どうにか元・彼氏さんと思われる男性と美寧を引き剥がすことに成功した。
というか、元・彼氏さんが悔しそうな表情を浮かべながら、「人の心を弄ぶ奴は最低だっ!」と秋水を指さしながら怒りつつ、無事に逃げてくれた。
きっとスタンガンが怖かったんだろう。分かる。
「先生……」
秋水も今、美寧というスタンガン少女に背後を取られていて、恐怖で冷や汗が止まらない。
これからは美寧を怒らせないように気をつけよう。スタンガンは身体強化の魔法で防げるか不明なのだ。
「さて、美寧さん、行きましょうか」
なるべく落ち着いた声を意識しながら、秋水はゆっくりと振り返る。
左手でボストンバッグをぎゅっと握り、右手には拾い上げたスタンガン。
す、と秋水は無言で後ろに下がる。
「先生、あの――っ!」
だが、下がった分以上に、美寧が前に出て秋水に詰め寄った。
「さ、さ、さ、さっきのって、ど、どういう意味!?」
そして、真っ赤な顔で秋水を見上げ、食って掛かるかのように問い詰めてきた。
右手のスタンガンがこちらを向いている。
言え。さもなくば、分かってるだろうな?
こういうことか。怖い。
というか、さっきの、とはどのことだろうか。
とにもかくにも、元・彼氏さんに向けたスタンガンを引き離したかった一心なのだが。
えーっと、と秋水は一度言葉を濁した。
「さっきの、とは?」
「だから、その、私のこと、あの、あの、えっと――っ!」
首を傾げて尋ねてみても、美寧はなにを慌てているのか、言葉が綺麗に空回る。
しかし、その出てこない言葉の欠片を拾い上げ、ああ、と秋水は納得した。
美寧のこと。
元・彼氏さんに伝えた言葉のことだろうか。
そしてふと、手紙のことを思い出す。
ただただ感謝を綴ってくれていた、チョコレートに添えられた、美寧からの手紙。
ふ、と秋水は小さく笑う。
「美寧さんは、素晴らしい人だと本心から思っています」
「ぱ゛っ」
そして、美寧の目をまっすぐ見返し、秋水はハッキリとした口調で言い切った。
だが、足りない。
あれだけ「ありがとう」という文章を綴ってくれたのだ。
こちらもちゃんと、それ相応を返さねば、無礼が過ぎるというものだろう。
「初めてお会いしたときから、美寧さんのことをずっと見てきました」
「ぴ゛っ」
秋水は嘘など言っていない。
初めて会ったときから、美寧のことはずっと見てきた。
もちろん、筋トレのフォームの話である。
だって、最初に美寧と会って、すぐにスクワットのフォーム説明をしたのだ。
美寧が不器用ながらに行うスクワットのフォームを見て、色々矯正したのが美寧との最初の出会いなのである。
それからずっと、美寧の筋トレフォームを見てきた。
他意はない。
「あなたの根気と気迫、そして丁寧さは、私も見習うべきだと常々感じております」
「ぷ゛っ」
そして、美寧の根気は、常々見習うべきだと思い続けている。
数種類の筋トレ種目を休憩なしで連続して行う、ジャイアントセット、という筋トレ方法を、音を上げることなく実行できるのだ。しかも初心者が。
これは凄いことである。
ジャイアントセットは、筋トレ上級者でも心が折れて途中で手が止まってもおかしくない、かなりキツい筋トレ方法である。
さらには、軽い負荷で多くの回数をこなす、低負荷高回転という心理的にキツい筋トレだ。
その掛け合わせ。低負荷高回転のジャイアントセット。
ポーションがなければ、秋水でも途中でギブアップするかもしれない。
それを美寧は行っている。
凄い根気。
凄い根性。
まさにド根性ガールだ。
さらに、たまに見せる鬼気迫る様子。
無心で筋トレを行う集中力。
しかも、最後の1回まで丁寧な筋トレ。
もはやリスペクトの対象でしかない。
「努力を黙々と積み重ねることが出来る方は素晴らしい。美寧さん、あなたは素晴らしい人なんです」
「ぺ゛っ」
美寧は姿勢が良くなっている。
