錦地 美寧の心拍数は、過去最高記録を叩き出しているかもしれない。
「く、口から心臓出てきちゃいそう……」
ジムへと向かう道、高鳴りまくって死にそうな胸を押さえ、深呼吸を繰り返しながら美寧は呟く。
今まで、こんなに緊張したことがあっただろうか。
試験のとき。比ではない。
受験のとき。比ではない。
発表のとき。比ではない。
ああ、緊張する。
今日はスーパーイケメンゴリマッチョヤクザフェイス孕ませヴォイス大先生に、バレンタインチョコレートを叩きつける日である。
しかも本命中の本命、ド本命チョコだ。
がっつりとラッピングしたチョコレート。
これはもう、見ただけで本命チョコだと分かるような代物に、お手紙まで挟んでいる。
重くならず、直接的なことは伏せつつ、今までの感謝を綴った、ロマンティックなお手紙だ。なお、朝に2回書き直した。
これで友チョコと思うには、きっと無理があるだろう。
つまり今日、実質的に、美寧は告白をする。
棟区 秋水。
美寧が恋い焦がれ、焦がれすぎてあらゆる問題を焼け野原にしてくれた、大好きな人。
大好き、で足りるだろうか。
いや足りない。
足りるわけがない。
好きで好きで堪らなく、好きを百並べようと千並べようと、きっと足りないくらいに大好きなのに、大好きよりも上の言葉が見当たらない。
なんて、詩的なことを考えるのは、きっと現実逃避である。
「おえー、頻脈で高血圧になるじゃんねー」
心臓を押さえるように胸をさすりつつ、大きく深呼吸。今日だけで深呼吸は何回しただろう。
ジムの看板は見えている。
スポーツバッグの肩紐を無意識に握り締めた。
トレーニングウエアと、グローブと、タオルと、水と、チョコが入っている。
「が、頑張れ美寧ちゃん……頑張るぞ私……」
ぶつぶつ呟いていると、ジムの前に到着した。
駐車場には、車が数台。
自分以外に、そして秋水以外に、人が居る。
んなことはどーでもいい。
「先生、もういるかな……?」
駐車場を突っ切って、ジムの扉の前に立つ。
スマホを持つ手が震えているのは、武者震いだと思い込む。
いや、まずはストレッチがてら軽く筋トレしつつ、大好きな先生の筋トレをフォームの確認と称しつつ胸やら肩やら背中やらお尻やらお尻やら脚やらお尻やら二の腕やらお尻やらの脈動する筋肉をじっくりねっとりしっかりばっちり舐め回すようにまじまじ見つめちゃうという通常の筋トレミッションがあるのだけどよくよく考えたら合法的にお尻をまじまじと直視しても大丈夫ってジムはもしかして危険でエッチな社交場なんじゃなかろうかと心配になってきたというか先生の貞操が心配になってきた。
扉の解錠するためのQRコードリーダーのアプリを立ち上げながら、す、と美寧は冷静になった。
心臓はドキドキと暴れ回っているが、思考が冷える。
――先生を狙うメスネコは、他にいるんじゃない?
