血のように赤い水面、牛の骨を積み上げた山。
明らかに現世ではない場所に、悠香は迷い込んでいた。
「……え、これ地獄?」
「ここは俺の生得領域。俺の心の中と言っていい」
その声に悠香は目を見開いた。
山の方を見上げれば、そこには足を組み、頬杖をつきながら四つの眼で見下ろしている着物姿の男がいた。その顔立ちは悠仁と瓜二つだが、眼の数と顔の紋様、声色と威圧感から宿儺であることを悠香は瞬時に理解した。
「宿儺さん、その姿は……」
「あぁ、小僧が器である以上は俺もこの姿だ」
「さいですか……しかし参ったな、茶を奢るって言ったのに持ってこれなかった」
心の中には持ってこれないかぁ、とボヤきながら頭を掻く。
しかし宿儺は、それについて不快さをにじませず、むしろ嬉々とした表情だった。
「案ずるな。水面に移るお前の
「――っ!?」
宿儺の指摘にハッとなり、水面を見て息を呑んだ。
映っているのは、悠仁と似た顔つきの少年ではなく、中肉中背の黒髪の青年。しかし腹部や胸部、喉元からは赤黒い血が絶えず流れ出ており、顔色は生気を一切感じない。目もどこか虚ろであるが、どこか底知れない憎悪と殺意を孕んでいるようにも見える。
これこそが悠香の前世――藤枝晴登だ。その状態からして、よりにもよって一人ぶらりと趣味の食べ歩きをしていた最中に通り魔に滅多刺しで殺された瞬間の姿である。
「それがお前の呪力の源ということか。己を殺めた者だけではなく、己に理不尽を強いた世界も恨んでいるようだな」
「そこまで被害者根性のつもりはないんですけど……」
悠香は宿儺の言葉を完全に否定できなかった。
殺される瞬間は、確かに一瞬世界を恨んだからだ。身の丈に合った生き方をしていたつもりなのに、無難な歩みをしていたはずなのに、それすら現世は許してくれないのかと。
水面に移る前世の自分と見つめ合い、複雑な感情が渦巻く。
「受肉した小僧の肉親と言えど、俺も成功するかは半信半疑だったが……呼べてよかった。お前という男をこの場で捌ききれる」
品定めをするように目を細める宿儺に、悠香は何とも言えない気分で顔を背けた。
他者にまじまじと見られるのは、あまり慣れてないようだ。
「俺の質問に答えろ、虎杖悠香。それ以外は許さん」
「はぁ」
「まず一つ。お前はあの虫の領域に残された人間が全員死んでると小僧共に言ったが、なぜそう思った? あくまでも生死不明だったようだぞ」
「……あぁ、少年院の」
宿儺の言う虫は少年院の呪胎であるとすぐリンクさせた悠香は、淡々と言葉を返した。
「クラスター弾一発でも村一つ壊滅できるってのに、それをたくさんばら撒いて都市ごと吹っ飛ばす戦略爆撃と同等のチカラを持ってるとされてる呪霊。そんなのと逃げ場も隠れ場所もない閉鎖的空間で三時間も一緒だなんて、例の五人がどう抗っても全員死亡は火を見るよりも明らか。普通に考えて全滅なのに、危険を冒してまで死亡確認する意味はないかと」
「お前と小僧を良く思わぬ呪術師の奸計は、それゆえに見抜いたということか」
「はい。そもそも近い内に殺しに来るのは察してましたし。五条先生の出張も、連中がわざわざ用意したんでしょう」
(小僧共は取り残された有象無象を「すぐにでも助けに行くべき」と考え、虎杖悠香の場合は「助けに行くことは無駄に犠牲が増えるだけ」と考える……殺された経験をしているがゆえの
宿儺は顎に手を当て、目を細める。
おそらく悠香は、希望的観測を捨てて考えることができるのだ。だから他の三人と違って感情や他人の想いに流されず、冷静な判断ができるのだ。
「大抵の死は不本意で、死にたくて死ぬ人間より死にたくないのに死ぬ人間の方が多いんです。死の淵は皆平等で、それが早いか遅いかに過ぎず、死に様も立派か無様かのどっちかでしかない。ただそれだけの事実なのに、なんで尽きてるであろう命を助けようとするのか……俺にはわかりません」
「それは、お前が輪廻転生をしてしまったからだろう?」
宿儺の一言に、悠香は目を見開いた。
「俺は
「……そうかも、しれませんね」
心情を的確に見抜かれたように感じ、悠香は少し口角を上げた。
やはり、自分には到底敵いっこない相手だ。
「次に二つ目。なぜ小僧を見限らん?」
「!」
予想だにしなかったのか、悠香は目に見える程に動揺した。
彼は兄のせいで、呪術界へ引きずり込まれた。ゆえに兄を見捨てて逃げることも、誰かの庇護下に入ることもできたはずなのだ。なぜそれをしなかったのかが、宿儺は引っかかっていたのだ。
悠香は少し考えてから、溜め息を吐いてから答えた。
「……弟として生まれたから、ですかね。多分、血のつながりのない赤の他人だったら見限ってると思います」
「!」
「俺は
両面宿儺の器の弟――その事実は、たとえ絶縁しても覆ることはない。
自分は器になりえない、血がつながってるだけに過ぎないと声高に叫んでも、呪術界は耳を貸さないだろう。彼ら彼女らにとって、虎杖悠仁は化け物であり、その弟も化け物なのだから。
「だったら、それを身の丈に合った不幸の一つとし、噛みしめながら生きればいい話です。これでも兄さんのことは
「……ケヒッ!!」
――ゲラゲラゲラゲラゲラ!!
