本作の本編では見られなかった第三形態の悠香君の剣術をお楽しみに。
蝶屋敷で厄介になることになった悠香は、屋敷の庭をパルクールの要領で駆け回っていた。
元の世界では宿儺と甚爾に稽古をつけてもらっているが、その内容は圧倒的強者を相手にただひたすら組手を続け、レベルも相手の匙加減次第というもの。一度行うだけで気力と体力をゴリゴリ削り落とされ、しかも殺し合いに近いので常時極限状態という地獄のような稽古だ。
だが、この世界では悠香を上回る強者が一握りで、鬼殺隊側にいるのは上位の柱。しかも柱は多忙の身であり、彼と組手ができる人間がいない。なので自主的に思いついたトレーニングをする他なく、現代の娯楽もないため、とりあえず体を動かして暇を潰しているのだ。
「フゥ……これでかれこれ30周はしたかな。そろそろ休憩しよう」
「「「悠香さ~ん!」」」
「ん?」
そこへ、蝶屋敷の三人娘――すみ・きよ・なほの三人が駆け寄ってくる。
「悠香さん、道場の方へ来てくれませんか?」
「炭治郎さんが機能回復訓練をするので、悠香さんもぜひ」
「機能回復訓練?」
リハビリか何かかと思いながら、三人に付いて行って道場へと足を運ぶ。
道場の中では、薄緑色のパジャマのような入院着を着た炭治郎が、那田蜘蛛山で遭遇した剣士・カナヲに加えて屋敷の主人であるしのぶもいた。
「あ! 悠香君!」
「リハビリ中に失礼だけど……今何やってんの?」
「今行ってるのは、反射訓練です!」
「反射訓練……」
三人娘曰く。
訓練内容は、座卓に並べられた薬湯入りの複数の湯飲みを、二人一組でお互いに掛け合うというもの。湯呑を持ち上げる前に相手に湯呑を押さえつけられたら持ち上げられないというルールの下、相手に掛けるまで終わらない。
ちなみにこの薬湯は匂いが酷いものの、風呂などに混ぜて使うと疲労回復に繋がる優れものである。
「悠香さんの身体能力を知りたいという、しのぶ様の意向です」
「いいけど……本当にぶっ掛けるよ? 俺、お遊びでもガチで潰しに行くタイプだし」
「構いませんよ。カナヲもいいですよね?」
しのぶが微笑みながら尋ねると、カナヲは笑った。
随分と無口だなと思いながら、悠香は座卓の前に正座してカナヲと向かい合う。
「では、始めますよ。二人ともよろしいですか?」
「いつでもどうぞ」
「…」
「それでは……用意………始めっ!」
しのぶが合図すると、カナヲが素早く薬湯の湯呑の一つに手を伸ばした。
が、ここで誰も想像しない事態が起こった。
――パァン!
『!?』
何と、カナヲが湯呑みを持とうとした寸前に、悠香は両手を大きく叩いた。
相撲の戦法の一種である奇襲テクニック――いわゆる「猫騙し」だ。
突然の大きな音によって、驚いたカナヲの動きが止まる。そして、その隙を狙って悠香は即座に手前の湯呑を持ち上げた。
――バシャッ!
