かつての恩師・日置のおかげでどうにか立ち直れた悠香。
しかし爪痕は深く、彼の疑心暗鬼はそう簡単に消えるものではなかった。
「……」
「悠香……そんなに疑り深いとキツすぎん?」
「わかってるよ、それぐらい……」
クラスメイトへの猜疑心が強くなったことに、悠仁はかなり参っていた。
京都校の生徒によって一度殺されたことで、蘇生後は防衛本能が過剰に働いてしまっているのだ。一度でも疑心暗鬼に火が点けば、消すことは困難である。
伏黒も釘崎も、順平や先輩たちも心から信じることができず、どうしても猜疑の目を向けてしまいがちなのだ。
「……一度心に刻まれた傷が、一朝一夕で治ったら苦労しないさ」
「日置先生……」
「俺の目から見ても、この学校に対する信頼度はマイナスだ。ストレスが溜まりやすい環境なのに、スクールカウンセラーがいないなんてありえん。教育機関としてなっちゃいないぞ」
教育委員会は一体なにをしてるんだ、と苛立つ日置。
彼の愚痴はさらに続く。
「そもそも、ここの教員たちは教員免許を持ってるのかすら怪しい。私立学校の教員も教員免許が必要なんだぞ。無免許で教壇に立つと処罰されるってことぐらいわかってるのか?」
「そうなの!?」
「当然だ。教育職員免許法って法律があってな。無免許で教員になった場合、30万円以下の罰金として前科がつくんだぞ」
そう、教科の授業を教えるだけが教員の仕事ではない。
教員は教科指導だけでなく、クラスの経営や生活面・道徳面の指導、進路指導、保護者対応や生徒の評価など多岐にわたる。子どもの発達の知識も不可欠で、生徒に合わせて知識面・精神面・社会的側面での成長を促す重要な仕事だ。
教職という仕事の重さは、一般人が想像するよりも格段に重い。日置はそれを承知しているからこそ、生徒と真正面から向き合うことにこだわる。
「ああいう教師は信用ならん。生徒が取り返しのつかない
「……」
「悠香、どうする? 転校するか? これは大問題だぞ」
「転校はしないよ、先生……兄さんが貧乏くじを引いちゃう」
一度折れた心の修復は、そう簡単にはいかない。それでも、兄を見捨てることはできない。
そんな兄想いの悠香の言葉に、日置は静かに「……そうか」と呟いた。
「先生こそ、今の生徒を大事にしてよ。俺は兄さんがいるから」
「……昔の悪い癖、全然抜けてないな」
「へ?」
日置の指摘に、悠香はきょとんとした。
「地頭がいい分、大体のことを自己完結させるのがお前の悪いところだ。誰かを頼ることにもっと慣れろ。信じろとは言わないが、いつまでも疑ってたらキリがないぞ」
「……できるかなぁ、俺に……」
「できるさ。だからあんまり思い詰めるなよ、悠香」
日置は優し気に告げると、伏黒たちに顔を向けた。
「悠香は他人に心を許すのに、人の倍以上の時間がかかる。お前らを責めるつもりはないが、どうか根気よく接してほしい。――本当はいい子なんだ」
「……はい」
日置の悠香に対する想いを知り、伏黒が真剣な顔で頷く。
その様子に満足した日置は、「頑張れよ」と悠香の頭を撫でてやった。この手がまた自分を絶望から救い上げてくれたことを思い出し、悠香は静かに瞼を閉じた。
「じゃあ、俺も長居するわけにもいかんからな。ここで失礼する。……俺の教え子を頼んだぞ」
「はい」
「……日置先生」
去ろうとする日置に、悠香が声をかける。
振り返ると、悠香は少し躊躇いつつも口を開いた。
「先生……助けてくれて……ありがとうございました」
そう言って深く頭を下げる。
そんな教え子の姿に、日置は「元気でな」と笑い、その場を立ち去った。
「……あれが悠香の元担任か……」
「性格がイケメンすぎる……!!」
