「がはっ!?」
防御するもなにもない。
次の瞬間、秋水の体はダンジョンの壁に叩きつけられていた。
なにが起きたか。
分かってる。
スライムに体当たりされた。
スライムの体内で魔素反発の魔法を発動させ、爆殺戦法を行った直後、残り2体のスライムの近い方が、秋水に勢いよくタックルを仕掛けてきたのである。
モロに喰らった。
直撃だ。
避ける間もない高速タックルは、驚くことに、角ウサギご自慢の角突きタックルよりも速い。
自動防御みたいな身体の反応が、そもそも間に合わない。
それ以前に、気配察知すら間に合っていない。
いつも暢気にぽよんぽよんとのんびり動いているスライムとは打って変わり、超高速の一撃。
重たい。
鋭い。
痛い。
これで角ウサギのように角があったら、間違いなく一撃必殺であろう。
「ふっ……ぐんぎっ!!」
身体強化と武装強化を貫いて襲いかかってきたダメージに、秋水が思わず笑みを零した瞬間、目の前に水色のデカい水饅頭の姿がカットイン。
もう1体のスライムが、タックルを仕掛けてきた。
秋水はそれを即座に両腕をクロスさせて防御。
大質量が、超高速の突撃。
しかも壁に叩きつけられた状態で、衝撃の逃げ場なし。
ギリギリ間に合って防御が間に合ったが、あまりの衝撃に再び秋水の体が壁に押しつけられ、両肩の骨から嫌な音が響いた。
響いたというか、ヒビがいったというか。
武装強化の魔法がなければ、今ので完全に両腕が潰されていただろう。
まあ、潰されるのが防げたところで。
ずぶり、とスライムの身体が、押し潰した秋水の体を取り込もうとする。
「コーティングッ!!」
スライムの攻撃はタックルだけではない。
体内に取り込んでからの、溶解攻撃。
それを防ぐため、秋水はすぐに魔素反発の魔法をスライムに取り込まれかけた両腕に発動させる。
直後、秋水の腕を取り込もうとしていたスライムのぷにぷにボディが弾け飛ぶ。
体内で爆弾でも炸裂したかのように爆発が起こり、スライムの巨体が吹き飛ぶ。
ついでに爆発に巻き込まれた秋水の体も、壁を削るようにして横滑りで吹き飛んだ。
モンスターの体内に武器をねじ込み、内部から魔素反発の魔法を発動させる爆殺戦法。
秋水は勢いよく地面を転がりながら、にぃ、と獰猛な笑みを浮かべる。
いつもゴミ処理をしてくれてありがとうスライム。
俺も取り込んで溶かしたいなら、どうぞご自由に。
「中から爆破してやるからなぁ!」
魔素反発の魔法は本来、スライム対策として生み出した魔法なのである。
打撃も斬撃も衝撃を吸収し、身体に取り込んだものは問答無用で消化する。
そんなスライムへの攻撃手段は、やはり魔法による攻撃だ。
魔力を用いて、スライムの体を構成する魔素に直接影響を与える攻撃魔法。
魔素を押し退ける魔法。
思いつきで生み出した魔法だが、その効果は実に覿面だ。
「やっぱ物理現象に変換するのってロスがデカいだ、ろっ!!」
地面を転がる勢いが弱くなったタイミングで、秋水は思いきり地面を殴り、無理矢理体を跳ね上げる。
スライムは3体。
最初に剣鉈で爆破したスライムには大ダメージ。しかし、魔素をキラキラと零しながらも健在。
次に爆破したスライムは、あまりダメージなし。もうちょっと腕を食わせてから爆破すべきだった。
そして最初に突撃してきた、無傷のスライム。
そいつが、目の前。
「速くて良いねっ!」
体は跳ね上げたが、秋水自身はまだ空中で横滑りの真っ最中。
右足周りの武装強化の魔法から、魔力を一部借用して反射的に色を落とす。
「コーティング!」
突撃しようと急接近してきたスライムを迎撃しようと、魔素反発の魔法を右足に施し、しまった、と秋水は即座に失策を悟った。
爆殺戦法を行うなら、スライムの体内に脚なりバールなりを侵入させる必要がある。
