ぼくのSubの二宮さんがあまりにもズルすぎる   作:熊々楠

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サイドエフェクトの弊害①

 

 影浦が柳瀬の顔を覗き込んでいた意味を、二宮が知るのはあれから少し経った頃の話だ。

 部下は先に帰らせ、一人でまとめていた報告書も提出が済み帰宅しようとしていたところだった。廊下の端で小さな影が座り込んでいるのが見えた。思わず浮かんだ犬飼の称した比喩を思考から追い出し、呆れつつ声をかける。

 

「また居眠りか? 柳瀬」

「……? にの、みやさん……?」

 

 どうやら柳瀬は起きていたようだ。けだるげに首を傾け、くっ、と目を凝らすが、しきりに目をしばたたかせている。そんな彼に眉を顰めた。

「やあ……ちょっと、頭痛くて」

 

 誤魔化すような笑みが痛みにひきつった。事情が違うことを理解した二宮は足早に近づき額に手を当てる。

 

「おい、目が赤い……怪我でもしたのか? 熱はないな。医務室へ行くぞ」

 

 腕を引こうとする内に彼は慌てて首を振った。

 

「い、行きました。その帰りっていうか、どうしようもないっていうか……その、サイドエフェクトの使い過ぎです」

「使い過ぎ?」

「探し物……手伝ってて、けど無事に見つかったん、っう〜……」

「もういい、黙ってろ。……家の住所だけは教えろ。送っていく」

 

 端末を操作し、ボーダーと市街地を繋ぐ直通通路を少し行ったところ――危険区域よりも外にタクシーが来るよう手配した。いいですとか、大丈夫ですとか言って尚も拒もうとする柳瀬に「無理やり抱きかかえて連れ帰ってもいいが」と吹き込めばやっとおとなしくなった。夜遅い時間だが、人通りはまばらながらもそれなりだ。

 タクシーに揺られる間、自販機で買った水をハンカチにかけ目に当てさせた。着くまで寝ていろと言ったが、落ち着かない呼吸と時折堪えるように漏れる声を聞くにやはり難しいらしい。

 

 

 

 やがてたどり着いたのは大きな家だった。しかし中の明かりがついていない。空はとっぷり暗くなって夕飯時もとうに過ぎている。不審に思い柳瀬を振り返っった。

 

「……保護者の方は?」

「いな……あー……ええと、親は、どっちも仕事でほとんど帰ってきません」

 

 四年前の出来事で家族を喪った者は多い。故に家族についての話は三門市において、積極的に触れようとする者はあまり多くない。しかし今回は尋ねざるを得ない状況で、柳瀬はそれに該当するのか、言外にその意図が含まれていたのを遅れて気が付き慌てて付け足した。

 

「待っててください、いま、タクシー代持ってくるので……」

「っ、おい」

 

 腕を引かれて振り返る、ちか、二宮のトリオンが視界を刺した。度を超えた頭痛が目眩も連れてきて、式台にしゃがみ込んだ。

 

「……っ……」

「病人が無理をするな、タクシー代もいい。親御さんがいない状況でその目は不便だろ。……邪魔するぞ」

 

 靴を脱ぬぐとそのまま柳瀬を抱き上げた。驚き声を上げる柳瀬に「目を閉じてろ」と言うと、意図を察した一方あまり納得していない様子で静かになった。彼がどう感じていようと結果があれば二宮にとっては問題ない。

 

「おまえの部屋は」

「……二階、の、奥の部屋……」

「そうか」

「……」

「……なんだ。"抱っこ"は好きじゃなかったのか?」

「……、……。ちがう……自分から言うのと、急にされるのとじゃ」

 

 コマンドとして指示されたときは二宮が訝しげな反応をしたが、どうやら今回は柳瀬が納得いってないらしい。羞恥心を誤魔化すためなのかぐりぐりと二宮の肩口に額をこすりつける彼に「目を圧迫するなよ」と注意した。二階に上がるとどれが彼の部屋かはすぐにわかった。おそらく手作りの、しかし本格的なネームプレートが扉にかかっていたからだ。