座ったときに、ちゃんと骨盤が立っているのだ。
筋トレは積み重ねである。
家でも毎日、背中周りから腰回りのストレッチを欠かさず行っているという証拠だ。
最初の頃に美寧へ教えた、歩き方、という地味な準備運動だって、美寧は誰に見せることなく黙々と実践しているのを目撃した。腕を大きく振って、腰を回し、大股で歩き、つま先で蹴りだそう、という歩き方である。
そういう努力を、美寧は黙々と積み重ねることが出来る。
それは、凄いことなのだ。
美寧は、凄い人なのだ。
素晴らしい人なのだ。
「私はもう、美寧さんとの関係を、指導者と生徒という関係だとは思っていません。大切などう――大切なパートナーだと思っています」
「ぽ゛っ」
美寧は同志だ。
筋トレの同志である。
しかし、筋トレの同志、というワードを使っても、美寧にとっては意味が分からないだろうと気を回した秋水は、ちゃんと分かりやすい言葉を選択した。
美寧のことは、パートナーだと思っている。
もちろん、筋トレの話だ。
他意はない。
純粋な気持ちで秋水は喋った。
手紙にたくさん綴ってくれた感謝の言葉に負けないように、秋水もまた、美寧に対して思っていた言葉を並べていく。
全部本心だ。
嘘偽りなど、一切ない。
美寧の目をまっすぐに見つめる。
耳どころか美寧は首まで顔を赤くしている。照れだろうか。
いや、追い打ちで脳が破壊されているだけである。
この少年、誤解を招くような言葉を、本心ですらすらと口にしているのである。
ふら、と美寧は貧血でも起こしたかのように、足がふらついた。
足がふらつくだけならまだしも、急に目がぐるりと上を向き、顔を真っ赤に染めたまま全身の筋力が脱力したように、がくん、体が崩れる。
いきなりだったので、背中を支えようと秋水が手を伸ばすのが一瞬遅れた。
背中を支えるのは間に合わない。
アスファルトの上で転倒するのは、危ない。頭を打ち付けたら怪我のリスク。
秋水は咄嗟に、がしり、と美寧の両手首を握って、無理矢理自分の方へと引き寄せた。
引っ張った美寧の体を、ぽすり、と秋水は胸で受け止める。
お腹になんか、硬い感触。
あ、スタンガンだ。
「ぴ゛ぇ゜っ!?」
気を失いそうにも見えていた美寧の口から、絶好調で元気な悲鳴が漏れた。
秋水の口からも悲鳴が漏れるところだった。
美寧の手首を掴み、無理矢理胸に抱き止めるように引き寄せてしまったのは、正直ゴメンなさい。
転ぶかと思ったんです。
他意はないんです。
こんなデカくて威圧感のある悪人みたいな奴に抱き寄せられて、トラウマになるくらいイヤだったんだろう。
分かります。
ごめんなさい。
けどそんな、息をするように自然な流れでスタンガンを押しつけるのは止めてください。
恐怖のあまり、秋水は心臓が止まりそうになっていた。
「ふぁ、あ、しぇんせぇ…………」
スタンガンを腹に押しつけられ、背中から冷や汗をダラダラと流して秋水が固まっていると、真下から美寧のふにゃふにゃした声が微かに聞こえてきた。
秋水はゆっくりと下を向く。
顔は真っ赤で、どこか熱に浮かされたような美寧。
潤んだ目で見上げてくる美寧を見て、ごくり、と秋水はつばを飲んだ。
ヤバい、超怒ってる。
だよね。
ヤクザかマフィアかみたいな男に抱き寄せられて、さぞ不快だろうね。
これはスタンガンを撃たれても言い逃れできそうにない。
生まれて初めて電撃をくらうであろう、と秋水は覚悟を決めたものの、やはり怖くてちょっと腰が引けてしまう。
腰というか、スタンガンを押し当てられた腹を、ちょっと引く。
腹と腰を後ろに引けば、頭は自然と前のめりに下がる。
ひゅ、と美寧が息を飲んだ。
きゅ、と美寧の体が固まった。
「ひゃ、あ、あの、私、初めて――」
硬直した体が若干仰け反り、秋水が引いた分以上にスタンガンを前に出され、先程以上に秋水の腹へとスタンガンを押し当てられる。