いや、いる。
断言してもいい。
なぜならば、秋水はカッコイイからだ。
筋肉が素敵。
背が高い。
低音ボイスは子宮に響く。
礼儀正しい。
頭も良さそう。
そしてなにより、とても優しい。
こんな超絶ハイスペックイケメン、発情したメスネコが群がってきても何らおかしくない。
むーん、と美寧は眉をひそめて軽く唸る。
秋水が既婚者ならば、寝取って浮気の沼に沈めてやる。どこの泥棒猫と結婚したかは知らないが、こちらは華の女子高生だ。若い女の身体という魅力には流石の秋水でも逆らえなかろう、わははは。
では、恋のライバルがいるとするならば。
いいや、作戦は変わらない。
秋水を狙うメスネコを排除して、秋水は自分のものだと分からせてやるのだ。
秋水に発情するメスネコに分からせる。
そして、秋水にも分からせてやる。
「やっぱり、ラブホに連れ込むのが最強プランじゃんね……」
ぼそりと呟きながら美寧はジムの扉を解錠し、開く。
なお、ジムに足を踏み入れたときには、美寧の妄想の中で、ラブホテルのベッドに秋水を押し倒して無理矢理服を脱がせているシーンまでも緻密にストーリーを進めていた。真面目な顔して頭の中はドピンク極まりない女子高生である。
ジムの中は、まあまあ人がいる。
先週もこれくらいだっただろうか。
そんな気がする。
美寧はぐるりとジムの中を見渡した。
秋水は、いない。
ふむ。
エロいことを妄想したおかげで、ちょっと心臓も落ち着いて緊張が適度にほぐれてきている。
流石は秋水。美寧にとっての精神安定剤だ。違うと思う。
「よし、先に着替え――」
「おや、美寧さん、こんにちは」
「ようひゃいっ! おはようござそうろう先生!」
「ござそうろう?」
そんな大判焼きだか今川焼きだか回転焼きだかベイクドモチョモチョみたいな名前を口走りながら美寧は思わず跳び上がる。
秋水が来る前にトレーニングウエアに着替えておこうとした矢先、男性の更衣室側から颯爽と秋水が登場してきたのだ。
ばっ、と振り返れば、美寧と同じトレーニングウエアを素敵に無敵に着こなした、ムチムチボディの色男。
棟区 秋水。
本日も絶好調にイケメン過ぎて、驚きに跳ね上がった心臓が、逆に急ブレーキを踏んで止まりかけてしまうレベル。
生まれてくれてありがとう。生きていてくれてありがとう。尊い。
思わず無意識で拝みそうになるのを必死で堪え、美寧は即座に笑顔を浮かべる。
「にゅふ」
笑顔に隠しきれない本心が滲み出た。
先生が尊すぎて大好きで押し倒したいし押し倒されたいしベッドの上であれやらこれやら本能的に妄想しちゃうくらいのとんでもない色気振り撒きすぎのイケメンだから悪いじゃんねというかそんなにムンムンの色気を四方八方に拡散して他のメスネコが寄って来たら大惨事だからやっぱり私が直接的にマーキングして虎視眈々と先生を狙うメスネコどもに私のものアピールをしないと先生の貞操が危ないじゃんねでも最終的には私が先生の熱い想いでマーキングされちゃうんなら私が先生の女になっちゃうとかなにそれ無茶苦茶エロすぎて鼻血出そうなんだけどいやちょっと待って落ち着け内なる煩悩まみれの私よピュアピュアイチャイチャラブラブ路線を捨ててはいけないではなくて先生の前ではまだまだ清楚な美寧ちゃんアピールをして夜はドスケベなギャップで先生を沼らせよう大作戦をしなくちゃだから気持ち悪い笑顔は清楚な美寧ちゃんは浮かべちゃいけないんだけど先生のボディがえっちすぎて顔が勝手にニヤニヤしちゃうのどうにかしないと助けて先生いや駄目だ先生が原因じゃんね結論先生色男過ぎて大好きが溢れて止まらないから有罪で美寧ちゃんの愛の巣に無期懲役の禁固刑に処すから安心してね先生いっぱい優しくするからまずはベッドに横になってもらっちゃおうかなっ!!
「こんにちは先生、今日も早いね!」
「はい、こんにちは美寧さん。今日も元気いっぱいですね。でも、他の方もいらっしゃいますので、少し声のボリュームを落としましょうか」
笑顔には本心が滲み出るくせに、荒れ狂う内心のドスケベピンクは一切表に出すことなく美寧は気を取り直して元気に挨拶をする。
そんな美寧に対しても、秋水はいつものように丁寧な言葉遣いで紳士な対応だ。
うーん、今日もカッコイイ。
格好良すぎて、やはりちょっと心配である。
「では、今日は美寧さんは身体のストレッチを中心に行うということでよろしいですか?」
早速トレーニングウエアに着替え、準備万端となった美寧に、秋水は本日のメニューを確認した。