 彼の部屋は想像していたほど散らかっていなかった。床は綺麗に片付けられているし、勉強机も整頓されている。壁にはどこか海外の風景を写したポストカードが幾何学的に貼られており、シェルフには雑誌がいくつかと動物のフィギュアがまばらに並んで、一角にミニジオラマを形成していた。乱れがあると言えば、朝抜け出したままの形になっているベッドくらいか。

 彼をベッドに下ろしその脇に荷物を置く。ほっと緊張が解けたように彼は息を吐いて、目を伏せたままありがとうございます、と頭を下げた。

 

「目はすぐに治るのか」

「そうですね、長くても次の日中には。……あー、連絡しなきゃ、ケータイ……」

 

 ぱっと思い出したようにリュックを探る。横ポケットに入っていたそれを見つけ手渡すともう一度礼をのべた。

 

「家までありがとうございました、お金は後日ちゃんと返します、それから、鍵はポストに入れてもらえればいいので……」

 

 一刻も早く二宮を帰らせようとする彼にやはり違和感が付きまとう。一人の自宅に知人を招く緊張、遅い時間帯まで付き合わせた申し訳なさ、もちろんどちらもあるのだろうが、それだけの焦りではないように感じられた。

 

「……柳瀬、おまえは……どうして廊下でうずくまるまでになる前に、誰かに助けを求めなかった?」

「……? えと、医務室には、行きましたよ……?」

「そうじゃない。おまえは、大抵誰かと一緒にいるだろう。柿崎でも影浦でも……誰でも呼べばいいだろうに何故そうしなかった」

「……。あは、や、ここまで酷くなるとは思ってなかったんですって。……でも、それで二宮さんに迷惑かけてたらダメですね、ごめんなさい」

「そういうことを言いたいんじゃない、わかるだろう」

「……」

 

 尋ねたが、彼は困惑しているようだ。病人に追及するべきでないとは二宮もわかっていたが、彼のアンバランスさはこのまま放っておけばいずれもっと大きくなってしまうのではないかという懸念があった。

 

「おまえは人に手を差し伸べる。今回もそれが元なんだろう、俺の時だってそうだ。……助けられたのは事実だが、おまえ自身を犠牲にするのはやめろ」

「そ、そんなことしてな……」

「じゃあその目はなんだ?」

 

 息を呑んだのがわかる。あの空き部屋で初めて会ったとき、何故、柳瀬は腕に跡をつけられてもなお二宮のケアをし続けたのか理解した。理解してしまった。己が傷ついてでも誰かを助けたい――もしくは、助けなければならないとまで思っているのかもしれない。

 人よりものがよく見えるというのは一見いいことのように感じるが、見たくないもの、見えなくてよいものまで見えてしまうということでもある。柳瀬のある種歪みを孕んだ行動原理に怒りを感じると同時に、それに負担をかけている己自身にも二宮は怒りを向けていた。

 

「……これは、加減を間違えただけで……いつもはこんなふうには……」

「そうか、ならおまえが廊下で寝ていたとき、影浦がおまえの顔を覗き込んでいたのはたまたまなんだな」

「……」

 

 とうとう柳瀬は黙り込んでしまった。らしくない、と思う。こんなにしょぼくれた様子の柳瀬も、こんなに饒舌に詰問する己も。

 

「……どうして拒否する? おまえの師匠にも友人にも、普段から存分に甘えているだろう。体調が悪い時に手を貸してくれと頼むのと何が違うんだ」

「わ……わかんないですよ、ぼくだって……。……に、二宮さんだって、誰にも相談しなかったからあの日倒れかけたのに……」

「おまえと一緒にするな、あれ以降はしかるべき機関に相談してる」

「……」

 

 柳瀬は震えた息を吐き出した。彼が相談できないのは、自己管理能力のなさを責められたら、というような理由でないことは見当がついている。二宮は片膝をつき柳瀬と目線を合わせた。――彼は言われた通り目を閉じている。

 

 

「……いい。理由はわからなくとも、俺が方法を教えてやる」

「……え?」

 

 二宮の言葉が理解できなかったのと、声の位置が変わったことで反射的に目を開けようとした。それを手のひらで覆って留める。

 

