1月19日。
ボスウサギ初討伐。
秋水はその日の戦闘をよく覚えていた。
ボスクラスを討伐できたという華々しい記憶として、ではない。
ダンジョンアタックを始めて、初めて負けた、という苦々しい記憶として、ボスウサギとの初戦闘のことはしっかりと覚えているのだ。
確かにボスウサギは倒せた。それは間違いない。
しかし秋水からすれば、あの戦闘は敗北以外の何物でもなかったのだ。
あの頃は、魔法という概念を全く理解していなかった頃だ。
魔素というものも知らず、モンスターを殺したときに噴き出す光の粒子を意味不明なイルミネーションと捉え、体内に取り込むときは今とは違ってめちゃくちゃ気持ち悪かった。
魔法という認識もない身体強化で、どうにかこうにかボスウサギは倒せたが、魔素を取り込むのが気持ち悪すぎてテンション駄々下がりにより勝った気になれなかったのである。
実質的な、初の敗北。
だからよく覚えている。
どうにかこうにかボスウサギを倒した、その 『どうにかこうにか』 の戦闘もまた、よく覚えている。
魔力を 『妙な力』 と呼んでいて、身体強化を魔法として確立すらしていなかったときの戦闘だ。
魔素、魔力、魔法、というファンタジーの現象を認識したのは、それより後、リセットボタンを押してボスウサギとリベンジマッチをする前くらいであった。
魔素を認識したら、ダンジョンの空気を美味しく感じ、魔素を体に取り込むのが気持ちよくなった。
魔力を認識したら、今まで 『妙な力』 という上手く操作できなかったエネルギーが、ある程度操作できるようになった。
そして、魔法というものを認識したら、身体強化の強化倍率が跳ね上がった。
言葉を定義した途端、秋水の戦闘力は格段に跳ね上がったのだ。
逆に言えば、魔素も魔力も魔法も認識していなかった最初のボスウサギ戦では、その恩恵を何一つ受けていなかった。
よく倒せたな、と今でも思う。
とても不思議だ。
そんな戦闘能力で、どうやって最初にボスウサギを殺せたのかを説明しろと言われたら、秋水は返事に困るだろう。
本当に、『どうにかこうにか』 で倒せた。
これ以外に、説明のしようがないのである。
魔法を魔法として認識していなかったあの頃のスペックでは、どう考えてもボスウサギの討伐は無理だった。
勝てない、はずである。
だが、実際にはボスウサギは殺せた。
喜びや楽しさを上回る気持ち悪さのせいで実質的に敗北を喫したとは言えど、ボスウサギを殺すこと自体はできていたのである。
何故か。
自然に体を動かそうとする、その力の流れに逆らわなかったからだ。
「たぶんあれが、自動防御の動きと同じ原理なんだよな……」
時は戻って、2月15日。
バレンタインデーが終わった翌日、金曜日。
パツパツでキツい制服に身を包んだ秋水が、のそりのそりと通学路を歩きつつ、顎に手を当てながら思考を巡らせていた。
スライムにズタボロにされてから、秋水は死にかけたままセーフエリアに戻り、ポーションで体を回復させつつ気絶するように爆睡することで、何事もなかったかのように完全復活を遂げた。
ポーションによる身体損傷や疲労からの回復と、セーフエリアでの睡眠時間圧縮。この2つを掛け合わせた回復効果は、相変わらずバグっていると表して良い。
代償は脂肪。
ちょっと体脂肪が増えたなと思ったところで、ポーションによる回復のせいでごっそりカロリーを消耗した秋水の体は、ボディビル大会に今から出場するかと思えるほどに引き締まっている。
夏服じゃなくて良かった。
あまりにも威圧的な魅力を放つ筋肉ボディを長袖で隠せることに、秋水はひっそりと安堵する。
それはともかく。
「力の流れに、動きを合わせる」
ふむ、と秋水は鼻を鳴らしながら歩く。
思い出しているのは、最初のボスウサギとの戦闘、その終盤。
左腕を引き千切られ、ボスウサギに殺されそうになっている状況のことだ。
痛い。苦しい。腕がない。骨がやられている。血が足りない。