突如として大爆笑する宿儺。
悠香はきょとんとした顔で見上げる。
「小僧を身の丈に合った不幸と言い、それでもなお肉親として慈しむか!! つくづくお前という人間は面白いな、虎杖悠香!!」
「……それは、誉め言葉と受け取ります」
「ケヒヒヒ! 相変わらずとぼけた小僧だ!」
ゲラゲラと笑い続ける宿儺に、悠香は「意外と笑い上戸なのかな」と暢気に思った。
「……宿儺さん、今度はこちらから質問してもよろしいですか?」
「構わん。指一本分くらいなら聞いてやる」
「それどんぐらいか全然わかんないけど……まぁいいや。少年院の特級呪霊を相手に、何で兄さんは無傷だったのか教えていただけませんか?」
その素朴な疑問に、宿儺は悪い笑みを浮かべた。
その笑みから、悠香は「兄さん結構ヤバかったんだな」と察した。
「小僧はあの時、片腕を失い、残った腕の指を全て失った。そこで小僧が俺に肉体の主導権を渡し、渋々治したのだ」
「え、すぐ治るもんなんですか?」
「あぁ、反転術式による治癒だ。負の力である呪力を掛け合わせることで正の力を生じさせ、回復術に転じる。肉体がどれだけ欠損しようが俺には関係ない」
術師としての圧倒的すぎるスペックに、悠香は驚きを隠せない。
その時、ある疑問がいきなり湧いたので、悠香は尋ねた。
「じゃあ、一から新しい肉体を生み出したり、肉体の一部を核に新しい肉体を作ることも可能ですか?」
「……何だと?」
その言葉に、宿儺は目を見開いた。
「よく漫画とかであるんですよ。分裂して生まれた分身体とか、仮の肉体を作るっていう設定。宿儺さんくらいの腕なら作れそうだなーって思ったんですけど、さすがにそういうのは厳しいですか?」
「…………ケヒッ」
その手があったかとでも言わんばかりに笑う宿儺に、悠香は眉をひそめる。
すると宿儺はいきなり笑うのをやめ、眉間にしわを寄せた。
「ちっ……どうやら起きようとしているな」
「楽しい時間はお開きのようで」
「だが収穫はあった……。虎杖悠香、お前は最後に殺すと言ったが、少し変える」
宿儺の言葉に、悠香はそんなことあったなとぼんやり思い返した。
かの王の言葉は絶対的なものであるが、その宣言を訂正するつもりのようだ。
「虎杖悠香よ」
「はい」
「お前が俺を楽しませてくれる限り、俺はお前が求める時に手を貸してやらんこともない」
「!?」
悠香はひどく驚いた表情を浮かべ、その瞬間にどこかへ引っ張られるように消えていった。意識が肉体に戻ったのだろう。
再び静けさを取り戻した領域で、宿儺は玉座に戻って腰かけ足を組んだ。
「呪術師共の世界を滅茶苦茶にするのが先か、呪術師共に葬られるのが先か……楽しませてもらうぞ、虎杖悠香」
*
ふと目を覚ませば、そこは殺風景な天井。
ゆっくりと起き上がると、自分が包帯まみれであることに気がついた。
「……」
悠香は考える。
宿儺は、自分を退屈させない限りは手を貸すのを考えると言った。ウソの可能性は十分あるが、それはそれで大胆な発言をするものだ。ただ、本当だった場合、その真意がわからない。
悠香から見た宿儺は、良くも悪くも自由奔放。やりたいようにやるを具現化したような性格という印象が非常に強い。そんな彼がなぜ自分に気が向けば協力するような言葉を口にしたのか。
(……まあ、機嫌がいい時に尋ねればいいか)
ひとまずはウザったい包帯を解く。
すると、
(子供のころから、本当に外傷は治りやすいんだよなぁ)
これも毒親の仕業かなと勘繰った時。
バサリと書類が落ちた音が響いた。
「……うわ、マジか」
「――どなたです?」
目元のくまが印象的な女性に、不健康そうな人だなと思う悠香だった。
悠香が目を覚ましたと聞き、悠仁達が見舞いに訪れたのだが、全くの無傷な身体に五条ですら戸惑いを隠せないでいた。
「えっと……君結構な深手だった気がするんだけど?」
「子供の頃から外傷の治りだけは速いもんで」
「でもインフルとかは中々立ち直れなかったもんな」
「兄さん、病気と怪我の区別もつかないんですか」
アサヒも驚くスーパードライさに、悠仁はがっくりと項垂れた。
入学して以来、妙にあたりが強く感じる。
「……それにしても、あの宿儺を相手によくやったじゃないか」
「冗談よしてください。あれ絶対手加減してますって」
