体勢はやはりやりやすいという理由で最初と同じ、二宮がラグとクッションの上に座り、柳瀬がソファへ浅く腰掛ける位置でスタートすることにした。
「匡貴、ぼくと目を合わせて、こっち見て」
ぱち、と視線が合う。これから使うのは、同じGlareでも別種のものだ。柳瀬はラジオのチャンネルを合わせるように、音量のつまみを上げていくように。慎重にGlareの出力をひねっていくようイメージした。
「どんな感じがする?」
「……、さっきより、ふわふわする……落ち着かない。なんだ、これ」
ふ、と息が詰まったような音がする。少し混乱しているようだ。柳瀬は威圧目的でGlareを使っているわけではないが、慣れない感覚はやはり不安を覚えるらしい。二宮は特にプレイの経験がなかったのだから、威嚇目的はもちろんご褒美のGlareだって経験は殆どないはずだ。彼はプレイできる者が限られているけれど、Glareは誰のものでも受け付けててしまうのだろうか? そうふと考えて、彼の観察に集中するために首を振った。
「怖い?」
「……いや」
数秒考えて、目は合わせたままでゆるりと首を振った。
「……おそらくだが、すぐに慣れる」
この数往復の会話の中でも既に、違和感は心地よさに変わりつつあった。二宮の様子をつぶさに確認しつつ柳瀬は徐々にGlareの量を増やしていく。Glareを──それも意識的に放つのは久々も久々だったが、影浦からぶつけられたそれは調子を思い出すのには十分だった。二宮からショック療法的に引き出されたあれも含めて――あれらがなければ、ここまで上手く調節できていたか分からない。
「そう、答えてくれてありがとう。変な……嫌な感じがしたら教えてね」
「ああ」
いつものように二宮の髪を撫でる。彼はソファにかけているためいつもより上の位置から来るそれを受け入れる。いつもと変わらないはずだ、けれど柳瀬の行為も言葉も、普段以上に二宮の深いところへ浸透していった。
「……、っは……、?」
なんだこれは、そう思うけれど、あっという間に馴染んでいく感覚は十分に覚えのあるものだ。こもる息を吐き出して、まだ目は合わせたまま。このコマンドは続いている。柳瀬の、二宮を隅々まで観察するような眼差しが、視線の動きまでが全て見える。二宮から見えると言うことはつまり、柳瀬も二宮の動きが全て見えているということだ。視線の動きだけではない。表情も息遣いも髪の流れも、全てだ。
(……いま、俺はどんな顔をしている? たつきは、何を思いながら俺を見ている?)
考えれば考えるほどぞくぞくした。もっと己だけをみて、己だけのことを考えてほしいと思う。彼が二宮を見るだけ、見ていなくとも。どれだけでも二宮は耐えられる。それを証明する機会が今なのだ。コマンドはいつまで続くのか、次のコマンドはいつ放たれるのか。期待してはじっと堪えていた。
プレイの高揚感は酩酊感と似ている、と以前初めて飲酒した際に二宮は感じたが、Glareの影響はその比ではないようだ。きっと立ったままプレイを始めていたら、その場に座り込むか倒れるかしていただろう。次第に平衡感覚が狂い、意識がどこかに引きずり込まれそうになる。横になったらすぐにでも眠ってしまいそうな感覚、浮遊感。慣れない感覚に不安はあるけれど、でも、見つめている相手は柳瀬だ。このまま彼に全てをゆだねてしまっても大丈夫なのだから、楽になってしまえと頭の中で何かが囁く。さらに誘惑はどんどんと強くなっていく。
甘美なめまいについぎゅっと目を瞑ってしまう。けれど柳瀬はそれを許さない。
「匡貴」