端的に言って、死にそう。
そんな中、秋水の体は自然に動こうとした。
こう動け。
ここを攻撃しろ。
体が自然に動こうとする、そんな力の流れ。
その力の流れに、秋水自身は意識を合わせた。
意識を合わせて、自然な動きに、秋水自身の体の動きを合わせる。
力に逆らわず、されど力の流れをコントロールするように。
魔法ですらなかったその頃の身体強化と、同じプロセスだ。
ボスウサギとの戦闘中、急に湧いてきた不思議な力、というか力の流れのような感覚。
あの頃のスペックで、ボスウサギに勝てた理由の十割が、それである。
「今になって、あの力の流れがまた出てきたってことだよな……?」
秋水は首を捻った。
ゴブリンの亜種と戦うようになってから自覚し始めた、攻撃を勝手に防ぐ自動防御の動き。
そして、その前々から予兆があった、目で見なくても周囲の様子を把握することができる、空間把握レーダーみたいな感覚。
最近のダンジョンアタックは、その意味不明な力が2つ、横槍を入れてくる。
いや、別に邪魔ではない。
助かっている。
不意打ちを防ぐ自動防御。
そもそも不意打ちされないようにする空間把握レーダー。
乱戦時には2つとも助かる力だ。
が、スライム相手には、全く役に立たなかった。
空間把握レーダーが感知したり、自動防御が発動するより、スライムの攻撃が速いのだ。
結果、昨日はボコボコのボロ雑巾にされた。
よく生きてるな俺、わっはっは。
「……装備の損害額が痛ぇ」
がくりと秋水は肩を落とす。
シールドどころかヘルメット自体が盛大に割れていた。
ジャケットとパンツはボロボロ。
グローブは破れて溶け。
仕込んでいるプロテクターも破損が激しい。
ついでに右手に握っていたはずの巨大バールは、攻撃を食らったどこかのタイミングで落としたらしく、ロストしてしまった。悲しみ。
ため息が漏れそうになるものの、そろそろ学校が近くなり、ぽつぽつと学生服を着た面々が見えてきたので、出そうになるため息を無理矢理飲み込む。
そろそろ装備の予備分を注文しておくか。
あと、自動防御と空間把握レーダーが能動的に使用できないかの検証もしなくては。そもそも魔法なのかどうかも分からない状態だ。
それにセーフエリアの整備も進めて、明日は土曜日だからドロップアイテムの納品で質屋に行って、その前に今日の夜はジムに行って美寧の筋トレ指導があるし、魔力操作の訓練も継続して、スライムにはまだしばらく挑めない分、ゴブリンの亜種との殺し合いを続けて、というかゴブリンの亜種は本当に7種類だけなのかを検証するためには試行回数を増やさなくては。
うん、やることが山積みだ。
忙しいと、落ち着くな。
足を進めれば、見慣れた校門が見えてきた。
ああ、学校が始まる。憂鬱である。
今日は何事もありませんように、と心の中で祈りつつ、校門へと目を向ける。
見覚えのある鮮やかな金髪が、目についた。
「ん?」
その姿を見て、秋水はぴくりと片眉を跳ね上げた。
鮮やかな金髪。
他の生徒たちが校門をくぐっていくのを尻目に、腕を組んで佇んでいる。
秋水のクラスメイトであり、チワワの飼い主、竜泉寺 沙夜であった。
なんというか、すごく目立つ。
「あ、秋水!」
そして同じく、すごく目立つ外見である秋水のことをすんなり見つけた沙夜が、手を上げながら大きい声で秋水を呼んだ。目立つから勘弁して欲しい。
沙夜の呼び声に、なんだろう、と周りの生徒の視線が一瞬だけ秋水の方に向き、勢いよく目を逸らされる。なんかゴメン。
しかし、校門前で待ち構える沙夜。
何故だろう、怒られるイメージしか湧いてこない。
自分はなにかしでかしただろうか、と考えながら、秋水はゆっくりとした足取りで沙夜へと近づく。
「おはようございます、竜泉寺さん」
「おはよ、秋水」
沙夜の前に立ち、姿勢を正してから秋水はしっかり頭を下げて挨拶をする。
その頭に降ってきたのは、普通の挨拶。ハリセンではない。
なるほど、怒られるような感じではないようだ。
