結論から言うと、真人は逃げ切った。
宿儺が術式で散々に甚振ったところ、彼に突然凄まじい重力が襲い掛かり、それに気を取られたことで下水道から撤退したのだ。
「今の術式は重力か……何者だ?」
「夏油とかいう呪詛師じゃないですかね」
悠香の言葉に、一同の視線が集中する。
「ゲトウって誰だよ、悠香」
「さっきの呪霊を尾行してた時、呪詛師と思われる男と何やら会話してた。通称か本名かはともかく夏油と呼んでたから」
「じゃあ、その男がさっき宿儺に攻撃を……?」
「そうとしか思えない。呪術師側に顔が割られてるっぽい言動だったから、余程の有名人かもね」
夏油という男は真人との会話で、自分の残穢を残すわけにはいかないと言っていた。
呪術師の動きを警戒する呪詛師なら、多少は残っても身元の特定まで時間がかかるだろう。それでも一切を残したくないということは、呪術師だけでなく高専の関係者……それこそ学生にも知られている程の大物の可能性が出てくる。
となれば、夏油という男は、少なくとも今の虎杖兄弟では到底太刀打ちできない程に強力で狡猾ということになる。
「……ひとまず、高専に帰ろうか」
「いや、無理じゃね?」
「大丈夫大丈夫、真人に全部擦り付ければいいから。魂に触れられたことで分離しちゃいましたってノリで」
完全に全てを真人に擦り付ける腹積もりの悠香に、悠仁と順平はジト目になる。
だが、真人が全ての元凶なので、それならバレないかとも思い口裏を合わせることにした。
そこへ、さらなる乱入者が訪れた。
「宿儺様」
「あっ」
着物を着たおかっぱ頭が、片膝を突いて現れた。
それは、悠香が先日会ったあの人物だ。
「裏梅か!」
「お久しゅうございます……宿儺様、その御姿は」
「虎杖悠香の手引きで、完全とは言い難いがある程度の自由が利く肉体を得られた」
「っ……!」
その名を聞き、裏梅は驚きを隠せない。
虎杖悠香はなぜか接触を図ってきた呪術高専の人間で、味方になってほしいと頼み込んだ奇特な小僧。裏梅はその際に「自由な肉体を得た宿儺を呼べれば味方になる」と告げ、悠香はそれを真に受けた。
絶対に不可能だと思って言ったのに、まさか本当に成し遂げるとは。
「っ……」
「いや、自分の
警戒する裏梅に、困り果てる悠香。
さて、どう状況を切り抜けようかと考えた時、宿儺が動いた。
「……裏梅、呪術師共の鼻を折るいい考えが浮かんだ。虎杖悠香の話に乗るぞ」
「宿儺様……」
「小僧に縛られることがなくなった以上、俺も好きにさせてもらう」
宿儺は悪意に満ちた笑みを浮かべて宣言したのだった。
*
翌日、呪術高専。
「……で、そうなっちゃったの?」
「はい。全く想定外の事態です」
「ぜーーーーーったいウソでしょ!! 正直に言いなさい、先生怒んないから!!」
詰め寄る五条の前で白を切る悠香。
その周囲には、東京校の面々が身構えており、裏梅が彼ら彼女らを睨みつけていた。
そう、宿儺は顕現したまま平然と呪術高専に入ったのだ。
「全くやかましい
「特級呪物はシャラップ!! っていうかモヤシって何? 悠香のうつったでしょ? うつっただろ!?」
「「は~……うざっ」」
「そこで息揃えるんじゃないっ!!」
全く同じリアクションを取る悠香と宿儺に、五条は笑いながらも顔に浮かぶ青筋を増やした。
いつも振り回す側の五条が振り回される光景に、家入は笑いを堪えた。
そんな中、物凄く顔をしかめた夜蛾校長が、悠香に声を掛けた。
「悠香……本当に反乱の意思はないんだな?」
「反乱起こす腹積もりの奴がわざわざ敵地に「反乱起こします」って挨拶しますか? 余程のバカですよそいつ」
「…………去年あったんでな」