宿儺の圧倒的実力を思い返し、盛大に溜め息を吐く。
しかし五条達としては、それよりも彼の体質が気になって仕方がない。
「五条、どう思う?」
「……もしかしたら、自分以外の呪力の干渉を拒絶する以外にも、自らの呪力操作自体にも縛りがあるかもしれない」
悠香は他の呪力を全て跳ね除ける呪縛と、呪力操作に一定の制限がある呪縛を生まれつき持っている。その縛りと引き換えに高い身体能力と再生力を得ている……と、五条は仮説を立てた。
「……ホント、何なんだろうね君は」
「虎杖悠香……それ以外の何者でもないですよ」
悠香は欠伸をしながら保健室のベッドを出ると、ゴキゴキと首を鳴らした。
通常運転に戻った弟に悠仁は安堵し、伏黒と釘崎も微笑んだ。
そして悠仁の中にいる宿儺は、愉快そうに笑っていた。
(虎杖悠香が眠りに入っている時、呪力の流れに変動を感じた。おそらく反転術式を無意識状態においてのみ自動的に発動するのだろう)
宿儺はそう推測した。
そう考えれば、呪霊との戦いで傷痕がないことの辻褄が合うのだ。
つまり虎杖悠香は、呪具を含めた自分以外の呪力干渉を拒絶する代わりに反転術式が睡眠時のみ自動的に発動する縛りがあるということだ。
(天与呪縛であれば、小僧の存在で半減していることになる。もし小僧がいなければ、呪力によるあらゆる攻撃が一切通じず、傷を負った瞬間に反転術式が発動して治癒をしてしまう可能性もある)
この推測がもし正しいのであれば、呪術師はおろか呪力を用いて戦う全ての存在が悠香の前では無力と言うことになる。
これが知られれば、今の呪術界において悠香は宿儺を凌ぐ脅威となる素質があるということだ。末恐ろしい逸材がいたものだ。
「器としての素質がないのが実に残念だ」
自分以外の呪力の干渉を拒絶するということは、受肉も拒絶するということになる。
悠香に受肉しようとすると、拒絶反応もあって肉体を乗っ取るのは悠仁よりはるかに難しくなるのは明白なので、器の適正の持ち主を他で地道に探す方が手っ取り早い。それにもし受肉できれば、悠香の体質も相まって宿儺は今度こそ無敵になるかもしれないが……そうなると相手の術式をしっかり味わえなくなるので、誰と戦っても一方的な勝負となる。
よって宿儺は、何度も悠香の肉体を乗っ取れるチャンスが訪れようと、全てシカトするつもりだ。自由な肉体を得る代わりに天与呪縛のせいで無限の退屈を与えられるなど、宿儺にとっては生を一切感じられないからだ。
「まぁいい……収穫はあった。あのとぼけた小僧のお望み通り、呪術師共の出鼻をへし折るのに手を貸すのも悪くない」
生得領域に、呪いの王の笑い声が木霊するのだった。
宿儺の悪巧みは、後々発覚します。
裏梅ちゃんが狂喜しそうなことをしますよ。(笑)
そしてお待ちかねの悠香君の天与呪縛ですが、真相は「呪具を含めた自分以外の呪力干渉を拒絶する代わりに反転術式を自動的に発動する縛り」で、もし原作のように悠仁が死んだら「呪具を含めた自分以外の呪力干渉を完全に拒絶する代わりに外傷を負い次第自動的に反転術式が発動する縛り」って形で天与呪縛が完成しました。
実は呪力干渉は生得術式も含んでます。今の悠香君は「帳に弾かれてしまう」「呪具に触れられない」「他者による反転術式の治癒が異様に遅い」といったデメリットが目立ちますが、実は「呪力量を問わず生得術式そのものに対して耐性がある」という一面があり、宿儺の斬撃を受けても真っ二つにされず、領域展開を食らっても絶命には至らないというヤバいメリットがあるんです。悠香君は昔から身体が頑丈だと思い込んでいたようですが。
言い方を変えれば、悠仁が死ねば悠香君は無敵になるということで、領域展開が一切通じなくなるという呪術界にとって理不尽な存在になります。少年院でもし悠仁が死ねば、呪術界は終了していたかもしれないのです。
呪術界の皆さん、スッゴイ危なかったね!(舌打ち)
次回は順平親子を少し触れようかと。
どっかでパパ黒も入れたいし。
万はどうする?
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敵
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味方