ウチの庭にダンジョンがあります   作:ShilonkS

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266『疑いながら信じてる』

「あ、紗綾音おか――うん、いらっしゃい。確か、ジリちゃん、だったっけ?」

 

 紗綾音に連れられて、紗綾音の家にやってきた。

 大きくて立派な家に入ったら、小さくて立派な先輩とばったり遭遇し、須々木 海霧は体を小さく縮こまらせる。

 紗綾音の姉、渡巻 律歌先輩だ。

 紗綾音と比べて小さくて穏やかな先輩だが、全国模試で1桁順位に名前を連ねる天才である。

 この小さい先輩を見ると、ああ、紗綾音って特別な家の子なんだな、と思ってしまう。

 僻みなのかもしれない。

 

「ただいまなんだよ。お姉ちゃんは今からバイト?」

 

「うん……えっと」

 

 明るくカラリとした様子で先輩に声を掛ける紗綾音に、先輩は紗綾音の方を一度見てから、心配そうにこちらを見てきた。

 紗綾音に手を引かれているのは、きっと泣き腫らした目をしている、縮こまったブス。

 気不味い。

 同じく、先輩まで気不味そうな表情をさせてしまって、さらに気不味い。

 

「にひひ、今から乙女の人生相談なんだよー」

 

「……え、紗綾音が受けるの?」

 

「なんでビックリしてるのかなお姉ちゃん?」

 

 そんな気不味い雰囲気が一瞬漂った玄関で、気を利かせてくれたのか紗綾音が悪戯っぽく笑いながら誤魔化してくれた。

 乙女の人生相談なんて言ったら、誤解されるに決まってる。

 わざとだろう。

 紗綾音はそういう気遣いをするタイプだ。

 

「お邪魔します……」

 

 今更ながら海霧は頭を下げて挨拶をした。

 先輩は、変わらず気不味そうな感じだ。でも、先程の気不味さとは方向性が違う感じでもある。

 

「ううん。いらっしゃい。紗綾音が変なアドバイスするかもしれないけど、話半分……4分の1くらいで聞いてね?」

 

「信頼性なさ過ぎなんだよ……」

 

「紗綾音はちゃんとジリちゃんの話聞いてあげるんだよ」

 

「それはもちろん――あ、そうだ、お姉ちゃん明日バイトお休みだよね?」

 

「え? うん、お休みだけど?」

 

「明日、棟区くんとデートだから、お姉ちゃんもおウチにいてね」

 

「――――へ?」

 

 棟区。

 その2文字が聞こえて、ビクリ、と肩が跳ね上がってしまう。

 ついでに先輩の肩も跳ね上がる。

 クラスメイトの、怖い奴。

 大きくて、威圧感があって、捕食者のような、怖い奴。

 彼のせいで、友達との絆が、ぐちゃぐちゃになった。

 ああ、いや。

 友達との関係を終わらせてしまったのは、全部が全部、自分の責任だったか。

 ふるふると、体が震え始める。

 そんな情けない反応を示してしまうのを察したのか、紗綾音はきゅっと手を握り締めてくれた。

 

 紗綾音は、道路で無様に泣いていたところから、ずっと手を握ってくれている。

 

 家に招待してくれても。

 先輩に会ってからも。

 今までずっと、手を握り締めてくれている。

 外は寒い。

 まだ2月だ。

 体が震えているのは、寒さだけが理由じゃないかもしれないけれど。

 

 だけど、紗綾音に触れた手は、とても温かい。

 

 手と胸が、暖かい。

 

 紗綾音がきゅっと手を握り締めてくれたおかげだろうか、体の震えが少しずつ収まっていく。

 ああ、やっぱり、紗綾音は特別だ。

 特別な存在だ。

 ふ、と口元が緩む。

 

「え? えっと? はい?」

 

「よし、それじゃあジリちゃん、私のお部屋にレッツご招待!」

 