サングラスをかけ直し、疲れた様子を隠さない夜蛾に、悠香は同情の視線を向けた。
そんな中、七海が悠香に声を掛けた。
「いくら上層部がクソでも、両面宿儺はどうかと思いますよ悠香君」
サングラスを指で押し上げ、冷静なツッコミを炸裂させつつも複雑な表情をする七海。
五条がクズなので信用できず、上層部も信用できず、呪術高専もどこまで味方でいられるか信じられない――呪術師がクソである現実を目の当たりにした先人として、かなり思うところがある様子だ。
「それとも……どうせ死刑に処されるなら、全て滅ぼしてやるとでも考えましたか?」
七海の言葉に、全員の視線が悠香に向けられる。
上層部によって、これと言った罪もないのに死刑に処される……凶行に走るには十分すぎる口実だ。
しかし悠香は、それをきっぱりと否定した。
「そこまでぶっ飛んじゃいませんよ……俺はただ、
その言葉に、誰もが怪訝そうな表情をする。
その意味を理解したのは、悠仁と宿儺、裏梅だけだった。
「お前、まさか手続きって……!!」
「兄さんだって俺に一括払いで清算したでしょ? 踏み倒しはよくない」
「ケヒヒヒ! のうのうと甘い汁を啜ってきた呪術師共にツケを払わせるか! 蛆共の間抜け面が目に浮かぶな裏梅!」
「プッ! ええ、全く……」
宿儺がゲラゲラ笑う姿に、裏梅もくつくつと笑ったのだった。
時同じくして。
「ハァ……これは参ったね。宿儺の動きが、私のイメージとこんなにズレるとは」
夏油は盛大に溜め息を吐いていた。
虎杖悠仁に受肉して数ヶ月だというのに、こんなにも早く宿儺が自由な肉体を得て顕現するのはあまりにも想定外。しかもこれを機に、今まで手を組んでいた裏梅とは音信不通となった。
全てを狂わせた失敗作のはずの突然変異体に、まんまと一杯食わされたのだ。
《……これからどうするのですか?》
眼球があるべき穴からは角のように二本の枝が伸びている呪霊――
「……現状、宿儺は悠香に興味を向けている。ただ悠香も悠香で、なぜ宿儺復活にあそこまで加担したのかもわからない。だが悠香が呪術高専に属している限り、宿儺もその間は向こう側だろう」
「ぶぷー……」
フードを被ったタコのような姿をした呪霊の
この状況を打破しなければ、自分達がいかに宿儺にとって有利な条件を提言しても、頷いてくれない可能性が出てくる。最悪、呪術全盛の平安の世の再来――ひいてはそれを超える世界を始めること自体が不可能となる。
「ええい、真人!! 余計なマネをしおって!!」
頭部が火山のようになったお歯黒の単眼呪霊・
「それさぁ、俺のせいじゃないでしょ? 俺だってあんなの聞いてないよ!」
「それについては申し訳ないと思ってる。ただ、こればかりは私だけじゃなく、五条悟や総監部も……いや、呪術界の全ての者にとって予想外の事態だ。……おそらく、
呪術界は、虎杖悠香という少年によって過去に類を見ない非常事態を起こされ、大きくうねっている。
そのうねりに、夏油もまた巻き込まれた。己の計画を根底から覆されかねない程の影響を受けて。
「宿儺が表に出た以上、より慎重に行動しなければならない。獄門疆も使いどころを誤れば、さらなる混乱を悠香がもたらす」
「では、五条悟ではなく虎杖悠香を封印するのか?」
「それじゃあ彼をフリーにさせる。対象はあくまでも五条悟だ……まあ、相手はあの宿儺だ。あの失敗作が御せるとは到底思えない」
「それはそうかもしれんが……」
煙管のようなものを咥えて一服する漏瑚は、複雑な表情を浮かべた。
「まず、宿儺達と高専の関係を探ろう。一枚岩じゃないはずだ」
夏油は作戦を練り直すため、情報収集に徹することにした。
*
呪術総監部。
