二宮から打診されて是と返した日付まではあっという間だった。やってきてほしくない日ほど早くくるというのもあるが、純粋にランク戦から始まり隊員募集、諸々の追加提出書類なりとやることは山ほどあった。純粋に忙しかったのだ。ここしばらくは趣味の散歩も〝人助け〟のために徘徊する時間をとることもできずに、防衛任務と試合対策の反復。その合間に授業を受け、家にはほぼ食事をとり寝に帰るだけという状態になっていた。充実しているといえば聞こえはいいし実際楽しんでいるのは確かなのだが、これで高校生や大学生はどういう生活を送っているのだろうかと首を捻るばかりだ。フリーのB級でいた頃に暇をしすぎていたのだと言われれば、たしかにそうなのかもしれないが。
いつも通り駅まで迎えにきた二宮は驚くほど変わりなかった。表情筋をあまり動かしていなさそうな顔も、柳瀬への態度も。上位帯の試合は時間の許す限りチェックしていたため、二宮隊は相変わらず一位をキープし続けているということは知っている。彼は何も変わっていない。
二宮隊に追いつくと威勢のいいことを言ったものの、いざ自分が参加してみると距離の遠さに目眩がした。柳瀬隊は中位帯をうろうろしつつたまに下位帯に落ちるというのを繰り返していた。三つ巴、四つ巴ルールのB級ランク戦においてはチームワークが何よりも重要だ。味方の援護が望めない柳瀬隊は、できたての隊ということもありまず真っ先に狙われる立場にあった。
しかし数の有利が取れないため勝つことが不可能かというと、戦闘員が同じく一人の漆間隊がいるため戦闘スタイルが違うという点を差し引いても隊員が一人きりだからという言い訳は通用しない。加えて氷見が紹介したオペレーターは優秀で、氷見に負けず劣らずのオペレーション能力を有している。となればこの結果は純粋に、柳瀬の力不足だ。
『柳瀬隊長は攻撃を重視しすぎて防御を疎かにするきらいがありますね。得点は確かに重要ですが、自分の継戦能力をより第一に考えて行動すれば、もっと上に行けるはずです』
前回のラウンドで解説に来ていた村上からの評だ。その弱点は自分でも分かっているし、再三オペレーターにも言われていることだった。実際、オペレーターに警告されなければ更に前のめりになって落とされていた場面も数多くあった。
師匠である影浦と同じく柳瀬もサイドエフェクトを持っているが、内容は全く別種のものだ。影浦も大概剥き身で戦場を駆け抜けているが、柳瀬が同じことをしても村上から評されたように落とされる場面が増えるだけなのは目に見えている。以前かげうらでレイガストをオススメされたことを思い出し、むむ、と眉間にしわを寄せて防御について考える日々が続いていた。
「最近、うちの作戦室に来ないな」
「へっ? あ、ああ。どうにも忙しくて……けど、元々そんなに行ってた訳でもないじゃないですか」
柳瀬が思索に耽っていたのもありどちらも無言のまま歩いていたが、不意に二宮が尋ねてきたのにそう返した。嘘はついていない。
そういえば、二宮隊の他の三人は柳瀬隊の作戦室を訪れたにも関わらず二宮は未だに来たことがないことを思い出した。一回くらいは来てくれてもいいのになとは思うが、よくよく思い返せば二宮から柳瀬を訪ねてきたのはプレイが急務な切羽詰まった状況下でだけだ。これ以上深く考えようとすると落ち込んでくるので、意識的に視界へ集中する。やっぱりこの地域は猫が多くていい。
「あそこの猫、前もいましたよね。このあたりが縄張りなのかな」
民家の塀の隙間、香箱座りをしているサビ柄の猫を指しながら話を振った。遅れて覗き込んだ二宮は吐息のように同意を返し、そしてつい、と視線を猫から柳瀬へ向ける。
「……おまえは、自分の目に頼りすぎだ」
「はい……?」
突然の駄目出しに気の抜けた声が出てしまった。柳瀬がぽかんとしている間にも二宮は構わず言葉を続ける。
「攻撃を当てるために踏み込みすぎだ。煙幕でも壁越しでも相手の位置が分かるのは利点だが、おまえのサイドエフェクトはもう周知されつつあるんだ。那須隊と当たったとき落とされたのは、おまえが迷わず攻撃を当てにくるのを読まれてたからだろ」
「……」
「それにフェイントの入れ方も甘い。読まれることも計算に入れて動かないとこの先…──おい、聞いてんのか」