魔素反発の魔法を施すタイミングが早かった。
いや、防御と割り切れば、早く発動させるに越したことはなかったかもしれない。
しかし。
「のわっ!?」
そもそもスライムは、突撃してこなかった。
秋水の目の前に迫ってきていたスライムの体が波打って、そこから秋水目掛けて触手が伸びる。
うわキモ。
いつもは捕食のため、10㎝かそこらしか伸ばさない触手をたっぷり伸ばし、秋水の左足を絡め取る。
魔素反発の魔法を施していない方の足を取られた。
偶然か、それとも魔素反発の魔法をスライムが悟ったのか。
それを考えるよりも先に、秋水の体が思いきり引っ張られる。
「おのわあああああああああいっ!?」
左足を捕らえた触手をぶん回し、見事なスイング。
秋水の体が宙を舞い、勢いよく地面に叩きつけられた。
ガゴンッ、と嫌な音がヘルメットから響く。
割れたか。
いや、大丈夫そう。
「はなせいやっ!」
叩きつけられて地面に伏した体勢のまま、左足を捕らえたままのスライムの触手を、魔素反発を施した右足で思いきり蹴りつける。
剥がれない。
秋水は即座に地面に両手をついて、ジャンピングプッシュアップの要領で地面を突き飛ばして跳躍する。
直後、べじゃんっ、と秋水が倒れ伏せていた場所を狙い、スライムの触手が鞭のように叩きつけられた。
スライムの触手、3mくらいは軽く伸びるし、捕まえるだけじゃなくて武器としても普通に使ってくる。
これだよこれ。
最高だ。
小ダメージを与えた先程のスライムが、仕返しとばかりに伸ばして殴りかかってきた触手を間一髪で回避できた。
脳裏がヒリつく感覚に、にぃ、といつもの笑みを秋水は浮かべる。
「ぶなのきいいいいいいっ!?」
そんな余裕など与えるつもりはないと言わんばかりに、左足を捕らえていた触手が再び振るわれ、秋水の体がまたもや宙を舞う。
ぶん回され、今度は壁に叩きつけられた。
「ぐふぁっ!?」
モロに背中から激突し、強制的に息を吐き出す。
若干、血の味がするのは、たぶん気のせい、ということにしておこう。
いや、背中のソフトプロテクターがなければ、血の味どころの話じゃなかっただろう。武装強化の魔法を施していたところで、今の衝撃は硬いハードプロテクターであれば、きっと大ダメージだ。
つまり、今のこれは大ダメージではない。
良いね。
最高だ。
怯むことなく秋水は顔を上げる。
「どふっ!?」
上げた直後、鞭のように振るわれた触手が、秋水の胸部を強かにぶん殴る。
左足を捕らえているスライムではなく、先程地面を叩いたスライムの第2撃。
防御は間に合っていないが、胸部のソフトプロテクターと武装強化の魔法、そして身体強化の魔法によって、致命傷は防げている。
ただ、致命傷は防げているというだけで、骨がやられた感覚はある。
それに、口の中の血の味が、より鮮明に、ハッキリと感じられた。
「よお! お手々繋ごうぜぇ!!」
しかし、秋水はやはり怯まない。
むしろ先程よりも色濃く、猛獣どころか悪魔の如き笑みを浮かべながら、自身の胸を叩きつけたスライムの触手を両手で捕まえる。
左足が三度引っ張られた。
「道連れぃやっほおおおおおおおっ!!」
壁から地面へ叩きつけようと、秋水の左足を捕らえた触手を振るわれて、バンジージャンプかのように秋水の体が飛ぶ。
だが、秋水はそれでも胸部を叩きつけたスライムの触手を手放さず、左足に魔力を集中。
「コーティングッ!」
すかさず左足に魔素反発の魔法を発動させた。
左足を捕らえていた触手の拘束が、わずかに緩む。
弾き飛ばせるほどではなかったが、それで十分だとばかりに秋水は魔素反発の魔法をかけたままの右足で、再度触手を蹴り飛ばす。
左足が抜けた。
あるいは、すっぽ抜けた、と表現すべきか。