「え? 待って!? 待って紗綾音!? どういうこと!? デート!? 秋水さんと!? なんで!? え!?」

 

「あ、でもジリちゃん、先行っててもらっていーい? お飲み物用意してくるんだよ」

 

「紗綾音!? 紗綾音!? ねえちょっと紗綾音!?」

 

 大慌てになっている先輩を余所にして、海霧は渡巻邸に上がるのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ごめんねジリちゃん、お姉ちゃん話長くって」

 

「長くさせた原因って絶対紗綾音だよね?」

 

「くぅーん……」

 

 10分か15分くらい待たされた後、マグカップを2つ持ってようやく戻って来れた紗綾音は、どこか疲れた表情だった。

 きっと先輩に搾り取られたんだろう。自業自得である。

 子犬の鳴き真似なんてしてしょんぼりする紗綾音は、正直可愛い。卑怯だ。

 紗綾音の部屋に上がらせてもらって、膝を抱えて待っている間に、段々と気持ちが整理できてきた。

 はいこれ、とローテーブルにことりとマグカップが置かれる。

 並んで、2つ。

 玄米茶の香りだ。

 それから、よいちょ、と紗綾音が腰を下ろした。

 何故か、すぐ隣に。

 ぴとりと寄り添うように、肩をくっつけて紗綾音が座った。

 

「ジリちゃんいなくなってから、教室大変だったんだからねー」

 

 そして、ド直球で本筋の話を始めた。

 紗綾音が近くてドキリとした心臓が、今度は凍えて止まってしまうかと思った。

 

 教室は、そうだよね、きっと大変だっただろう。

 

 ふるり、と体が震える。

 自分は今、どんな表情になっているだろう。強張っていて、よく分からない。

 言いたいことを散々怒鳴り散らしてしまった。

 みんなを悪者として言いたい放題酷いことを口走った。

 友達みんなを、怖がらせ、怯えさせてしまった。

 ああ。

 嫌だ。

 聞きたくない。

 耳を塞ぎたい気持ちになってしまう。

 きっとみんなが、悪口を言っただろう。

 逆ギレしてきた奴。彼を認めない心が狭い奴。急に泣き出して意味分かんない奴。そんな陰口くらい叩かれて当然だ。

 友達やめよ、とか言われたかもしれない。

 言わないだけで、とうに心の底では縁を切られているかもしれない。

 けど、抱えた膝を、ぐっと抱き締めるようにして堪える。

 受け止めなきゃ。

 受け入れなきゃ。

 クラスの中に居場所がなくなっても、自分が悪いのだから、ちゃんとそれを認めなきゃ。

 でも、怖い。

 耳は塞がないけれど、ぎゅ、と目を閉じて。

 

 

 

「今まで、ごめんね」

 

 

 

 何故か、謝られた。

 

「……え?」

 

「ずっと独りにさせちゃってた。近くにいたつもりだったのに、ごめんなさい」

 

 思わず顔を上げて紗綾音を見れば、こちらにまっすぐ向くように座り直している。

 真正面から、紗綾音がこちらの目を見つめていた。

 見つめて、謝ってきた。

 なんで?

 ごめんなさいを言うのは、こっちなのに。

 

「棟区くんにちゃんと謝れてなかったこと、ジリちゃんは許せなかったんだよね。ごめんなさい」

 

「そ、そんなこと……」

 