「……」
顔から薬湯を浴びたカナヲは呆然として固まった。濡れた髪や衣服からポタポタと薬湯が滴り落ちている。
『……』
「これでいいですか?」
悠香がそう尋ねるが、まさかの展開に炭治郎たちは絶句していた。
するとしのぶが微笑みながら口を開いた。ただし、こめかみに血管を浮かせながら。
「……悠香君、この訓練は「湯呑を押さえつける」という決まりですよ?」
「ええ。なので
「へー、そうなんですか」
頭や服についた薬湯を拭き始めるカナヲを他所に、ズモモモ…という効果音が聞こえてきそうな程に怒りを露にするしのぶ。
それに対し、悠香は至って涼しい顔で答えていた。その姿には悪びれる様子もなく、むしろ堂々としている。
「ゆ、悠香君……その…何ていうか、反則とか卑怯な手段に抵抗ないのかなぁ…?」
「俺の師匠二人、そもそも存在自体が反則級の強さの人間なんだよ。しかも普通に不意打ちとか騙し討ち仕掛けてくるし、修行内容もほぼ殺し合いだし」
あっさりと言い切る悠香に、炭治郎やアオイたちだけでなくカナヲもドン引きした。
「悠香君…今度は猫騙し禁止です。避けるとか誰かを盾にするとか、座卓をひっくり返すとかも禁止です」
「……はい」
「え!? やるつもりだったの!?」
「手段選ばなすぎですよ!!」
炭治郎とアオイのツッコミが炸裂する中、再び勝負が始まった。
「では、改めて……始め!」
二度目は小細工なしでの対戦となると、文字通りの激戦となった。
互いに譲らず、薬湯の湯呑を掛けられまいと守り、相手の動きを見極めて攻防を繰り広げる。
炭治郎もカナヲに挑みその度に薬湯を掛けられてるので、悠香の基礎体力や身体能力の高さに驚愕する。
――これが、呪術師の力なのか。
「しのぶさん、これ時間制限ないんですか?」
悠香の本来の目の下にできた新たな双眸の内、二つ目の左眼がしのぶに目を向けた。
やはりそれぞれ別々に動けるのかと思いつつ、しのぶは笑顔で答えた。
「どちらかが掛けるまでは終わりませんよ。それと口を出して油断を誘うというのも禁止です」
「戦闘中に会話なんてしょっちゅうでしょ、慣れた方がいい」
「まー、随分と余裕ですね。しかし……全集中の呼吸を使えないのにこれ程とは……お館様にもいい報告ができそうです」
しのぶは顎に手を当てて思案しながら言う。
言わずと知れたことだが、悠香は別世界の日本から来た者であるため、全集中の呼吸の適性はない。しかし産屋敷邸にてあの風柱から一本勝ち取り、その場に居合わせた他の柱からも強さを一目置かれたという事実がある。
そこでしのぶは、機能回復訓練でどれだけ通用するか試そうと思ったのだが、結果は予想を遥かに超えていた。
初めてでありながら反射訓練でカナヲと互角以上に渡り合う技量。試合中にもかかわらず外野に声を掛ける余裕と冷静さ。相手の油断を誘い、確実な勝利を狙う狡猾さ。そしてどんな状況でも対応できる順応性の高さ。
警戒心の高さや素の性格も影響しているだろうが、彼を鍛えた二人の師の影響も大きいだろう。教育方針に思うところはあるが。
「……では、一旦お終いにしましょう」
しのぶがパンッと手を叩くと、悠香とカナヲは手を止めた。
悠香は一息ついて肩の力を抜く一方、カナヲは額に汗を浮かべていた。
「ふぅ……駆け引き抜きだと、やっぱり手強いな」
「はぁ、はぁ……はぁ、はぁ……」
「珍しく息が上がってますよ、カナヲ」
「師範……やっぱりあの人……」
カナヲの声に、しのぶは頷いた。