振り回されていた最中、秋水とスライムを繋いでいた触手から強引に脱出したせいで、そのままの遠心力で秋水の体があらぬ方へと吹き飛んでいく。
だが大丈夫。
そのために、もう1体のスライムの触手を掴んでいるのだ。
「たしかこいつはショットガン――っ」
両手で捕まえていた触手を、秋水は空中を舞いながら勢いよく引っ張った。
背中の筋肉から嫌な感じの音。
広背筋を部分強化すべきだったか。
そんな反省半分、鈍い痛みに喜び半分、思いきり触手を引っ張って、秋水の体は軌道変更。
鞭のように触手を振るっていたスライム目掛け、勢いをつけて加速した。
体を丸め、両足をスライムに向ける。
タイミングは、怖ろしいほどに完璧だった。
その体勢のままスライムへと一直線に突っ込んで。
「――ドロップキイイイイイイイイイックッ!!」
一気に体を伸ばすようにして、両足でドロップキックを叩き込む。
ショットガン・ドロップキックはプロレスの技であり、リングロープの反動をフルに使って叩き込むドロップキックのことなので、どう考えても今の秋水が放ったドロップキックは間違いである。そもそも正式な話をすれば、ドロップキックですらない。
そんななんちゃってドロップキックである両足蹴りをスライムに叩き込めば、両足に魔素反発の魔法をかけっぱなしにしていた効果もあり、触手を鞭として秋水をぶん殴っていたスライムが綺麗に吹っ飛んだ。
結構な威力。
空中で引っ張ったときに、スライムの体が持ち上がるのではなく、秋水の体が引っ張られたということは、質量的にスライムの方が重いか、もしくはスライムの下部、地面との接地面で地面にくっ付くためのなんらかの力が発生していたと考えられる。
それを無視して、文字通り蹴り飛ばした。
これが魔素反発の魔法の威力か。
対スライム用として考案した魔法が、想定以上の効果を発揮していることに、秋水は思わず感心してしまう。
直後。
「ごぶっ!?」
ドロップキックから着地をするより先に、横薙ぎに払われた触手で秋水の体が殴り飛ばされる。
左腕で受けた。
ショルダープロテクターとエルボープロテクターの中間部分。
防御が薄くなっている箇所への一撃だ。
「ごっ、がっ」
真横に吹き飛ばされ、秋水の体が地面を無様に転がっていく。
岩の段差にぶつかって、僅かに宙を舞った。
こりゃ骨折れたな。
殴られ、転がり、その状況の中でも秋水は異常なほど冷静に自身のダメージを分析している。
プロテクターのない部分への打撃。
なるほど、触手の一撃によるダメージは、武装強化したライディングジャケットの生地と、身体強化で底上げした防御力だけでは、全く防げないということだな。
左腕の骨折を自覚しつつ、秋水は背中から地面に落ちる。
「ぐふっ!」
体勢を立て直す暇もなく、次の一撃が容赦なく振るわれ、再び秋水は地面の上を吹き飛ばされた。
またもや横薙ぎに振り払われた、触手の鞭。
攻撃スパンが短い。
先程の一発は、左足を捕らえていたスライムの、伸ばしっぱなしだった触手の鞭であろう。
であれば、今の一撃は、両足蹴りをぶちかましたスライムの触手か。
あるいは、最初に爆殺戦法でダメージを与えた方の個体が、攻撃に参加したという可能性。
OK。
3対1ですら、相も変わらず勝ち目ゼロ。
怖ろしく冷静な判断であった。
滑るように地面を転がりながら、その勢いが軽減されるのを待つなどという悠長さもなく、秋水は即座に地面を蹴り飛ばして強引に吹っ飛ぶ方向を変更する。
無理矢理体を跳ね上げれば、次の攻撃が来ることが嫌でも分かる。
いや、見えた。
いつの間にか近くにいた、もしくは秋水がピンボールかの如くボコボコと殴り飛ばされて移動させられていたのか、最初に大ダメージを与えたスライムが突進してきている。
