ゴブリンからのドロップアイテムを最初に発見したとき、秋水は直感で、これは面倒事だ、と思った。
なにせ、見るからに金属が違う。
アンクレットも、ネックレスも、そしてサークレットだって、その金属は白銀だった。
祈織曰く、微妙に違う、とのことなので、同じ白銀ではないのだろうけれど、見た目は同じ白銀であった。
しかし、ゴブリンを殺して出現したドロップアイテムの指輪は、明らかに違う。
黒い。
黒鉄の指輪である。
いくら鈍感な秋水でも、さすがにこれは即座に理解した。
地雷案件だ。
どう考えたって地雷案件だ。
白銀のアンクレットには、地球上には存在しなかった元素が含まれていた。
白銀のネックレスは、祈織曰く別の合金だそうなので、また別の新元素が含まれている可能性がある。
白銀のサークレットは、金属がどうのこうの以前の問題として、祈織の知らない宝石が埋め込まれていた。
そして、黒鉄の指輪に至っては、明らかに白銀シリーズとは違う金属である。
だってもう、色からして違う。
取り扱いに、あまりに困る。
最初は、祈織に鑑定してもらおうかと思った。
だが、鑑定眼が確かである祈織は、いちいちダンジョンの存在にニアピンしてくるので、秋水としてはちょっと心臓に悪い。
鎬に相談しようとも考えた。
だが、『ダン・ジョンさん』 の存在についてちくちくねちねち詰められる可能性があるので、秋水としてはちょっと怖い。
ドロップアイテムを現金化する共犯者の2人に、黒鉄の指輪を相談することを秋水は躊躇ってしまった。
それに、祈織と鎬には、ドロップアイテムのせいでかなり迷惑を掛けている。
最初に白銀のアンクレットを質屋で売却しようとしたとき、ウチでは役不足です、と祈織が泣きながら日本語をミスったせいで、鎬という二足歩行型超特大厄介事みたいな爆弾を祈織に押しつける事態となった。
凄い申し訳ない気分だった。
祈織が明らかに鎬に振り回されて質屋の経営再建を頑張ろうとしている中、白銀のアンクレットから新元素が検出されるという絶望的超弩級厄介事が起きてしまった。
それを機に、この質屋は大混乱だ。
殺到する問い合わせ。
列をなす購入希望。
探りを入れようとスパイごっこをして質屋を嗅ぎ回る研究者たち。
巻き込まれる弁護士。
出荷するためにせっせと行われる人力の梱包作業。
そして、しゃしゃり出てきた日本政府という国家権力。
これらは全て、秋水が白銀のアンクレットを質屋に持ち込んだから発生したことである。
しかも、新元素の正式公表は、まだ行っていないのだ。
今月の末頃に控えている、新元素発見の正式発表後は、さらに購入の問い合わせや、白銀のアンクレットの製造元や制作者を探ろうとする動きが本格的になるだろうことは、簡単に予想できてしまう。
白銀のアンクレットだけで、祈織と鎬にはこれだけ迷惑を掛けてしまった。
まだ、別の合金であろうネックレスと、未知の宝石が埋め込まれたサークレットが控えているのに。
そこに、黒鉄の指輪まで上乗せするのは、かなり気が引けた。
絶対に面倒事だ。
祈織にも鎬にも、さらに負担を掛けてしまう。
それは、いくら何でも心苦しいのだ。
秋水はそう思った。
これは、間違いなく本心である。
これ以上2人に対して負担を強いるのは、あまりにも申し訳なさ過ぎる。
確かにこれは、本音だ。
それ以上に、黒鉄の指輪まで流通させたら、ダンジョンの存在をさらに嗅ぎ回られ、バレるんじゃないかという心配の方が、圧倒的にデカかった。
確かに、祈織と鎬に対して、さらに大変な苦労を押しつけるのは良心が痛む、というのは本音だ。
だが、それ以上に、ダンジョンがバレたくない、という想いの方が強いのである。
これ以上、ダンジョンの手がかりとなる品を出したくない。
白銀のアンクレットの売却利益だけで、増大している食費や、ダンジョンアタックで使用している武器や防具の購入費は賄えている、どころではないレベルで儲けている。
ぶっちゃけ、これ以上売却するドロップアイテムの種類を増やすことで、秋水が得られるメリットは少ないのだ。