「うん。先生は先生で気にせず筋トレしちゃってていいからね。私はなるべく自分で頑張っちゃうから」
美寧は間髪入れずに頷いて返す。
そうである。今日は秋水にコーチをしてもらう日ではない。
秋水は秋水で、そして美寧は美寧で、それぞれバラバラに筋トレをしよう、という日でしかない。
名目上は、だけど。
だって、本当にバラバラに筋トレしたら、秋水が離れちゃうじゃないか。
「そうですか。でしたら――」
「あ、あのね先生!」
それでは、と秋水が離れる前に、美寧が先に待ったをかける。
秋水が何か言いかけていた気がするが気にしない。先制パンチだ先制パンチ。
「ただ、その……今日も、近くで先生の筋トレ、見てて、いい?」
少し震える声で、美寧は尋ねた。
ちょっと緊張して、そして恥ずかしくて、俯きたくなるのを堪えながら秋水を見上げる形となり、顔を赤くした美少女が上目遣いで男を見上げる構図となった。その美少女に上目遣いで見上げられる側である秋水の、顔面の凶悪さがなければ絵になる構図であっただろう。
断らないよね、とは思うのだが、どうしても緊張してしまうのは何故だろう。
フォームの勉強になるし、筋トレ種目の勉強になるし、と言い訳を準備しつつ、ドキドキしながら秋水の言葉を待つ。
「はい、構いませんよ」
そしてやはり、秋水はあっさりと受け入れてくれた。
優しい。
好き。
ぱぁ、と美寧の表情が明るくなる。
近くにいたそこそこ筋肉質の男性が、口の中に架空の糖質が、と口をもにょもにょとさせている。
「むしろ、私からの提案をよろしいですか?」
今度は秋水から尋ねられる。
え、と美寧は一瞬声を上げてから、すぐに頷いた。
「うん」
「合トレをしましょう」
「合トレ?」
「はい、合同トレーニングです」
そして秋水の口から出てきたのは、聞き馴染みのない言葉であった。
合トレ。
合同トレーニング。
一組になってトレーニングしましょう、と文字通りの意味ならば、それはすなわち、いつもの筋トレということだろうか。
秋水が先生。
美寧が生徒。
正に二人一組の合同だ。
はて、と美寧は首を傾げた。
「いいけど……先生が筋トレ見てくれるって、ことだよね?」
「そうですね。そして、逆もあります」
「逆?」
続いて反対側に首を傾げる。
逆ということは、秋水の筋トレを見ていていい、ということか。
それは嬉しいけど。
美寧自身が願ったことだけど。
互いに互いの筋トレを見る。それが合トレ、というやつなのだろうか。
微妙に意味が理解できていない美寧に、ふ、と秋水は小さく苦笑を漏らす。
え、やだ、なにその大人っぽい苦笑い。ちょっと可愛いんですけど。
「私が美寧さんのストレッチをサポートします。そして、美寧さんも私の筋トレのサポートをお願いします」
「へ?」
サポート?
見る、ではなく、サポート?
え、先生の筋トレを近くどころか至近距離で舐め回すようにねっとり見つめて、なおかつお手伝いしちゃっていいの?
私が?
初心者なのに?
「美寧さん、今日の私たちは対等な関係です。同じ筋トレをする仲間です」
「ほへ?」
「今日は、互いに助け合いましょう」
「ぺ゛?」
美寧は、常に秋水に助けられる側だった。
いつも、秋水に救われてきた。
だってそうだろう、精神的に成熟しているのは秋水で、筋トレに対して造詣が深いのも秋水で、大人の余裕たっぷりなのも秋水で。
それに比べたら美寧はただの小娘でしかない。
精神的にはボロボロで、筋トレに対しては初心者で、そして秋水を前にしたら余裕なんてものはまるでない。
そんな自分が、秋水と、対等な仲間。
それってつまり先生は押し倒す側だけじゃなくて私に押し倒される側の覚悟もできてるよっていう暗黙のサインなのかなとか勘繰っちゃうんですけどというかお互いに対等な関係ってそれはもう愛し愛されラブラブカップル通り越して結婚じゃんね夫婦じゃんね互いに互いを助け合う奥様旦那様の関係じゃんねってちょっと待って妄想が止まらないんですけどなにそれなにそれ落ち着け私って念じても全く効果ないんですけど以前の問題として私が先生の筋トレをサポートするってそれはつまり先生の筋トレのすぐ近くで手助けできるようにしなきゃだから先週以上に先生の間近で大隆起する先生のエロ筋肉を見せつけられるっていうことだから待ってよ私鼻血出さないように我慢できるかなじゃなくって死んでも鼻血我慢しなくちゃだから超絶試練じゃんねでも死んだから先生の筋肉拝めないから死にたくないし究極的には鼻血を出さずに死なないようにしなくちゃって無理難題じゃんねちょっとハードル高すぎなんですけど先生!?