足など存在しない丸い水饅頭ボディ。それをゴムボールかのように脈動させて跳ねて飛ぶ。
いや、文字通り、跳ぶ。
角ウサギよりも素早い、スライムタックル。
「ぬめらにあんっ!!」
着地するより前に衝突してくるスライムを、秋水は肩と背中の筋肉で無理矢理前に上げた左腕で押し止めるようにして受ける。
左腕の骨が折れているであろう部位から、聞こえちゃいけない類いの歪な音がした。
これは使い物にならなくなったな。
そう思う間もなく、スライムは秋水の左腕を押し潰し、そのまま秋水もろとも壁に激突した。
「ぎんっ……関節可動域が広がったなぁ!」
左腕はあらぬ方向に曲がった。
いや、関節が存在していない位置から曲がった。
しかし、スライムと壁に押し潰されるような形となったものの、左腕が潰されることで、だいぶ衝撃が緩和できている。これはいわゆる、車のクラッシャブルゾーン。
左腕の犠牲だけでは殺しきれなかったスライムタックルの衝撃で、ただでさえヒビが入っていたヘルメットのバイザーが大きく割れた。
防具は壊れてナンボ。
壊れた分だけ、ダメージを吸収できたということ。
つまり、左腕も同じこと。
ならば良し。
壁に押しつけられながらも、秋水は無理矢理右腕を動かし、押し潰してくるスライムをぶん殴る。
「ま、効かねえかっ!」
右の拳は、難なくスライムのぷにぷにボディに受け止められる。
受け止められる、どころか。
ずにゅ、と右手が、沈む。
「お?」
引きずり込むように引っ張られる感覚に、秋水は思わず疑問の声を上げる。
右腕が、飲み込まれていく。
ついでに折られた左腕も、飲み込まれていく。
スライムの体に誘われるように、体が少しずつ取り込まれているのだ。
なるほど、このまま取り込んで、溶かして、捕食するつもりか。
えーっと。
食われ始めたというのに、まじまじと秋水は自分を取り込んでいくスライムの様子を確認してしまった。
秋水から見て左側より、キラキラと光る魔素が漏れ出ている。
コイツは間違いなく、剣鉈の持ち手を突っ込み、最初に爆破してダメージを与えたスライムであることは間違いない。
「学習しようぜお前」
意図せず舞い込んできたチャンスに、秋水は笑みを零した。
高揚感が抑えきれない、悪魔の笑みだ。
左腕は熱いばかりで感覚がない。
感覚がないせいで、武装強化の魔法が綻んだのか解除されたのか、じゅわじゅわとスライムの体内で溶かされ始めていた。
ライディンググローブと、ライディングジャケット、ご臨終のお知らせだ。
秋水は動く右手を、スライムの体内でゆっくり開く。
動き辛い。
非常に粘度の高いジェルの中で動かすような抵抗を感じる。
しかし、秋水の右手はしっかりと開いた。握力も鍛えていて良かった。
す、と秋水は短く息を吸う。
仲間のスライムが捕食中だからか、残り2体のスライムの触手による追撃はない。
好条件だ。
秋水は即座に魔力を操作し、魔法を操る。
身体強化の魔法を、完全にオフ。
次いで、武装強化の魔法まで、完全にオフ。
そして。
「回収っ!!」
スライムの体内で発動させたのは、魔素回収の魔法。
魔素反発による爆殺戦法ではなかった。
魔素を吸い取る、魔素回収の魔法だ。
それを、右手に魔力を一点集中させ、100%の全力発動。
スライムの体が、ぎちっ、と固まったのがハッキリ分かる。
ぷよぷよした体が、一気に引き締まる。
しかも、90㎝ほどのスライムの大きさが、80㎝以下まで、ぎゅ、と急速に縮んだ。
全力発動こそしたものの、魔素そのものはあまり取り込めてはいない。
魔素を回収する引力よりも、スライムの体を形作っている魔素が高密度に圧縮されながら結合している力の方が高いのだろう。
綱引きで言えば、秋水の負け。