短く名前だけを呼ばれた。目をそらしていいとは言われていない。はっとしてまた彼を見上げる。彼のコマンドに背こうとしたわけではない、二宮はもっと、何だって出来るのだ。けれど彼のコマンドを従う間、まだ褒められていないのに勝手に身体が悦んでしまう。ばちばちと脳内を響く音は際限なく二宮の神経を甘やかす。直に撫でていく。閉じそうになるまぶたを開き、じっと目を合わせたままでいる間にもどんどんとぐらつく感覚は強くなる。
「つらい?」
尋ねられた。ばち、瞬きを彼がするたびに増していく未知の感覚。ひくつく喉で無理やり唾液を飲み込み、首を横に振った。
「つらくない、まだ、できる、」
つらくはない、ただ気持ちがいいだけだ。けれど、自分が座っていられているのかすら定かではなかった。それでも柳瀬と目が合っている。自分が彼を見ていて、彼も自分をみている。だから大丈夫だ、身体を投げ出されてなんかいないと安心できる。彼は二宮の灯台だった。
彼の指先が二宮の頬へ触れた。それだけで気持ちがいい。なぞるように撫でられるのも、いつも彼が褒めるのと同じ動きで。無言でいるのに褒められていると錯覚してしまう。炭酸のようにぱちぱちと、歓喜の泡が無数に弾けては消え、また次々生まれていく。だめだ、これ以上は、目を開けていられなくなってしまう。
「いい子」
たったその一言で、また瞼を閉じてしまいそうになった。彼の声だけ聞いてひたすらに浸っていたい。けれど、彼から褒められるには彼のコマンドを守らねばならない。彼と見つめあうのも気持ちがいい。目を閉じたいと思う反面、瞬きすら勿体ないとも思う。これ以上ないほどに甘やかなジレンマだった。
「ぼくの言うとおりにできて、いい子だね、匡貴。かわいい、大好き」
彼が囁くたび、二宮の口から細かな息遣いが声帯を震わせ逃げていく。返事をしようとしているのではない。勝手に出てしまうのだ。普段とは比べ物にならないほど二宮の思考回路や意識はどろどろになっている。柳瀬に一つ褒められるたび、指先が甘やかすたびに不安定さはなくなり身体のこわばりもとけていく。いつもなら「褒めすぎだ」と文句を言うくらい言葉を重ねられているが、今回ばかりはなにも言わなかった。そう考える余地すらないのかもしれない。
柳瀬が深くソファへ座り直した。背もたれに身体を預け、彼自身慣れないGlareに少なからず興奮しているのか、息を震わせるように肩を揺らした。そして興奮で乾いた唇をぺろりと舐めて、それから両手を広げる。
「……そういえば、まだこれをやってなかったね。──匡貴、手を握って?」
コマンドを受けわずかに冷静さが戻る。視線を下ろし、二宮の眼差しは柳瀬のゆるく開かれた両手へ注がれた。先ほどまでは少し手を伸ばせば届く距離だったが、深く座り込んだことで遠くなってしまった。ソファへ乗り上げないと彼の手を握ることはできないだろう。
そう考えている間にも彼から感じるGlareの量は確実に増えていき、なお二宮を包み込んでいる。彼とはわずかながらに距離があるはずなのに、まるで全身を抱きしめられているようだった。
ごくり、知らずのうちに口内へたまっていた唾液を飲み込んだ。視線を彼の手元へ注いだまま緩慢な動きでクッションから腰を上げる。足の長いラグの上に手をつき、ふらついて倒れてしまわないようしっかりと指先に力を籠めた。一歩というにはあまりにも短い間隔だが、そのたびに二宮にまとう空気のようなものが揺れるのを感じる。二宮がコマンドを達成すべく行動するさまを見て柳瀬が喜んでいるのだと、なぜかはっきりと理解できた。
「……っ……」
もっと彼を喜ばせたい。おまえのSubはここまでできるのだと、おまえの言うことを忠実に守れるのだとを証明してやりたい。彼の膝に手をかけた。途端、溢れだした彼からの喜色のGlareにめまいがする。決して不快なものではなくより二宮の意識をとろけさせるもので、思わず膝や肘から力が抜けそうになった。それもなんとか堪えてにじり寄る。
