ウチの庭にダンジョンがあります   作:ShilonkS

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269『そもそも、不当な扱いを受けているなんて思っちゃいない』

「おはようございます」

 

 秋水が教室のドアを開け、いつものように平坦な声で挨拶を投げかけると、ザワついていたはずの教室の空気が、一瞬で静まった。

 事務的に頭を下げる。

 戸惑いと、怯えと、恐怖が、肌で感じられる。

 

 ああ、日常に戻ったな。

 

 頭を上げながら、秋水は頭の片隅で安堵の息を漏らしてしまう。

 足音を立てないように、ゆっくりと歩く。

 ドスドスと歩けば、クラスメイトはそれだけで不快な思いをするであろう。こんな空気ならば、なおのこと。

 昨日、声を掛けてくれていた覚王山 未来が一瞬だけ秋水を見た。

 その隣に、彼の幼馴染みである鶴舞 美々もいる。

 2人とも、苦そうに顔をしかめてから、顔を背けたのが分かる。

 御器所 蜜柑、ミカちゃんさんも席にいた。

 青い顔で、俯いている。

 他のクラスメイトも、似たような反応が散見される。

 まるで危険物を注意深く観察するように。

 まるで恐怖を思い出したかのように。

 まるで、なにかを後悔するかのように。

 1ヶ月前くらいは、それが普通の光景だった。

 怖がらせているな。申し訳ない。自分なんかがいて、申し訳ない。

 そんな気持ちがある反面、どこか肩の荷が下りたような安心感がある。

 

 昨日、須々木 海霧が教室で感情を爆発させた。

 

 秋水はヤバい奴だ。

 悪い奴だ。

 騙されるな。

 ちゃんと見ろ。

 普通に見えないじゃないか。

 それは至極真っ当な感性で、どこぞのチワワに引っ張られて仲良しごっこでも始めようとしていたクラスメイトたちに冷や水をぶっかけ、正気を取り戻そうとしてくれる主張であった。

 秋水の感じていたモヤモヤした気持ちを、海霧はきちんと言語化してクラスメイトに叩きつけたのだ。

 とても良い人だ。

 ありがたすぎて、頭が下がる。

 彼女の叫びで、教室の空気が元に戻ったようだ。

 すごい。

 

 だが、まあ、怯えられるのは、やはり申し訳ない気持ちにもなる。

 

 贅沢なことを考えるクズだな。

 秋水は心の中だけで苦笑しつつ、自分の席にゆっくり座る。

 物音は極力殺す。

 いるだけで怖がらせるのだから、動きや物音で威圧してはいけない。

 自分はどうせ、存在するだけで害のある、ゴミなのだから。

 早く死ねばいいのに。

 なんで生きているのだろう。

 生き残っているのだろう。

 自分が死んで、父や、母や、妹が生き残っていた方が、絶対に世の中のためになっただろうに。

 内心をひんやりとさせつつ、秋水はカバンから本を取り出し、視線を落とす。

 キャンプの本である。

 ダンジョンのセーフエリア、その生活空間改善という基礎的な知恵を、キャンプの知識から拾い上げられないか、という考えだ。

 父は、たまにソロキャンプをしていた。

 母も、妹も、鎬も、そして秋水も、キャンプというわざわざ不便を味わいにいくマゾ的行為に理解を示すことができなかったので、ソロキャンプにならざるを得なかったのかもしれないが。

 だが、今にして思えば、多少は教えを請うておくべきだったのかもしれない。

 寝床の確保とか、テントの張り方とか。

 そう言えば、ダンジョンの入り口を隠すために庭に張ったテント、あれは正しい張り方なのだろうか。なんか杭みたいなのが余ったのだけれど。

 また基礎の欠落を自覚した秋水は、後悔先に立たず、とひっそりと落ち込んだ。

 

「おはよう、棟区さん」

 

 と、久しぶりに教室でゆっくりと本を読み始めたところに、声が掛かった。

 男子の声。

 クラスメイトではあるが、同じジムの筋トレ同志、日比野 道である。

 他のクラスメイトが秋水を探るように、再び遠巻きにし始めていた空気の中で、日比野は平然と声を掛けてきた。

 ただし、その声色はちょっと緊張気味というか、震えの混じった声であった。

 秋水はキャンプの本から顔を上げ、声のした日比野の方へとその顔を向ける。

 

「はい、おはようございます、日比野さん」

 