むしろ、新発見だの新素材だの新元素だの、出所を嗅ぎ回られるリスクだけが増えるので、黒鉄の指輪を売りに出すことに関しては、秋水にとってはデメリットでしかない。
だから隠した。
売りに出すのは合理的ではない。
誰にも報告してないし、世間に流出もしてないので、新元素として追跡されたり嗅ぎ回られるリスクは低いだろうから、プレゼントとしては安全だな、ヨシ! みたいなノリで律歌と美寧にはプレゼントしてしまったが、秋水としては黒鉄の指輪を質屋で売るつもりはなかった。
これ以上世間に、黒鉄という違うラインの金属を流通させたら、国や企業やスパイの追跡リスクは跳ね上がり、絶対に割に合わない。
秋水はそういう理屈で武装していた。
していたのだ。
なお、長々説明したこの理屈は、一瞬で粉砕された。
「うわああああんっ! 商売のパートナーをのけものにして、なんでそんな金属加工やアクセサリー業界を根底から揺るがす神加工の新作を律歌ちゃんにプレゼントしてプロポーズなんてカマしてるんですかあああっ! 職人の魂が抽出されたみたいな新作を、鑑定士の私に見せないで素通りさせるなんてっ! 目の前で極上のステーキを焼いておきながら犬にお預けさせるくらい極悪非道な最悪の非人道的拷問じゃないですかあああっ! 鎬さんにバレないように言葉を呑んで、律歌ちゃんに気を遣わせないように誤魔化して、今日は持って来てくれるかなって期待したのにないなんてっ!! 秋水くんのいじわるっ!! おあずけプレイする鬼畜っ!! クソマッスル打算プレイボーイっ!! うわあああああああああんっ!!!」
質屋 『栗形』。
そのバックヤード。
涙を目にいっぱい溜めながら、祈織はブチ切れていた。
助けて。
ちゃんとフォローを入れておこう。
祈織は、最初は理性的だった。
「午前中、律歌ちゃんが遊びに来てくれたんですよ」
笑顔のはずなのに、笑っていない目でじとりと睨まれ、秋水は冷や汗を流しながら静かにソファーに座った。
鑑定用の白い手袋をゆっくり外し、のそりと祈織が立ち上がる。
そうか、律歌経由でバレたのか。
というか、なんで 『ダン・ジョンさん』 の作品、つまりダンジョンのドロップアイテムだと簡単に見抜いてしまうのだろうか。
それほど特徴的なのか、それとも祈織の鑑定眼がずば抜けているのか。
どちらにせよ、正直、報告も公開も流通もしていないのだから、一目で分かるはずないだろ、ヨシッ! と思っていた。ヘルメットを被った猫は、しょせん猫畜生でしかなかったようだ。
「さて、秋水くん、お姉さんに言うことはありますか?」
冷や汗をダラダラ流しつつ、秋水は言い訳を必死に探す。
「律歌ちゃんに、指輪なんて洒落たプレゼントをしたそうじゃないですか、色男の秋水くん?」
黙っていてゴメンなさい。
素直に謝ることしかできなかった。
「あの、これ以上、栗形さんと鎬姉さんには、さすがに迷惑を掛けられませんので……」
そして、秋水は必死に言い訳をした。
これ以上 『ダン・ジョンさん』 の新作なんて出したら、2人に今まで以上の迷惑が掛かる。
今ですら、スパイもどきがうろついたり、国家が脅しを掛けてきたりしているのだ。
黒鉄の指輪をこの質屋に卸したら、もっと強引な手段、法的にアウトな方法で、『ダン・ジョンさん』 の作品の流通ルートを吐かせようとするかもしれない。特に祈織は、誘拐しやすそうな見た目をしている。
これ以上は、2人の身が危険だ。
秋水はそういう理論武装をもって、祈織を説得にかかる。
それに対し、祈織は理性的だった、最初は。
「子どもがそんな心配をするもんじゃありません」
「そういうのは大人の私たちに任せなさい」
「大丈夫、私たちに任せてください」
「とにかくあの指輪を早く見せて触らせてじっくりねっとり愛でてはふはふ興奮させてくださいよほら」
理性的なわりには、最初から本音がダダ漏れである。
大人の余裕を取り繕ってはいるが、私にじっくり鑑定させて、という意図が透けて見えて、対応に困ってしまう。