なるほど、逃がすつもりはない、と。
どうやらスタンガンを喰らうのは確定しているようだ。
転ばないように抱き寄せてしまったことが、よほど赦せなかったんだろう。
おかしい。
手紙のお返しに、美寧に対して思っていたことを伝えようとしていただけなのに。
南無三。
覚悟を決め、秋水は目を閉じた。
そして美寧もまた、何故か同時に瞼をそっと閉じ。
直後。
「み゜ょ゜ろ゜ち゜ょ゛ん゛ぱ゛」
奇声と共に、胸の中でがくりと美寧が崩れ落ちた。
「おわっと!?」
再び急に姿勢を崩した美寧を、秋水は再び引き寄せるようにして抱き止める。
目を閉じていた美寧は、湯気が上がりそうなほどに顔を真っ赤に染め上げて、何故か幸せそうな表情で気を失っていた。
「……え、なんで?」
いきなり気絶した美寧に、秋水は思わず素で呟きながら首を傾げてしまう。
「…………あへ?」
ふ、と美寧は目を覚ます。
なんか、凄い夢を見た気がする。
愛の告白ラッシュを叩きつけられ、秋水にいきなり男らしく強引に抱き締められ、キスを迫られる、そんな夢だ。
え、幸せ。
私、死ぬかも。
だが、キスシーンを最後まで見れなかったのはいただけない。
もう一度寝たら、夢の続きが見れるだろうか。
よし寝よう。
美寧は一瞬だけ開けた目を閉じ、寝返りを打ちながら布団を深く被ろうと手を動かす。
すか、と空を切った。
「?」
あれ。
布団がない。
というか、ベッドが硬い。
ベッドというか、これ、床だ。
ああ、ベッドから転げ落ちたのか。久しぶりだ。
美寧はぼんやりした頭で状況を整理しながら体を起こし、目を開けて。
「あ、美寧さん、目が覚めましたか」
「ぴぇぇぇぇぇぇええええええぇぇっ!?!?!?!?」
いきなり目の前に全日本イケメン選手権代表である棟区 秋水がご登場され、耳を孕ます18禁指定バスボイスの洗礼を浴びせてくる。
致死量。
奇声を上げながら美寧は飛び跳ねて、床の上をゴロゴロ勢いよく転がりながら顔面渋すぎダディズム全世界王者から距離を取った。動きが陸地に打ち上げられた魚のようである。
ごんっ、と壁にぶつかる。しまった、逃げ道を塞がれた。
「ああ、美寧さん、急に動かれますと――」
「ふぉあああぁぁぁっ!? ナンデ!? ナンデ先生っ!?」
転がって離れた美寧を心配し、秋水が近づいてこようとするも、美寧は両腕を突き出してバタバタと振り回す。なお、美寧は見事にひっくり返っており、でんぐり返しを失敗したみたいになっている。
拒絶されているのを察したのか、ぴたり、と秋水の動きが止まった。
ただ、現状、美寧に秋水を気遣う余裕がない。
ここはどこ? 私は可愛い美寧ちゃんって息をするように自画自賛をするなバカ野郎。先生はジムで筋トレをするいつもの格好が決まっててカッコイイ。というかジム。ここジムだ。どういうことだ。目が覚めたらジムのストレッチコーナーで先生と二人きりってなにこれ夢なのどういうことなの普通はベッドの上とかじゃないの? え? もしかして今からここで私は先生と正々堂々試合開始して初体験を迎える感じということでよろしいですよバッチ来いというか先生と既成事実を作れるんだったら場所なんて拘らないんだけどやっぱり激しいプレイをするならベッドの上が良いような気がするんだけどちょっとまってこの夢いつもと違って試合開始のゴングが鳴る直前から始まる感じなんだよっしゃあ来るなら来い先生っ!
余裕はないけれど、状況は一瞬で把握できた美寧は、ひっくり返ったまま顔を真っ赤に染め上げ、ばっ、と両手を広げる。
ここはジム。
いつも準備運動としてラジオ体操をしているストレッチコーナー。
そこで秋水と二人きり。
つまり今から美女と野獣の大運動会が開幕するんだな。
ふんす、と美寧は鼻息を荒くする。
すー、と秋水の視線が横へと逸れる。
視線というか、顔ごと背けられる。
え、なんで?