悠香の身体能力は、おそらく柱相当。それもまだ成長の余地が残されてる上、諸刃の剣だからと見せてない術式という異能と鬼並みの再生能力もあある。お館様の言う通り、上弦の鬼が相手でも十分に対抗できる戦力となる。
そんなことを考えつつ、しのぶは悠香に問いかけた。
「ところで悠香君、君は木刀を武器に戦ってるそうですね。もしよければ、炭治郎君と手合わせしてあげてくれませんか? 剣士ではない君の剣術が、どの程度通じるものなのか見せてください」
「……炭治郎君は?」
「俺は大丈夫だ! 悠香君の強さから学ぶことも多いから、ぜひお願いしたい!」
炭治郎は顔を明るくさせながら言った。
その表情には、期待や興奮といった感情がありありと見て取れる。それ程、那田蜘蛛山や産屋敷邸で垣間見た悠香の強さに憧れているのだろう。
「じゃあ……やろうか。自前の木刀持ってくるから――」
「あなたの竹刀袋はすでにありますよ」
「用意周到なこって…」
悠香は竹刀袋を開け、数多の修羅場をくぐり抜けた自前の
炭治郎もまた、蝶屋敷に用意された訓練用の木刀を手にし、道場の真ん中で向き合う。
「では、始めましょう。お互い全力で、本気でやり合ってくださいね」
「はい!」
「了解」
「では……始め!」
開始の合図とともに、まず先に仕掛けたのは炭治郎だった。
「ヒュゥゥゥゥ」
(呼吸音が変わった……! それが鬼殺の技術か)
初めて聞く呼吸音に、悠香は目を見開く。
炭治郎は床を蹴って駆け、悠香との距離を詰める。
「〝水の呼吸 壱ノ型 水面斬り〟!」
「……!」
炭治郎が交差させた両腕から、勢い良く水平に木刀を振るう。
横薙ぎの一閃を悠香はバックステップで紙一重で躱すと、すかさず追撃が襲い掛かる。
「〝弐ノ型 水車〟!」
(縦方向への回転斬り……一度受けてみるか)
悠香は木刀を構え、呪力を纏わせてからその一太刀を受け止める。
木刀同士が打ち合わされる鈍い衝突音が響き、衝撃が両手にビリビリと伝わる。
悠香はそのまま横に受け流すと、後方に飛び退って間合いを離す。
(これが〝全集中の呼吸〟の剣術……瞬間的に身体能力を
炭治郎と剣戟を繰り広げながら、悠香は分析を始めた。
今繰り出している連撃では、あの呼吸音は聞こえない。これは型に囚われてるというわけではなく、体力の消耗を抑えるために行なっているのだろう。そして全集中の呼吸で強化した状態では、通常の攻撃とは遥かに重さも威力も段違い。さらに炭治郎の攻撃は変幻自在な歩法の上で成立しており、順応性次第では即席の応用技も土壇場で使えそうだ。
もし「剛の剣」か「柔の剣」かと問われれば、炭治郎の剣技は後者の部類に入るだろう。
(だけど…甘い。剣術は型が全てじゃないし、刀身だけで戦うものでもない!)
「〝捌ノ型 滝壷〟!」
滝から流れ落ちる水流の如く、上段から真下に渾身の力で木刀を振り下ろす炭治郎。
すると悠香は木刀を逆手に持ち替えると、柄頭で受け止めて跳ね返した。
「うわっ!?」
「柄頭で!?」
意表を突いたカウンターをモロに食らった炭治郎は体勢を崩され、しのぶも思わず驚きの声を上げた。
全集中の呼吸で強化した状態の一撃を相殺する場面は目にしたことがあるが、「技を跳ね返す場面」と「跳ね返し方」は今まで見たことがない。悠香の繰り出した小手先の反撃技は、一歩間違えば指や手の骨が折れ、真剣だったら自分の手が斬り飛ばされてもおかしくない、相当な技量と胆力がなければできない芸当だ。
そして、その後はお察しの通りの展開である。
「ほいっと」
ドッ!
