次の日。
交流戦が中断され、これからどうするかという中で、悠仁は一人の教師を連れてきた。
日置正人――悠香の中学時代の恩師だ。
「呪術高専東京校……悠香はここにいるのか?」
「うん……」
「そうか……」
少し歯切れの悪い悠仁に、日置は顔をしかめつつも腹を括る。
するとそこへ、五条が姿を現した。
「あなたが、日置先生?」
真剣な声色で尋ねる五条。
しかし、彼は完全に失念していた。日置は一般教員、言わば立派な社会人であるので――
「な、何だ君は! 見るからに怪しい風貌……!」
完全に不審者と見ていた。
「違う違う!! 僕は悠香達の担任!! この呪術高専の教師だよ!!」
「余計信じられるか!! もっとマシな嘘をつけ!!」
「嘘じゃないって!!」
「お前みたいな教師がいるか!!!」
五条の正体が担任の教師と知ってもなお、日置の疑念は晴れない。
それはそうである。何せ正体を知らない者から見れば、190センチ以上の長身男性が目隠しをしたままほっつき歩き、自分のかつての教え子を受け持っていると言い放ってるのだから。
それでも、何とか自分を落ち着かせた日置は、仕方なく彼から事情を聴くことにした。
「――まず容体は?」
「硝子……東京校所属の医師がしっかり診た。体調は問題ないけど……」
「本当か……!? あいつが精神的に参るなんて、今まで一度もなかったぞ」
悠香を心配し、少し語気が強まる日置。
それに対し、五条も今までにない真剣さで答える。
「……俺がここに来ていることは?」
「まだ言ってないよ」
「…………」
それを聞いた日置は、一瞬目を瞑り何かを考え始める。
そして目を開けると同時に、妙なことを尋ねた。
「この校内で一番高い建物はどこだ?」
「へ?」
「えーっと……日置先生? 何でそんなこと……」
「確認しておきたいだけだ」
この場面において、一体何を確認する必要があるのか。
五条と悠仁は困惑しながら、言われるままに場所を教えた。
「あそこの清水寺っぽいところ」
「……なるほどな」
場所を確認した日置は、二人の案内で高専の保健室へと向かう。
悠仁はドアをノックし、日置を連れて保健室の中に入った。
「悠香、実は――」
ドアを開けた先の光景に、悠仁は固まった。
いるはずの悠香が、いなくなっていたのだ。
「……悠香!?」
「ちょっと待って、なんで!?」
ありえない状況に困惑する三人。
そんな彼らの下に、家入が顔を出した。
「気づいたか」
「い、家入先生!! 悠香いないんだけど!?」
「すまない……。実はさっきまで寝ていたんだが……目を離した隙に」
家入は申し訳なさそうに頭を掻く。
すると、さらに予想だにしない事態が襲い掛かった。
「……アレ? 日置先生?」
「えっ」
「……あーあ」
五条と悠仁はギギ……とブリキのように後ろを振り返る。
なんと、行動を共にしていた日置もいつの間にか消えていたのだ!