美寧は両手を広げたまま、ぽかん、とした。
「……美寧さん」
「なんでしょう先生っ! 私は受け入れ準備万端じゃんねっ!」
「その、早く起き上がっていただけると……」
気合いを入れて返事をする美寧に、秋水は何故かとても気不味そう。
どうしたんだろう。
美寧は首を傾げる。
傾げると言っても、壁に当たってひっくり返っている姿勢。
しかも、綺麗にお尻が上を向き、倒立している感じ。
首を傾げようとしたことでバランスが崩れ、ごろり、と美寧は横倒しに倒れた。
なお、秋水はジムで筋トレをするいつものストレッチが効いたウェアだが、美寧はちょっぴり気合いを入れた私服だ。
その格好で倒立したら、捲れ上がるものは普通に捲れ上がってしまう。
夏場だったら、完全に腹を見られただろう。
少しだけ涼しい腹部を自覚した瞬間、がばっ、と美寧は捲れ上がっていた服を引っ張り下ろした。
「――みゃ」
「見てません」
「みゃああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああっ!?!?!?!?!?」
「見てません」
美寧の断末魔がジムに響き渡った。
「このたびは、先生に多大なるご迷惑をおかけしました……」
「いえ、あの、美寧さん、頭を上げてください」
「切腹します……」
「腹切りは止めてください」
「介錯お願いします……」
「首切りもしませんから」
わずか10分後、秋水の目の前で美寧は綺麗な土下座をカマしていた。
秋水からの愛の告白連続パンチを無防備に浴びて、もう少しでファーストキスの卒業式というタイミングで、美寧は精神の限界を迎えて無様に気絶してしまったことを思い出したのである。
そして、寒空の下に放置するわけにはいかないと、秋水は背負ってジムまで運んでくれたのだ。
その秋水の目の前で、目を覚ました美寧は奇声を上げながら転がり回り、壁に激突して腹を見せつけるという大失態。
もう、みせたその腹に小刀を突き立てたい気分である。
恥ずかしい姿を晒しまくったことに、穴に埋まってしまいたい気分の美寧は、ちらり、と様子を窺うように少しだけ顔を上げて秋水を見上げる。
どうしたものか、と苦笑している秋水は、わざわざ美寧の土下座に付き合って正座をしていた。
綺麗な姿勢だ。
是非とも私のお腹の上で正座してくれないかなー、などと意味不明な感想を抱きながら、美寧は再びストレッチコーナーの床に額を擦りつけるように土下座を行う。
「あと、昨日は無神経なこと言って、本当にごめんなさい」
わずかに、秋水が息を飲んだ、ような気がした。
昨日のこと。
無神経な発言。
大好きな秋水の、家族を乗せた車が大破する、そんな交通事故現場。
それを生で目撃した美寧は、酷く無関心だった。
無関心だったから、無神経なことを口走ってしまった。
――被害が3人だけで良かったじゃんね。
その3人が、秋水のご両親と、妹さんだったというのに。
知らなかったとはいえ、あまりに無神経な発言だった。
きっと、秋水を傷つけた。
覆水盆に返らず。吐いた言葉は戻せない。
彼の傷口をえぐるような発言をしたことは、ただただ後悔しかできない。
美寧はハッキリとした口調で、謝罪の言葉を口にした。
「……いいのですよ、美寧さん。知らなかったのでしょう」
「知らなかったけど、でも、簡単に口にする話題じゃなかったから。ごめんなさい」
一拍置いて、秋水は気にすることはないと慰めてくれる。
きっと秋水なら、そういう風に言うだろうと、思っていた。
優しい彼ならば、自分が傷ついたとしても、大丈夫だと言うと、思っていた。
ぎゅ、と床についた手をきつく握り締める。
「交通事故なんて、毎日何件も発生しています。私だって他の事故は、他人事だと思っていましたからね」
「――先生」
だから気にすることはない。
大丈夫。
謝らなくてもいい。
秋水は優しく、そう言ってくれる。
自分の痛みを、押し殺して。
息を大きく吸い込んでから、美寧は両手を床につけたまま、す、と頭を上げる。
秋水を、まっすぐ見上げる。
吸った息を、ゆっくりと吐き出して、再び息を吸う。
そして。
「これからは、私が先生の家族になるじゃんねっ!!」
「……はい?」
秋水が、きょとん、という表情になる。可愛い。
これはきっと、愛の告白に即レスされて驚いているんだな。そうに違いない。
ふんす、と美寧は鼻息荒く気合いを入れる。
「大丈夫っ! これからは私が先生を幸せにしてあげるじゃんねっ!!」
それは秋水の大切なパートナー……つまり、“お嫁さん” としての義務である。
結婚そのものは高校卒業くらいまではもうちょっと待ってもらうとしても先生からのプロポーズを受けた以上は先生の婚約者として立派に振る舞うこともやぶさかじゃないんだけど先生も男の人だから結婚するまで待たせちゃったら色々堪ってガマンできなくなっちゃうのもこの美寧ちゃんはまるっとお見通しの学習済みだからちょっとくらいなら体を張って色々お手伝いしちゃう覚悟は出来てるんだけどまだちょっと勉強不足感はあるからこれは急いで教材を取り寄せなきゃだから母さん名義で色々えっちなお動画をダウンロードさせてもらわなきゃっていやちょっと待って父さんそういうえちえちカーニバルな教材持っていないかを先に確認するべきだからよし待っててね先生私頑張って先生の心も体もたっぷり幸せの沼に沈めてやるじゃんねっ!!
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秋水くんが誤解を招くような発言をカマし、美寧ちゃんが誤解したまま真に受けるという地獄。
でもね、美寧ちゃんには脳破壊を畳みかけるよ(・ω・`)