ぼくのSubの二宮さんがあまりにもズルすぎる   作:熊々楠

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ぼくのSubの二宮さんがあまりにもズルすぎる

 

 ぱち、瞬きをすると、瞳の奥すら覗けてしまいそうなほどすぐ側で柳瀬が目を細めていた。二宮の思考は彼の「戻っておいで」の一言をきっかけにして、驚くほどすっきりしている。身体を起こして、いまのは、そう尋ねる前に柳瀬に抱きしめられた。

 

「……おかえり! どう、気持ち悪いところとか、ない?」

「あ、ああ……。無い、が……」

「入れたねぇ」

「……今の、は、」

「Sub spaceだよ、Glareがあれば、すっと入れちゃうこともあるんだね。今までそれっぽい感じなかったのに。……直前に痛い方も浴びてたのと関係あるのかな?」

「……今のが、そうなのか、」

 

 呆然として、柳瀬の言葉に返すことが出来ない。身体を離した彼がふっと笑って二宮の口元に指を伸ばした。

 

「っ、いい……」

 

 はっとして顔を逸らす。拭ったのは渇き始めた唾液だ。

 

「……、やっぱり、ヤだった? Sub space入るの……」

 

 彼が気遣わしげに尋ねる。そうだ、二宮は柳瀬にSub spaceへ入りたくないと主張していたのだ。しかし戸惑っていたとはいえパートナーに相応しい態度ではなかった。

 

「いや、ちがう……すまない。……驚いただけだ。思っていたSub spaceと、違ったから……」

「あー、ええと……ぼくのこと、襲う、みたいな、話?」

「……そうだ」

 

 しかし先ほどの様子からすると、二宮に柳瀬を襲うような余裕というか、余力のようなものがあるようには思えない。彼は終始脱力していて、後の方なんかは柳瀬の支えがなければ床へ崩れ落ちてしまっていただろう。全身で二宮を支えるのは、体格差の分大変だったけれど頼られているようで嬉しかったし、彼の体重の分愛しさが溢れて止まらなかった。おまけにかわいかった。口が半開きになって目がとろんとしていたところなんて、それだけ気持ちよくSub spaceに入れているということがわかる。柳瀬にとってはGlareの練習以上に得るものが多かった。

 いつも以上に楽観的な見方になっているのは自覚しつつ、でも気にしすぎても仕方ないんだし、と言い訳をしながらフォローした。

 

「え~と……偶発的ではあったけど、とりあえずの懸念が一つは消えた……ってことで、いいんじゃない、かな?」

「……」

 

 簡単に言ってくれる。二宮は思った。しかし考えても知りようのないことではある。今回のことで柳瀬はGlareを自発的に使えるとがわかったのだし、トータルで言えば圧倒的にプラスなのも分かっている。

 大きく息を吐いて、それで? 二宮は尋ねた。

 

「後でにするって、何のことだ」

「うん?」

「Sub spaceから戻ってくる直前、何か言おうとしてただろ」

「ああ! へへ、えっとね。Sub space入ってるときに言ったら、コマンドみたいになっちゃうかなって思ったから言わなかったんだけど」

 

 柳瀬の人差し指が二宮の着ているシャツの襟ぐりに入り込む。彼の喉仏から始まり首筋を半周して、うっそりと微笑んだ。

 

「せっかく正式なパートナーになったんだし、誕生日プレゼント……って訳じゃないけど、Collar、ぼくからプレゼントしたいなぁって……いいかな?」

 

 Collar。パートナー関係にあるDomからSubに贈られるアクセサリーだ。原義は首輪だが、互いにCollarであると認識していればそれはCollarとして機能する。代表的なものはチョーカーやブレスレットだが、それに限らずミサンガや指輪、ピアスなど選択肢は多岐にわたる。

 Collarを身につけていれば、Domと離れている間でもSubは安定し頻繁なプレイが必要な者でも体調不良を抑えられることが多い。Subが身につけているそれを見る度に、己のものであるとDomは満足できる。Collarは、DomとSub双方に精神的な充足をもたらすものだ。

 

「二宮さん、なんでも似合うと思うんだよね。何を付けるのかは……二宮さんが付けるものだから好みのものを選んでもらうとして……ぼくのSubなんだよっていう印を付けて欲しいんだ」

 

 どうかな? 首を傾げる柳瀬はまだ二宮の首元をなぞっている。つい官能が刺激されそうになり、手のひらごとつかんで止めさせた。でなければ彼の指示ですっきりしたはずのSub space中の熱までうっかりぶり返してしまいそうだった。

 気取られない様にひっそりと息を吐いて、柳瀬が不安に思わないよう指を絡ませる。嫌だから止めさせた訳ではないという意思表示だ。

 