「……は、はいっ、聞いてます」
どうやら彼は猫探しについてではなく、ランク戦についての批評をしているようだ。彼の言葉は、実際解説や隊の反省会でも指摘された箇所と重なる。煙幕越しの攻撃によってストレートに落とされたのは那須隊との試合が初めてだったが、実際これまでも何度か危ないシーンはあった。二宮からの他の意見はどれも的確で、今でこそ懲罰でB級に落ちているものの間違いなくA級部隊の隊長であったことを伺わせる。戦術についてやっと勉強を始めた柳瀬の考えつくことなどとっくに了解しているのだろう。しかし、二宮がいつになくわかりやすいアドバイスをくれたこと自体に驚いたのもあるが、柳瀬が気を取られたのはそこだけではない。柳瀬の参加した戦闘のシーン一つひとつを二宮が詳細に記憶しているところにあった。
「……二宮さん、ぼくの出てる試合……全部チェックしてくれてたり……します……?」
期待なのか緊張なのか、自分でもよくわからない理由で心臓が飛び跳ねる。今日限りで二宮とはまともに会うのをやめにしようと思っていたはずなのに。思っている、はずなのに。
二宮は柳瀬の問いに眉を寄せた。実際にはすべてではないが可能な限りは見ていたし、防衛任務と試合時間が重なっても太刀川や加古が解説を担当した試合があれば詳細を尋ねたりもした。しかしこれは柳瀬が隊を作るきっかけとなった辻や氷見も彼を気にして同じような行動を取っていたから、何もおかしなことはないはずだ。
「全部は無理だ……。そもそもは、おまえが言ってたことだろ」
「あっ、まあそうですよね。……言ってたこと?」
「俺の隊に追いつくだとか」
「ああ……そっか、そっちですね……」
「? 他に何があるんだ」
「や、ない。ないです、なんでも」
柳瀬は顔をやや俯かせて、勢いよく首を横に振った。いつにも増して百面相が激しい彼に内心首を傾げるが、柳瀬は喜んでいいやら何やらで表情筋の使い方すらよく分からなくなり始めていた。いや、でも、二宮からの戦闘アドバイスはこれ以上ないくらいに有用だし貴重なものだから、話してもらえるのなら聞けるだけ聞いておきたい。それは間違いない。
「それに、おまえの戦術もあるが……戦闘員一人で上位に行くのもそう簡単じゃないだろ」
「! そうなんです! それがついこないだ……あっ……、それについては……待て次回、ということで……」
かと思えばぱっと顔を上げて熱弁しようとした勢いが、あっというまにしゅるしゅると萎んでいく。二宮はあえて確認をとらなかったが、彼の言葉はつまり、次の試合までに戦闘員が増えることを意味していた。まだ二宮隊の順位には遠く及ばないとはいえ競争相手に情報を与えないのは戦術として基本中の基本で、しかしそのあまりの露骨さに二宮はどうしたものかと閉口する。けれど人数について話し始めたのは二宮なので、直な指摘も口に出しにくい。
結局、柳瀬の戦いぶりを含めた批評をまた二、三個追加で話したところではた、と柳瀬がテストの答案用紙を持ってきたときのことを思い出した。今の彼はしっかりと二宮の話を聞いているように見えるし、そこまで落ち込んでいるようには見えない。しかし、あのときも二宮は褒められたかった柳瀬の様子に気付かず解答直しと思い込んだまま話を進めていたのだ。その反省として、彼の行動の中で評価できる点を思い出してみる。……。
「……、」
「あっ、ちょっと待ってください二宮さん」
「……なんだ」
しかし、口を開きかけたところで当の本人に止められてしまった。彼は顔の前に両手でガードを作っている。歩くときの距離が心なしかいつもより遠く感じることといい、あまり目が合わないことといい、やたらと彼の言動に壁を感じるのははたして気のせいだろうか。
「いま、ぼくのこと褒めてくれようとしました? 違ってたらいいんですけど、今のところ二宮さんから褒めてもらえるようなところ一個もないので、褒めないでください。その……学校の勉強と、ボーダーは、違う話なので」
「……そうか」
「でも、ありがとうございます」
いくら学年差があれど経験の差があれど、ボーダーでは同じ隊員だ。そう考えるとたしかに彼の意見は筋が通っているだろう。深々と礼を述べる柳瀬の後頭部を見つめながら、そんなに深く考えることでもなかったのかもしれない、と。自宅の扉を開き柳瀬を招いた。