「がっ!」
悠香の一撃が炭治郎に叩き込まれ、床に倒れ込んだ。
すかさず立ち上がって体勢を立て直そうとするが、その時には距離を詰められており、悠香の横薙ぎの一閃で炭治郎は木刀を弾き飛ばされてしまった。勝負ありだ。
「そこまで! …今の勝負は悠香君の勝ちですね」
「ハァ、ハァ……スゴいな、悠香君は!!」
起き上がる炭治郎は、笑みを浮かべながら悠香の強さを称賛する。
「普通に呼び捨てでもいいよ? 俺はそういうの気にしないから」
「わかった! それにしても、悠香は強いなぁ……あんな反撃をしてくるなんてビックリしたよ」
「ちょっとした小細工や芝居は、状況次第では戦局を一気にひっくり返す強力な一手に変わる。一見は不可避な技や無敵の相手でも、攻略法は必ずある。まぁ…一番は相手の癖や性格を把握することかな」
「癖と、性格…?」
悠香の意外な
「そ。戦闘って、案外そいつの癖や性格が目に見えてくるんだ。それも無意識にね。そして各々の行動基準や規範があって、強者であればある程にその基準に固執しがちだ。……炭治郎君、今まで狩ってきた鬼は全員同じ癖と性格してた?」
「!」
「戦闘中にそいつの気質や大事な物、表面化してない信条に気づければこっちのものさ。指摘したり踏み躙ったりすれば冷静さを欠けさせることもできれば、逆にそれを尊重したり気を遣ったりして、相手に〝心の隙〟を生み出せることもできる」
「〝心の隙〟……」
悠香の言葉を反芻する炭治郎は、今までの自分とは違う新しい視点を得た気がした。
血鬼術への対策や弱点を掴もうとすることは多々あったが、鬼の性格や癖についてまでは深く考えようとしたことはなかった。
しかし悠香の言う通り、かつての習慣や思い出が記憶を失ってもなお鬼としての行動原理となっているなら、そこに突破口を見出せるかもしれない。鬼も、元は人間なのだから。
「じゃあ、さっきの俺との手合わせも?」
「勿論。産屋敷さん家で君が割と頭の固い思考だってのは理解したし、剣筋も真っ直ぐすぎるから読みやすかった」
「うっ…」
「あらあら…炭治郎君、まだまだ精進が足りないようですねぇ」
悠香の指摘に炭治郎は呻き、しのぶも苦笑した。
「それにしても、君の頭の回転の速さと観察眼は目を見張るものがあります。お館様が悠香君を高く評価している理由もよくわかりました。一体どうやって培ったんですか?」
「……俺の先生が、そういう人だから。こんな人の皮を被った怪物になった俺を、元教え子として今も人間として扱ってくれる」
(! 尊敬と感謝の匂い……)
炭治郎の鼻が、悠香から感じた微かな〝匂い〟に反応した。
生来より嗅覚が獣並みに鋭敏な彼は、生物や植物の持つ匂いを嗅ぎ分け、失せ者を見つけ出し、鬼の接近や存在を察知できる。さらにその嗅覚は心理的な要素にまで及び、必殺の間合いだけでなく相手の人柄や言葉の虚実などの感覚的な判断をする事も可能とする。
悠香の場合は警戒の匂いが尋常ではなく、禰豆子が人を襲わない鬼であると信じない柱よりも濃かった。しかし今、悠香のその尊敬と感謝の匂いが少しずつ濃くなっている。彼にとって「先生」は、自身の良心と心の拠り所になっているのかもしれない。
「悠香は、良い人に恵まれてるんだな」
「人数自体は少ないけどね」
悠香はあっけらかんと答えると、再び木刀を握りしめた。
「さて……どうする? 俺はまだやれるから、カナヲさんも相手できるけど」
「それはいいですね。カナヲ、一緒に稽古をつけてもらっては?」
しのぶの提案を聞いたカナヲは、静かに頷いて木刀を握りしめる。
「では、二人共準備はいいですね? ……始め!」
