ぼくのSubの二宮さんがあまりにもズルすぎる   作:熊々楠

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最後のプレイ②

 

「セーフワードは?」

「Red」

「うん。じゃあ、そうだな……手を握ってくれる?」

 

 これが最後のプレイであることは二人とも了解しており、そして、二人とも変わりなくプレイに進んだ。一つめはお決まりの簡単な指示だけ。

 ローテーブルを避けて、クッションを敷いて向かい合う状態で両手のひらを差し出せば彼はためらいなく柳瀬の手を握った。相変わらず大きな手だ。骨張っていて、節々の凹凸がはっきりしている。指と指をからめてきゅっと握る。ありがとう、そう褒めればわずかに彼の頭が揺れた。

 新しく見つかったという二宮のプレイ相手は──三門大でダイナミクスを研究している教授らしい。聞いていた通り相手方とのセッションは順調に進み、問題なくプレイが可能だと確認できたようだ。教授というからには年齢は二宮よりもさらに年上なのだろう。であれば柳瀬相手には出来なかったプレイも当然できるということだ。二宮はSub spaceに興味がないらしいから、他の相手とのプレイだってどこまでを求めるのかは知らないけれど。

 ダイナミクスの研究に協力する代わりにプレイに応じてもらえるという話もしていた。具体的に何をするのだろう。……心配だ、と感じるのは、一般論的な心配からなのか、それとも執着しているSubへの独占欲なのか、柳瀬はもう自分では分からなくなっていた。

 いくつかコマンドを出して、そのすべてに二宮は応えてみせた。ぎゅうと抱きしめて頭を撫でると、彼は安心したように息を吐く。この温かく心地よい時間も今日で終わりなのかと思うと柳瀬の胸は締め付けられるばかりだった。

 

「匡貴、ハグして」

 

 つい逸らしがちだった視線も、プレイ中なら真っ直ぐ見つめることが出来る。ゆっくりと近づいた彼からきつく抱きしめられる。指を舐められた際、お仕置きが終わったあとに教えたことを二宮はずっと覚えていたし、あれ以降彼が彼自身の行動を制御できなくなることもないようだ。けれどプレイ相手が変われば、また彼は同じようなことをするのだろうか、そして、躾け直されるのだろうか。それとも受け入れられるのだろうか。そのどれもを想像すらしたくない。

 そもそも、他のプレイ相手を持つことを認めるという話は最初に取り決めて書類にも残してあるのだ。この部屋のどこかに原本があるし、柳瀬の端末にもきちんと写真は保存されている。柳瀬のプレイ相手だってなにも二宮だけではないのだから、元より独占欲を感じたり嫉妬すること自体がお門違いなのだ。そんなつまらない感情はせめて気付かれないように隠さなければ。大丈夫だ、残りは今日だけなのだから。そうだ、二宮に書かせた書類の写真も、不要なトラブルを招かないため近いうちに消去しなければならない。二宮にも、忘れることはないだろうが念のため破棄を勧めた方がいいだろう。

 

 

 中々次のコマンドを出さず、二宮の髪の感触を楽しんでいた。すると二宮は顔を上げ「褒めすぎだ」と不機嫌そうにする。ぼんやりとした表情を浮かべつつ、過剰であっても不足があっても不満そうにするところが二宮のかわいいところだと、彼とプレイを始めて以来ずっと思っていた。以前褒めすぎて何がいけないのか聞いたとことがあったが、どうやら褒められすぎると心地いいのを超えてぞわぞわするらしい。

 

「じゃあ、抱っこして」

 

 言うなり彼は立ち上がった。腕を引かれて「フラついてない?」聞くと「問題ない」そう返される。ふ、と息を吐いた彼が柳瀬の身体を持ち上げる。以前されたのと同じように、部屋の窓から遠くの町並みが見えた。

 

「……どう? ぼく、あのときより重くなった?」

「……変わらん」

 

 彼の頭を撫でつつ尋ねれば、難しそうな表情で返された。そんな、食べる量は明らかに増えてるのに。あのとき二宮にガリガリだと言われた腹にも、多少は肉がついたはずなのだが。

 視線が高くなるのは相変わらず新鮮で気分が良かったが、やはりあまり良くない気がして。早々に下ろしてもらい次のコマンドを打つ。

 

「せっかく最後なんだしさ、お疲れのキスしようよ」

「……? そんなセオリーがあるのか」

「いや……しらないけど。やったじゃん前も! 好きなところにキスしていいよって!」

 

 これは明らかな下心だった。あのときは、よりディープなコマンドの方が欲求の解消に有効だという理由からキスをコマンドしたが今回は違う。せめて最後に二宮からのキスが欲しかった。

 

「匡貴、好きなところにちゅうして。……ぼくも、同じ所にキスしてあげるから」

「……」

 

