ウチの庭にダンジョンがあります   作:ShilonkS

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268『平等な法律、公平な弁護士』

『民間取引における政府介入、国際的な反発受け撤回へ 新素材供給問題で異例の全面譲歩』

 

 関係者筋によると、今月中旬、名古屋市内のホテルで行われた非公開の協議において、政府関係者と民間事業者との間で進められていた新素材供給に関する調整協議が、政府側の大幅な譲歩によって一応の合意に至った模様だ。

 同協議は当初、輸出管理や安全保障上の観点から、政府が強力な監督権限の行使を検討していたもの。しかし、協議の場には複数の海外研究機関や外国政府関係者がオンラインで同席しており、事前の協議における政府側の不透明な圧力が露呈。「不当な介入による供給停止は、国際的な研究を阻害する」との強い非難が相次いだことで、政府側は方針の撤回を余儀なくされたとみられる。

 複数の参加者によると、この国際的な包囲網を敷いたのは民間側代理人として出席した弁護士の手腕によるものが大きいという。同弁護士の主導のもと、「商取引における安全と利益の両立」「取引先情報の完全秘匿」などが主張され、最終的に政府側が国家機関をもって民間側の安全確保(警護)の責任を負いつつも、出所情報の管理は民間側に委ねるという、極めて異例の形で妥結した。

 協議の詳細は非公開とされており、政府関係者は「個別案件にはコメントできない」としている。ただし、法曹界や関係業界では「これまでにない異例の判断」として注目を集めており、一介の民間弁護士が霞が関の複数省庁を手玉に取り、“国家権力を完全に屈服させた” との見方も出ている。

 新素材の詳細や製造経路は明らかにされていないが、一部研究機関では「既知の物質に該当しない成分反応が確認された」との報告もあり、今後、国際的な研究競争が激化する可能性がある。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 経済産業面、トップではないが片隅とも呼べない絶妙な位置に、そんなニュース記事があった。

 新聞を読み、その記事を峰岸 鉄臣が見つけたのは、偶然だったのかもしれない。

 弁護士という仕事上、世の中の流れを目で追う必要のある鉄臣は、情報を個人向けに取捨選択されない新聞を愛読していた。

 朝起きて、睡眠により整理された頭に情報を流し入れる。

 それは鉄臣にとって、頭の中にある弁護士というスイッチを入れる儀式めいたことでもあった。

 そんな儀式の最中に見つけた記事を、鉄臣は一度流し読みをした後、思わず二度見してしまう。

 

「これは……私たちのこと、だよな……?」

 

 呟きながら、一字一句読み込むように三度読み直す。

 新素材、などと若干ボカされているものの、これはあの白銀のアンクレット、いや、あの新元素のことだろう。

 写真もない、シンプルに短い記事だ。

 通常の空間で安定している新しい元素、という科学界に与える絶大なインパクトを考えれば、随分と隅に追いやられた感すら感じてしまう。

 

「……なんだこれ」

 

 3回も読み終わり、新聞から顔を上げた鉄臣の口から、思わず呆れたような言葉が漏れ出てしまう。

 なるほど、鎬がいつの間にか呼び集めた現地かオンラインかの参加者の中に、ジャーナリストが紛れ込んでいたようだ。

 いいや、紛れ込んでいたのではない。

 確実に、鎬がわざと呼び込んでいた、と考えるべきだろう。

 新元素を取り扱っているという情報が漏れるのは、もはや会議に海外のオブザーバーを20人以上も呼び込んだ段階で情報統制できたものではないだろうが、記者を呼んでわざわざ情報を自ら発信させる。

 なにを考えているのか。

 記事を読んだ瞬間には、呆れ半分にそう思った。

 そして、記事を読み終えた段階でも、全く同じことを思った。

 なにを考えているのか。

 あの、怪物は。

 

「いけないな」

 

 考えた瞬間、鉄臣は首を横に振る。

 最近、若葉マークの取れかかった新人に毒されてしまっているのかもしれない。

 依頼者を怪物と危惧してはいけない。

 悪魔と恐れてはいけない。

 依頼者は、全て公平に扱わなければならない。

 どんなに悪人であろうと。

 どんなに善人であろうと。

 弁護士とは、依頼人を公平に扱う存在、でなければならない。

 法が、万人の前で平等でありながら、不公平でもある以上は。

 