「悟にアイツの爪の垢を煎じて飲ませてやりたいぜ」
「僕もああいう先生に教わりたかったなぁ……」
悠香と日置のやり取りを目の当たりにした高専生たちは、口々に呟いた。
教師としても大人としても立派な背中に、あんな大人になりたいと、素直に憧れを抱いたのであった。
*
翌日。
悠香が復活したことで、事態は大きく動き、教師陣と京都校の学生たちが集合場所に集まった。
「あ、悠香! 戻ってこれたんだね」
「……そうだ、この人が今の担任だった……」
「どうしても日置と比べちまうな……」
悠仁と伏黒は、思わず自分たちは先生に恵まれないことを示唆する言葉をボヤいた。
「ちょっと、みんな落ち込んでない? グットルッキングガイの先生が目の前にいるというのに!」
「……教師としての器も人徳も足りないわね、日置先生と比べると」
「ねえ、何でそんなに当たりが強いの?」
呆れ果てる釘崎と、ふてくされる五条。
一方の悠香は、ある人物の下へまっすぐ向かった。
そう……悠香を撃った禪院真依だ。
「……先日はどうも、真依さん」
「っ!」
声をかけられた真依は、すかさず目を逸らした。
あの件はやはり、彼女としても罪悪感が残っているようだ。
それをわかっているからか、悠香は目を細めてから告げた。
「さすがに交流会で殺しに来ることはないと油断した俺も俺ですが……いい勉強になりました。ありがとう」
「悠香?」
不穏な気配を感じた順平が、彼の名前を呼ぶ。
そんな同級生に構わず、悠香は話を続けた。
「呪詛師も呪術師も、本質は変わらない。規定に順ずるか反するかの違いでしかない。……それを教えてくれたので、今回は大目に見ます」
「……情けでも、かけたつもり?」
「まさか。あなたのツケを帳消しにしたわけじゃない」
悠香の言葉に、真依は反射的に目を見開く。
帳消しにしたわけではない――それはつまり、ツケの清算の先送りを許しただけに過ぎず、悠香が今回の件を水に流すことはないという意味だ。
「あなたは俺を一度殺したんだ。俺の未来を狂わせたツケは、ちゃんと払ってもらいます」
淡々と告げる悠香。
何事もなかったかのように振舞うのが、余計に恐ろしい。
「せいぜい噛み締めろ」
捨て台詞とも呪詛ともとれる言葉を吐いてから、悠香は悠仁たちの下へ戻った。
「……あれ? 気ぃ済んだん?」
「今ここで〝頭金〟を払われるのも困るんだ」
意味深な返答に、首を傾げる悠仁。
すると、どこか呆れたように疑問を投げかけた。
「ところで、そこのキングコングはどんな御用で」
「東堂葵だ。
ヌッと前に出た東堂の言葉に、一同は嫌な予感がした。
東堂は初対面の相手に女の好みを聞き、それによって相手を判断する癖がある。下手なことを言えば「こいつは退屈だ」と殴り掛かるので、返答には細心の注意を払わなければならない。
冷や汗をかく一同をよそに、東堂は悠香に視線を合わせながら告げた。
「……ウチのバカどもが悪かった」
そして、深々と頭を下げる。
一同が呆気にとられていると、東堂は頭を上げた。
「
「……謝罪は受け入れません。他人の未来を狂わせといて「ごめんなさい」の一言じゃ釣りに合わない」
「それで構わない。俺も加害者側だ。だが〝手付金〟として受け取ってはくれないか?」
「……そう言われちゃうと弱いなぁ。意外と交渉がお上手なんですね」
東堂の真剣な眼差しに、悠香は口角を少し上げた。
彼の「謝罪」と「ツケ」を別途に
もっとも、ツケはきっちり払ってもらうが。
「わかりました……どの面下げて兄さんの
『!!』
「ただしツケの清算はきっちりします。踏み倒そうものならそれ相応の措置を取るので、よろしくお願いします」