 二宮はまぶたを何度かしばたたかせてしばらく迷ってから、やはり口づけには頬を選んだ。本当に触れるだけのそれはまるで羽毛がかすったようでくすぐったい。その柔らかさに肩をふるわせながら、二宮の頬に同じだけのキスを返す。すればするだけ彼のことが好きなのだと実感する。そしてこれは今日限りのことであると。

 

「……じゃあ、最後はぼくからするね。匡貴は、同じとこに返して?」

「ああ」

 

 ぼんやりとした、とろんと眠そうな表情で彼は頷いた。柳瀬はなんとか二宮のDomでいられたらしい。彼の安心しきった表情に満たされているのを感じながら、そしてどうにも埋まらない場所があるのを感じながら。じっとキスを待つ二宮の、その唇へ。

 彼の唇と己の唇とを、そっと重ね合わせた。

 柔らかい唇だった。乾燥のせいか少しかさついていて、けれど今までのキスのどれよりも柳瀬を満たす口付けだった。

 今日のプレイは、二人のプレイは、二宮がキスを返せばそれでおしまい。残された時間はあと数秒だけだった。けれど、二宮からのキスが柳瀬に返ってくることはなかった。

 

「……っ、……」

 

 眠そうだった目をしきりに瞬かせて二宮の呼吸が荒くなる。はく、と口の開閉を繰り返して、どうしたのかと尋ねるよりも前に、彼は苦々しげに告げた。

 

「っあ、……れ……Red……」

 

 

 ぱんっ

 

 

 目の奥で何かが破裂する音がした。──セーフワードだ。Subの──二宮の様子につられてふわついていた気分が一気に覚醒する。プレイの余韻もすべてが消え失せた。冷静な思考が戻る。己は今、二宮に何をさせようとした?

 

「──っあ、……え、まさ、たか……」

「っ……」

 

 セーフワードを使わせるほどのコマンドを使ったせいで、二宮に負担がかかっている。自分のしでかしたことに血の気が一気に引き、徐々に下がっていく二宮の頭を抱きしめてケアを行った。

 セーフワードを使うには、パートナー間で信頼関係がないと双方にリスクがある。Sub側は見捨てられるかもしれないという恐怖、Dom側は身体的な苦痛となって現れるそれは、信頼関係があれば軽減される。柳瀬には衝撃こそあったものの苦痛はない、しかし、二宮は目に見えて苦しんでいる。咄嗟に言葉が出てこなかった。

 

「っあ、ああ、ごめんね、こわ、かった、よね。セーフワード、使ってくれてありがとう、もう、もうしないから。もう、嫌なことしないから」

 

 そうだ、これは嫌なことだったのだ。二宮は柳瀬とキスをしたくなかった。けれど柳瀬は彼に強要した。

 セーフワードはSubが身を守るための手段だ。本能だ。防衛機能だ。Domはセーフワードを告げられれば即座にプレイを中断しケアに専念する必要がある。Subはコマンドを否定したのであって、プレイそのものやDom自身が否定されたわけではない。使って当たり前なのだ。わかっている、わかっていた、わかっていたはずだ。

 セーフワードの練習をしたときと違い彼の告げたセーフワードで少しも胸が痛まなかったのが、かえってどうしようもなく痛かった。

 大きく息を吸った二宮が喘ぐように声を絞り出す。縋り付くようにシャツを引かれ屈むと、彼の声はすぐそばだった。

 

「……、俺は……俺と柳瀬は、恋人でもなんでもない。ただのプレイ相手だ……、勘違いするな……」

 

 それは柳瀬も理解していたはずの、ごく当たり前のことをだった。柳瀬と二宮はあくまでも同じ組織に属しているだけの間柄で、年齢だって遠くて。何の因果かたまたま、本当に偶然が重なって、暫定的なパートナーになっただけだ。

 

「っ、ご、ごめん、なさい……ごめんなさい」

 

 泣くのは卑怯だとわかっているはずなのに、泣きたいのは彼の方だろうに。謝るごとにどんどんと声が滲んでいく。

 

「ごめんなさい……っ二宮さんのことが好きで、……ごめんなさい」

 

 柳瀬は逃げ出すように、二宮の家を後にした。

 

 

 

 *

 

 

 

 好きな場所にキスをしていいよと言われて、魔が差しそうになった。結局選んだのはいつかと同じ頬だったけれど、あと数センチも横にずらしてしまえば、それが自身の求めているものだと確信していた。満たされることはわかっていた。けれど、それは違う。相手は子供で、いくらDomとはいえ二宮の勝手な行動で彼をどうにかしてしまうだなんて、そんなこと、していいはずがなかった。