「私は、棟区さんの味方でいなければ」

 

 鉄臣はゆっくりとため息を吐きながら、そっと腹を撫でた。

 胃が痛い。

 朝っぱらから馴染みのある胃痛である。泣きそう。

 法とは、解釈だ。

 用い方である。

 小学生の国語の問題で、「作者の気持ちを答えなさい」、その延長線上にあるのが、法という武器の使い方なのだ。

 それくらい、法曹界に属している鉄臣が、知らないわけはない。

 

 法は門前において人を平等に扱う。

 だが、公平には扱わない。

 だから弁護士は、平等な観客ではなく、依頼人に肩入れするものである。

 

 法は万人に同じ顔を向ける。

 だが、弱い者に合わせて屈んでくれない。

 だから弁護士は依頼人の不利を埋めるためにいる。

 

 弁護士とは依頼人の公平を守り、他者を不平等に扱う、そんな弱者の味方という職業だ。

 言い換えれば、正義の味方だ。

 味方である。

 

 

 

 正義、である必要は、ない。

 

 

 

 なんて、志穂に言ったら1時間は説教を喰らいそうだ。

 鉄臣は苦笑いをひっそりと浮かべる。

 

「確実になにかの情報戦だな、これは……」

 

 あの冷徹なる美女の顔を思い浮かべながら、鉄臣は再び新聞の記事を読む。

 個人的な感情を横に置き、弁護士としては鎬の味方でなければならない。

 平等なだけの法では救いきれない、そんな依頼人が置かれた不利を見て、その不利を埋める方向に力を注ぐのが弁護士の使命だ、と鉄臣は考えている。

 だが、彼女がただ不利に置かれただけの弱者かと言われたら、それはきっと違うだろう。

 鎬は法を条文通りにしか使用できない素人ではない。

 法を解釈して当てはめ、運用することができる側の人間である。

 銃の引き金を引くことしかできない素人と、射撃の訓練と戦術知識を叩き込まれたプロくらいの開きがある。

 そんな彼女が、記者を呼んでわざわざ情報を自ら発信させたのだ。

 しかも、こんな書き方をされた記事を。

 なにかの意図がある。

 だが、その意図が分からない。

 本当に、なにを考えているのか。

 

 頭を悩ませたそのタイミングで、スマホに着信があった。

 

 鉄臣は反射的に画面を見て、う、と思わず言葉を詰まらせる。

 その画面には、この1年近くの間でだいぶ見慣れてしまった名前が表示されている。

 どうしよう、名前を見ただけで胃が痛くなってきた。

 先に胃薬を飲んだ方が良いだろうか。

 いや、そんな悠長なことをしていたら、留守番電話に切り替わってしまう。

 鉄臣は小さくため息をついてから、通話のハンズフリーモードを立ち上げる。

 

「はい、峰岸です。どうかさ」

 

『おはようございます峰岸先生! 私たちの記事が新聞に載っています!』

 

 どうかされましたか、という言葉を塗りつぶすように、スマホのスピーカーからデカい声。スマホを耳に当てるようにして使用していたら、鼓膜にダメージが入っていたかもしれない。

 若い女の声。

 峰岸弁護士事務所の新人弁護士、鋒山 志穂(ほこやま しほ)。

 弁護士としての基礎能力は高いのだが、性格が全ての足を引っ張っている狂犬ちゃんである。

 あー、と鉄臣は軽く声を上げた。

 志穂の声は絶好調。

 その大きな声に、自分たちが新聞記事に載った、というような喜びの色はない。

 残念なことに聞き慣れた、怒りの色が滲み出る声だ。

 まだキレてはいない。

 ただ、ちょっと突いたらキレるボーダーラインを足で踏んでいるような感じである。

 うわ厄介。

 

「……そうですね。志穂さんは毎日ちゃんと新聞を読んでいて偉いですね」

 

『舐めないでもらえますか?』

 

「すみません。さすがに今のは侮りすぎましたね」

 

