部屋の温度は下がっていたが、なるべく早く終わらせたいという考えは二人とも一致していた。
プレイの頻度は二宮の体調を考えなるべく一週間以内、タイミングが合わなくとも最低でも三週間に一度。場所は二宮の部屋で行うことになった。本部の空き部屋は人通りが少ない分、万一出入りを見られた場合強く印象に残ってしまう。知人友人間わず数多くの者から「二宮に絡まれているのか」と尋ねられた経験からして、避けた方がいいと柳瀬が言ったからだ。作戦室はどうかという案もあったが大学生と中学生では時間を合わせることも難しく、扉にロックはかけられるもののいつもかかっていない作戦室の扉に二宮隊の他の面々――高校生たちが入ろうとした時にかかっていたら露骨に怪しいため却下となった。
一通り項目を埋めたふたりは今日の分のプレイをすませることにした。机をよけて場所を空け、人ひとり分ほどの距離を取る。
「じゃあ、はじめるね」
「ああ」
「セーフワードは?」
「Red」
「うん。……こっちおいで」
手を軽く広げ、迎える体勢をとった。二宮は柳瀬のコマンドに反応して己の身体が動くのがわかった。止めようと思えば止められるけど、逆らって苦しくなるよりこのまま行動して集められる方が、比べるまでもなくいい。
数歩前に進めば柳瀬はもう目の前にいる。じっと見上げられて、彼は笑っていた。広げていた手が延ばされて二宮の米神あたりをわしゃわしゃと撫でた。
「いい子」
ごくシンプルな一言がぽわぽわと胸の内に響いた。そして、次のコマンドを期待する。
「ぼくの手を握って」
両手が先ほどのように広げられた。そっと握ると、ぎゅっと握り返される。よくできました! 朗々と集められてまた気分が上がった。次のコマンドはなんだ? もっと難しいものでもいい。そう期待して、
「じゃあ、次は……Kneel」
びく、と反応したきり身体が固まった。これだ。プロとのプレイ中でも、他のコマンドではろくに反応しなかったのに、Kneelと言われたときだけはしっかりと不快感が残った。
「聞こえなかった? Kneel」
二宮が黙っているのを急かすように再度コマンドされる。また、身体が固まり、握られた指先が冷たくなっていくのを感じる。
コマンドによる強制力に身体が動かないのは二宮のプライドの高さだろうか、しかしKneel以外のコマンドでは特に拒否反応を示したこともないので、何故どのようなコマンドを受け付けなくなるのか、二宮自身もよくわかっていない。
どのコマンドが嫌なものであるかは人それぞれですから。医者の言葉を思い出して、震える唇を開いた。
「――…れ、Red」
「っ…….!」
口にだして、拒否したら柳瀬に呆れられるのではないかと恐れていることに気が付いた。柳瀬は顔をしかめている。こんな簡単なコマンドもこなせないなんてとプレイを切り上げられるのではと。繋いでいた手が離されて、心臓に寒風がふきつけるようだった。
「……うん。ちゃんとセーフワード言えたね、いい子だよ。やなこと言われて怖かったね、ごめんね。言ってくれてありがとう」
しかし彼は腕を伸ばし、そのまま二宮の首に抱き着いた。拒否したことも肯定されて、後頭部を撫でられるたびに身体から徐々に力が抜けていくのがわかる。言ってよかった。彼からの言葉をもっとよく聞こうと、自然に背中を丸め体重を預ける形になっていた。
「じゃあ、次のコマンドを出すね。嫌なコマンドを出されて、どんな感じがしたか教えて?」
「……ああ。…――」
セーフワードは、信頼関係のできていない相手とのプレイほど放った時の効果が重くなる傾向にあるらしい。Subの恐怖と、Domの苦痛。どちらかが信頼しすぎてもしなさすぎてもいけない。かといってセーフワードの練習をしないのは、二宮の場合これまでの積み重ねがごく幼い頃を除いてないから。いざという時に動けなくなる可能性があるからもっといけない。まだ知り合ったばかりだから仕方ないと前置いたうえで、少しずつ慣れていこうと、柳瀬は二宮を抱きしめながら語った。
「……セーフワードなのに、慣れればDom側も軽減されるのか」
「いてて……。んーと、苦痛じゃなくて我に返る、感じ? みたい。耳元で風船が割れたような、とか。キンキンに冷えた街でさわられたような、とか。聞いた話だからよくわかんないけど」