再び訓練が始まると、二人は木刀の打撃音が鳴り響いた。
カナヲは〝花の呼吸〟――〝水の呼吸〟の派生流派の使い手。全ての型に花の名前が入っているのが特徴だ。
「おっとっと…」
(この人、やっぱり初手は回避と捌きに徹してる……私の動きを見切ってからの反撃を狙ってる)
カナヲは目を細め、四ツ目の少年の出方を分析する。
先程の炭治郎との試合でわかったが、悠香は反撃からの畳みかけが強烈だ。一度カウンター技が成功すると、そこから容赦のない連撃が襲い掛かる。なので悠香の反撃のタイミングを測りつつ、少しでも隙を作って攻撃を仕掛けるべきだと判断する。
(なら……まずは動きを止めないと)
悠香は我流ゆえに型がないので、動きが読めず変幻自在。搦め手を使ってくる可能性も十分ある。
カナヲはひとまず技を仕掛け、手数の多さで反撃技を封じようと試みる。
「〝弐ノ型 御影梅〟」
「!」
カナヲは連続して無数の連撃を放ち、悠香は木刀でそれを受け流し捌いていく。
続けざまに畳みかけ、アクロバティックな動きを交えて反撃の隙を一切与えず攻撃を続ける。
「〝伍ノ型 徒の芍薬〟」
「っ!」
カナヲの攻撃の手数がさらに増える。
一瞬でも集中力を切らせば敗北する嵐のような攻撃をギリギリで捌き切るが、再び〝弐ノ型 御影梅〟を仕掛けられ、徐々に追い詰められていく。
しかし、悠香はなおも余力を残し、隙を伺っている。
「〝肆ノ型 紅花衣〟」
一気に距離を詰め、勝負を決めにかかるカナヲ。
対して悠香は、思わぬ行動に出た。
――カン、カラン
「え?」
悠香は何と、木刀を手放したのだ。
あまりにも予想だにしない行動に、カナヲの思考が一瞬止まった。
――なぜ? どうして手放したの?
技を掛ける直前に疑問が浮かんだことで、僅かに迷いが生まれる。それが、勝敗を決した。
――パァン!
「!!」
本日二度目の猫騙し。
そして驚いた拍子にカナヲはバランスを崩し、床に倒れ込む。
悠香はすかさず彼女から離れると、床に転がった木刀を拾い上げ、仰向けに倒れてるカナヲの木刀を弾き飛ばした。
「っ……!」
「勝負あり、ですね」
審判役を務めるしのぶが告げる。
悠香は木刀を引いてカナヲから離れると、しのぶたちに振り返る。
「はい、一本取ったり」
「不意打ちもいいところですけどね!」
アオイが大声で叫びながらツッコミを入れる。
他の娘たちもコクコクと頷いた。
「無邪気すぎるよ、カナヲさん。こういう搦め手使ってくるヤツがほとんどでしょ、鬼は」
「言ってることはもっともですが、悠香君も稽古で搦め手は如何かと思いますけど?」
「そんな女々しいこと言ってちゃいかんですよ」
悠香は背伸びをしながらさらっと言い切る。
この少年、本当に遠慮というものが無いらしい。
「呪力というチカラを抜いた、純粋な基礎体力と身体能力でカナヲと炭治郎君に完勝ですか……流石ですね」
「身体能力という点なら、兄さんは俺より上だよ。ちょっとおかしいからあの人」
「へェ……デタラメな剣術のクセにやるじゃねェかァ」
「不死川さん!?」
突然の声に、しのぶが目を丸くする。
道場の入口に、包みを携えた風柱・不死川実弥の姿があったのだ。
しかし怪我をした様子ではなく、どうやら悠香が手合わせしているのを聞いて来たようだ。
「これはこれは若頭、お勤めご苦労様です」
「殺されてェのかテメェ!」
「冗句のわからない人だな……似たようなボケを振るのはお笑いの定番でしょう」
「ちっ…相変わらず
その言葉に、悠香はどこか嬉しそうな笑みを浮かべた。
初めて宿儺と出会った際、同じことを言われたのを思い出したのだ。
「? 何を笑ってやがるゥ」
