ダンジョンに『元』冒険者がいるのは間違っているだろうか 作:チキンうまうま
「ミア母ちゃーん、来たでー!」
ガランガラン、とドアベルが鳴り、ドヤドヤと数十人の団体が入ってきた。赤髪の女を先頭にしたその集団は、その全員が道化師の紋章を身につけている。それを見た時雨はおや、と小さく声を上げた。
「
そう言いながらも平然ととエールを飲む時雨に対して、ベルは動揺を隠せていない様子だった。彼の目線の先には種族も、年齢もバラバラでありながらその全員が美形揃いのロキ・ファミリアの中でも一等目を引く金色の美少女─アイズ・ヴァレンシュタイン。
およそ人間離れした、妖精か精霊と言われても疑えないその美少女に周りの冒険者たちも口笛を吹いて囃し立てるなか、ベルは頭をカウンターに伏せながら、それでいながら彼女に見惚れていた。
「…ロキ・ファミリアは
カウンターに顔を伏せたままのベルに聞かせるように呟いた。第一級冒険者、それ即ちレベル5以上の強者。掃いて捨てるほどの冒険者で溢れかえるこの街でもほんの一握りしかいない上位層だ。
「俺がこの街にいた頃からのベテランの最高幹部3人は言わずもがな、他の幹部にも有望な若手が揃ってる。例えば─最年少の【
「【剣姫】ってヴァレンシュタインさんのこと…。」
「そう言うことだ。今あの娘は15、いや16だったか?そんなもんでレベル5だ。大したもんだよ。」
「そうですよねえ、ほんとに。と・こ・ろ・で」
ベルの横で話を聞いていたシルが体を傾けて、ベルの耳元に口を寄せた。
「そのロキ・ファミリアさんなんですけど…実はウチのお得意様なんですよね。」
「お得意様…。」
「そうなんです。主神のロキ様がどうやらウチを気に入ってくれたみたいで、よく打ち上げとかに使ってくれるんですよね。」
表向きはニコニコと笑みを浮かべながら、年下の少年に話しかける美少女の図である。だが、その様子は時雨の脳内では別の画像に変換されていた。
(見たことある…見たことあるぞこれ。)
外野から眺める時雨にはシルが女郎蜘蛛に、ベルがその巣にかかった哀れな羽虫に見えていた。一歩間違えれば今この瞬間にも甘い言葉に騙されて一度ハマれば永遠に抜け出せない、財布からありったけのヴァリスを搾り取られる可哀想な生き物が生まれてしまう。
「この店に来れば、また会える…?」
「騙されるなべルぅ!この店普通にクソ高いの忘れるなよ!?」
「あ痛ぁ!」
あまりにも安直な結論を出しつつあるベルの頭を叩いて一度リセット。そこそこの痛みに悲鳴をあげたベルを見て、シルが頬を不満げに膨らませた。
「あ、何するんですか時雨さん!せっかくベルさんにも常連さんになってもらおうとしてたのに!」
「うるせー!息子が破産ルート一直線に向かってるのに止めない親がどこにいるってんだ!」
時雨たちが多少騒いでも後ろで楽しんでいるのであろうロキ・ファミリアは気にも留めない。それをいいことに時雨は立ち上がると、ミアに不満を思い切りぶちまけた。
「だいたい高すぎるだろこの店!なんでパスタがこんな値段するんだよ!」
「文句あるのかい?」
「ないっす。喜んで払わせてもらうっす。」
「「弱い……。」」
なおその勢いが続いたのは5秒程度である。厨房で鍋を振るうミアに一睨みされた時雨は深々と頭を下げると、再び静かに席に着いた。横から刺さる2人の目線が痛い。
「ていうかお義父さんとミアさんの関係って─」
「そうだ、アイズ!お前のあの話を聞かせてやれよ!」
その言葉が店中に響いたのは、ちょうどベルが口を開いた時だった。
「あの話…?」
「あれだって、帰る途中で何匹か逃したミノタウロス!最後の1匹、お前が5階層で始末しただろ?そんで、ほれ!あん時いたトマト野郎の!」
5階層、ミノタウロス。その言葉に僕の頭の中が凍りついた。心臓が平静を失い、人知れずバクバクと音を立てる。
「ミノタウロスって、17階層で襲いかかってきて、返り討ちにしたらそのあとすぐ逃げ出したやつ?」
「それそれ!奇跡みてえに上まで行きやがってよお!俺たちが泡食って追いかけたやつだ!こっちも疲れてたのによぉ!」
…物騒な話だな。隣でガラスを傾けながらそう呟く義父の顔が今は見れなかった。
「それでよ、いたんだよ!いかにも僕駆け出しです、って面したヒョロくせえガキが!抱腹もんだったぜ!兎みてえに壁際に追い詰められてよ!そいつ可哀想なくらいに震えちまってやんの!」
僕だ。それは、僕だ。