美寧の脳内は絶好調でフル稼働していた。
なお、桃色である。
「美寧さんにお願いしたいのはカウントです。回数を意識しないだけでもかなり助かります」
「う、うん」
「それから最後、持ち上げきれなくなったときに手助けをしていただければ」
「び、微力ですけどお力添えを誠心誠意努めさせていただきます」
ガチガチに緊張しつつ、美寧はこくこくと頷く。
こちら美寧お得意のフリーウエイトのコーナー。
並んだトレーニングベンチの1つ、その上に秋水が腰を下ろしている。
座る秋水の隣に立つと、流石に美寧の方が視点が高い。秋水を見下ろすというのも変な気分だ、イヤらしい意味ではなく。
そして、秋水の手にはデカいダンベル。
50㎏である。
太ももの上にダンベルを乗せているけど、痛くはないのだろうか。それが大丈夫なら秋水の膝の上に自分が乗っても大丈夫ってことだよね、と美寧は目を丸くしながらまじまじとダンベルを見つめる。
わあ、エロい。
「50㎏のダンベルはあまり使われませんから、他のダンベルより綺麗ですよね」
あまりに美寧が、じっ、と見ていたせいか、秋水がダンベルを軽く撫でて苦笑い。
おいダンベル羨ましいなお前ちょっとそこ代われ。
「今から行うのはダンベルフレンチプレスと言いまして、二の腕の筋肉を鍛える種目になります」
「二の腕……二の腕っ!?」
「おっと、やはり食いつきますか」
秋水の太ももを堪能しているダンベルにちょっと嫉妬していたところ、これから秋水が行う筋トレの内容を聞いて、美寧は目を丸くしたまま勢いよく秋水の顔へと視線を上げる。
二の腕って、あれか、力こぶの裏側。
振り袖だよ、脂肪の振り袖部分。
今は冬だから良いけれど、夏場の薄着になったら目立っちゃうところ。
気を抜いたらプニプニしだして、最悪の場合は乙女として脂肪案件、もとい死亡案件になってしまう二の腕の筋トレですと?
「なるほど、つまり私が覚えるべき筋トレ種目……っ!」
「ああ、いえ、上腕三頭筋の長頭でしたら、美寧さんの場合はダイヤモンドプッシュアップを行っていますので十分に――」
「さて先生、さっそく始めて始めて。回数数えるね。前に立てばいい? 後ろに立てばいい?」
秋水の前に後ろにパタパタ動きながら美寧は待ち構える。
んー、と秋水は鼻を少し鳴らしてから、まあいいか、と一人で頷く。
「それでは後ろで構えてください。背中側でダンベルを動かしますので」
「分かった、背中だね」
「そういえば、女性は二の腕を気にされる方が多いですね」
「そりゃそうじゃんね先生。お腹と二の腕と首回りは、女が気にする脂の場所だからね」
「首回り、ですが」
「二重アゴってなったらイヤじゃん」
「美寧さんのフェイスラインは綺麗ですよ」
「ぴ゛ゃ゜゛」
急に秋水に褒められて殺されかける。
フェイスラインが綺麗だって。
もしかして、先生は私の顔が綺麗だって言ってるのかな!? こんな性格滲み出るブスなのに!?
わぁ、と美寧の心が跳ね上がる。
チョロい。
チョロいな。
分かっちゃいるが、ちょっと秋水に褒められるだけで簡単に嬉しくなってしまう。
秋水の後ろで美寧がむにむにとニヤけてしまう頬をマッサージしていると、秋水が胸を張るように肩甲骨を寄せ、肩を落とす。
あ、始まる。
まだ口の端が喜びで上がってしまってるままだが、美寧もつられて構えた。
「では、カウントをよろしくお願いします」
「OK、任せて」
50㎏のダンベルが持ち上がる。
秋水の両手で持たれたダンベルが、その頭上を通り過ぎ、背中側に構えられた。
なんだろう、不思議なスターティングポジション。
両肘を耳の横まで上げる。
ダンベルの端を両手で持って、それは背中に下ろされる。
あ、そこから持ち上げるんだな。
何故だろう。
秋水のスタートポジションを見て、少し遅れてから、これから行われるであろうトレーニング動作がぼんやりと認識できた。
頭の上に上げた両肘は、脇を閉めるようにしてしっかり固定。
その肘から背中に下ろされたダンベルを、頭上に持ち上げる、のだろう。
まあ、二の腕の筋肉に対するトレーニングだから、そういう動きになる、はずだ。
しかし、どういう動きをするのか、秋水は一切説明していない。
最後の方は少し補助を入れて欲しいと言ったにも関わらず、だ。
「ふっ」
そして、予想通り、秋水は背後に下ろしたダンベルを頭上に持ち上げた。
頭上の肘は動かさず耳の横に固定した肘は動かさず、肘どころか座ったままで上半身は全くブレさせず、肘から先だけ動かす。
これが、なんだっけ、ダンベルフレンチプレスだったか。
「いち」
遅れて美寧がカウントしたら、それに合わせるように秋水はゆっくりとダンベルを再び背後に下ろしていく。