「いえ……思い出し笑いですよ。宿儺さんも、最初はそう評してましたから」
悠香の口から出た名前に、炭治郎たちは顔を見合わせた。
おそらくそれが、もう一人の師匠なのだろう。
「……で? 何の用ですか?」
「お館様から、テメェの為の隊服を渡された。とっとと受け取れェ」
実弥は包みを取り出すと、悠香に向かって投げ渡した。
悠香はそれをキャッチして確認すると、中には藤の花の意匠のボタンを付けた黒い詰襟と
詰襟なんて中学以来だと、どこか懐かしみながら実弥に感謝を述べつつ、悠香は尋ねた。
「ありがとうございます。…それで? これを届けるのはついででしょう?」
「察しがいいじゃねェかァ、虎杖ィ……ちょっと面出せェ。それと胡蝶、木刀借りるぞォ」
「不死川さん」
「お館様から許可は下りてるぜェ。ちょうど非番だしなァ」
「だからといって……」
しのぶは止めようとするが、悠香はそれを遮るように言った。
「ここは俺に任せてください。それにバカの相手は暴力に限る」
「テメェ、いい度胸してんなァ……」
蝶屋敷の庭に移動した悠香は、実弥と対峙した。
目的はやはり、打ち合いだった。
「何か決まりは?」
「反吐をぶちまけて失神するまで休みなしだァ」
「人の心ありますか!?」
機能回復訓練中だからと観戦する炭治郎は、そのルールに思わず叫んでしまう。
しかし悠香は、ニヤリと笑みを浮かべる。
「俺はそれで構いません。いつもやってるんで」
「ほォ? 随分と余裕じゃねェか……だったら遠慮はいらねェなァ。せっかくだ、テメェも呪力とやらを使ってみろやァ」
実弥は獰猛に笑うと、悠香は呪力を解放した。
木刀の刀身が紫色のオーラに包まれ、悠香の醸し出す雰囲気が禍々しくなる。
それこそ、十二鬼月と相対した時と同等以上の圧迫感だ。
(空気が変わった! それに鼻がヒリヒリしそうだ! これが悠香の…!)
「それが、呪力ってヤツかァ……!!」
実弥は笑みを深め、木刀を構えると「シイアアアア」という独特の呼吸音が鳴る。
同時に悠香は凶暴性のある殺気を感じ取る。宿儺や甚爾、鹿紫雲に五条と言った呪術界最高峰の猛者たちにも迫る、下手な特級呪霊よりも強烈だ。
庭全体がピリピリと張り詰めた空気に満たされると、先に実弥が動いた。
「〝風の呼吸 壱ノ型 塵旋風・削ぎ〟!!」
実弥は地面を蹴ると、凄まじい勢いで竜巻の如く螺旋状に地面を抉りながら突進した。
〝風の呼吸〟は、暴風のように荒々しい動きから突風のように斬り刻む攻撃特化の流派。攻撃範囲と攻撃速度に優れる上、使い手の腕力と素早い刀の振りによって鎌鼬状の鋭利な突風を発生させることもできるのだ。
その速度に炭治郎は目を瞠る一方、悠香は片手で持った木刀を構え、ギリギリまで引き付け――
「〝
ドォン!
「うおおォォォォォォ!?」
悠香が横薙ぎに一閃した瞬間、衝撃波が発生。型を打ち破られた実弥は蝶屋敷の塀を突き破り、森の木々をへし折りながら吹き飛ばされた。
呪力を解放した悠香の遠当て技に、炭治郎だけでなく念の為にと待機していたしのぶやアオイも愕然とした。
「……あっ」
「あっ、じゃないだろ悠香! 流石にやり過ぎだ!」
「いや、でも向こうが使えっつってたし。あとこれでも出力抑えた方なんだけど」
「これのさらに上があるんですか……!?」
悠香のとんでもない発言に、炭治郎とアオイは震え上がった。
一方、森の中で実弥は目をパチクリとさせて放心状態になっていた。複数の青痣と木々の破片によってできた切り傷が目立つが、大したダメージにはなってなさそうだ。
(んだ今のはァ…!? とんでもなくデケェ金槌にぶん殴られた気分だァ…!!)