 さらに謝る紗綾音は、ゆっくりと頭まで下げてきた。

 嫌だ。

 やめて。

 紗綾音に頭を、下げてほしくない。

 特別な紗綾音が、凡人なんかに謝ってほしくない。

 紗綾音は悪くない。

 悪くないんだ。

 怒っていたのは、不満に思っていたのは、紗綾音に対してじゃない。

 だって、紗綾音はちゃんと彼に謝ったじゃないか。

 彼のことを考えて、彼の気持ちになって、謝ったじゃないか。

 他の奴らとは違う。

 自分のことしか考えていない奴らとは違う。

 凡人どもとは、まるで違う。

 まして、ましてや、彼が怖いという感情から抜け出せていない、こんな性格までブスな女とは、全然違う。

 紗綾音は正しい。

 だって、紗綾音は特別だからだ。

 その特別な紗綾音が、頭を下げるだなんて。

 深々と頭を下げる紗綾音に慌てて向き直り、その頭を上げさせようと手を差し出したとほぼ同時、こちらが手を貸すことなく紗綾音はすっと顔を上げる。

 顔を上げて、再びまっすぐこちらの目を見てきた。

 綺麗な目。

 可愛い。

 やっぱり紗綾音は、物語のヒロインに、相応しい。

 紗綾音の目を間近で見て、どきり、としてしまう。

 

 

 

「ジリちゃん、大好きだよ」

 

 

 

 ど、と心臓が跳ね上がる。

 全く目を逸らすことなく紗綾音が告げてきた言葉に、言葉が詰まってしまう。

 

「友達だもん。喧嘩しちゃっても、怒られちゃっても、私はジリちゃんのこと大好きだよ」

 

 さらに告白を畳みかけられた。

 え。

 大好き。

 え。

 私も、好きだけど。

 え。

 友達だし。

 え。

 でも紗綾音は特別で。

 え。

 釣り合いが。

 え。

 え。

 数秒、頭がフリーズする。

 思わず固まってしまったところで紗綾音が手を伸ばしてきて、ぎゅ、と抱き締められた。

 真正面から、抱き締められた。

 紗綾音に。

 特別な存在に、抱き締められた。

 

「え」

 

「だけどねジリちゃん。私、今からジリちゃんに、すごい酷いこと言うね」

 

 びくっ、と思わず肩が跳ねる。

 酷いこと。

 紗綾音から。

 酷い言葉は、そうか、自分が先に教室でぶちまけたんだった。

 なら、聞かなきゃ。

 紗綾音の言葉なんだから。

 自分が先に、言ってしまったんだから。

 頭はフリーズしていたくせに、本能的に身構える。

 なにを言われるのか不安が襲ってきたが、不思議と胸の奥が暖かい。

 紗綾音に抱き締められているからだろうか。

 それとも、大好きだと、言われたからだろうか。

 ど、ど、と胸が早鐘を打つのは、不安だけではない、ような気がする。

 

「詐欺師だって喋り方は丁寧だろうけど、棟区くんが詐欺師ってわけじゃないよ」

 

「あ」

 

 いつもの賑やかな紗綾音とは打って変わって、静かに、言い聞かせるように、穏やかな声が、耳を打つ。

 短い声が、自然と漏れ出てしまった。

 

 ――喋り方が丁寧だからってなに!? 詐欺師だって喋り方は丁寧じゃん!

 

 それは、自分が教室で吐き出してしまった、醜い感情の塊。

 それをひっくり返した言葉が、紗綾音から出てきた。

 

「ヤクザだって頭の良いインテリがいるだろうけど、棟区くんがヤクザってわけじゃないよ」

 

 ――学年主席様だからってなに!? ヤクザだって頭の良いインテリいるじゃん!

 

 そして同じく、紗綾音が語りかけてくれる。

 やはり同じく、ひっくり返された言葉だ。

 ああ。

 ああ。

 支離滅裂に叫びまくった馬鹿みたいな八つ当たりを、紗綾音はちゃんと聞いてくれていたのか。受け止めてくれたのか。

 すごい。

 すごいよ。

 いきなり怒り出すような根暗女の妄言なんて、早く忘れてくれても良かったのに。

 なのにちゃんと、聞いてくれた。

 覚えてくれた。

 そして、考えてくれた。

 紗綾音のような特別な存在が、海霧という個人を、しっかりと受け止めてくれていた。

 

「棟区くんが本当に穏やかな人かは今でも分からないけど、きっと一生分からないかもだけど、それでも棟区くんは一生懸命、穏やかな人だっていうのを、私たちに見せてくれてるよ」

 

 ――穏やかそうだからってなに!? 本当に穏やかな人かどうかは別問題じゃん!