ソファへ乗り上げて、やはりフラつかないように少しの間耐える。ついに彼の指先を捉えて、手繰り寄せるように握る。与えられたのは、ずっと二宮を包み込んでいたもの以上の抱擁と、頬や額に与えらえる口付けだった。
ありがとう、よくできたね、身体はつらくない? 彼が問いかけるたびにこたえようとするが、目からは相変わらず息が音になっていくだけで言葉らしい言葉は発することができない。変わりにうなずいたり、逆に首を振ることで意思表示をした。――それがうまくうなずきや首振りになっていたかは定かではないけれど、少なくとも柳瀬には正しく伝わっていた。
つらくはないが脱力しきっている。自分で身体を動かそうとは思わない。彼の手を握るために立ち膝していたのが彼に声をかけられるたび、撫でられるたびに力が抜けてずるずると落ちていく。柳瀬も無理に体勢を整えさせるようなことはせず、彼が倒れこんでしまわないよう浅く座り直して、両足で二宮の身体を挟み込むように支えていた。
彼の太ももに頭を預け、夢見心地で彼の声を聞く。彼の囁きは直接二宮の頭に響き、彼以外の音が世界から消え去ったように感じる。まるで世界で二人きりになったようだ。ずっとこのままこうして彼との時間に浸りきってしまいたいと考える。まどろみのような幸福な時間。
「Glareの練習、上手くいったよ。ありがとう」
「……、ん……」
やはり返事というほどの返事はできない。多幸感に溢れたまま、目元をくすぐる彼の指先に目を閉じた。
「上手にぼくのGlare受け入れてくれたね、さすがぼくのSubだ」
言って、目じりをぬぐわれた。知らずのうちに涙が滲んでいたらしい。彼の言葉はプレイの定型文として言われるものではないことを理解した。そうだ、おまえのSubだ。瞬きをすると、ころりと新しいしずくが彼の服を濡らした。
Glareはもう放ち終えたのか、気が付けば二宮を包んでいた感覚は消えていた。けれどふわふわとした気分はそのままで思考力も戻ってこない。ただただ、彼と触れあうことが心地よい。
もっと褒められたい、触られたい。彼からのコマンドなら何でもできるという気持ちになっていた。
「好き、匡貴、大好きだよ」
「…――、……」
じんわりと熱さが灯った。息を吐くと、柳瀬は何かに気付いたように取り出したハンカチで二宮の口元をぬぐい、自らの太ももとの間に挟み込んだ。どうやら二宮は口も満足に閉じられないほど脱力しているようだ。
けれど羞恥心よりもずっと、二宮のDomに──他でもない、柳瀬に世話を焼かれていることにどうしようもなく満たされていく。
彼の指が、手が、二宮を甘やかす。耳に触れ、肩をなぞり背中を抱き指先を握る。漂うようなこの心地よさをずっと味わっていたいと願っていた。
「ねえ、匡貴」
柳瀬は内緒話をするように耳元で囁いた。それだけでため息のような吐息が漏れてしまう。二宮は何も発せなかったけれどその吐息が返事になったのか、彼は唇で二宮の耳殻をなぞった。続きを待っていたが、柳瀬は少し迷ったような動きをして、はじめに考えていたこととは別の言葉を告げる。
「──…、やっぱり後でにしよう」
「ぁ……、?」
柳瀬はもう一度二宮を抱きしめた。彼の全身から愛しいという感情が流れ込んでくる。けれど、今回は終わりの時間が来たようだ。彼の呼吸音を耳がとらえる。
「……匡貴、そろそろ戻っておいで」
「……、……」
彼に呼ばれた。どこから、というのは言われずとも理解できた。深くに沈み込み、ゆらゆら揺れていた意識が一気に引き上げられる。