第27話:渋谷事変・その1
2018年10月31日水曜日、午後18時41分。
出張帰りの日置は、渋谷東急プラザの裏側で気晴らしにラーメンを食べていた。
世間はちょうどハロウィン。スクランブル交差点ではコスプレ仮装した人々で溢れ、渋谷の街はいつにも増して賑やかだ。
「へい、醬油ラーメンお待ち。熱いから気をつけて」
「ああ、どうも」
カウンター席に座っている日置は、強面だが気さくな店主からラーメンを受けとる。
割り箸をパチンと割り、まずは脂の浮いたスープをレンゲで掬って一口。
「ああ……うまい背脂醤油ですね。コクがあるのにアッサリしてる」
「おっ? 兄ちゃん、さてはグルメレポーターって奴かい?」
「いえ、僕は教師で……。かつての教え子が食べ歩きが趣味で、この店を今年の卒業式に教えてもらったんですよ」
「学校の先生なのか。中々の二枚目だから、てっきりテレビに出てる芸能レポーターかと思っちゃったよ」
隣で塩ラーメンを啜る男性の茶化しに、日置は苦笑する。
「その教え子、どうやら食通ってヤツか。名前は?」
「……悠香って言います。悠久の悠に、香水の香で「ゆうが」って読みます」
「ユウガ……そういや、どっかで聞いたような……」
日置が口にした名に、店主は首を捻った。
「それにしても、学校の先生をやってるなら、今の自分の教え子が夜遊びしないか心配じゃないか?」
「ええ、まあ。無軌道なことはして欲しくないですね。ちょうど反抗期のピークですから、とっても」
「俺にゃ無理だわ。教師なんて柄じゃねぇや」
店主のボヤきに、日置は隣の客と共に苦笑する。
世代を超えた大人の男の雑談。店はたった三人だけだが、日置は実に心地良い時間を過ごせた。
そして、ラーメンを食べ終えて時計が19時を差した時だった。
「ん……?」
外から微かにざわめきと悲鳴が聞こえ、思わず箸が止まる日置。
ここは渋谷東急プラザの裏側だ。外の様子が全く分からず、一体何があったのかわからない。
だが、一つだけわかることが日置にはあった。
(嫌な予感がする……)
「何だ、またバカ共が乱闘でもしたか?」
店主はそうボヤくが、日置は嫌な予感を拭い切れず、ラーメンを平らげるとカウンター席から立ち上がる。
「親父さん、失礼。外を見てきますよ」
「おう、悪いな」
千円札を店主に手渡しし、日置は店を出た。
外はなぜだか、人っ子一人いなかった。渋谷の街はこんなに静かだっただろうか?
「バカな……」
日置は絶句した。
数分前まではあんなにも賑やかだったのに、今は静寂が支配している。まるで街にいる人々全員が忽然と消えてしまったかのような…そんな錯覚に陥ってしまう。
間違いなく異常事態だ。日置はスマホを取り出し、警察に電話をかけるが繋がらない。
「電波が……!? クソ、こんな日に限ってテロ組織の破壊行為か…!?」
日置は唇を噛む。
彼は一般教師。こういった非常事態に直面すれば、ただの一般人に過ぎないのだ。
とにかく現状を把握しなければ……そう思い周囲を見回すと、そこには奇妙な光景が広がっていた。
「五条悟を連れてこい!!」
「誰だよ五条悟って!?」
「いいから五条悟を連れてこい!! そいつが来てくれねぇと出られねぇって言われたんだ!!」
渋谷を訪れていたであろう人々が、黒い壁のようなものを叩きながら叫んでいた。
それも十人二十人ではない。数百人規模の人間が散らばり、まるで神に祈るように壁を叩き続けている。
「何だこれは……!?」
日置は呆然と立ち尽くすしかなかった。
*
20時14分。
都心メトロ渋谷駅13番出口で、伏黒は派遣された七海とその後輩である2級呪術師・
「東急百貨店・東急東横店を中心に半径およそ400メートルの帳、一般人が大勢閉じ込められていて電波も断たれてしまっている…か」
「被害を最小限に抑えるため、五条さんが単独で向かってるらしいっす」
「……そこはいいんですが、問題なのは…」
七海がある事案を懸念しているのと同時刻、渋谷マークシティのレストランアベニュー入り口では万が新田明に苦情を言っていた。
「何で私がこんなマセガキと老いぼれと一緒なの!? 宿儺と一緒にしてって念を押して言ったじゃない!!」
「仕方ないッスよ!! 文句なら悠香君に言ってください!! あの子が「一緒にしないでください」って頭下げたんですから!!」
「キーッ!! あのガキ~~!!」
アスファルトが割れる程の地団太を踏む万に、釘崎は思いっきり馬鹿にした態度を取る。
「あいつに足を掬われるようじゃ、呪いの王の妻は務まらないわね」
「何ですって~~!?」