 

 決して怒らず、感情的にならず、それこそ、穏やかに。

 ぽんぽん、と優しく背中を叩きながら、抱き締めながら、語りかけてくれる。

 彼は、棟区 秋水は、怖いよ。

 普通じゃないよ。

 信用できないよ。

 仲良くするとかおかしいよ。

 そうやって吐き出した醜い言葉を、紗綾音は1つ1つ解きほぐす。

 

「棟区くんのこと大して見ようともしてないのに、なんで棟区くんが悪い奴なんて言えるの?」

 

 ――あいつのこと大して見ようともしてないくせに、なんであいつがイイヤツなんて言えるの!?

 

 ああ、うん。

 知ってた。

 分かっていたよ。

 みんなと同じだってことくらい。

 不愉快で、吐き気がして、気持ち悪くて、反吐が出るような、友達みんなと同じく、私も揃ってダメなところ。

 

 みんなが都合良く、彼は絶対イイヤツに違いない、というレッテルを貼って、彼に群がった。

 

 海霧も都合良く、彼は絶対に悪い奴に違いない、というレッテルを貼って、彼を遠ざけた。

 

 気がついてはいた。

 貼ってるレッテルがポジティブなのかネガティブなのかという違いなだけで、根本的にみんなと同じく、本当の棟区 秋水から目を背けて、彼を知ろうとしていなかった。

 彼を見て、知ろうとしているのは、結局、紗綾音だけだ。

 だから紗綾音は、特別なんだ。

 みんなにぶちまけた暴言は、全部自分に跳ね返る。

 彼は怖い。

 近づけない。

 近づきたくない。

 それなのにみんな、私を置いて遠くに行っちゃう。

 どれだけ建前を並べたところで、不満の芯は、自分勝手の孤独感。

 行かないで、と言えないから、行くのはおかしい、と口走った。

 最低だ。

 最悪だ。

 なによりも、紗綾音にこんな言葉を言わせたことが、一番。

 

「私がイイヤツって言いまくって、それでみんなを混乱させ続けちゃったのは、本当にごめんなさい。反省してます」

 

「ち、違う!」

 

 思わず、否定の言葉が口から突き出る。

 紗綾音は謝らなくていい。

 紗綾音はなにも悪くない。

 紗綾音が彼をイイヤツと言うのは、きっと特別な紗綾音だからこそ言える台詞に違いない。

 悪いのは、その言葉を免罪符として群がる凡人どもだ。

 紗綾音の言葉をエサにして、紗綾音の言葉を盾にして、判断の全部を紗綾音の言葉に頼り切って。

 なんにも考えないで、特別な紗綾音の言葉を勝手にレッテルとして彼に貼り付けやがる、凡人どもが悪いんだ。

 そして、一番悪いのは、“悪い奴” なのは、彼に悪人のレッテルを貼り続けた、自分なのに。

 特別な紗綾音を傷つけてしまった、自分なのに。

 慌てて紗綾音から離れようとしたところ、ぎゅ、とさらに強く紗綾音に抱き締められた。

 口から心臓が、飛び出しそうになる。

 

「でもジリちゃん、ちゃんと向き合ってほしいな。棟区くんを見てほしいな。疑うことと、信じないことは、別だから」

 

 ――疑わないことと信じることは別なんだよ!?