「五条先生、日置先生消えたんだけど……」
「……マズッ」
もはや笑い事では済まない事態に、顔を引き攣らせる悠仁と五条。
そんな二人の前で、家入は「思いっきりやらかしてんじゃん……」と呟きながら煙草を吹かすのだった。
*
高専内の、清水寺を彷彿させる懸造りの建物。
その舞台で、悠香は体育座りで項垂れていた。
「……俺は、何をするのが正しいんだろう……」
そんな悠香に、人影が近寄る。
背後の気配を察知し、瞬時に木刀を構えるが、その姿を視認して唖然とした。
「随分気が立ってるな。初めて会った頃を思い出すよ」
「……日置、先生……!? なんで……!?」
「お前が気分転換するときはいつも屋上だった。人間、16歳にもなればそう簡単に性格や癖は矯正できないからな」
冷静に言葉を続ける日置に、悠香は構えた木刀を下ろした。
「先生……どうして……」
「悠仁が助けを求めてたからな……元でも教え子は見捨てんさ。それはお前もわかってるだろう?」
恩師の誠実さに、悠香は安堵したように表情を緩めた。
そんな悠香に、日置は鋭い口調で尋ねた。
「お前が悩んでいることは、今回ばかりは見当がつかない。だから教えてくれないか? 中学を卒業してからお前に起こった、全てのことを」
真剣な声色で、いきなり核心を突くような質問をする日置。
悠香は一瞬ドキリとするが覚悟を決めたかのように目を閉じると――口を開いた。
「……俺はもう、人の皮を被った怪物なんです」
悠香は瞳を潤ませながら己の身に起こった全てを伝えた。
兄と共に秘匿死刑になったことも、この学校で呪いから人々を守る立場になったことも、一度殺されたが驚異的な再生能力で蘇生したことも、何もかも。
静かに涙を流す教え子の慟哭を、日置は一度も口を挟まず静かに耳を傾け、話し終えたところで口を開いた。
「――頑張ったんだな」
「っ……」
「お前なりに足掻いて、抗って、多くの苦難を乗り越えようとしたんだな。さすが俺の教え子だ」
尊敬する恩師からの労いに、悠香は涙が止まらなくなった。
兄にも仲間にも言えない、心に溜まった澱を全て吐き出し始めた。
「俺は……ただ、身の丈の幸せを、噛みしめたいだけなのにっ……」
「……」
「……貧乏くじは、俺だけでいいのに……なんで兄さんまで……!!」
溢れる感情の糸が解れ、涙とともに声が洩れる。
「……そもそも、俺は生きてるのかな……? あの時、あの森であの人に撃たれて、そのまま死んで……朽ち果てて……日置先生も、その死体が見ている夢なんじゃ……?」
体を丸め膝を抱えながら、ギラついた目で涙を流す悠香。
日置は目を細め、異常なまでの疑心暗鬼に染まりきった教え子の頭に手を置いた。
「生きてるよ、お前は」
わしゃわしゃと撫でながら、日置は告げた。
その手の温かさに、悠香はハッとする。
泣きながら見上げると、日置は目を合わせて語りかけた。
「どんな形であれ、お前は生きて戻ってきたんだろ? だったら、きちんと生きろ」
「日置、先生……」
諭すような言い方に、悠香は少しずつ落ち着きを取り戻していく。
それでもまだ涙が止まらぬ教え子に、日置は告げた。
「元であっても、俺はお前の先生だ。何かあったら必ず相談に乗ってやるし、愚痴も恨み節も何度でも聞いてやる。だから、絶対に投げ出すな。命を無駄にするな」
「うっ……ひぐっ……!」
悠香は何度も頷きながら、嗚咽を漏らし続ける。
日置は悠香が泣き止むまで、その頭を撫で続けていた。
悠香が泣き止んだところで、日置はポケットから煙草を一本取り出す。
「一本いいか?」
「……距離取ってください」
日置は教え子から数歩離れ、煙草に火を点け煙を吐き出した。
「ちょっとは落ち着いたか?」
「すみません、取り乱して……」
悠香もようやく落ち着きを取り戻したのか、目の周りを擦りながら立ち上がる。
「……しかし驚いたぞ」
「?」
「お前があんなに取り乱すところ、初めて見たからな……」