 見てみれば、どこか引きつった顔で、僅かに背を丸めるようにして体を小さくしている日比野が、やあ、と片手を上げている。

 表情は、どこか暗い。

 ああ、なるほど。

 日比野もか。

 登校したばかりであろう彼の様子を見ただけで、秋水はすぐに察してしまった。

 

 

 

「筋肉痛ですか?」

 

「うん。あの、ホントにヤバいんだけど。50㎏ってちょっと舐めてたよ」

 

 

 

 日比野 道、50㎏の高回転ベンチプレスにて無事筋肉痛を発症する。

 昨日、ジムでベンチプレス80㎏の壁にぶつかっていた日比野に、重量を落として土台となる体幹の強化をしましょう、という助言を贈ったのだが、その日の内にメニューへ組み込んで行っていたようである。

 ジムの移籍といい、本当に行動力が高い同志だ。

 

「棟区さん的には、筋肉痛を早く良くする方法ってなにかある?」

 

 恐らく筋肉痛で痛むのであろう、大胸筋周りを片手で押さえつつ、日比野が引きつった表情で尋ねてくる。

 ああ、うん、やはり日比野もか。

 なんだか先週、全く同じような話題を、別の筋トレ同志にしたような気がする。美寧のことだ。

 重量を落として低負荷になったとて、回数をこなせばその筋トレボリュームは当然大きくなる。

 むしろ、低負荷を正しいフォームでじっくり行った方が、チーティングなどで他へと負荷が逃げない分、しっかりと筋肉を追い込むことができるのだ。

 特に、土台である体幹の筋肉には。

 まあ、筋肉痛は自分自身の弱さを知る道しるべである。秋水があれこれ口で説明するよりも、体幹の筋力が不足していたという事実を、これで日比野も痛感していることであろう。筋肉痛だけに。

 

「やはり、お風呂で血行を良くすることですかね」

 

「だよね。今朝もめっちゃお風呂に入ってきたよ」

 

「おや。ではドラッグストアなどで食品用の重曹を買って、大さじ2杯ほど浴槽に入れて入浴すると良いですよ。それから筋肉痛が起きている部分よりも広い範囲をマッサージして、とにかく血流を促進させましょう」

 

 キャンプの本を置きながら、華の女子高生である美寧に行うのは気が引けたアドバイスを、秋水はするりと説明する。

 筋肉痛が起きているということは、体が筋肉を修復しようとしている証拠だ。

 そうであるならば、修復する材料である栄養と、栄養を送り届ける血流、この2つが筋肉痛を早く改善させるため重要となってくる。

 

「あとは、食事はタンパク質を多めに意識していただいて、痛む筋肉を軽い範囲で動かし、体を温めて、しっかり休息することですね」

 

「なんて地に足が着いたマトモなアドバイス……あれ、そう言えば棟区さん、体を温めて血流を良くするんなら、もしかして湿布って冷感湿布ダメなの?」

 

「え、もちろん逆効果です。湿布を使うのであれば必ず温感にしてください。鎮痛成分はいらないので、安い温感湿布で面積をカバーしてください。むしろ可能であれば、カイロを使って暖めてください」

 

「うわぁ、ミスった!」

 

 思わず目を丸くして秋水が訂正を差し込むと、日比野は慌てて制服の首元に手を突っ込んで、大胸筋の上部辺りをもぞもぞとし始める。

 かすかに湿布特有の香りがする。

 なるほど、筋肉痛が酷いから湿布を使ったは良いものの、冷感湿布だったのか。

 冷感湿布は急激に痛み始めた初期に使うものであり、持続して使用すべきではない。

 あくまで秋水の持論ではあるが、冷感湿布を使う場面であれば氷を使って徹底的に冷やす方が先決だと思うし、温感湿布を使うのであればカイロで物理的に温めるべきだ、と考えている。湿布否定派というわけではないが、投じるコストと得られるリターンがあまり釣り合っていないんじゃないかなぁ、とは思っている。

 ずぼ、と日比野が制服の首から手を引き抜くと、そこにはやはり、湿布が握られている。

 

「……棟区さん、折り入って相談が」

 

「すみません、カイロは持っていないので」

 

「そんなぁ……」

 