抱きしめられながら、そしていつの間にか抱きしめながら。ふと浮かんだ疑問を問えば、柳瀬は胸のあたりをさすりながら答えた。伝聞調なのは柳瀬もそこまで深い相手とセーフワードが必要なほどプレイをしたことがないから、らしい。
コマンドの何回かのうち一度にKneelを混ぜてセーフワードを言わせる練習を繰り返した。その甲斐あってセーフワードを唱えたときの恐怖と痛も緩和されたような、しないような。柳瀬のケアがしっかりされているから、誤魔化しがきいているだけのような。楽になった気がするならどれてもいい。
「……どう? ちょっと慣れてきた?」
「それなりには」
「うんうん、重畳重量」
柳瀬は大きく手を広げた。
「じゃ次で終わりにしよっか。抱っこして!」
「……」
明確に二宮が怪訝な表情をした。が、はやくはやく、と柳瀬に催促されるまでもなく二宮の腕は柳瀬を抱える。体格差があるとはいえ、想像以上にあっさりと抱えられてしまった。
「あはっ! 匡貴は背高いからやっぱ視界変わるね! 窓からめっちゃ遠くまで見えるし、楽しい、ありがと!」
気分がよくなったからかわしゃわしゃと髪をかき混ぜるように褒められて。ふわ、と思考がぼやけかけて。しかし直前にセーフワードを挟んだことでまだ正気を保っていた部分が理性を呼び戻した。
「……おまえ、飯食ってんのか」
「えっ……。た、食べてます……?」
変に口調がはっきりしだした二宮に気おされ、話し方がもどってしまった。内容もあいまってどきりと悪い意味で心臓が鳴る。柳瀬の返答になおのこと肩を寄せた二宮は、パーカー越しに腹や腕をつかみまさぐった。
「ぎゃあ!! なに?!?!」
「細えし小せぇとは思ってたが、ガリガリじゃねえか」
「失礼な、二宮さんの身体と一緒にしないで! 伸びしろありまくりなんだから!!」
「にしてもこうはならねえだろ。終わったら飯いくぞ」
「ええ……? 運動部……?」
「あと抱き上げたんだから、今のだけじゃなくもっと褒めろ」
「いーん、こんな横暴なSubのパートナーになるのはじめて……」
「フン、いろんな体験ができてよかったな。喜べ」
「自信満々でとっても素敵ですね……」
柳瀬の言葉は驚き呆れていたが、皮肉の色はなかった。
*
こうしてセーフワードを使いたプレイは終わった。欲求は自覚があるほど溜まっているわけではないが、やはりプレイのあとは思考がクリアになる。二宮の綺麗な字が並んだ記入用紙は柳瀬が携帯で写真だけ撮って、原本は二宮が持っていることにした。
「え、ほんとに行くんですか?」
「さっさとしろ」
荷物をまとめた柳瀬を追い立てるように二宮は上着を羽織る。玄関から出て歩きながら柳瀬に尋ねた。
「何が食いたい」
「えーっと……」
「焼肉は」
「焼肉……は、好きですけど……。でもぼく、食べるの遅いしそもそもそんなに食べないですよ」
「構わん。行くぞ」
いつかのようにすたすた歩く二宮を慌てて追いかけながら、いたるところに見つける地域猫をちらほら指さす。ずっと前を見て歩く二宮がいちいち相槌を打つのが面白くて、この町は猫がたくさんいるなぁと独り言のフリをして言うと、それにも相槌を打たれたのが嬉しかった。
店に入ると、想定していたよりもランクの高い焼き肉屋で思わずたじろいだ。しかし店内に入れば二宮がテキパキと注文を済ませ肉を焼き、柳瀬が何かしようとする前にすべてが終わっていた。皿に次々焼いた肉をのせられ食べるスピードが追いつかなくなったらどうしようと思っていたが、自己申告していたのがよかったのか、二宮は柳瀬の様子を見ながら肉を網の上にのせていたような気がする。
(……そういえば出待ちされたときもご飯に誘われたけど、会食が好きなのかな。きっと隊のひととも仲良くて、よく一緒に行ってるんだろうな)
夏が近づいているからか、外はまだ明るかった。夕暮れのなか駅までの距離を歩く。二宮の家から出たときと違い会話はそう多くなかった。
「二宮さん、ごちそうさまでした。美味しかったです」
「ああ」
改札前でもやはり口数は増えなかった。二宮は──柳瀬を深く知っているわけではないが、やけに静かだと思いつつも二宮自身言葉が多い方ではないのでそういうものかと納得する。結局一日仕事になったのだし、店では食べることに集中していたし、疲れたのだろうと。
また連絡するとだけ伝えると、柳瀬は手を振り改札の中に消えていった。
二宮と焼き肉は美味しかった。楽しかった。柳瀬が、自宅に帰るのが惜しいと感じるくらいには。