煙草を咥えながら目を向ける日置に、悠香は目を逸らした。
日置の知る悠香は常に図太くてドライだったため、正直そこまで取り乱すとは想像していなかった。そもそも普段は妙に落ち着き払ってる悠香があそこまで弱った姿を人前に見せること自体、ありえないのだ。
それほどまでに、今回の一件は悠香を追い詰めたことでもあるのだが。
「……信用できるか? ここの連中は」
「……正直、怖いです……誰が裏切るか、わからなくなって……」
素直に答えた悠香だが、それを聞いた日置は苦い顔をした。
疑念がクラスメイトにまで伝染した以上、簡単に元の関係には戻れない。日置でさえ、一から悠香と信頼関係を得るのに丸一年かけたのだ。あんな仕打ちをされた以上、高専卒業後も信用を得なさそうだ。
「日置先生は信用してるよ」
悠香の言葉に、日置は「そうか」と短く返して煙を吐く。
(まぁ確かに、信用出来んわな……)
内心でそんなことを呟くと、彼は煙草の火を消し歩き出した。
「大丈夫だ、お前ならすぐに立ち直れるさ。なんたって俺の教え子だからな」
それだけ告げ去ろうとする日置に、不意に悠香は口を開いた。
凪いだ瞳には、少しずつ光が戻りつつあった。
目が合う日置と悠香。悠香が口を開く。
「先生……ありがと」
悠香はしっかりと、言葉で伝えた。
しばらくの間沈黙が訪れる。その時間はそれほど長くはなかったが、不思議と心地よく、悪いものではなかった。
「また後で会いに行く。お前はとっとと寮で休め。そんなザマじゃあ兄貴に迷惑かけちまうぞ?」
「……はい」
去り際に告げた言葉を受け、悠香は背を向けて歩き始める。
その背中を見届けた日置は、二本目の煙草を吸いながら意を決して五条たちへの殴り込みをかけに行った。
*
高専の会議室。
交流戦を中断した結果となったが、このまま溝が深まったまま終わらせれば有事の際に支障が出る。昨年の新宿で起きた大事件が再び起きた場合、いざという時に連携が取れないのは確かによろしくない。
よって、何らかの形で真っ当な交流をするべきではという歌姫の意見を、双方の学長が同意したのだ。
「じゃあ、それについては僕に任せてくれるかな」
「ならん。お前はすぐに変な我儘を優先する」
「……僕の教え子に手を出しときながら、よく言うよ」
現代最強のプレッシャーに、楽巌寺は強く唇を嚙みしめる。
そこへ荒々しくドアを開け、日置が肩をいからせながら入ってきた。
「どうも、失礼する! 悠香の中学の元担任の日置正人だ! 楽巌寺ってのはどいつだ!?」
「……儂だ」
「っ……てめぇが、俺の教え子を……!!」
ツカツカと靴音を鳴らして歩を進める日置。
睨みつけるその先には楽巌寺がいて、じわりじわりと詰め寄り拳を握り締めた。が、それは五条に止められた。
「……待って、日置」
「止めんじゃねぇ!! こいつのせいで、俺の教え子は異常なまでの疑心暗鬼に陥ったんだぞ!? 苦楽を共にするはずのクラスメイトすら、あいつは今も心の片隅で疑ってる!!」
その言葉に、五条は唖然とした。
日置は怒りを露わにしながら言葉を続ける。
「全部知ったよ、あいつがここに来るきっかけから今に至るまで……ここまで教師の責務を、大人の責務を冒涜した連中がいたとはな!!」
「知った口を……!! 儂は奴らの危険性を――」
「黙れっ!!」
反論する楽巌寺を、怒号一発で日置は黙らせた。
「俺たちは教師だ、教え子を支え後押しするのが責務だ!! これからを生きる若者が未来を作るというのに、万が一を見越して殺すだと!? ふざけんな!! 道を外れそうになったら、目一杯叱って正すのが俺たちの仕事だろうが!!」
教え子を心の底から想うゆえに、日置は睨み殺す勢いで五条たちを見やる。
あまりに凄まじい剣幕に、彼ら彼女らは気圧された。
「……もうあいつは、お前らを信用できるかわからん」
怒りをぶつけ落ち着いた日置は、溜め息を吐いた。