 

 ああ、まただ。

 また、言葉をひっくり返された。

 反転させて、優しく諭された。

 自分の口から出た醜い暴言だったのに、紗綾音の口から返されると、不思議と心に染みてくる。

 ほ、と息が漏れてしまう。

 でも、怖いよ。

 あいつ、怖いよ。

 信じられないよ。

 補導されてるのは本当だし、噂はどれも否定されてないんだよ。

 どうしたって、疑っちゃう。

 心が狭いゴミだから、どうしたって、疑って、信じられなくて。

 

 疑いながら信じることは、両立できる。

 

 あ。

 そうか。

 そうだね。

 自分で言った言葉が、紗綾音の特別な言葉として、すとん、と胸に落ちていく。

 疑うことと、信じないことは、別。

 疑わないことと、信じることは、別。

 

「…………さやね、は」

 

「うん」

 

「あいつの、こと……疑ってる、の?」

 

「うん、実はちょっと、今でも疑ってる」

 

 ひゅ、と息を飲んでしまった。

 紗綾音が、彼を疑ってる。

 嘘だ。

 だって、あんなに懐いているのに。

 あんなに彼の懐に潜り込んでいるのに。

 全幅の信頼を寄せてるように、見えるのに。

 抱き寄せられているから、紗綾音の表情は見えない。

 けれど、紗綾音は震えることなく、そして言い淀むこともなく、はっきりと告げてきた。

 

「危ないことしてるかもー、とか、おうちがヤバい家業かもー、とか、考えなくはないよ。だってほら、棟区くん、ぱっと見が怖いんだもん。アウトローなご趣味が似合いそうでさ、ふっ、て頭をよぎるんだよ」

 

 小さく笑う紗綾音の吐息が、耳をくすぐる。

 ぞくり、と背筋に危ない鳥肌が立った。

 

「それでも私には、棟区くんはやっぱり “良い奴” に見えるよ」

 

 そして改めて、紗綾音はハッキリと口にした。

 紗綾音が不安そうに口にする、もしくは他の奴らが口を揃える、薄っぺらい “イイヤツ” じゃない。

 ちゃんと輪郭の灯った、“良い奴”。

 紗綾音は、彼のなにを見たんだろう。

 彼のどこを、そんなに信用したんだろう。

 分からない。

 分かるわけがない。

 だって、知らないから。

 自分は彼を、知ろうとしてこなかったから。

 

 知らないから、余計に、怖い。

 

 紗綾音は、すごい。

 やっぱり、すごい。

 怖くても、疑いながらでも、ちゃんと距離を詰めて、彼を知ろうとしたんだ。

 だから “良い奴” って言えるんだ。

 すごいな。

 すごいよ。

 とても真似なんてできない。

 だって、バカだし、ブスだし、平凡だし、ヤな女だし、“悪い奴” だし。

 ずぶずぶと再び心が沈み始めた瞬間、まるでそれを察知したかのように、がばり、と紗綾音が抱き締めていた体を離した。

 離して、まっすぐに顔を覗き込む。

 

 

 

「それでね、ジリちゃんも “良い奴” に見えるよ」

 

 

 

 それは同じく、輪郭が灯った、言葉。

 彼と同じく、評する言葉。

 にこり、と紗綾音が笑った。

 あ。

 泣く。

 

「……わたし、“悪い奴” だよ?」

 

 紗綾音の顔が見れない。

 俯いたら、視界がぼやけてきた。

 おかしいな。

 涙なら、いっぱい流したはずなんだけどな。

 ふ、と吐く息が、嗚咽のようになる。

 口から出たのは、やっぱり否定の言葉。

 醜く震えた声で、せっかく紗綾音が肯定してくれた特別な言葉を、否定にかかる。

 そんな捻くれ者の手を、紗綾音はそっと握ってくれた。

 握った紗綾音の手に、汚い雫を、落としてしまう。

 

「そうかもね。でも、私は “良い奴” だって思うよ。これからもジリちゃんのこと、ちゃんと知っていきたいな」

 

「あいつと仲良くなんて、できないよ?」

 

「できなくても、いいんだよ。でも、棟区くんに向き合って、分かり合ってくれたら、嬉しいな」

 