秋水は、黒鉄の指輪を卸す気がない。
しかし、はよ見せろや、と祈織は静かにキれている。
律歌には渡したのに、アクセサリーを眺めるのが好きな自分には渡してくれないのか、という怒りが丸分かりだ。
なんでこんなに怒っているのだろうか。
「『ダン・ジョンさん』 の新作の件、鎬さんにはまだ話してません。律歌ちゃんにも気を遣わせないように黙ってます。でも、秋水くんが協力的じゃないと……ね?」
なんて分かりやすい脅し。
これ以上怒らせるなら、『ダン・ジョンさん』 の新作を秋水が黙って律歌に横流ししていると鎬にチクり、律歌にはその指輪がヤバい代物であることをバラす、と言外にチラつかせながら、祈織はにっこりと笑う。
ソファーの上で体を縮こまらせながら、秋水は冷や汗が止まらない。
しかし。
だがしかし。
秋水は屈しなかった。
すでに公表されているアンクレット、ネックレス、サークレットの3つは、まあ、仕方がない。
だが、これ以上、新しい種類のドロップアイテムを、売る気はない。
祈織や鎬に迷惑が掛かるからだ。
そして、ダンジョンがバレるリスクが跳ね上がるからだ。
「いえ、売れません」
「え?」
「これ以上違う種類の金属を世間に出すべきではありません。アンクレットやネックレスの二の舞になり、出所を探る連中にこれ以上嗅ぎ回られるのは、絶対に避けるべきです」
断固拒否の姿勢を貫いた。
黒鉄の指輪は売らない。
それは祈織と鎬を護るため、そしてダンジョンの存在を秘密にするため、秋水には譲れないラインであった。
故に、売却拒否。
断固拒否。
秋水はきっぱりと断った。
そしたら、祈織は泣きながら駄々をこね始めたのである。
「秋水くんのケチ! 人でなし! いぢわる! ちょっとくらい、少しだけ、60分だけでもいいから鑑定させてくださいよおおおおおおおっ!!」
「栗形さん、あの、60分は少しじゃないんじゃ……」
「律歌ちゃんの幸せそうな乙女の表情を曇らせないために、革紐引き千切って舐めるように観察して 『ダン・ジョンさん』 の超絶技術で加工された指輪を堪能したかった欲求を必死に我慢したのに、見せてくれないなんてあんまりですよおおおおおっ!!」
「なんで人の物を奪い取ってまで鑑定したいんですか……」
「秋水くんはあの金属の、あの表面の、あの加工精度をちゃんと理解してないからそんなこと言えるんですよ! 凄いんですよ! 律歌ちゃんのを少しだけ見させてもらいましたけど、あれはやっぱり神の御業ですよ! 違う金属なのに、やっぱり滑らかすぎる上に継ぎ目がないんです! ヤバいんですよ!?」
「あの、律歌さんのを見たのなら、もう良いんじゃ……」
「鎬さんを真後ろにしながらバレないようにビクビクして堪能できるわけないでしょっ!?」
「鎬姉さんは猛獣かなにかじゃないんですが……」
「少しだけ! 1個だけ! さきっちょだけ! 80分だけでいいんです! 私にも見させてくださいよ! あの神職人の息吹を感じたいんですよっ!! うわああああああんっ!!」
「ああ、泣かないでください、泣かないでください栗形さん」
秋水の服の袖をガッシリ掴み、涙目でガクガクと揺さぶって脅迫してきた祈織は、ついに堪えきれなくなったのか、マジ泣きをはじめてしまった。
バックヤードにて、190㎝近い巨体のヤクザ面にしがみ付き、泣き喚く140㎝の少女。
絵面が悪すぎる。
というか、このバックヤードは、質屋の店内と直接繋がっており、扉などの遮るものはないのだ。
店内とバックヤードを区切っているのは、暖簾だけである。
つまり、祈織のギャン泣き、店内の方へと丸聞こえ。
今、店内に客がいたら、祈織が咽び泣く声を聞かれてしまう。
なんてこった。
女子児童を泣かせるヤクザみたいなこの光景を見られたら、秋水は社会的に死ぬ。
なんで私には見せてくれないの、と泣いて駄々をこねている祈織のことは一旦横に置き、店内の方に客はいないだろうかと秋水は慌てて暖簾の方へと顔を向けた。
なんか、目が合った。