あからさまな挑発に逆上した万は、何の意味のないキャットファイトを展開。
勝気な釘崎も「準備運動だコラーー!!」と応戦する。
「やめろ!! 今はケンカしてる場合じゃねぇだろ!!」
「ガハハハッ!! 平安の術師も中々愉快だな」
「あの……一応、任務中なんですけど」
青筋を浮かべつつも諫めようとする真希に、禪院家当主の
同時に新田は心底思った。あのモンスター女と良好な関係を築く悠香が、この場にいてほしかったと。
そして悠仁は、脹相達や順平と共に青山霊園で待機していた。
「そろそろ冥冥さんって人が来るそうなんだけど……」
「パパ黒と連絡つかねぇのは痛いな~」
悠仁の呟きに、脹相ら三兄弟は腕を組んで頷いた。
何を隠そう、降霊術で復活した甚爾は宿儺も認める程の強者。呪具さえあれば特級呪霊の撃破も容易いとされ、一部の補助監督からは五条よりも信頼されてる節がある。
だが、その本人と連絡がつかない。こういう時に限って頼れる強い味方が不在というのは、漫画やアニメの世界だけにしてほしいところだ。
「悠仁。呪術師、呪詛師、呪霊が渋谷に集結し、かつてない大規模戦闘が始まろうとしている。だからお前は無理をせず、悠香と逃げてもいいんだ」
「あんがと、脹相。でも俺達、戦わなきゃ。目の前の命はできる限り救いたいから」
「……そうか」
脹相はフッと笑うと、壊相と血塗も釣られて笑った。
呪霊と人間の混血だというのに、順平は三人の受肉体がとても人間味があるように思えた。
*
「上は被害を抑えるために五条悟単独でも渋谷平定を決定したっちゅーワケだ」
「いや、バカじゃないですか上層部」
「本当に変わらないのね、あの老害達」
帳の外で待機している悠香と沙奈は、状況を説明した二年担任の日下部に呆れた表情を浮かべた。
「ほう、やはりそう思うか悠香」
「むしろこう思わない方がおかしいと思いますよ」
(何で俺が両面宿儺と……)
軽く会話をする悠香と宿儺に、日下部は頭を抱えたくなった。
よりにもよって、〝凶犬〟と呼ばれた程の問題児と最強最悪の呪いの王を受け持つハメになるとは。
「ハァ……で、何でそう思うんだ虎杖の弟」
「奴さんは五条さんを封じ込める、あわよくば始末するのが目的のはず。そう考えると、五条さん単独こそ連中に有利になります」
「あの五条がそう簡単にやられるかっての……」
「常に最悪を想定するのは有事の基本です」
悠香は淡々と、日下部に事実だけを伝える。
「でもシノのおかげで助かった。事前準備は完璧、過去の術師も援軍として来てくれてる。問題なのは、奴さんと上層部がどう仕掛けるかだね」
「ハァ!? 呪詛師と上層部がグルだっつうのか!?」
悠香の予想に、日下部は瞠目した。
呪詛師と上層部の共犯という展開はさすがにないと反論しようとしたが、その言葉を遮るように悠香は口を開いた。
「事情が並び立ってるんですよ、五条さんが邪魔で仕方ないという点で。利害が一致してれば人間は善悪の立場を超越する生き物なんだ、裏で組んでもおかしくはありませんよ。俺みたいにね」
「……!?」
「……まあ、あくまで俺の憶測に過ぎないんですけど」
日下部は唾を呑んだ。その予想が的中しているかのような物言いに、恐怖を覚えたからだ。
すると、横合いから別の声が割り込んだ。宿儺の側近である裏梅だ。
「ならばどうするつもりだ? 五条悟一人の為に宿儺様の手を煩わせるのか」
「五条さんが戦闘不能になっても、焦る必要はないでしょう。こっちには甚爾さんと万さん、例の三兄弟がいる。向こうが嵌め手ならこっちも嵌め手を仕掛けるまで。まぁ、まずは帳をどうにかしないといけませんけど」
そう、それが悠香の第一関門だった。
彼は本来、天与呪縛の都合上、他の呪力干渉を拒む体質である。ゆえに他者が降ろした帳の中には入れないのだ。
もっとも、この帳自体が五条のみが入れる可能性もゼロとは言えないが。
「ちなみに宿儺さんは、どんな腹積もりで?」
「そうさな…気が向いたら手を貸してやってもいいぞ?」
「じゃあ、なるべく自力で頑張りますね」
「そういうところが小僧と違うな」
悠香と宿儺のやり取りに、裏梅と沙奈が物凄い目で睨んだ。
裏梅は、主君が突然変異体ぐらいでしかない少年を気に入ってるのが気に食わず。
沙奈は、自分にとっての神様が強いだけの悪党と会話しているのが気に食わず。
そんな修羅場手前に放り込まれた日下部は、人生でもっともひどい貧乏くじだと嘆き、心の底から帰りたくなったのだった。
序盤で日置先生とラーメンを食べてた男性ですが、実はあの神回避で有名な方です。
次回、五条先生がメロンパンと対峙します。