「わたしが “悪い奴” って思うかもしれないよ?」

 

「向き合って、ジリちゃんがそう思うなら、仕方がないよ。仲の良し悪しじゃなくて、決めつけて分からないままなのが、怖いからね」

 

「……みんなに、ひどいこと、言ったよ?」

 

「言いたくなかったよね。あんなこと言っちゃうまで、独りにして、気がつけなくて、いっぱい我慢させちゃって、ごめんね」

 

「みんな、こまった顔してたよ?」

 

「今まで見ないようにしてたことだからね、そりゃ困るよ。でも、ジリちゃんは大事なことを言ったんだよ。ありがとうね」

 

「わたし、みんなに、きっと、嫌われちゃった」

 

「ジリちゃん」

 

 駄々をこねるように屁理屈を零しても、紗綾音は優しく受け止めてくれた。

 そしてまた、ぎゅ、と抱き締められる。

 涙が、溢れて。

 

 

 

「大好きだよ」

 

 

 

 ボロボロと、涙が出てきた。

 ああ、いやだ。

 紗綾音が汚れる。

 こんなゴミみたいな女の汁で、特別な紗綾音が、汚れてしまう。

 特別、と言うか。

 女神様、みたいな。

 

「私はジリちゃんの、友達だよ。喧嘩しちゃっても、怒られちゃっても、私はジリちゃんのこと大好きだからね」

 

 背中をまた、ぽんぽん、とあやすように優しく叩かれる。

 あ。

 だめだ。

 

「――ごめん、なさい」

 

「うん」

 

 やっとのことで口から出てきた謝罪の言葉は、もう震えに震えまくった、不細工な声。

 ただの嗚咽混じりな、汚い声。

 そんな格好悪い「ごめんなさい」を、女神様は静かに聞いてくれた。

 ああ。

 ああ。

 ああ。

 くずれる。

 

「ぅあ、ああ、あ……ごめん、なさい。ごめんなさい。ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさいっ!!」

 

 堰を切ったように「ごめんなさい」があふれ出る。

 涙と一緒に、止まらない。

 ぎゅ、と紗綾音に抱きつけば、紗綾音もまた、ぎゅ、と強く抱き締め返してくれる。

 それが、すごく安心できて。

 そのせいで、もっと涙が出てきて。

 

「ごめんなさい! ごめんなさい! ごめんなさい! ごめんなさい! ごめんなさい!」

 

 ただただ謝る。

 なにに対してだろう。

 彼を悪い奴扱いし続けたことだろうか。

 友達に酷い言葉を叩きつけたことだろうか。

 生まれてきてしまったことだろうか。

 女神様を涙で穢していることだろうか。

 それとも、全部だろうか。

 ここで謝っても意味などないのに、泣いたところで過去は変えられるはずもないのに。

 

「うん。大丈夫、大丈夫だからね」

 

 優しく背中を、ぽんぽんされる。

 紗綾音が受け止めてくれる。

 女神様が受け止めてくれる。

 女神様が、赦してくださる。

 そんな気持ちになって、張り詰めていた全部の糸が、一斉にぶつりと切れた。

 

「うあ、あ、ああああああああああああああああああっ!!」

 

 泣き疲れてしまうまで、ただただ紗綾音に抱き締められて、泣き続けてしまった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「さ、紗綾音ー?」

 

「ほーい。ちょっと立てないから勝手にどーぞー、ブロンズ像ー」

 

 恐る恐るといった感じで、がちゃり、とドアを開けてきたのは、母だった。

 なんだか凄く心配そうな顔だ。

 対する紗綾音は、にぱ、と笑って母に手を振る。

 紗綾音は今、部屋の壁にもたれ掛かるように座って、ちょっと立つに立てない状態だった。

 

「――すぅ ――すぅ」

 