 がくり、と日比野が肩を落とす。

 筋トレ同志の力にはなってあげたいものの、カイロを持っていない以上、物理的に助けられないのだ。

 さすがにポーションをプレゼントするわけにもいかないし。

 項垂れた日比野は、その動きで筋肉痛が襲ってきたのか、いたた、と胸回りを軽くさする。

 筋肉痛。

 それは筋トレ民の誰もが経験する、避けられぬ症状である。

 

 

 

「――いや、お前ら、なんで普通に仲よさそうなんだよ……」

 

 

 

 筋トレ民同士で和気藹々と雑談をかましていると、呆れたような、疲れたような、そしてどこか怯えたような、そんな声が背後から掛かった。

 そちらに目を向ければ、明るい金髪。

 チワワの飼い主、竜泉寺 沙夜であった。

 秋水が教室に入ったとき、はっきりとその顔が強張ったのは見えていた。

 しかし、今はどうだろう、なにか困ったような表情をしている。

 なんだろうか。

 仲が良さそうなのは、単純に同志だからである。

 筋トレという共通言語は、同じ鉄の苦しみに立ち向かう者にしか分からないのだ。

 それが沙夜を困らせる原因にでもなったのだろうか。

 秋水は首を捻ってから、ちらりと日比野へと視線を向ける。

 日比野は、まっすぐ沙夜へと向き直っていた。

 

「違うよ。よさそう、じゃなくて、仲が良いんだよ。棟区さんの全部を知らなくてもさ」

 

 ハッキリとした声。

 沙夜に語りかけるようで、教室の全てに聞かせるような、力強い言葉だった。

 秋水が顔を出してから静かになってしまった教室全体には、十分に響き渡る声量である。

 沙夜を見る日比野の目は、どこか鋭い、ような気がした。

 

 

 

「筋肉は、努力なくして、つかないからね」

 

 

 

「あの、日比野さん、アナボリックステロイド……」

 

「せっかくドヤ顔で決めさせてもらってるんだから、筋肉増強剤の話は止めようか棟区さん」

 

 思わずツッコミを入れてしまった秋水に、日比野はどっと疲れたように表情を崩した。

 鋭かった視線は、いつものような柔和な感じへと戻り、秋水へと向けられる。

 同時に、くしゃり、沙夜の表情が悔しそうに歪んだ。

 え、なにか煽り合いでもはじまったのだろうか。余所でお願いしたいのだが。

 すぅ、と沙夜が深く息を吸う。

 怒鳴られるのだろうか。

 秋水は反射的に内心で警戒態勢を取った。

 

「……本当に、変わってないんだな」

 

 しかし、沙夜は悔しそうなまま、小声で呟く。

 情緒不安定というやつか。

 吸った息を全て吐き出すように、沙夜は深くため息を吐き出して。

 

 ぱんっ、と気合いを入れるように、自分の両頬を叩く。

 

 昨日の紗綾音に引き続き、まさかの自傷行為。

 なんだなんだ。

 もしかして流行りなのか。

 だとすれば、ダンジョンアタックをしている秋水は最先端を走っていることになるが大丈夫か。

 沙夜の行動に秋水が目を丸くしている、その沙夜は顔を上げ、ぎっ、と秋水を睨み付けてくる。

 あらやだ怖い。

 睨まれるようなことをした覚えはないのだが、存在自体が睨まれて当然のゴミである。秋水は反射的に両手を挙げて降参のポーズをとった。

 

 

 

「今まで、ごめんなさい!」

 

 

 

 秋水が両手を挙げるのとほぼ同時、がばり、と沙夜が頭を下げて謝罪を入れてきた。

 おいヤメロ。

 女子中学生に頭を下げられる、190㎝近いヤクザ顔の大男。

 絵面が悪すぎて笑えない。

 

「はい。謝罪を承りました」

 

 なにを謝られているのか理解できないが、秋水は即座に沙夜の謝罪を受け入れる。

 受け入れるから、速やかに頭を上げて欲しい。社会的に死ぬ。

 そんな思いで両手を挙げたまま秋水は言うが、何故か沙夜は、ぐっ、と両手をきつく握り締め、拳を作る。

 パンチか。

 殴りかかってくるのか。

 どこぞのチワワには貧弱な力でぽこぽこ殴られることはあるが、沙夜のパンチ力はどれくらいだろうか。

 秋水は軽く身構える。

 しかし沙夜は、拳を握り締めたまま、頭を下げ続けていた。

 いや、だから絵面が悪い。

 