あの時、あの場所でミノタウロスに襲われて、アイズ・ヴァレンシュタインに助けられたのは、僕だ。
「…ベル。おい、ベル!どうした!?」
僕の様子がおかしいことに気付いたのだろう義父が小声で僕の肩を叩いてくる。やめてくれ、今は。とてもじゃないけど返事なんてできやしない。
「んで?そいつ助かったん?」
「間一髪、ってところでな。アイズがミノを細切れにしたからよ。…そんでそいつよ、頭っからあのくっせえミノの血を浴びてトマトになっちまったんだよ!あーっ今思い出しても腹いてぇ!」
その声の主は目元に涙を溜めながら笑いを必死に堪え、周りからは失笑が起きた。それ以外のテーブルでも、いくつもの笑いが生まれていた。
…自分の中で、何かが削れていくのを感じる。まだまだ続く
「…ベル、なあ、もう帰ろうぜ…」
「ベルさん…?」
隣で男の人の声がする。女の人の声も。でも、もう頭に入ってこない。
「黙れよババア!じゃあなんだ、アイズ?お前はあのガキに好きだの愛してるだの言われたら受け入れるのか?」
「………」
笑い話はいつのまにか口論になっていた。狼人がまるでヴァレンシュタインさんを煽るかのように問いかける。
「そんなはずねえよなぁ。お前より弱い、気持ちだけ空回りした雑魚にはお前の隣に立つ資格なんてありゃしねえ。何より─お前がそれを許さねえ。」
「雑魚じゃあ、アイズ・ヴァレンシュタインには釣り合わねえ!」
ああ、もうだめだ。座っていた椅子を蹴飛ばして、伸ばされた手を振り払って僕は店の扉を飛び出した。
飛び出して、大通りをあるく酔っ払いにぶつかりながらも夜の街を駆け抜けた。駆け抜けて駆け抜けて─そのさきにある世界一高い塔、その地下へと勢いよく飛び込んだ。
「ベ、ル…」
走り去っていくベルを呼び止めようとした手は空を切った。いや、捕まえようと思えばそれはできた。それも簡単に。だけど、俺はできなかった。
「……あれ、ベルの話なんだよな。」
「そうなんですよね、きっと。」
1人分の隙間が空いたカウンターに座る俺たちに、周りの視線が突き刺さる。…あの話の後で勢いよく飛び出した奴のツレだ。それも当然と言えよう。
「…追いかけないんですか?」
「無理だ、少なくとも今は。」
そう答えて、すっかり酔いの冷めた頭を抱えた。
「…分かんねえんだよ、こういう時。どうしたらいいかなんて。」
昔、俺がベルくらいの歳の頃。俺は紛れもなく天才だった。俺はこうやって笑われる側にいなかった。もし舐められたと、馬鹿にされたと思ったらその瞬間には相手に斬り掛かっていた。
だから、わからない。バカにされ、嘲笑われ、傷ついた息子になんて声をかけてやったらいいのかが、俺にはわからない。
「…声をかけてやるべきなのか、それとも1人にしてやるべきなのか。何からやったらいいのか。それすらもわかんねえ。」
本音を言えばまずあの犬を叩っ斬ってやりたい。指先から、足先から一寸ごとに切り刻んで、地獄を見せてやりたい。だけど、それはダメだ。馬鹿にされたのはベルだ。俺じゃない。何もされてない俺が、息子の喧嘩に勝手に手を出すのは駄目だ。
「変わったね、あんたも。」
「…え?」
頭を抱えた俺の頭の上から声がかけられた。声をかけてきたのは、ミアだった。
「あのあたしに迷惑ばっかりかけてきたクソガキが、息子にどう接したらいいのか、なんて悩むなんて一丁前に父親面するようになったじゃないか。」
「昔の話はやめてくださいよ…。」
「で、あの小僧にどうしてやったらいいのか、かい?」
鍋を振りながらミアは口を開いた。
「まずは落ち着くまで待って、それからちゃんと話を聞いてやんな。下手に話を遮ったりするんじゃないよ。んで、もし馬鹿やってたら叱る。それだけでいいのさ。それ以外は好きにさせてやんな。」
「…そんなんでいいんすか?」
「いいんだよ。…ああそうだ。終わったらまたうちの店に顔出すんだよ。」
「…了解。」
ふっと息を吐いて立ち上がる。やっぱりまだ何をしたらいいのかはわからないけど、とりあえずベルの元へ行って、はなしをしてみよう。そう決めて椅子を引いた。
「その、すまない。少しいいかな。」
その俺に、話しかけてくる
「…なんの用だ、【
「…随分と久しぶりだね、【夜叉】。」
舐められたら即ブチ殺す、が現役時代時雨の信条。当時の先輩幹部たちはかなり手を焼いたと思う。フィンとかが知るのもこの時期の時雨。
黒龍戦での敗北と15年間の隠居生活、育児で丸くなってるから今はだいぶ落ち着いた。