 膝の上には、泣き疲れた可愛い友達が、頭を預けて眠っている。

 すごい泣いたし、いっぱい感情を吐き出したし、とても疲れたんだろう。

 紗綾音は静かに寝息を立てている海霧を起こさないよう、そっと頭を撫でる。

 母は何故か海霧を心配そうに見つめてから、それ以上に紗綾音のことを心配そうな顔で見てきた。

 

「……大丈夫なの?」

 

「んー」

 

 そして声まで心配そうな彩りで尋ねてきた母に、紗綾音は軽く唸る。

 大丈夫か、と聞かれたら、どうなんだろう、というのが本音だ。

 海霧が感情を爆発させてしまった影響は、たぶん大きい。

 秋水にしてきた仕打ちに誰も向き合っていなかったこと。

 誰に対しても秋水は心を開いていなかったこと。

 そして、秋水が本当に良い奴かどうか分からないこと。

 海霧がクラスメイトたちに突き付けた現実は、かなり重たくのし掛かっている。

 沙夜を慰め、そしてすぐに海霧を探し、今に至る状況である紗綾音は、クラスのグループチャットを未だに見れていない。

 もしかしたら、悪い言葉が飛び交っているかもしれない。

 秋水への疑いが、表に出てきてしまっているかもしれない。

 海霧への否定的な意見が噴出しているかもしれない。

 でも、紗綾音はそこに口を挟むことは、できない。

 秋水への態度でクラスの皆の目を曇らせてしまった紗綾音が、今、不用意に発言をすることはできない。

 紗綾音は海霧の綺麗な髪を優しく撫でながら、少しだけ考えて。

 

「うん、たぶん大丈夫だよ。どんなに悪くなっても、私がジリちゃんを守るからね」

 

「そうじゃなくてね」

 

 笑顔で決意を伝えたところ、何故かずっと心配そうにオロオロしている母が、結構ばっさり紗綾音の決意を切り伏せてしまった。

 なぜに?

 

「その子、すごい紗綾音に泣きついちゃってたけど」

 

「うん。こういうときは、いっぱい泣くべきなんだよ」

 

「……ああ、お母さん心配になってきちゃった」

 

「え?」

 

 さらに心配そうな顔をした母が、その心配を口にまで出してきた。

 いや、どんだけ心配性なのか。

 そもそもなにを心配しているのか。

 紗綾音は首を傾げると、ああ、と母は両頬を抑えながら、嘆くようにふらふらと後退る。

 

「紗綾音が、紗綾音がこんな、女の子まで誑かす子だなんて……っ」

 

「人聞きが悪すぎてビックリするんだよ。娘に向かってなんてこと言うのかなお母さん」

 

「その子、ちゃんとした彼氏できるのかしら……っ」

 

「おおっと、今度はジリちゃんになんてこと言うのかな? ジリちゃん可愛いんだから、普通にモテるんだよ。笑顔とか安心できちゃう感じだし、趣味とか可愛らしいんだからね」

 

「なんなの紗綾音、悪いホストにでもなっちゃうの……っ」

 

「あの、お母さん、暴言が酷いとさすがに私もキれちゃうよ?」

 

 支離滅裂で意味不明な心配をしだす母を、じとー、と紗綾音は睨みつつ、海霧の髪を優しくなで続ける。

 静かな寝息を立てている海霧は、どこか安心したように、表情が和らいだような気がした。

 

 

 

 紗綾音は、この友達の中の自分というのが、とんでもなく神格化されていることに、微塵も気がついていなかった。

 

 

 





 ジリちゃんのクソデカ激重感情、とんでもない湿度まで追加される( ´-ω-)
 チワワは基本的に無自覚で他者を誑かすので、もしかしたら他にもじっとりとした感情を抱いている友達がいるかもしれんね。怖いね。

渡巻母「幼気な女の子が、ウチの娘に誑かされて性癖をねじ曲げられた気配がする……っ!」
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