「わかった。ただし、俺のCollarを選ぶのはおまえだ、たつき」

「……ん、いいの?」

「俺のDomはおまえだろう。俺がおまえのものであるという証なんだ、おまえが選べ」

 

 元はといえば柳瀬の「ぼくのSub」という発言が発端なのに、「俺のDom」という言葉を聞き柳瀬は律儀に顔を赤くさせる。身体を密着させても早々照れないのに、こういう所で照れるのはどうしてなのか。でもそんな彼がかわいくて、もう少しだけ困らせてやろうと二宮は挑発するように微笑んだ。

「さぞ、俺の気に入るCollarを贈ってくれるんだろうな? 俺のDomは」

 やはり所有格にドキリとしたあと、思った通り彼は焦りだした。

「そ、れは、勿論頑張るけど……! ど、どういうデザインが好きかとかは、聞いてもいいよね?!」

 これからしばらく、柳瀬は二宮に贈るCollarのことで頭がいっぱいになるのだろう。想像するだけで気分がいい。つかんだ指先を伝って腕を伸ばせば彼は易々と密着を許す。腕に力を込めると、驚いた後すぐさま嬉しそうな笑い声を上げて二宮の背中へ腕を回した。

 

 

 

 

「……ほ、ほんとに大丈夫、ちゃんと家まで帰れる?」

「……大丈夫だ」

 

 何度目かのやりとりにいい加減二宮はため息をつきそうになった。二宮の誕生日祝いも同意書の書き直しも、Glareの練習だって上手く行った。二宮がSub spaceに入ったために少し時間はかかってしまったが、それでもボーダーで仕事が溜まっていればこのくらいの時間になることもある、という範囲に収まっていた。電車だって終電にはまだ余裕があるのだ。

 しかし、そう。まさにSub spaceに入ったことで、柳瀬はしきりに彼を心配しているのだ。

 

「……別に、ぱやぱや、だったか? してないだろう」

「う、うーーーん……」

 

 おそらくぼうっとしている、くらいの意味合いなのだろう。彼の心配しているところは二宮が正常な意識のまま家に帰れるかどうからしい。今は大丈夫に見えても後からふらつく可能性がとか色々言っているが、終わりの見えない問答についにため息が出た。

 

「……やっぱり泊まってかない?」

「馬鹿、昨日の今日どころじゃないんだ。そんな簡単に言うな」

「簡単でもないけど……じゃあ、せめて駅まで送って……」

「何時だと思ってる。中学生を出歩かせられるか」

「……」

 

 まだ十分電車もある時間とは言え、中学生が出歩くには遅い時間だ。柳瀬はこの時間でも一人で出歩くくらいはしているのだが、また藪蛇が見えていたため口を閉ざす。言えば問答無用で二宮が玄関から出て行ってしまうことは想像に難くなかった。

 

「……わかった、じゃあ家に着いたらメールする……それでいいだろ」

 

 あからさまにぐずる彼の、少し俯いた頭を撫でた。……そういえば、これは嫌だったんだか。そう思い手を離そうとしたとき、彼の頭が押し付けるように擦り寄ったのがわかった。

 

「……駅! こっちと、二宮さん家の最寄りに着いた時も送って!」

 

 こいつ、案外束縛するタイプか? 他人事のように頭の隅で考えた。過剰なほどの心配性は元来の性格に由来しているのか、恋人……二宮相手だからなのかは追々確認していくとして。お互いの妥協点はそこだろうと頷いた。しかし彼は心底心配だ、というふうなため息をつく。ため息をつきたいのはこっちだ。

 彼の手が伸ばされたのを捉え、何かを言われるでも考えるでもなく、二宮からも無言で抱きしめていた。ハグが好きな彼に、やはり条件反射を作られている気がした。二人きりならいざ知らず、外では気を付けなければならない。

 彼の背中は相変わらず小さくて薄くて、悠々と腕が回ってしまう。包み込むようにすると、ほぼ同時に彼の腕も二宮の背中を擦るように撫でた。

 

「また明日」

「うん……気をつけて帰ってね、おやすみ」

 

 

 

 *

 

 

 

 二宮を見送ってからも落ち着かず、柳瀬は玄関や居間をうろうろしていた。二宮からのメールを知らせる通知にぱっと中身を開き、特に問題なく駅に着いたことを確認する。

 ふ、と息を吐いて一言添えた返信をした。やっと少し冷静になったけれど、それでもなお柳瀬はもし彼が公道で〝ぱやぱや〟してしまわないかどうか気が気ではなかった。確かに会話していた限りではその傾向はみられなかった。しかし、以前──まだ二宮がプレイ慣れしていないときに見たその状態の二宮は、今思い出しても、あまりにも、危うかった。