秋水は内心でホッとする。ビビりすぎである。
「あー、秋水、ちょっとだけいい?」
「……校舎裏でしょうか?」
「前から思ってたんだけど、オマエは私をなんだと思ってるんだ?」
校舎裏にちょっとツラ貸せよ的な案件ではないようで一安心である。
安堵の息を漏らす秋水に、何故か沙夜は拳を握って震わせていた。
しかし沙夜はぐっと怒りを飲み込んでくれ、切り替えるように一息。
「いや、今日はもう、紗綾音が登校してると思うから、先に伝えとこうと思って」
「紗綾音さん、ですか?」
握っていた拳をゆっくり下ろしながら、どこか気不味そうに沙夜が言う。
紗綾音。
渡巻 紗綾音。
キャンキャンとうるさいクラスのマスコット、チワワである。
彼女がどうかしたのだろうか、と秋水は一瞬だけ疑問に思ったものの。
『――紗綾音には、教えといても、いいか?』
「ああ」
なるほど。
なんとなく用件を察してしまった秋水が小さく呟くが、その呟きは思いのほか硬く、冷たい温度をした音色になってしまった。
びくっ、と沙夜の肩が跳ね上がる。
いや、なにをしているんだクソヤロウ。不用意にクラスメイトを怯えさせてどうする馬鹿が。
「……その、勝手に記事まで調べた。ごめん」
「いえ」
しゅんとした様子で頭を下げる沙夜に、秋水は首を横に振る。
ここは校門。
他の生徒の視線がある。
こんなクソヤクザに沙夜が頭を下げているというのは、沙夜に悪い噂が立ってしまう。
それに。
「秘密にしているというわけでもないので。気を揉ませてしまって、申し訳ないです」
なるべく穏やかに、声色が硬くならないように、そればかり注意して秋水は沙夜を宥めた。
クリスマス・イブのこと。
事故のこと。
隠しているわけではない。
話すような相手がいなかったというだけの話である。
どうせ調べれば出るような内容だ。
どうせ。
『被害が3人だけで良かったじゃんね』
他の誰も巻き込まなかった、話題性の低い、よくある交通事故なのだ。
わざわざ話題に上げるようなことでも、ない。
「…………ごめん」
顔を上げ、秋水の顔を見上げた沙夜は、何故か居たたまれないような表情で謝ってきた。
なにを謝っているのだろうか。
秋水は首を傾げる。
「いえ、大丈夫です。わざわざ教えてくださり、むしろありがとうございます」
それから秋水は深々と頭を下げた。
「おまえ、そんな表情も、できるんだな……」
下げた頭に降ってきた言葉は、よく分からない呟きだった。
「あ、棟区くんっ! サヨチっ!」
そして教室のドアを開けたなら、ぱっと顔を上げて真っ先に反応を示したのは、予想通りの小型犬、ではなく、紗綾音であった。
今日はいつもより早く教室にいた紗綾音は、すでにクラスメイトの数人に囲まれている。
秋水が教室に現れたことにより、クラスメイトたちが一瞬だけ静まり返った。
気不味そうな者。
顔を青くしている者。
怯えている者。
目を逸らす者。
そんな中、にぱっ、と紗綾音はいつものように向日葵でも咲いたかのような笑顔を浮かべた。今は冬である。
その紗綾音の隣にいた須々木 海霧は、ぎろり、と秋水を睨む。ブレのない安心の反応である。
「おはようなんだよ! サヨチはちょっとこっちにカモン!」
ぶんぶんと大きく手を振って沙夜を呼ぶ紗綾音の姿に、ほっ、と沙夜は安堵の息を漏らした。
なにか心配事でもあったのだろうか。
沙夜の様子を確認するように秋水はちらりと視線を向けるが、そのときにはもう気持ちを切り替えたかのように、いつもの苦笑を浮かべながら沙夜は自分の席ではなく紗綾音の方へと歩いて行った。
紗綾音が絡んでこない。
事実を教えたとのことで、紗綾音がどう絡んでくるか予想できなかったものの、どうやら紗綾音には大した影響がなかったようだ。
これであまりにも紗綾音が同情的な態度を取ってきたら、なんだかな、という気分になるところだった。
これは一安心だ、と秋水も遅れて安堵の息を漏らした。
安心?