「俺の指示に応えられたら褒めてやる、簡単な指示しかださないから安心しろ」

「――…えっ、え? DomとSubを入れ替えるってことですか? なんで……というかそもそも、ぼくも二宮さんもSwitchじゃありませんよね」

「そうだ。これでダイナミクスによる欲求が満たされることはないしただのままごとでしかない。だが…――おまえもSubの気持ちを少しは理解するべきだ、たつき」

「ど、どういう……」

 

 柳瀬は言葉を探すように口を開きかけて――見つからなかったのかそれともやめたのか、やがてそっと閉じた。それを見届ければ、今度は二宮が口を開く番だ。

 

「セーフワードは何がいい」

「……いつも通り……Redで」

「わかった。目は……閉じたままでいろ」

「……うん、」

 

 こくりと頷いた。目元を覆っていた手をそっとのけて、いい子だ、そう囁きながら撫でるように、少し伸びた前髪を耳にかける。ぶわ、と彼の額から首までみるみるうちに赤みが広がる。直前に言った通りこれはプレイとして成立していないただの真似事だ。だが――確かに効果はあるようだ。

 

「たつき、体調はどうだ」

「……目が、痛くて、頭も……、でも、さっきよりはマシ……かな」

「……そうか、よく話してくれた」

 

 褒め言葉を口にすることは二宮とて慣れているというほどではなかったが、手本は柳瀬だ。彼はプレイの経験が恐らく同年代と比較しても多いらしく、その分蓄積されたものが多くあった。

 硬く結ばれた手を、輪郭をなぞるようにして触れた。一本ずつほどいて、絡ませて指遊びのようにするとやがて彼も乗ってきた。重い吐息を漏らしながらも控えめな笑みがほころんでいる。頃合いを見計らい二宮は次のコマンドを出すために口を開いた。

 

「今までに同じことが起きたときはどうしていた?」

「……前回、は、マサ先輩が気付いてくれて、マサ先輩の家で一晩お世話になりました。……先輩の家族は、ぼくが先輩みたいな、変わった体質があるって聞いて、過ごしやすいようにしてくれて。またいつ来てもいいからねって言ってくれて……」

 

 体調が悪い中、師匠の話になると言葉数が増えるのに少し安心する。そうか、と相槌を打つ声は柔らかく響いていた。

 それからもいくつか質問をした。上手に話せたら手を握ったり、頭を撫でたり頬にキスをしたり。″上手に″の基準だって答えがない質問なのだからあってないようなもの、口に出せさえすればそれでよし、誤魔化すような、後ろめたさの滲む回答であれば少し聞き方を変えてやる。通常の二宮であれば考えられないくらいの甘い採点だ。

 彼への行動はすべてがすべて、元は柳瀬が二宮にしてきたことだった。二宮は柳瀬以外とのプレイの成功体験を積めていない。病院や、東からの紹介で何度となくセッションを行なってきてもそれは変わらなかった。けれど柳瀬との擬似的なプレイにおいては、彼との経験があれば十分だった。

 柳瀬からの経験を一つずつ彼に手渡しながら、二宮は最後の質問をする。

 

「……たつき、おまえは、俺にどうしてほしい?」

「――…」

 

 彼の唇が戦慄いた。二宮は甘く、「うん?」と相槌を打つ。質問を重ねてきたことで、何を答えても二宮は柳瀬を拒否したり、叱ったりしないと教え込んだ。どう答えても受け入れると。やがて掠れ震えた声で柳瀬が呟く。

 

「……そ、側に、いてほしい」

「ああ。……当たり前だ」

 

 会話するためにずっと一定の距離感を保ち続けていたのを、そっと引き寄せて抱きしめた。いつもの彼のプレイからするとむしろ遅すぎるくらいのハグだが、柳瀬はきついくらいに二宮を抱き返す。宥めるように背中をゆっくりとなで下ろし、しかし力強く腕を回す。長い間二人は何も言わなかった。お互いの呼吸の音と身じろぎする音だけが聞こえていて、互いの体温がじわり眠気を誘った。いつからか混じっていた鼻を啜る音が止み、彼の身体が完全に脱力するまで──どれくらいの時間がたったのかはわからないがとにかく、ずっとずっとそうしていた。

 

「……」

 

 起こさないよう慎重にベッドへ寝かせ、穏やかな寝息を立てる彼の顔を眺める。うっすらと目元に残る跡を指先でなぞった。

 

 

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