「…………」
「…………」
暖簾から少しだけ顔を覗かせ、いつもの真顔のまま、じ、と秋水たちの様子を見ている女性。
秋水の叔母、棟区 鎬である。
鎬は無言のまま、冷や汗を流しまくっている秋水と、その秋水にしがみついて子どものように泣いている祈織を見て、す、とスマホを取り出した。
そして、カシャリ、とスマホで2人の様子を撮影する。
それから無言のままスマホを下ろして、暖簾の奥へと静かに顔を引っ込めた。
「さて、お巡りさんに電話を……」
「やめてえぇっ!?」
ダンジョンの外なのに、秋水は絶叫した。
「そう、やっぱり、あの小娘が下げてた指輪は、『ダン・ジョンさん』 とやらの新作だったのね」
「ぐすぐす……そうです。なのに秋水くんってばいけずで、私には見せたくないって……ふえぇ……」
「ほら見なさい秋水。秋水が虐めるから、店長が幼児退行を起こしてしまったわ」
「俺のせいなのぉ?」
客のいない質屋の店内側、今度は鎬まで参加して秋水は詰められていた。万事休す。
祈織はカウンターの祈織専用である座面の高い椅子に座り、ぐすぐすと泣いている。23歳。立派な大人の女性である。
そして、同じくカウンターの椅子に座りながらマグカップに入れた紅茶を飲んでいる鎬は、黒鉄の指輪の存在を聞かされても顔色1つどころか表情筋をピクリとも動かさず、いつもの真顔のままであった。
どうやら、鎬にはすでにバレていたようだ。
幼児退行扱いされている祈織を、じとー、と秋水は見る。
鎬にはまだ黒鉄の指輪の件を話していないとのことだったが、鎬の恐ろしさを祈織はまだ理解できていないようだ。何故か知らんがいつの間にか知っている、が鎬クオリティなのである。怖い。
「とりあえず秋水、『ダン・ジョンさん』 の新作とかいう黒い指輪、今日は持って来ているの?」
よしよし、と隣に座る祈織の頭を撫でながら、しかし顔はしっかりと秋水の方に向けて鎬が尋ねてくる。
なお、秋水はカウンターの前で、椅子に座らず正座していた。理不尽の極み。
「いや、だから、これ以上新しいのを出すと危険だから、売らないって……」
「びえええええぇぇぇぇっ!!」
「よーちよちよち。ほら秋水、高い高いでもして上げなさい」
「なんで?」
栗形 祈織、泣きじゃくる大人のレディ。手に負えねぇ。
バックヤードどころか表の店で思いきり泣いている祈織のせいで、居心地が悪すぎて堪らない。
ガラス張りのせいで、この質屋は外から店内が丸見えなのだ。
秋水の社会的な死、という死に神が、鎌を構えて忍び寄ってくる足音が聞こえてくる。幻聴だ。
わりと雑に祈織の頭を撫でながら、鎬が小さくため息を漏らす。
「秋水、確認しておくのだけれど、『ダン・ジョンさん』 とかいう存在は、秋水としてはあまり公にはしたくないのよね?」
それから改めて秋水の方へと顔を向け、鎬はそんな質問を口にした。
いつもの真顔。
いつもの目。
その内心は、相も変わらず読みづらい。
『ダン・ジョンさん』。
家の庭にあるダンジョンという存在を隠すため、ヤベェ素材でヤベェ装飾品を作り上げているという、秋水がその場の思いつきで考えた嘘っぱちの職人だ。
いや、その嘘がいつの間にやら肥大化していて、今では職人集団扱い、か。
秋水は考える。
なるほど、今こそ2時間かけて考えた、『ダン・ジョンさん』 の嘘設定が火を噴くときか。
「そうだな」
秋水は頭の中で 『ダン・ジョンさん』 の設定資料を思い出しながら、ゆっくりと返す。
さて、なにを聞かれるだろうか。
まあ、なんで 『ダン・ジョンさん』 を公にしたくないか、を尋ねられるだろう。
そうだな、人嫌いでこちらからはコンタクトを取れないから、とするか。本人たちの希望を尊重したい、という立場で行こう。
よし来いや。
秋水は内心で身構えながら、鎬を見上げた。
「そう。なら、これからも 『ダン・ジョンさん』 とかいう存在は伏せるわね」
しかし、鎬はさらりと流してしまった。
あまりのあっさり加減に、肩透かしを喰らった秋水が驚いてしまう。