だが、魔素そのものを引き剥がして吸収こそできていないものの、モンスターの体内で、モンスターを構成している魔素を直接引っ張っているのだ。
圧縮袋の空気を抜くように、無理矢理魔素の密度を急上昇させ、モンスターの体を圧縮させる。
「からのっ!」
スライムの体を硬化させ、わずかに吸い取れた魔素を、秋水自身が取り込んでしまう前に、魔力の流れに沿わせるようにして、ライディンググローブの中でぐるりと反転。
吸い込んだ魔素を魔力に直接乗せたまま、その魔力と魔素へと色を一気に付け直す。
魔素回収の魔法、を上書き。
「大・反・転っ!!!」
今度は魔素反発の魔法を、同じく100%の全力発動。
やってることは、剣鉈にトドメを刺した自爆型爆殺戦法と同じである。
しかし、今度は全力。
遠慮なしのフルパワー。
身体強化と武装強化の魔法に回していた魔力リソースを全てつぎ込み、魔素反発の魔法とする。
しかも、魔素回収の魔法で無理矢理圧縮して硬化させた体内から、吸い取った魔素を上乗せした最大出力の爆殺戦法。
その結果は。
スライムの体が、内側から爆散した。
「づぐうっ!?」
その爆破の衝撃を至近距離からモロに浴び、しかも背後の壁のせいで衝撃が逃がせない。
ごっ、と全身を再び壁に叩きつけられ、体中から悲鳴が上がる。
身体強化の魔法も、そして武装強化の魔法も切っているのだ。
防御力は、完全にライディング装備に依存している状態である。
なお、ヘルメットのシールドは衝撃で完全に砕け、破片が右目に突き刺さった。
他の装備の損傷具合は不明。
それを考えられるということは、元気な証拠だろう。
「がっばっはっはぎっ!」
目の前で破裂したスライムを、左目だけで確認した秋水は思わず笑い声を上げたものの、意味不明。
ああ、ネックガードが喉に刺さっている。上手く言葉が出やしない。
ついでに、爆殺戦法の起点としたライディンググローブは弾け飛び、ライディングジャケットも右肩の近くまで吹き飛んでいた。
右腕はまるで火に炙られたかのように爛れているが、動く。ならば問題なし。
秋水はすぐに魔素反発の魔法を解除。
そして、全身に魔力を急速回転。
息をするように、回した魔力に色を落とす。
身体強化の魔法、出力は100%。
いつもの自己暗示のような言葉は上手く出てこなかったが、問題なく魔法は行使できた。
身体強化の魔法は、魔法という認識をする前から無意識レベルで使用できていた一番馴染みのある魔法だ。トリガーとなる言葉がなくてもすんなり発動できたのは、慣れという面があるのかもしれない。
秋水の眼前では、一気に吹き荒れる大量の魔素。
その魔素に触れている爛れた右腕は、魔素を取り込んでいき、痛みよりも気持ちよさが勝るという異常な感覚。
ああ、もう、生きてるな、俺。
最高に、生きてるって、感じだ。
ここで死んだら、この最高な実感は、二度と味わえなくなるんだな。
地面を蹴る。
ライディングパンツの防御を平然と貫通して、脚にも当然のようにダメージが入っているが、大丈夫、走れる。
死亡演出で大量の魔素を噴き出して崩れたスライムを横切って、秋水は一直線に走り出す。
「ずいっ!」
走り出した直後にスライムの触手の鞭による攻撃が再び開始されたものの、多少モタつきながらも秋水はそれを横っ跳びで回避し、足を止めることなく地面を蹴る。
横薙ぎではなく、叩き潰すように頭を狙う上からの打撃だった。
これなら避けやすい。
さらに走った秋水に、第2撃。
今度は横薙ぎに振られた触手である。
しかも視界が潰れた右側から。
が、それを軽くジャンプして回避する。
感覚が研ぎ澄まされているのが分かる。
死にそうだからか。
危機に瀕しているからか。
殺される寸前だからか。
ああ、懐かしい。