「……去年まで、ずっと棟区を避けてた。勝手に怖い奴って決めつけて、知りもしないで、ずっと仲間外れにしてた」

 

「はい。それは普通の反応ですよ」

 

「棟区には、酷いことばっかりしてきた」

 

「いえ。そんなことはありません。大丈夫ですよ」

 

「ごめんなさい」

 

「はい。その謝罪、承りました」

 

 ゆっくりと両手を下げてから、右手を胸に当てて秋水も軽く頭を下げる。

 そういう謝罪なら、学年末試験の前にしてもらっているはずなんだが。

 頭を下げつつ秋水は不思議に思うものの、今はとにかくこの場を収めることが先決だ。

 とりあえず、沙夜には頭を上げてほしい。

 そして、そんな苦しそうな声で、泣きそうになりながら、謝罪を口にするのは止めてほしい。

 

「――くっ」

 

 しかし、そんな秋水の願いとは裏腹に、沙夜は余計に苦しそうに小さく呻いた。

 なんなの。

 逆に怖いって。

 同級生に詫びを入れられているというシチュエーションが悪すぎて、秋水の背中に軽く冷や汗が出てきた。

 

「……棟区さん」

 

 沙夜がなにを謝っているのかよく分からず、軽く困惑してきた秋水に、助けの声が掛けられる。

 日比野だ。

 よし、とりあえず日比野にパスしよう。

 秋水はそう考えて頭を上げ、日比野の方へと顔を向ける。

 

「それは、普通じゃないし、大丈夫じゃないよ」

 

 パスしようと思ったら、日比野の方からもシュートを打ち込まれてしまった。

 いやいや。

 だから、なんなの。

 どこか悲しんでいるような表情を浮かべている日比野を見上げ、えぇー、と秋水は軽く戸惑ってしまう。

 そこに、がたっ、と椅子を跳ね飛ばすように誰かが立ち上がる。

 そちらに目を向けると、なにか気合いを入れたような表情の、覚王山。

 あ、イヤな予感。

 

「便乗するみたいで悪ぃけど、俺も!」

 

 覚王山は覚悟を決めたかのように、きっ、と秋水へと顔を向け、大きな声とともにズンズンと秋水に向かって歩いてくる。

 喧嘩じゃないことを祈るが。

 歩いてきた覚王山は秋水の前に立ち、怯むことなく秋水を見上げる。

 そして、勢いよく頭を下げた。

 

「俺も去年まで……いや、最近まで、悪かった!」

 

「はい、謝罪を――」

 

「勝手にビビって、勝手にお前のこと避けてた!」

 

「それは仕方のないこ――」

 

「棟区のことなんにも知らねぇのに、悪かった!」

 

 どうしよう、フォローを入れようとしても、まるで話を聞いてくれない。

 と言うか、なにを謝っているのかよく分からない。

 目の前に反社会的な奴がいたら、普通はビビるだろ。

 クマが目の前にいたら、普通は警戒するだろ。

 放射性廃棄物が転がっていたら、隔離して遠ざけるのは、当たり前のことじゃないか。

 

 最近が、異常なだけである。

 

 だから正直、なにを謝っているのか。

 沙夜と覚王山の2人に頭を下げられて、居心地が超絶悪すぎる。

 とりあえず謝罪を受け入れると言っても、何故か知らないが2人は納得していない様子。

 日比野は心配そうというか悲しそうというか、どちらかと言えば2人に対して同情的な雰囲気だ。

 他のクラスメイトは、こちらの様子を窺っているか、顔を背けているか。久しぶりに怯えの色が濃い感じがする。

 さて、どうしたものか。

 詰んでる気がしてならない。

 困ったな、と秋水は天井を見上げると、ガラリ、と教室のドアが勢いよく開かれた。

 

「みんな、おはよー!」

 

 そして、無駄に明るい挨拶が教室に響いた。

 そちらに視線を向けたなら、朝の早くから重たい雰囲気の教室に、「あれ?」と首を傾げているチワワ。

 その元気印の裾を、非常に気不味そうな表情をしながら掴んでいる少女。

 渡巻 紗綾音と、須々木 海霧の2人である。

 

 問題児が追加された、と秋水は改めて天井を見上げた。

 

 

 





 不当な扱いを受けて怒るのは、大前提として「これは不当な扱いである」「自分はもっと良い扱いを受けるべきだ」という認識が必要です。
 そんな認識、秋水くんには最初からないよ(・ω・`)
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