痛みに耐えながら立ち上がる実弥だが、不思議と笑みが溢れる。
悠香の言う術式や呪力は、鬼でいう血鬼術に値する異能。そう仮定すれば、悠香との手合わせは「昼間でありながら異能の鬼との戦いを想定した稽古ができる」という意味であり、中々十二鬼月に遭遇できない彼としては有難いものであった。
「
実弥は起き上がり、ズンズンと歩いて蝶屋敷の庭へ帰還。
さらに凄みを増した形相に、炭治郎たちは思わず後退り、しのぶは頭を抱えた。
「〝弐ノ型 爪々・科戸風〟!!」
一瞬で間合いを詰め、四つの斬撃を同時に打ち下ろす。
それを悠香は呪力を込めた木刀で相殺すると、強く踏み込んで地を駆けて攻めた。
カナヲと炭治郎の時は受けに徹してからの反撃が基本スタイルだったが、実弥に対しては真逆。力押しで積極的に仕掛けていくスタイルへ切り替えたのだ。足技や体術を交えて木刀を振るい、突き技で関節外しを狙い、的確な再起不能を狙う容赦のない戦法に、実弥は舌を巻いた。
「クソガキがァ…調子に乗ってんじゃねェぞォ!」
「そういう割には楽しそうじゃないですか」
「ハッ! どんなヤツだろうと骨があるヤツなら歓迎だァ」
「じゃあ、これとかどうですか」
悠香は下段からの斬り上げで実弥の体勢を崩すと、そのまま木刀を低い姿勢で振るい、地上から空中に向けて竜巻状の呪力の衝撃波を放出。
実弥を再度吹き飛ばして空中に投げ出すと、そのまま〝
「〝伍ノ型 木枯らし颪〟!!」
しかし実弥は射出された呪力を相殺。
そのまま受け身を取って着地し、ニヤリと不敵な笑みを見せた。
「どォしたァ? オレァまだまだ平気だぜェ? さっさと来いやァ!」
「ハァ……兄さん相手にしてる気分だ」
悠香は木刀を手放すと、両手を挙げて「降参」と言った。
「あ゛ァ…テメェ逃げるのかァ?」
「逃げるも何も、病院でギャーギャー騒ぐと後が怖い。――いや、もう手遅れか」
「ええ、本当にその通りです。蝶屋敷の塀を見事に破壊し、庭をボロボロにされたらもう言い訳できませんよね?」
にっこり笑いつつ額に青筋を浮かべたしのぶが、強い語気で詰め寄る。
宿儺という圧倒的邪悪かつ絶対的強者のプレッシャーを嫌という程味わった悠香は平然とする一方、実弥は罰の悪そうな顔をした。
「……修理代は俺が払うぞォ…」
「当たり前です!! 元はと言えば不死川さんが上官命令だと連れ出したのが原因なんですからね!? しかも何で自分の屋敷に誘わなかったんですか!? お館様の許可という名分もある以上、今回ばかりは不死川さんが全責任を取ってください!! 次こんなことしたら金輪際治療しませんからね!!」
「す、すまねェ……」
しのぶにこっぴどく叱られ、実弥は申し訳なさそうに謝罪するのを炭治郎たちはポカンとして眺めていると、悠香は小さく呟いた。
「安全圏でも貧乏くじか……」
現時点の小ネタ及び描写にない裏話
・特別連載における悠香君は渋谷事変後~本作の最終話の間の戦闘力なので、一番強い頃です。
・戦闘スタイルは「相手の出方を伺う→癖や動きを見切ったらカウンター技を成功させて、一気にフルボッコ」と「呪力を駆使した力押しで攻め続け、相手の防御を崩しフルボッコ」のどちらかに切り替えます。ちなみに最後の手段は「自分も含め被害を厭わず〝竈 開〟で焼き尽くす」です。
・悠香の呪力は基本的に紫色。
・本作の本編ではなかったが、最大出力の〝