呪術師を統制する最高機関にて、五条は宿儺の件を報告した。
《両面宿儺が復活しただと!?》
《どういうことだ、宿儺の器はどうなった!?》
「いや、任務の最中に呪霊の魂を弄る術式を食らったようで、それがトリガーになって分離したと虎杖悠香は報告してます。悠仁自身も言ってるので、確定でしょう」
五条の報告に、総監部は戦慄した。
本来なら、宿儺の器が指を全て取り込んでから死刑に処すという話。そうなる前に早とちってしまったが、器として抑えている内に二度と宿儺が復活できないようにするという点では五条とも合致している。
それなのに、その前提をあっけなく崩された。まだ受肉して二ヶ月、指も報告通りならまだ5本も取り込んでないのに、器から解放されて自由な肉体を得たのだ。
《死刑だ!》
《宿儺を始末しろ、五条!》
《器の弟も殺せ! あの小僧が糸を引いているはずだ!》
「やっぱ、そうなりますよねー。……でもやめといた方がいいですよ」
五条はケラケラと笑うが、声色は真剣だ。
「確かに今の宿儺一人ならイケると思います。でも悠香と手を組まれたら厳しすぎる。体質だけで言えば悠香の方がヤバいんですから」
《何だと?》
「悠香は自分の呪力以外の干渉を拒絶する天与呪縛を持ってます。悠仁がいることで効果は半減し、術式そのものに対して耐性を持っている程度ですが……」
五条の言葉の意味を理解し、総監部は絶句した。
悠香の天与呪縛が完成すれば、呪力による全ての攻撃が通じなくなるのだ。それこそ、必中必殺の領域展開すらも彼の前では無力となる。もしこのことが露見すれば呪術界に激震が走るだろう。彼を呪力で殺すことが不可能になるのだから。
「悠仁を殺せば、悠香の天与呪縛が完成します。しかも帳に弾かれたことがあるので、未完成でも展開した領域に弾かれて攻撃できない可能性がある。かと言って悠香は秘匿死刑を受け入れた悠仁と違い、徹底抗戦の構え。その上宿儺は悠香を気に入っている節があり、彼に手を貸すこともやぶさかでない感じです」
《ならば、器だけでも殺せ!》
総監部の老人が血相を変えて叫ぶが、五条はそれを一笑に付した。
「完全体ではないとはいえ、宿儺は復活しているんですよ? 奴にとって器はもう必要ないんです。やっても意味ありませんよ絶対。それにそんなマネしたら、悠香の天与呪縛が完成してしまう。兄の敵討ちという名目で宿儺達と結託して、最悪の事態をもたらしかねない」
《ならばどうするというのだ!?》
喚く上層部に、五条は「案はあるっちゃあるんですよね」と軽い調子でとんでもないことを口にした。
「宿儺と裏梅を、他の呪詛師の抑止力にしましょう」
その一言に、上層部は一斉に声を荒げた。
《馬鹿な! あの両面宿儺だぞ!》
「ええ、知ってますよ。でも宿儺は悠香を気に入っている事実がある。悠香がいる限りは宿儺もこっちについてくれます。あの宿儺と良好な関係を築けてる以上、利用価値はとても高い。宿儺が高専側に与して呪詛師と敵対するだけで十分に機能する」
《だが、他の呪術師達が納得すると思うか!?》
「納得はしないでしょうね。でも万年人手不足なんですから、下手に宿儺と衝突するよりもずっとマシじゃないですか? あの両面宿儺が敵に回るよりかは、利害の一致であったとしても味方として利用する方がまだ安心できるはずです」
総監部が黙る中、五条は提案を続ける。
「悠香と宿儺をどうにかしないといけない。一方で宿儺は悠香を気に入っていて、悠香も悠香なりに宿儺と向き合って、結果的に彼の暴走を抑えている。悠仁はそれに合わせてきた。はっきり言って、悠香と宿儺を引き離すのは悪手です。なら互いに面倒事を避けて、周囲を脅かさないことを約束させればどうです?」