目で見ていないのに周りの状況が分かる、人間レーダーみたいな感覚。
そして、攻撃を自動的に防ごうと体が勝手に動く、自動防御みたいな能力。
ごちゃごちゃ考える前に、身体が勝手に反応する。
これは、最初にボスウサギと戦ったときにも、発動していた。
いや、元日に角ウサギと対面し、最初の戦闘でも起きていた。
直感を研ぎ澄ませる。
体の中にある魔力で、秋水が操作できていない魔力の動きに、体を合わせる。
触手の3発目。
背後から。
それを見えているかのように、秋水は左に跳んで避けた。
着地と同時に左の膝に激痛。だが大丈夫。折れるどころか潰されている左腕よりはずっとマシだから。
さらに秋水は走る。
背後からスライムが跳ね、触手がさらに迫るのを感じた。
だが、タイムアウト。
「だああああああああああああっ!!」
滑り込みをするように、秋水は跳んだ。
体を前に。
うつ伏せになるように。
前に向かって全力でジャンプ。
ボロボロの状態で、部屋の入り口から、飛び出した。
背後に迫っていた触手が、まるで透明な壁に当たったかのように、べぢんっ、と弾かれる。
ワンテンポ遅れて、どさっ、と秋水が前のめりに倒れ込んだ。
「ごっ」
その衝撃で、ついに秋水は口から血を噴き出してしまう。
これでは、血の味がする、なんていう誤魔化しは効かなくなってしまったな。
全体的にズタボロのボロ雑巾の如き状態までスライムに痛めつけられた秋水は、何故かズレた感想を抱きながら、ごほっ、と2回目の吐血をした。
負けた負けた。
ボロ負けだ。
死ぬかと思った。
参ったねこりゃ。
だけど、これだけスライムが強いなら、攻略できたときは、どれだけ気持ちが良いだろう。
ダンジョンをさらに降りていけば、スライムよりも強いモンスターがきっといるだろう。
ああ、想像しただけでワクワクする。
楽しみで仕方がない。
だから、ここで死ぬのは、勿体ない。
ダンジョンアタックにて3度目の敗北を喫した秋水は、血を吐きながらも笑っていた。
やはりダンジョンは、生きる実感を与えてくれる。
死にたくないなと、思わせてくれる。
もっと生きて、もっと戦いたい。
もっと強いモンスターを、ぶち殺してやりたい。
だから、生きたい。
生きていたい。
殺すために、生きていたい。
今死ぬのは、勿体ない。
ああ、もう、すっかり、化け物なんだな、俺。
ダンジョンの中がお似合いな、モンスターになっちまったんだな。
父も。
母も。
妹も。
死んだら待っていてくれているかもしれないのに。
それを無視しても、生きていたいと、思ってしまう。
血を吐きつつ、地面に倒れ伏せながら、秋水は静かに笑った。
からん、と部屋の中から、白銀のサークレットが落ちた音が、わずかに聞こえた。
――――――――――――――――――――――――――――――
白銀のサークレットは、スライムがドロップします。
はい、232話の段階で、スライム自体の討伐はギリギリ可能ラインでした。
が、結局は今回と同じくボロ負けしたという裏エピソードあり(*'ω'*)
・スライムの怖いところ
物理攻撃にはほぼ無敵に近い防御力。
体内に取り込んだものを容赦なく溶かす溶解能力。
獲物を捕まえる触手。しかも3mくらい伸びる。
秋水くんを軽々持ち上げる触手の強度とスライム自身のパワー。
その触手で引っぱたいてくる鞭攻撃。
ゴムボールのように跳ねて突っ込んでくるタックル。なお、角ウサギどころかボスウサギより速い。
前後左右関係なく動ける戦闘視野の圧倒的広さ。
1体が攻撃判定を喰らった瞬間、部屋全部のスライムが一斉に襲いかかってくるというスイッチリンク。
順番に波状攻撃を仕掛けてくるという連携の高さ。
……1体とはいえ、秋水くんはよく倒せたね(震え声)