の投擲だけで転倒したのがラッキーパンチだとしても、できた隙を見逃す馬鹿はいない。
秋水は駆ける。
転んだゴブリンまで一直線。
ルートにスライムはいない。
一番近いのは、ゴブリンのすぐ後方のスライムだ。
殴り合うならば位置取りには注意だろう。
もんどり打って転倒したゴブリンは、その勢いを殺すことなく転がって、着地するように座り込む形で体勢を整える。
スライムに近い。
片手斧を喰らって転がったのは、スライムを盾にするためだろうか。
だとしたら、吹っ飛んだのはダメージを逃すためにわざと自分から後ろに転がった可能性がある。
なるほど、策士タイプ。
突っ込んでくることしかしてこない角ウサギ。
他の行動もするが基本的にはインファイト殴り合いが基本のコボルト。
戦闘知能は順当にレベルアップしてるって感じか。
「じゃあフィジカルの方はどうだよっ!?」
改めて獰猛な笑みを浮かべ、秋水は大きく右足を前に出す。
すでにゴブリンの目前。
両手に巨大バールを構え、振りかぶる。
バットのように端を持ち、遠心力をフルに使う打撃。
そして打撃ならば。
「コーティング!」
巨大バールに魔素反発の魔法を施す。
全身強化、武装強化、そして打撃力を上乗せする魔素反発。
部分強化の重ね掛けは行っていないが、この一撃は、今の秋水にとっての最大火力に近い。
これが通用しなければ、やべぇ、である。
さてどうなる。
ワクワクした気持ちを抑えるように、出した右足で地面を強く踏み込んだ。
直前でゴブリンが顔を上げて秋水を見上げる。
斧が刺さってて面白い。
魔素が漏れ出ていて面白い。
いいや、殴り合えるなら、なお面白い。
野獣のような凶暴な笑みのまま、秋水は立ち上がれてもいないゴブリンに向けて思い切り巨大バールを振り下ろし。
直撃。
『ギギョッ!?』
「あれ?」
見上げてきた顔面をモロに巨大バールで殴りつけ、そのままぺちゃんこにする勢いでゴブリンを地面に叩き伏せた。
ゴブリンの口からは、低く醜悪な悲鳴。
秋水の口からは、気の抜けた疑問符。
防御する予兆も、まして後ろに引いて衝撃を逃すような素振りすらなく、思い切り地面に叩きつけられたゴブリンの華奢な体は、秋水の腕力を物語るかのようにバウンドして軽く宙を舞う。
後方へ。
「――って、うわあぁっ!? おいちょっと待てよ青汁色の小型おっさんっ!?」
振り下ろした巨大バールにブレーキを掛けかけたのをキャンセル。
岩肌の地面に勢いよく叩きつけ、その反動で跳ね返る力を素早く流用。
左手を離し、右手のみで巨大バールを握る。
背筋を締めて胸を反るように上体を起こし、踏み込みこそしている暇はないものの後ろの左足をさらに伸ばして地面を押し、ハムストリングスから腰へ、腰から背中へ、背中から右肩へ、右肩から一気にバールの先端まで力を伝える。
跳ね上がったバールの先端は、すでに標的に向けられている。
ゴブリンだ。
後ろへバウンドしたゴブリンだ。
ゴブリンの後方には、スライムがいらっしゃる。
しかも、スライムの表面が軽く震えて、飛んでくるゴブリンへ向けて触手を伸ばしかけている。
「横取りさせるかああぁぁぁっ!!」
秋水は気合いとともに吠え、槍の如く巨大バールを突き出した。
咄嗟の一撃。
威力はそこまで乗らないだろうが、魔素反発の魔法が施された巨大バールならば、このままスライムの捕食範囲外へと押し出せるはず。
ぐちゃり、とゴブリンの腹が見事に潰れた。
『ギュバッ!?』
「――あれぇ?」
腹部を叩き潰され変形させられながらも、巨大バールで弾き飛ばされたゴブリンが綺麗に吹っ飛ぶ。
秋水の口からは三度間の抜けた声が出てしまう。
軽い。
まあ、体格的にコボルトと比べたら華奢、と言うよりガリだ。軽いのは見て分かる。
だが脆い。
めっちゃ脆い。
角ウサギよりはちょっとマシかなぁ、くらいの防御力しかなく、コボルトとは比べるまでもない。
『グベッ! グギョッ!?』
「……ええーっと」
巨大バールで押し出され、宙をすっ飛びスライムの触手から逃れたゴブリンは、そのまま地面に叩きつけられてごろんごろんと不格好に転がった。
あまりにも手応えがなさ過ぎるゴブリンに、再び呆気にとられた秋水は、突き出した巨大バールをゆっくり引いて静かに姿勢を正す。
いや、正してどうする。
すぐに自分自身にツッコミを入れながら、即座に巨大バールを秋水は構えた。
なんちゃってバール棒術の構え。
遠心力分だけ振り回した一撃の威力は下がるものの、短いリーチの状態を両手で操れる分、コンパクトかつ取り回しに秀でた構え方だ。
地面を転がったゴブリンの体が止まる。
さあ、ここからだ。
弱そうな雰囲気でこちらを油断させてから、不意打ちの一撃が襲いかかってくる可能性がある。
先手を取らせてもらった以上、今度はゴブリンの出方を見るべきだろう。
戦闘再開。
秋水は油断なく巨大バールを構え、重心を落とす。
ゴブリンの四肢が、だらんと力なく地面に落ちる。
ぶわっ、とゴブリンの口から色鮮やかな光の粒子が吹き出した。
まるで血飛沫。
口から吐き出されていることに目を瞑れば、綺麗なイルミネーション。
秋水は知っている。
これは、死亡演出だ。
きょとん、と秋水は目を見開いた。
舞い上がる魔素。力なく横たわるゴブリン。無関心でぽよんぽよんしているスライム。
「は?」
いや待て。
ちょっと待て。
斧を投げつけて1発、巨大バールで殴って1発、突いて1発、合計たったの3発だけだ。
3回しか攻撃を仕掛けていない。
で、なに、え、死んだの?
コボルトならこの倍は耐えるぞ?
それなのに、なに?
え、死ぬの?
ウソでしょ?
秋水は額に斧がぶっ刺さったままのゴブリンを、唖然と見つめる。
盛大に魔素を吹き上げ、絶賛絶命中。
ごはん落ちてないかなー、とスライムが隣でぽよぽよしている。
秋水は一度目を閉じて、少しばかり考える。
「……え、弱くね?」
・モンスターの総合スペック順位
角ウサギ < ゴブリン < コボルト < ボスウサギ < ボスコボルト < スライム
はい、ゴブリンは弱いよ!
ゴブリン『は』。