「え、なんでかは聞かないのか?」
「意味ないもの。そもそも、ここはリサイクルショップよ。その新作の指輪とやら売るか売らないかは、秋水の自由意志だわ」
「質屋だよっ!」
祈織が泣きながらもツッコミを入れた。
「そうね。質屋だったわ」
「失礼すぎじゃないかな!?」
「つまり、売るのはあくまでも、質入れされたものか、ただの買い取り品。継続的な取引関係があるわけじゃないの。秋水はあくまでも好意で卸しているのであって、そこに契約は存在しないわ」
「そんなぁっ!?」
祈織のツッコミを右から左に流しつつ、鎬は淡々と口にする。
秋水は一瞬だけ、きょとん、としてから、少し遅れて納得した。
そうか。
確かに。
今まではなにも考えず、ドロップアイテムをせっせと質屋に運んでいたが、そもそも、得たものを必ず売らなければならない、という決まりはない。
邪魔だし金になるから、という理由で売り払っていただけである。
それに、いつまでに何個入荷せよ、という契約もない。
それは白銀のネックレスを持って来忘れたときに、祈織が言っていた台詞でもあった。
「でもね秋水。私の立場上、一応店長のフォローもしておくわ」
ならやはり、売りには出さない、と突っぱねたら終わりなんだな、と秋水が考えたところで、鎬が見計らったかのように言葉を続けた。
追撃がくる。
秋水の心は即座に臨戦態勢。
交渉事で鎬を前にして油断したら、ボコボコにされるのは嫌というほど経験しているのだ。
「店長はたぶん、売りに出すために納品してくれ、とは言っていないと思うわ」
「え?」
しかし、身構えた直後、秋水は思わず祈織の方へ目を向ける。
そういえば確かに、売ってくれ、とは言っていなかった。
祈織が終始要求していたのは、見せてくれ、である。
えぐえぐと泣いていた祈織は、涙を溜めながら秋水をまっすぐに見た。
「いえ、できれば売ってほしいんですけどね!」
「えっと……」
いきなり鎬の言葉を裏切って、売ってくれ宣言をした祈織に、秋水は戸惑いながら鎬へと視線を戻す。
はぁ、と鎬は再びため息を零した。
「店長、買い取ったそれは、どうするつもりかしら?」
「もちろん、めっちゃ観察しますっ!」
がた、と椅子から立ち上がり、祈織は堂々と宣言する。
椅子から立った方が頭の位置が下がっていた。
えーっと、と秋水は視線だけで鎬に説明を求める。
「秋水、今店長が売ってほしいと言っているのは、店の資産として買い取りたいという意味じゃないの。店長の私物として欲しいから買い取りたいと言っているのよ」
「あー……」
そこで、ようやく秋水は自分が勘違いしていたことに気がついた。
秋水は、この質屋にドロップアイテムを持ち込んだ時点で、世界に向けて売りに出される、と思っていたのだ。
だから黒鉄の指輪を要求されたとき、世間に公表される、と勝手に考えてしまった。
だが、違う。
祈織は見せてくれ、としか言っていなかった。
そして、売ってほしい、というのは、質屋として売りに出す、という意味ではなく、あくまでも祈織個人で買い取りたい、という意味でしかない。
「ちなみに、アンクレットもネックレスも、店長の自室に1つずつ置いてあるわ。わざわざ個人的に買い取ってるのよ」
「えーっと……そういえば、サークレットは?」
「買い取り査定、150万ほどでいかがでしょうか」
「なんか急に生々しい査定が始まった……」
急に涙を引っ込めて、祈織が真面目な顔で札束で殴るような交渉を始めてきた。
いや、アンクレットの買い取り査定、最初は10万円くらいじゃなかっただろうか。
サークレットは軽く15倍。あの宝石、そんなに価値があるのか。
ではなく。
祈織個人で買い取るというのに、その査定金額は色々狂ってないだろうか。そして、個人でちゃんと買い取れるだけの資産があるのだろうか。
「栗形さん、欲しいんですか?」
「そりゃそうだよ!」
そんなに白銀のサークレットが欲しいのか、と試しに祈織に直接尋ねてみたら、祈織は目を輝かせて大きく頷いた。