肘から先だけ動かす。
頭上の肘はやはり動かさず。
しっかり下ろして、切り返し。
再びダンベルが持ち上げられる。
「に」
カウントする。
ダンベルが持ち上げられるとき、動いているのは二の腕の筋肉。
長袖のコンプレッションシャツで隠れているのに、パツパツのぴっちりしているものだから、後ろからでも筋肉の動きが良く分かる。
「さん」
3、4、5、6、7、8、9、10。
ダンベルが上がり、下がる。
繰り返されること10回。
秋水の姿勢はまだブレない。
凄い。
頑張れ。
カウントをしながら、美寧は心の中で応援する。
自分の筋トレを見ているとき、秋水も同じ気持ちなのだろうか。
ふと、そんなことを考える。
そうだとしたら、嬉しい。
こんな気持ちで秋水から応援してもらえているのだとしたら、それはなんて幸せなことなんだろう。
11、12、13、14、15、16、17、18。
秋水の上半身が、少しブレた。
それを秋水自身も自覚したのか、ふっ、と小さく息を吐きながら腹圧を入れ直す。
「じゅう、きゅう」
背面に下ろしたダンベルを頭上に持ち上げる。
最初よりもゆっくりだ。
肘が少し動きかけたのを、秋水は自らコントロールするように脇を締め直す。
「に、じゅう」
そろそろ限界だろうか。
美寧はそっと手を差しだそうとして、止めた。
頭上に持ち上げた50㎏のダンベルが、ゆっくりと背面に下ろされる。
秋水は大きく深呼吸をして、改めて腹圧を入れ直す。
首筋に、汗が滲んでいる。
ぐ、とダンベルが再び持ち上がる。
ゆっくり。
肘が少しブレたが、それでも反動などを使うことなく、上腕三頭筋の力だけでダンベルが上がっていく。
「にじゅう、いち」
そして、ダンベルが秋水の頭の上に。
美寧はすぐに手を出して、上げられたダンベルを下から支えるように持つ。
「重たっ!?」
50㎏だから当たり前である。
いや、秋水が持ち上げている分だけ軽いはずだから、50㎏以下なんだけど、重たい。
「はぁ……はぁ……はぁ……」
言葉を返す余裕もないのか、腹筋の力を緩めた秋水が荒く息をしつつ、背面ではなく前方、太ももの上へとゆっくりとダンベルを下ろしていった。
なるほど、終わりか。
美寧はダンベルの移動を補助するように、そのダンベルが秋水の太ももの上に乗せられるまで下から支え続けた。
サポートするというのは、こういう感じでいいのだろうか。
具体的な方法を秋水は言っていなかったが、自分が限界のときは秋水がこうやって支えてくれてたな、と思い出しながら手を差し伸べたけれど、これで良かったのだろうか。
ちらり、と美寧は秋水の顔を見た。
「はぁ……ふぅ……完璧ですよ、はぁ……美寧さん」
に、と秋水が笑ってくれた。
笑った。
秋水が笑った。
美寧は思わず目を丸くする。
苦笑じゃない。
口元だけだけど、はっきりと秋水が、笑ってくれた。
疲れて、息も上がって、汗が浮き上がっているのに、秋水の笑みは、どこかすっきりとしたものだ。
どくり、と美寧の心臓が大きく跳ねる。
ちょっと、反則なんですけど。
「あまり説明をしなかったのですが……ふぅ、しっかりサポートに回ってくださいましたね」
「え?」
「筋トレを、よく理解されてきている証拠です。偉いですね、美寧さん」
その笑顔はすぐに戻され、置いていたタオルで汗を拭きながら告げてきた……いや、秋水は褒めてくれた。
あ、と美寧は中途半端に口を開けて驚く。
そうだ。
秋水はダンベルフレンチプレスがどういう動きの筋トレかを説明しなかった。
そして、どういうタイミングで、どういうサポートをして欲しいかを、説明していなかった。
それは、わざとだったのか。
美寧が筋トレの基礎的なことを習得したのだと、信じてくれたから、だと自惚れてもいいのだろうか。
ああ、やだ。
イケメン過ぎて、ますます好きにさせてくる。
今でさえいっぱいいっぱいだというのに、これ以上好きにさせてどう責任とってくれるというのか。なるほど結婚ですね、分かります。
きゅん、と思わずときめいてしまった心臓を押さえて絶句してしまう美寧を横目に、秋水はお馴染みのペットボトルに手を伸ばす。
いや、伸ばしかけて、ピタリと止めた。
「……今日は合トレだしな」
そして、ぼそりと何かを呟いてから、ペットボトルに伸ばしかけていた手を引っ込めた。
あれ、水分補給をしないのだろうか。
「それでは、私の息が整う間、美寧さんのストレッチをしましょう」
「え?」
「合トレはセット間休憩を兼ねて交互にサポートに入ると効率的ですからね」
そう言って秋水はダンベルを持ち上げながらトレーニングベンチから立ち上がる。
え、座っていいの?