 当時はかろうじて顔見知りである彼への老婆心として、「鏡の前でトリガーオフするように」と注意したけれど今回の心配はその比ではない。本当ならば誰にも見られないよう閉じ込めてしまいたかった。

 と、そこまで考えて危険思想に一歩足を踏み込んでいることを自覚する。これは自分のSubを守るための行動──Defenseの一種なのだろうか? 二宮への心配だって杞憂で終わるだろうことは理解しているはずなのに、なんとも不毛な防衛反応だ。

 

 落ち着くために水を飲み、それでもやっぱり落ち着けないので切っていたラジオを再度つけ。けれど音声は右から左に通り過ぎていってしまう。

 やがて二通目のメールを着信した。一通目の文面とほぼ同じ最寄り駅についたという連絡。また少しほっとする。そして、面倒くさい要求だったにも関わらず律儀にメールをよこす二宮に、少し余裕が出てきたことで、喜びと照れと愛しさが同時にこみ上げてきた。

 返信をすませ、やっと落ち着いてきたところで洗い物を片付けているとまた着信を知らせるために電話が鳴った。今回はメールではなく通話だ。もしや、何かあったのだろうか? ドキリとして濡れたままの手もろくにぬぐわないまま通話ボタンを押す。

 

「も、もしもし?」

「たつき、家についた」

「あ、……おかえりなさい……」

「……なんだそれ。ああ、ただいま」

 

 スピーカー越し、少しくぐもった笑い声が聞こえる。どうしてメールではなく通話なのかという疑間は声色にも乗っていたようで、柳瀬が尋ねるより先に二宮が答えた。

 

「……、それで? 言いつけを守ったご褒美はそれだけか?」

「え、あっ、……え?! コマンド、に、なってました?!」

「……」

 

 二宮は無言だ。さっきと違ってマイクにかかる息もないから彼がどんな表情をしているのかはわからない。しかし、やはりコマンドを使った覚えはなく玄関先でのやりとりはあくまでもお願いの範疇であるはずだ。それでわざわざメールではなく通話をする意味とは。

 そこでやっと、彼の声はやはりいつも通りで帰り道の間、何事もなかったらしいことに思い至った。〝ぱやぱや〟だってしていない。その証明として二宮は柳瀬にメールではなく通話で直接連絡をとったのだ。

 彼からの気遣いにやっと気が付き、一呼吸置いてから柳瀬は二宮へ語り掛けた。

 

「……ぼくのお願い、聞いてくれてありがとう。声もしっかりしてるみたいだね」

「気は済んだか?」

「うん、安心した。……ごめんね」

「……」

 

 沸いてきた罪悪感から謝罪が口をつく。少しの沈黙の後、ぼそりと言われた言葉は重々しいものだった。

 

「……これで少しは、俺の気持ちも理解してくれればいいんだがな」

「っあ、え? ……あ、ああ~……ハハ……、はい……」

 

 少し考えて思い至った、再三言われている「無茶をするな」「余計なことに首を突っ込むな」「あまつさえ怪我をするな」等々の言葉たち。身に覚えがありすぎるそれにさっきまでキリキリと締め付けられていた腹や胸のあたりをさすった。たしかにこれは、経験してみないとわからない気持ちかもしれない。

 急にバツが悪くなって言い淀む柳瀬に、またくぐもったため息が聞こえた。

 

「もう切るぞ。おまえもさっさと寝ろ」

「うん、二宮さんもね」

「歯もちゃんと磨け」

「わかってるってば。二宮さんがぼくのこと何歳だと思ってるの」

「十三のガキだろ」

「……すぐにでっかくなるんですからね!」

「そうか。見物だな」

「またそういう言い方して〜……。……二宮さん」

「ああ」

「あの……ありがとう、大好きだよ。おやすみなさい」

「……たつき」

「うん?」

 

 ぽんぽん交わされた短い言葉の応酬がそこでふと途切れた。別れを惜しむような間だ。そしてスピーカーが、くぐもった吐息の音を拾う。二宮の低音が耳朶を震わせた。

 

「たつき、愛してる。……おやすみ」

「……、……あっ、えっ?!」

 

 かろうじて反応できたかどうかのところで通話が切れた。わずか数分の通話時間を知らせる画面を見つめ、徐々に何が起こったか理解するにつれ、比例して顔に熱が集中する。今にも火が出てしまいそう、否、今まさに燃え盛っているのではないだろうか。

 

「……うぅ、なんなのあれぇ……、……かっこいい……ずるすぎる……」

 

 そして膝からずるずると崩れ落ちていく。柳瀬はしばらくの間、そこから動くことができなかった。

 

 

 

 ぼくのSubの二宮さんがあまりにもズルすぎる【完】

 

 

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