「私は 『ダン・ジョンさん』 の大ファンだからねっ!」
そして祈織は、ぱんっ、とカウンターを力強く叩いた。
ちょっと情けない台パンの音が店内に虚しく響く。祈織の腕力が足りない。
「だから、だからね! あの指輪も、せめて見るくらいさせてよおおおおおおっ!!」
再び駄々っ子モードに入り、じわじわと涙を浮かべながら祈織が地団駄を踏む。低身長と相まって、幼児にしか見えない。
お願いだから泣かないでほしい。ドストレートに困るから。
「し、仕方がありませんね……」
「本当っ!?」
秋水は軽く苦笑しながら、ついに祈織の要求に秋水側が折れることにした。
世界に流通させる目的ではなく、祈織が個人的に欲しいというだけなら、まあ、きっと大丈夫だろう。
そう思って秋水が頷けば、祈織はすぐさま涙を引っ込ませ、ぱぁ、と表情を明るくした。涙って、そんなに出したり引っ込めたり自由自在にできるものだっただろうか。
わーい、と両手を上げて大袈裟に喜びを示す祈織に、秋水は軽く頭を掻く。
そういえば、黒鉄の指輪は律歌にプレゼントした。
そして、美寧にもプレゼントした。
これで祈織には売る、というのは、どうなんだろうな、とふと思う。
まあ、黒鉄の指輪は、他のドロップアイテムに比べたら出現率は激渋だが、所詮はただのドロップアイテムである。
ゴブリンをぶっ殺したら勝手に出てきたオマケでしかない。
それに、売るつもりもなかったので、惜しいわけでもない。
よし。
「栗形さんにはいつもご迷惑をおかけしていますので、1つくらいでしたら、プレゼントを――」
「買い取りよ」
瞬間、底冷えするような声が、秋水の脊髄をひんやりと撫で下ろす。
幼い頃から叩き込まれた条件反射で、びくっ、と秋水は体を震わせながら即座に姿勢を正した。
引っ込みかけていた冷や汗が、額と言わず背中と言わず、全身から噴き出す。
「祈織、それで良いわね?」
「良いに決まってるじゃんっ! やったぁっ! 『ダン・ジョンさん』 の新作が見られるっ!」
氷どころかドライアイスとも勝負できそうな声色のまま鎬が祈織に確認するが、祈織はそれに気がついていないのか、黒鉄の指輪を入手できるということに大喜びである。
ゆっくり、秋水は鎬の顔色を窺うように視線だけを動かした。
「店長、とりあえず、梱包作業がまだ途中よね? アンクレットとネックレスの検品もあるのだから、戻って仕事をしてちょうだい」
「はーい!」
祈織をバックヤードに戻すつもりだ。
やべぇ。
秋水の心臓は、恐怖でバクバクしている。
「秋水くん、指輪を忘れちゃヤですからね!」
元気に返事をした祈織は、恐らく青い顔で冷や汗を滝のように流している秋水を不思議に思うことなく、黒鉄の指輪について秋水に釘を刺しつつ、ニコニコ笑顔のままバックヤードへと戻っていった。
黒鉄の指輪を自分もゲットできるということが、そんなに嬉しいのか、鼻歌まで歌って。
うん。
カムバック。
助けて。
「さて、秋水」
「……はい」
バックヤードへと戻ってしまった祈織の背中を視線で追っていた秋水は、鎬に呼ばれ、蚊が鳴くような返事を返す。
ちらり、と再び鎬の顔色を窺う。
いつもの無表情はどこへやら、にっこりと、女優が裸足で逃げ出すほどの極上スマイル。
ただし、目は笑っていない。
「お姉ちゃんの目の前で他の女に指輪を配るとは、いい度胸ね。ちょっぴり頭にキちゃったわ」
秋水は知っている。
これは、鎬が本気でキれている。
昔から、この表情で、この目で、この声色のときの鎬には、散々泣かされてきたのだ。
なにが鎬の逆鱗に触れたのだろう。
それを理解できぬまま、秋水はひたすら青い顔で正座をしながら震えていた。
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秋水くん、ずっと冷や汗流してるな……(・ω・`)カワイソウ
ちなみに鎬さんは、律歌さんが秋水くんから指輪をプレゼントされた、という事実で軽く脳破壊されています。
次話は、胃が痛そうな人の話。