二宮の言った"次会った時"はすぐに来た。その週のプレイをする約束をしていたからだ。駅まで迎えに行き、まだ落ち込んでいたらどう接すればよいだろうかと考えていた彼に反して柳瀬はいつも通り溌剌と挨拶をした。数日間引きするほどのことではなかったようだ。
すっかり慣れた家で、お邪魔しますという挨拶は変わらずいつもの部屋へ向かった。プレイの話になる前に二宮はつぶやくように彼を呼ぶ。
「柳瀬」
「はい?」
くるりと振り返り首をかしげる。そこで少し考えた。褒める、とは、具体的にどうするのがいいのだろうか。いつも部下にしているのはよくやったという言葉ばかりなのだが、今回の場合それでは足りないというのはわかる。そうでなくともプレイ中、二宮自身はもっと褒めろとねだることが多いのに、柳瀬に対して一言もそういった言葉をかけなかった後悔もあった。
ああそうだ。彼からのコマンドを受けて初めて使められたとき、大袈裟だと感じつつもそれ以上に心地よくもあった。彼ははじめから二宮に安心をもたらしていた。
声をかけたにも関わらず、中々話し出さない二宮に柳瀬は尚も首をかしげている。その傾いた首元に向けて、おもむろに手を伸ばした。
「……テスト、頑張ったんだな。たつき」
自分からこんなにも穏やかな声が出るのかと驚いた。そうだ、彼は柔らかい声で名前を呼んでいた。いつも柳瀬が二宮を褒めるときのように、髪に指をとおして、撫ぜた。さらり、指先に彼の髪の感触が伝わる。撫でるのはこんな感触なのか。部下を言葉で褒めることはあっても行動で褒めることはなかったから覚えのない感触に息を吐いた。撫ぜながら、頭の大きさや頭蓋骨の形もわかるのだなとまた知見を新たにする。
「……、」
はく、柳瀬が言葉もなく唇をわななかせた。何か言いたいけど何を言えばいいのかわからないというように、けれどやがて柳瀬は目尻を赤くさせ、とろけるように微笑んだ。
「ふふっ、あは、……それ、いまですかぁ?」
くすぐったそうに、至極幸福そうに柳瀬がはにかむ。撫でている二宮の手に擦り寄り大きく深呼吸する。彼は一目でわかるほど、安堵と充足に満ちていた。
──はじめて、プレイ中の柳瀬の気持ちがわかった気がする。彼にとっては本能的な欲求を満たすためだけの行動だと思っていたが、己の行動に対して嬉しそうに微笑まれるだけで、こんなに満たされるものなのか。無論、ただの褒めるという行為とプレイでは違う話なのは、分かっているけれど。
「二宮さん」
「……なんだ」
「ぼく、褒めるのも好きですけど……褒められるのも大好きなので。覚えててくださいね」
「……そうか」
短い返答だが、柳瀬は満足げにまた笑った。
「でも急に、……何かあったんですか?」
「……部下達に、求められていたのは復習じゃなく褒めることだと言われた」
「あはは! やっぱり」
柳瀬の側頭部をとらえている手に、彼の両手が添えられた。成人間近の二宮の手とは違った、骨と丸みの共存している手だ。
*
机におかれたのは、柳瀬が調達してきた果物だ。リンゴ、梨、キウイ。
「どれが食べたい? 選んで」
彼の言葉がじんわりと脳髄を痺れさせていく。二宮は三つを眺め、キウイを手に取った。柳瀬は受け取りしなに二宮の頭を撫でる。
「ありがとう。ぼくが剥いて、食べさせたげるね。包丁だけ借りてもいい?」
「俺は食べるだけか」
「ううん、剥くところもちゃんと見てなきゃダメだよ」
視線が絡まった。わかった? 尋ねられて、そのまま言葉を返す。いい子だと褒められる言葉に頬をくすぐられている気分になった。
「前にさ、コンビニのおやつを匡貴に食べてもらったことあったじゃん。あの感覚が好きだから」
ちゃんとプレイとしてやりたくて。言いながら包丁を操りするすると皮を剥いていく。手際がいいなと伝えると、これも褒めにカウントするのか彼は得意げに頷いた。
「うん、家事は……まあ、あんまりしないんだけど。これは慣れてるから」
果物を剥くことだけ慣れているなんてあるのだろうか。そう考えて──今の二宮と同じように、他のSubに対しても同じようなプレイを繰り返しているのだろうと思い至り、どこか胸の奥がしくりと痛んだ。
(……、何を痛める必要がある)
続いて浮かんだ疑問に深く考えすぎてはいけないと直感が告げる。痛みにも疑問にも見なかった振りをして、柳瀬のコマンドを守るため彼の手元を見つめた。