そう断言する悠香に、東堂は安堵の笑みを浮かべた。
穏便に事が進んだため、悠仁たち生徒は勿論、五条や歌姫ら教師陣もホッとした様子だ。楽巌寺は何とも言えない複雑な表情だが。
しかし、悠香はこれで終わらなかった。
「すみません、冥冥さんってどなたですか?」
まさかの冥冥を指名である。
呼ばれた本人はきょとんとし、悠香を見返す。
次の瞬間、悠香は予想外の言葉を口走った。
「実は聞いちゃったんですよ……あなたもグルだったと」
瞬間、周囲の空気が凍りついた。
悠香は冥冥が京都校に買収されたことを知ってしまったのだ。
黒い笑みを浮かべる悠香に、悠仁は「またブラック悠香だ……」と顔を引き攣らせ、冥冥は冷や汗を流しながらどっしりとした態度で尋ねた。
「私にもツケを払えと?」
「お金で動くのならよくわかってるでしょう? ツケを踏み倒すことの意味を」
「……じゃあ、私は何を払えばいい? 命かい?」
冥冥の問いかけに、悠香は淡々と答えた。
「迷惑料として3000万円」
『は?』
悠香の要求は、意外にも金銭だった。
京都校の面々には命で償えと言わんばかりの態度だったのに、と皆は驚きを隠せない。
「理由を聞いてもいいかい?」
「俺は上層部の嫌がらせで、給料を現在進行形で天引きされてまして。万さんと甚爾さんの契約金がちゃんと払えなくなる。上層部はもう二度と信用しませんので」
悠香の説明に、全員が一斉に楽巌寺を見た。
居心地が悪く感じたのか、思わず「次の会議で検討する……」と細々と返答した。
「わかった。君の要求を呑もう」
「それは助かります。ただ、俺は兄さんと違うので、気をつけてくださいね」
「……肝に銘じておくよ」
悠香は冥冥に改めて忠告すると、今度は宿儺の前に立った。
「宿儺さん、この後お時間空いてますか?」
「……何を望む?」
「少し〝契約〟の見直しをしたいんです」
その言葉を聞いた五条は、瞬時に悠香の傍に立った。
「悠香、ダメだ」
「……俺の努力をコケにしたのに、先生面しないでくれますか?」
「これは君が決めていいことじゃない」
冷たい視線を向ける悠香を宥めるように、五条は言った。
彼が何を考えてるのかは、さすがに予想できたのだろう。
「
「……ついに僕のことを先生と呼ばなくなったね」
「日置先生と比べると、どうしても」
悠香の辛辣な発言に、五条はガックリと肩を落とす。
それを見た宿儺は「惨めだなぁ、最強」と盛大に煽った。
「……そういうわけなんで、これでお開きとしましょう。俺も自分を殺した相手と同じ空間にいるのは不快です」
――俺は兄さんと違って、器が小さい人間なので。
そう語る悠香のギラついた瞳に射抜かれ、一同は鳥肌が立った。
「それでは皆さん、お先にドロンさせていただきます」
悠香は皆に一礼してから踵を返した。
そんな彼の態度に呆然としていた面々だが、少しして我に返った冥冥は、ポツリと呟いた。
「……思った以上に凶暴だね。彼を御していた日置先生とやら、高専で雇った方がいいんじゃないかい?」
「それだと僕が担任を解雇されちゃうじゃん!!」
冥冥の呟きに、五条は必死で抗議するのだった……。
こうして、悠香君は第二形態に進化しました。
日置は呪術高専を一切信用してませんが、悠仁とつるんでいる伏黒たちは悪い人間ではないと判断してます。この辺りは教師としての観察眼です。
実はこの後、日置先生は思わぬ人物から勧誘を受けます。ヒントは「悠香への理解を深めたい人物」です。
そして東堂の意外な一言。
ツケとは別に支払う〝手付金〟としての謝罪。これが頭金、いわゆるツケの清算の一環だったら悠香君は京都校を許しません。理知的で思慮深い人間性を持つ東堂ならではの言い回しですね。