 キスは頬だろうと唇だろうとプレイにおいてよくする場所というのは知識として知ってはいたが、長いことプレイ経験のなかった二宮にとっては、ただ唇〝だけ〟とは思うことができなかった。――否、二宮自身はべつにいいのだ。これまでの人生で恋人が全くいないわけでもなかったし、そもそも唇ひとつに騒ぎ立てるほど箱入りの貞操観念をしているわけではない。柳瀬も初期の段階でキスのコマンドをしたということは、二宮以外のパートナーとのプレイで幾度となくしてきたのだろうことは想像にたやすい。けれどそれで柳瀬と二宮がしてもいい理由になるかと言えば、二宮は首を横に振る。二宮は、これ以上柳瀬自身を二宮や他者に差し出させるようなことは好ましくないと思っていたからだ。それがただのエゴだとしても。

 ただでさえ柳瀬を自身の体質のせいで縛り付けている。だから一刻でも早く彼を解放して、真っ当な距離感で側にいてやりたかったのに。

 何回かの頬への口付けは短いようで長かった。選択権がある、自由があるというのは裏を返せば、選ばなければならないということだ。こういうやり方が一般的なプレイにおいてスタンダードなのかはわからないが、少なくとも彼はSubにある程度の選択権を与えるプレイが好きなようだった。いつでも彼の唇を奪ってしまえるという状況で、それを欲しがっている状況で頬だけを狙うのは難しかった。震える息すら押し殺して彼の頬に唇を押しつけて、彼からも頬にされる。嬉しい反面拷問のようなそれがやっと終わって、今度は彼からの口付けがあるという。

 ふわふわと心地いい気分でそれを聞いて、たしかに彼からキスをされたことはなかったから、さてどこにされるのだろうかと心が浮つきそわついて。

 

 

 

 ――ただのキスが、こんなにも嬉しくなるだなんて。こんなに大それたものだなんて。彼の唇へ、口付けしてみたいと、触れてみたいと。けれど絶対にしてはいけないと、そうずっと考えていたのを差し引いても尚、思ってもみなかった。

 

 

 

 けれど、違う、違う。勘違いしてはいけない、彼がキスをしたのは二宮が特異な体質をしていて、それを自らも犠牲にするほどの奉仕精神にかられているだけだ。違う。自分を犠牲にするのは止めろと言ったのに聞いてくれない。これを、まちがっても彼から二宮への個人的な愛情だと思い込んではいけない。やめろ。

 だから、今すぐ口付けを返すべきだ、返さなければならないと命令する脳みそを無理やり押さえつけてセーフワードを告げた。こうすればこれ以上彼を、二宮によって損なわせることにはならないだろうと考えて。

 欲求と矛盾する行動のせいで、どうしようもなく寒くなっていく。怖い、暗闇の中へ真っ逆さまに落ちていくような心地がする。指先が震えた。

 彼は震えた声でなお二宮をケアをし続けた。しきりに謝る彼に違うと、おまえはこんなことをする必要はないと。そう言ってやりたかったがどうしても己の喘鳴が聞こえるだけだ。嫌だけど嫌ではないのだ。色んなことを許されてしまえば二宮自身が止められなくなりそうで――お仕置きをされたとき以上のことをしてしまいそうで、その危険性を排除するためのセーフワードなのだ。その言葉は荒い呼吸にかき消えてしまった。恐怖と怒りと寂しさでどうにかなりそうだった。

 つい目の前にあったものを何かも理解もせずつかみ縋りついた。彼との関係を勘違いしてはいけない。自分がどうしたいのかもわからないままとにかく考えていたのはそれだけだった。

 

「……、俺は……俺と柳瀬は、恋人でもなんでもない。ただのプレイ相手だ……、勘違いするな……」

 

 これだって至極当然の、ただの事実のはずなのにどうして胸が締め付けられるのか、自分で自分が理解できなかった。Sub性に引っ張られてDomの身体に惹かれるうちに、感情まで引っ張られてしまったのだろうか。そんなことは許されない。ただの事実確認の言葉は、自分に言い聞かせるための言葉になっていた。

 二宮はただ、彼が無茶をしないよう見ていられるぐらいの距離にいられればそれでいい。そのはずだ。

 ああ、柳瀬が泣いている。誰だ、泣かせたのは。泣くな、泣かないでくれ。身体が上手く動かないがコマンドを、今すぐ泣き止ませろと命令してくれ、そうすれば俺はきっとおまえを、

 

「ごめんなさい……っ二宮さんのことが好きで、ごめんなさい」

 

 彼は、今なんと言った?

 

 

 

 自身のSubとしての欲求を無視してセーフワードを言うのは、やはりそれなりにリスクのある行動らしい。はっきりと時計を見ていたわけじゃないから正確な時間はわからないが、十数分はケアを受けてなおうずくまっていたようだ。

 やっと落ち着いて身体を起こした時にはもう柳瀬はいなくて、慌てて玄関を見ても靴はなく、玄関からでて辺りを見回してもそこにいたのは地域猫と、どこかへと向かう通行人しかいない。あの小さな影はどこにも見つからなかった。

 

 

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