そのまま黙々と皮むきを進める柳瀬を見つめるだけかと思っていたが、彼はぽんぽんと世間話を始めた。この前のランク戦がどうだった、どこで食べた何がおいしかった。そういうとりとめの無い話。二宮は相槌を打ちながら、ふと思い出したことを尋ねる。
「柳瀬にはサイドエフェクトがあるのか?」
それまで淀みなく包丁を扱っていた柳瀬の手が止まった。ぎょっとした表情で振り返り、なんで? と尋ねた声は動揺している。その反応でサイドエフェクトを持っていると肯定したようなものだが、何故尋ねただけでこれほど狼狽えるのかまではわからない。
「氷見がそのようなことを言っていた」
テストの答案用紙を見せに来た際、入室する前から柳瀬は二宮が来ることを分かっていた。だから、例えば迅のような、未来予知だとか、もしくは透視のようなサイドエフェクトがあるのではないか。
本気でそう言っているわけではなく、あくまでもよもやま話の一環だ。しかし、柳瀬はよく人助けや、有り体に言えば厄介ごとに首を突っ込むことが多いらしい。その点は二宮にも思い当たるところがあり、それがサイドエフェクトに関わっていることもあるのかもしれないと尋ねたのだが。
「あー……そっか、たしかに……したかも……」
独り言のように唸った。その反応がどういう意味かを尋ねる前に柳瀬は視線を二宮から手元に戻した。
「たしかにぼくはサイドエフェクトありますけど……。未来予知とか透視とか、そんな大層なものじゃないですよ。えーと……サーモグラフィーって言ったら分かります? 大体あんな感じなんですけど」
「……温度が見えるということか?」
「はい。ただぼくの場合はトリオンに反応してるらしくて、生き物にだけ擬似的に透視っぽくはあるというか……あー、例えば……そこの道路、おじさんが犬の散歩してる。ちょっと暑そう」
と、柳瀬からは死角になっているはずの部屋の隅を指さした。窓越しに覗けば柳瀬の言ったとおり男性が飼い犬のリードを引いている。
「本部内だと、壁とか床とか全部トリオン製だから視界狭いしチカチカするんですけど……密度なんですかね、やっぱり生き物が一番濃く見えるから、壁越しに見えた二宮さんを、ひゃみ先輩といるときにうっかり……」
「隠しているのか」
気まずそうに包丁の柄を握ったまま手首をぷらぷらさせ始めたので注意すると、今度はバツが悪そうな顔をした。
「元々は隠してたわけでもひけらかしてたわけでもないですけど、前に、ちょっとややこしいことになって……」
「……要領を得ないな、具体的に言え」
「ま~……なんていうんですかねえ、前所属してた隊で、あんまり役に立てなかったというか……」
「……なんだと?」
明らかに声のトーンが下がった二宮に柳瀬はぎくりとして顔を向けた。自分が怒られているのかと思ったからだ。思った通り二宮は渋面を作っている。柳瀬の様子は目に入っているはずだが、二宮は口を止めない。
「いま聞いただけでいくらでも戦術の立てようがあるが、おまえの元チームメイトは馬鹿なのか?」
「えっ」
柳瀬の元部隊員への罵倒だった。さらに視線を鋭くさせて続ける。
「おまえもおまえだ、サイドエフェクトのことは柳瀬が一番分かってんだろうが。部隊長に献策せずになにがチームだ。笑わせる」
「ええっ」
かと思ったら柳瀬にも言葉の刃が飛んできた。しかし二宮の言うことは尤もだ。
しばしぽかんとして、彼の言葉を理解するにつれ少し怖かったはずの二宮の表情が違って見えている。
「っ、ふ、あははっ」
「何がおかしい」
今度こそ真っ直ぐに二宮の眼光が飛んできたが、柳瀬は目尻に浮かんだ涙を拭いながら首を振った。
「いえっ……へへっ、二宮さんの言うとおりぼくが馬鹿だったんです。でも、ありがとうございます」
「何がだ」
「ぼくのために怒ってくれて」
言うなり二宮は眉のしわを増やして「おまえのためなものか」と一蹴した。けれど柳瀬の胸の内は爽爽としていた。尾を引いている笑いをなんとか納めながら、柳瀬は話を元に戻す。
「だからまあ……ぼくのサイドエフェクトについては、わざわざ言ってないんです。……けどまあ、二宮隊ならいいですよ、ひゃみ先輩たちに話すかどうかも二宮さんにお任せします」
中途半端に知られてる状態が一番よくない状況になるので。柳瀬はそう言って、またキウイの皮向きを続行させた。二宮はそれ以上尋ねなかったが、問題点を認識していてなお、いつまでも隊に所属せずフリーで居続けているのは何故なのか。
まだわずかに怒気を滲ませる二宮に対して「ちゃんと見てる?」と尋ねた柳瀬はすっかりいつもの調子だった。言われて、そういえばプレイ中だったことを思い出した。