《……両面宿儺を……呪術師として、認める気か?》
「呪術界を守るには、それもまた選択肢でしょう。私はそれを薦めますけど」
五条の言葉に、総監部は渋る。
両面宿儺は大きな厄災をもたらした存在だ。その彼を呪術師として認めるのは、今まで築き上げてきた地位や権力を崩しかねない。しかし万年人手不足の問題を抱える以上、敵対すれば無事では済まない上にこの世界の秩序が崩壊しかねない。
ならば、多少のリスクを負ってでも両面宿儺と縛りを結ぶことは自分達にとっても得ではないか。呪術師として認めるかどうかは別として、放置すれば確実に脅威となる存在である以上、大人しい内に手を打つべきだろう。
《……よかろう。だが、両面宿儺を呪術師と認めようが、両面宿儺は千年前の〝天災〟だ。その認識を覆すつもりはない》
「ええ、それで結構です」
総監部がそう決定を下したことで、一連の騒動は終わった。
*
翌日、高専1年の教室にて。
「そういう訳で、首の皮一枚つながりました」
「ケヒヒヒ……いい滑稽劇を聞かせてもらったぞ」
「ふふ……全くです」
なぜか教室で悠香が買ってきた舟和の芋ようかんを堪能する宿儺と裏梅。
呪いの王とその側近を前に、伏黒達は戸惑いを隠せない。
「え、えっと、首の皮一枚つながったって?」
新しく編入された順平に、悠香は答える。
「お上は宿儺さんを呪術師として呪術界に組み込みたくない、でも宿儺さんが呪詛師になって暴れるのも嫌。そこで俺が宿儺さんの監視をすることになったんです」
「えっと……悠香、それ思いっきり無視して芋ようかん買ってきてね?」
「別にいいじゃん、結果的に大丈夫なんだし」
「身に余る私益を貪れば、報いを受けるのは俺だ。悠香と結んだ縛りは、貴様らから見ても決して悪くはあるまい。だから小僧はつまらんのだ」
悪びれた様子もない悠香と呆れた表情を浮かべる宿儺に、悠仁はジト目になる。
「ちなみにどうですか、芋ようかん」
「しつこくない味だ、悪くない」
「さいですか。……皆も食べなよ」
悠香に勧められるまま、一同は芋ようかんを食べる。
「うっわ、久しぶりに食うとうまっ!」
「……美味しいな」
柔らかな口どけの甘さを全員で堪能する。
するとそこに、五条がやってくる。
「お疲れサマンサ~!!」
「ちっ……よりにもよって貴様か。悠香から貢がれた甘味が不味くなるから失せろ」
「ちょっとそれどういうこと?」
絶対零度の眼差しの宿儺に、五条は目隠しを外して睨み、それを見た裏梅が身構えた。
一触即発の空気の中、悠仁達も息を呑むが、悠香は暢気に口を開いた。
「先生、芋ようかんどうです?」
「食べるーー!!」
現代最強を食い物、それも甘味で釣る悠香。
何だかんだで、喜久福の件を相当根に持っているようだ。
「随分ご無理を聞いてくださりましたね」
「いいよいいよ! 可愛い生徒の頼みだからね!」
芋ようかんをあっという間に平らげてお茶を口に含んだ、その時だった。
「あ。そう言えば、夏油って呼ばれた男がいたこと伝え忘れちゃった」
「ブーッ!」
悠香の爆弾発言に思いっきり噴き出す五条。
裏梅は「控えろ下郎が」と鬼のような眼差しで侮蔑しているが、五条はそれどころではなかった。
「ゲホッ、ゲホッ! ……ちょっと詳しく聞かせてくんないかなぁ!?」
「別に迫らなくても言いますよ」
物凄い剣幕で迫る五条に、まるで意に介さず茶を飲む悠香だった。
薄々察してるかと思いますが、パチンコ絡みで悠仁は悠香君に借金してます。さすがに全額ちゃんと返しましたが。(笑)
ちなみに五条が上層部に提示した案は、原案は悠香君が考え、五条が着色してます。