その言葉を聞いた夜蛾は、立ち上がって声を掛けた。
「呪術高専東京校の学長、夜蛾だ。……この度は、誠に申し訳ない」
「なんで俺に謝るんだ、相手が違う」
毅然とした態度で、日置は断言した。
「あいつの〝未来〟を一度奪っておいて、よくもまぁ平然としてられるな……!」
抑えようのない怒りに体を震わせる日置の言葉により、沈黙が会議室を包んだ。
「……日置先生。悠香とは、これからどう向き合えばいい?」
「俺は丸一年かけて信頼を勝ち取った。あいつは人を疑ったら、安心するまで疑念を晴らさない。一朝一夕じゃ無理だ」
日置は断言する。
悠香は現状、兄と恩師にしか心を許してない。かねてより呪術界の動向に警戒していた彼は、この件で高専に対する信頼がゼロどころかマイナス273くらいにまで下がっている。強すぎる疑念を晴らすには、その分のツケを払い続けるしかない。
日置は面と向かって悠香と向き合い、自分をさらけ出し、根気よく言葉を交わし続けた。その結果、悠香は心を開き、今では全幅の信頼を寄せるようになった。だからこそ、舐めたマネをしてはならない。
「半端な気持ちで向き合えば、今度こそあいつはお前らを諦めるぞ」
日置の言葉に、再び沈黙する一同。
見限るのではなく、諦める。願っても訴えても、助けを求めても意味をなさないと、悠香は悟るだろう。いや、もしかすればもう、手遅れかもしれない。
悠香の疑念を晴らすためには、並大抵のことでは済まないだろう。
「あの子は昔から人のウソに鋭い子でな。腹に黒いもん抱えてるかどうかもすぐ勘づく。今回は予想外だったようだが……少なくとも今のあいつは、お前らを信用してない。次は悠仁を殺しに行くと思ってるだろう」
「っ……それは……」
「人間、誰しも得体の知れないものには恐れを抱く。それは俺もわからんわけでもない。問題なのはそこから先だ。「正体を明かさないなら始末する」なんてマネして、信用を得られるわけねぇだろ」
日置の言葉に、楽巌寺は図星を突かれたと言わんばかりに悔しげな目をするも、気持ちを切り替えて尋ねる。
「では訊くが……奴が呪詛師としてお前に牙を剥いたらどうする?」
「愚問だな。ぶん殴って嫌というほど説教する」
日置は即答する。
迷いのない言葉に、楽巌寺は目を見開いた。
「お前たちがあいつの敵となり得るのなら、俺が味方になるだけだ。あいつが何を信じようが、俺はあの子の味方でいる」
「……そうですか……」
教師としての信念を見せつける日置に、夜蛾は目頭を押さえた。
もし自分が〝彼〟にもこう言えたのなら、少しは良い方向に向かったのだろうか……などと考えてしまう。
「……あなたの忠告、決して無下にしません。二度とあのような事態は起こさない」
「もう手遅れだ、バカ野郎が」
「っ……申し訳ない……」
夜蛾の謝罪に、日置は短く吐き捨てる。
そして、最後に警告をした。
「――ツケは高くつくぞ」
日置はそう告げ、夜蛾が返事を返す前に会議室をあとにした。
その様子を陰で眺めていた宿儺は、「また面白いことが起きそうだ」と笑みを浮かべた。
「あの日置という男が吐いた言葉……近い内に現実になる。呪術師どもの末路、見届けようとは思わないか?」
「フフ……勿論です」
「ケヒヒヒ! せいぜい抗うがいい」
これから起こるであろう事態を考え、楽しげな表情を浮かべる宿儺。
裏梅もまた、主君のお気に入りに手を出した無礼者どもが辿るであろう愚かな末路を想像し、口元を隠して嘲笑するのだった。
本作では悠香君は宿儺と良好な関係を築いていますが、宿儺と日置先生を天秤にかけたら、迷わず日置先生を選びます。悠香の中で宿儺が日置先生を超えることは絶対にありません。
そして日置先生ですが、34歳の独身で最終学歴は東京の某大学卒業、喧嘩は滅法強いです。
呪霊については、ストレス発散がてら呪霊をボコる悠香と関わってたため、彼の影響でうっすらとモヤみたいに見えるそうです。