何故?
ふと、自分の胸に湧いた感情に、秋水は首を傾げた。
別に紗綾音が秋水に同情しようと、可哀想と思おうと、遠巻きの対応になろうと、それは秋水にとって 『どうでもいいこと』 のはずである。
なのだが、何で今、一安心だと思ったのだろうか。
うーむ、と考えながら、秋水は足音を立てないようにゆっくりとした足取りで自分の席に向かう。
進行ルートに鶴舞 美々がいて、びくり、と大きく肩を振るわせたのが見えた。
ああ、そうだ、美々はまた、酷く怯えるようになってしまったんだった。
遅れて思い出した秋水は美々の横を通らないルートに変更して、自分の席に辿り着く。
美々の背中を、ぽん、と覚王山が気遣うように優しく叩いているのが見えた。仲の良いことだ。
自分の席にゆっくりと腰を下ろして、秋水はカバンを机に掛ける。
そこでふと、気がついた。
そうか、紗綾音の態度が変わっていないようなのに安心したのは、彼女に余計な負担を掛けずに済んだことに、安堵したのか。
怯えさせるのは、申し訳ない。
怖がらせるのも、申し訳ない。
気を揉ませるのも、申し訳ない。
心配させるのも、申し訳ない。
自分のことなんかで他者に心を惑わせるのが、ただひたすらに、申し訳ない。
だから、紗綾音の態度が変わっていないことに安心した、のだろう、たぶん。
我ながら面倒くさい奴だな、と思う。
思った、ところで。
「てなわけで、サヨチにパス!」
「ほぇ?」
「あー、OK」
紗綾音のグループから、快活な鳴き声。
変わらず元気なチワワだな、と秋水が一瞬だけ紗綾音の方に目を向けると、沙夜に対し、むぎゅり、と海霧を押しつけているところであった。
どういう状況か。
紗綾音に押された海霧は状況が飲み込めていないのか、きょとん、とした表情で固まっている。
しかし、押しつけられた沙夜は一瞬だけ戸惑った感じであったが、すぐになにかを察したのか、抱き締めるようにして海霧を捕まえる。
「よし、行ってくるんだよ!」
「ほい、いってらっしゃい」
そして海霧を沙夜に押しつけた紗綾音は、びしっ、と親指を立ててサムズアップを決めてから、振り返った。
秋水の方を。
嫌な予感。
諦め悪く、秋水は後ろを振り返った。
誰もいない。当然だ。190近い身長の秋水は、当然のように座高も高くて邪魔になるので、配慮の結果、毎回座席は一番後ろなのだから。
「棟区くーん♡」
うわ来たよ。
観念して前を向き直れば、ぶんぶんと大きく手を振って突っ込んでくる小型犬の姿。
秋水はその背後にいる沙夜へと思わず視線を向けた。
押しつけられた海霧を、ぎゅ、と抱き締め、思いきり目を逸らしている。
孤立無援を悟り、秋水は絶望した。
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空間把握レーダーと自動防御の習得がタスクに追加されました。秋水くんの予定表はパンパンです。余計なことを考えないためにね(・ω・`)
232話の冒頭前という裏話でスライムと戦ってから、秋水くんはモンスターとの戦闘においてあまり自殺願望が前面に出てこなくなっています。
そして今回スライムにボコボコにされてから、明確に「生きたい」と思えるようになっています。
そのせいか、クラスメイトを前に、感情の揺れ動きが少しだけ出てくるようになってます。
これが生成AI(notebookLM)から直々にメインヒロインだと断言されたスライムのセラピー能力ですね(ヤケクソ)。
……これ、心の傷が回復できてると思っていい? なんか歪んじゃってない?
次話は、真実を知っても同情で秋水くんを可哀想な子扱いしたくない、そんなチワワの話、の皮を被ったギャグです。
安心してください。