 とりあえず志穂を落ち着かせようと、軽くアイスブレイクを挟もうとしたものの、アイスそのものみたいな氷点下の言葉を叩き返されてしまった。

 いや、新聞を “ちゃんと” 読むというのは、普通に偉いことなのだが。

 鉄臣は新聞を4紙購読している。

 が、志穂は7紙だそうだ。

 しかも全て読破している。

 こちらは全体を流し読みした後、興味のある記事をピックアップして読んでいるというのに、志穂は文字通りの読破だ。

 偉い、というか、凄い。

 仕事柄、弁護士というのは文字をよく使う職業であり、何度も志穂が資料を読んだり本を読んだりする姿を見ているが、志穂が文章を読み込む速度は異常に速い。

 鉄臣も基本的な速読を習得しているつもりだが、志穂は鉄臣の倍以上文章を読む速度が速いのだ。

 最近の子は、みんなこうなのだろうか。

 試しに事務所にいる事務員の榊原くんに聞いてみた。

 あの異常エリートと一緒くたにしないでもらえますか、と真顔で返された。ちょっと安心である。

 閑話休題。

 朝から機嫌の悪そうな志穂をさりげなく褒めようとしたものの、志穂にとっては当然のことという認識しかないため、あえなく失敗してしまった。

 個人向けに調整されない新聞という雑多な情報媒体を読むというのは、本当に偉いことなんだけどなぁ。

 

『峰岸先生、あの記事書いた記者、今から問い詰めましょう!』

 

「やめなさい」

 

『では新聞社そのもの!』

 

「よしなさい」

 

 血気盛んな若者を宥めつつ、鉄臣は新聞の記事に視線を落とす。

 この記事には、違和感を覚える。

 違和感というか、明らかなる嘘が書かれていた。

 

 

 

 弁護士の手腕が、過大評価されている。

 

 

 

 一昨日の会議、自分たちは、なにもしていないのだ。

 本当に、なにもしていない。

 ただ座っているだけであった。

 会議の進行から決着まで、全て鎬が行ったのである。

 自分たちは、なにも関与していない。

 

 なのに、一介の民間弁護士が霞が関の複数省庁を屈服させた、などと書かれている。

 

 ああ、いや、あくまでも「見方も出ている」と予防線を張られているが、これは明らかに誤解を招くような内容だ。

 志穂の怒りは、そこなのだろう。

 高く評価されていたとしても、不当評価は不当評価だ。

 はぁ、と鉄臣はため息を漏らす。

 

「本当に、あの人はなにを考えているんでしょうね……」

 

『先生、やはりあの女は危険ですよ』

 

 愚痴のように呟いた一言に、志穂は即座に切り返してきた。

 あの女。

 鎬のことである。

 ああ、なるほど、この記事の書き方が彼女の差し金であるということを、ちゃんと理解しているようだ。優秀である。

 優秀であるが、相変わらず鎬には当たりがキツい。

 依頼人は大事にしてほしい、事務所運営として。

 

「志穂さん、個人的に依頼人を嫌うのは構いませんが、その私情を仕事に持ち込んではいけませんよ」

 

『いいえ、峰岸先生。そんな私情は、弁護士である以上持ち込んでません』

 

「えぇ……」

 

『なんですか、そんな不信感丸出しな』

 

 凄く不機嫌そうに言われてしまった。

 いや、でも、鎬を毛嫌いしているのは、純度100%の私情じゃなかろうか。

 鉄臣の疑いをスマホ越しに感じ取ったのか、志穂が深いため息を1つ。

 

 

 

『峰岸先生も言っているじゃないですか、弁護士は平等ではなく公平に、と』

 

 

 

 そして、呆れ半分で言われたそれに、鉄臣は思わず言葉に詰まってしまった。

 平等と公平。

 それは、つい先程まで自分が考えていたことである。

 

「……そうですね」

 

『私は公平にあの悪魔に接しています』

 

「…………」

 

『法が平等である以上、弁護士は弱きを助けて強きを挫く存在であるべきです。依頼人全てに味方をするというのは、公平ではありません』

 