さっきまで先生が座ってたところに?
ふーん。
えっちじゃん。
秋水が変な気を遣ってベンチを拭くとかいう勿体ないことをしでかす前に、ささっ、と美寧は素早くトレーニングベンチに座る。
暖かし。
これが先生の体温。
どすりと床にダンベルを置く秋水の後ろで、美寧はにんまりと笑った。
そして、秋水が振り返る。
「では、今日はストレッチの補助に入りますね。手を握らせていただきます」
「ぴ゛ゃ゜」
さて、ストレッチ補助に秋水が入るということは、秋水に手を握られたり背中を押されたりベタベタ触れてきてくれたり、ということである。
美寧にとって、筋トレのジャイアントセットよりも過酷な幸せの試練が、始まった。
おてて握られちゃってるー! 手汗ヤバくないかなこれ!? しかも結構強めに握られた上に引っ張られてるけどこれってグイグイ引っ張ってくれる俺様系の系譜を物理的に感じられて良きかなじゃなくてモモ裏とお尻と背中の筋肉が一気に伸びるけど幸せすぎて私の寿命まで延びそういや幸せすぎて逆に死んじゃいそうじゃんねー! ふぁー!? 今度は背中を押してくれるー! なにこれエッチいー! 肩甲骨のその辺りってブラが通るところだから実質先生がブラジャー外してくれるときの予行演習みたいな感じじゃんねー! 背中が伸びるよー! え、今度は大胸筋のストレッチ!? にゃー!? 肘持たれると二の腕がってそうじゃなくて背中側へ横開きにストレッチされると胸の筋肉が伸びて気持ち良いんだけど気持ち良いからこそ先生に気持ちよくされてエッチな気分になっちゃうじゃんねー!? いやいや待って待って胸のストレッチっておっぱい見せつけてる感じになっちゃうから恥ずかしい上によく考えたら反らしてる胸を確認する感じで先生におっぱい見られちゃってるから興奮してきちゃうから隠したい気持ちが2割にもっと見て欲しい気持ちが9割で複雑な乙女心が1割はみ出しちゃってるじゃんねー! みゃー!? 足はダメ足はダメ足はダメそれは流石に絵面がえっちすぎて録画して永久保存版にしなきゃ神罰喰らっちゃうレベルっていうか足を先生に押さえられると今から本番ゴールインの妄想が一層リアルな感じになりそうでちょっと先生そのまま私の足を無理矢理開いてダメに決まってるでしょ静まれ内なるエロ美寧ちゃん今の私は清純派美寧ちゃんなんだから許さないけど体勢ヤバくて困っちゃうけど太ももの前の筋肉伸びるの凄い気持ち良いじゃんねー!
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美寧ちゃんの長文妄想マシンガントークは、だいたい500文字以内におさめようと頑張っていますが、なかなか500文字以内にならんとです( ´-ω-)
原稿用紙からはみ出す暴走トークのせいで、気がつけば「鎬さんVS日本政府」の1話分と同等量の文字数になりました。
……日本政府の苦悩と美寧ちゃんの妄想が同じ文字数だと(゚д゚!?
あ、ちなみにダンベルフレンチプレスで50㎏は素で化け物です。よい子は真似しちゃダメだぞ(`・ω・´)←ダンベルフレンチプレス20㎏限界民
次話は、本番で、決戦。