 ハッキリと言い切る志穂の言葉に、迷いの色はまるでない。

 その言葉を、その理念を教えたのは、鉄臣自身である。

 法は全ての人に平等だ。

 しかし、弱者の味方ではない。

 お金がない。

 知識がない。

 精神的に追い詰められている。

 相手が国家や大企業で強すぎる。

 言葉にする力がない。

 法が平等でも、武器として使えるのは一握りしかいない。法というのは、自在に解釈して適用できる者達に、圧倒的に有利なのだ。

 故に、法は不公平である。

 だから弁護士は、公平であるべき。

 弁護士は裁判官ではない。世の中全体のバランスを取る係でもない。

 依頼人の不利を埋めて、依頼人がちゃんと法の場に立てるようにする側に立たねばならない。

 この事務所に入り、なんでこんな田舎に、と不貞腐れていた初日の志穂に、鉄臣はそう教えた。

 覚えていてくれたことは、正直嬉しい。

 だが、教えたその言葉が、今度は逆に、鉄臣自身に襲いかかってきている。

 言いたいことが分かるだけに、困るじゃないか。

 

「志穂さん、弁護士は依頼人の利益を最大化させるのが使命ですよ」

 

『いいえ。全ての依頼人の利益を一律に最大化させるのが使命なら、それはただの平等です』

 

 ありきたりの言葉を投げかければ、ばっさりと斬り捨てられる。

 だろうな。

 鉄臣も、その意見には全面的に賛成だ。

 そして。

 

『峰岸先生はまだ、あの女が法的解釈で下駄を履かせるべき弱者だと、本気で思っているんですか?』

 

「…………」

 

 思っていないからこそ、余計に困る。

 政府省庁の役人を相手にあの立ち回り。

 国の提案を全て叩き折り、こちらの意見を全て通した、独壇場のオンステージ。

 あれを間近で見せられて、それでもなお鎬を弱者だと思えるほど、鉄臣は馬鹿ではないつもりである。

 あの会議では、明らかに鎬が圧倒的強者であり、政府が一方的に虐げられる弱者の側だった。

 弁護士は、依頼人に肩入れをする不平等かつ公平な存在だ。

 なのに、鎬には肩入れをする必要がまるで見当たらない。

 自分たちは必要だったのか。

 鉄臣自身もそう思った。

 思ってしまった。

 

 

 

 それはつまり、腹の底では志穂の意見に賛同したも同然なのだ。

 

 

 

「だとしても、棟区さんは依頼人です」

 

『金のために、弱者を虐げる側の味方をしろと?』

 

「いいえ。彼女は間違いなくただの私人であり、法的弁護が必要な側の人ですよ。志穂さんも冷静に。大人になりましょう」

 

『は?』

 

 スピーカーから、鎬に負けず劣らずの絶対零度な声が聞こえた。

 しまった。

 鉄臣は口にしてから自らの失言を察したが、言い訳のように注釈を入れるよりも早く、ブツッ、と通話が切れてしまう。

 ああ、通話を切った志穂が、怒りに任せてスマホをどこかにぶん投げている姿が思い浮かんでしまう。

 胃が痛い。

 胃薬が必要だ。

 

 大人になりましょう、は良くない言い方だ。

 

 顔を合わせたら、謝らなくては。

 ため息をゆっくりと吐き出しながら、鉄臣は天井を見上げた。

 志穂は、強者が弱者を一方的に嬲るような状況、大嫌いだ。

 だからずっと、鎬を威嚇していたのだろうか。

 鎬は強者であり、相手を徹底的に叩き潰す側の人間だから。

 ああ、困った。

 志穂の気持ちが、なんとなく理解できてしまう。

 そして頭の中では、志穂の感性が弁護士としては正しいのだろうと、思ってしまう自分がいる。

 大人になりましょう。

 清濁併せ呑みましょう。

 

 間違っていても、正義じゃなくても、仕事だから、やりましょう。

 

 そんなニュアンスの言葉が、つい出てきてしまった。

 そんな言葉しか、志穂を窘める台詞がなかった。

 今、間違えているのは、自分かもしれないのだから。

 

「……私も随分、汚れたな」

 

 中年男の自嘲が、静かに消える。

 

 

 





 鉄臣さんも志穂も、弁護士としての『正義とはなにか』というのを考えてセンチメンタルになっているところ、大変申し訳ないのだけどね。

 ――もっとヤバいことにこの時点で巻き込まれたことに、早く気がついて(フラグ)
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