ダンジョンに『元』冒険者がいるのは間違っているだろうか 作:チキンうまうま
石造りの廊下を、カツカツと早足で歩いていく足音が響いた。その足音の発生元では2人の人物─先程の受付担当ともう一人、長身に涼やかな美貌を兼ね備えた女性が歩を進めていた。
「団長、その、夜叉のシグレ?って人は知り合いですか?」
「……ああ。もう随分と会ってないが…。と言うかそうか。お前は奴のことを知らないか。」
あれから随分と時間も経ったし仕方がないことだがな。誰に聞かせるともなく団長と呼ばれた女性─シャクティはそう言って、とある一室の前で歩みを止めた。
「案内ご苦労。お前は仕事に戻ってくれ。」
「は、はい。その、団長。そのシグレってやつは、何者なんですか?」
「それは…。」
シャクティがその問いに応えようとした時、扉越しにでも聞こえてくるほどの大声が聞こえてきた。そのせいで何かを言いかけたシャクティの口が自然とつぐまれる。
「俺が!ガネーシャだ!!」
だ…だ…だ…と廊下に声がこだまする。その残響を耳に残しながら、2人は同時に大きなため息をついた。いつものこととはいえ、
「…ガネーシャ様も呼んでいたのか。」
「…はい。さっき偶然お会いしたので。」
そうか、と言ってシャクティは扉に手をかけた。そして扉を開いた瞬間、再びの爆音が彼女を襲う。
「俺だって!ガネーシャです!!」
す…す…す…!扉という遮蔽物もなしに放たれたその大声は、なんの身構えもしていなかった2人に容赦なく突き刺さった。予想もしなかった展開にいよいよシャクティが苦虫を噛み潰したかのような顔になる中、部屋の中では2人の男性ががっしりと強い握手を交わしていた。
「久しいな、時雨よ!いい
「こちらこそお久しぶりです、ガネーシャ様。ガネーシャ様も息災そうで何より。」
はっはっは、と朗らかに笑う2人に担当官が目を瞬かせるなか、入室したシャクティはため息をして口を開いた。
「2人とも、いいか?」
「む、シャクティか。」
「シャクティ?うわ久しぶり。てか変わってないなお前。」
「…ああ、久しぶりだな時雨。ついでだ、紹介しよう。」
シャクティに指し示され、担当官の視線が時雨の方へと向かう。彼の目に時雨は、ただの旅姿に身を包んだくたびれた若者にしか見えない。
「こいつは『セト・時雨』。15年前にこの街を去った、私とは同世代の冒険者だ。」
「元、ね。元。今はただの農家。」
「…所属していたファミリアは『ゼウス・ファミリア』。」
「ゼウス…!?」
シャクティの発言に担当官の目が大きく見開かれた。それもそのはず、それは今となってはもう聞くことのほぼない超ビッグネーム。この下界1000年史上、最強に君臨した
「ああ。そしてこいつはその中でも10代という若さで幹部を務めていた。」
ギョッとした目で担当官が時雨に目線を向けるなか、シャクティは淡々と続けた。
「セト・時雨。かつては【夜叉】の異名でオラリオ中の冒険者から畏怖と敬意を集めた男。」
「最後にはオラリオを追われたが…その時までに至った
「今この世界に3人のみ存在する、レベル7の一角だ。」
「あそこまで色々言うことないのに。プライバシーって知ってる?」
「お前に関してはない。と言うか時雨。お前何をしに来た?」
担当官がふらふらとした足取りで去っていくのを見届けて、時雨は湯気を立てる茶を啜った。そんな呑気な時雨に、シャクティの鋭い視線が突き刺さる。
「ああそうそう、その話。俺久しぶりにオラリオに戻ってこようと思ってさ。ゼウス・ファミリアからは抜けてるんだけど…入れる?」
「…時雨よ、今更にして何故そうなった?」
仮面越しにではあるが、ガネーシャも真面目な表情で─いや見えてはいないのだが─時雨のほうを見つめた。2人はこの街の治安を預かる者として、
「まあ話せば長くなるんですが…義息子が割と大きくなったんで、セカンドライフ的な?」
「そうか、息子か…。」
「セカンドライフか…。」
ふむ、と2人して頷いた。そのまま数秒の沈黙が流れた後、一瞬にして怪訝な顔つきになる。
「「息子?」」
そして同時に聞き返した。伊達に長い付き合いではないと言うべきか、そこには一切のズレも存在しなかった。
「ええ、義息子。血は繋がってませんがね。その子がオラリオで冒険者やるってんでついでに俺もこっちに。あの子がいないなら俺があの家にいる意味もないですし。」
「そ、そうか…。やはり時雨も結婚していたのか…。」
手の震えを必死に押さえつけながら、シャクティは自分の茶へと手を伸ばした。シャクティ・ヴァルマ38歳。若い頃を年の離れた妹の世話と都市に蔓延る悪との戦いに費やした女傑。オラリオ屈指のファミリアの団長であり、レベル5の高みに至った彼女にも恐れるものはあった。
知り合いの結婚である。
そもそもが結婚率の低い冒険者。その中でも第一級を超えてしまえばもはや周りの自分を見る目は『高嶺の花』だけとなってしまう。つまり─富も名声も手に入るのに、結婚相手だけは遠ざかっていくのである。そのために年下の団員たちからの結婚報告を聞くたびに彼女は祝儀と、隠れて嘆きのため息を搾り出すのだ。
「いや、結婚はしてない。あの子は友達の子だよ。ってそんなことはどうでもいい。俺は入国できるのか?」
「そ、そうか!お前も結婚してないのか!」
「露骨に喜ぶのやめろ!俺だって気にしてるんだぞ!」
「時雨。」
「なんですか、ガネーシャ様。」
「お主にこの街を害する気はあるか?」
都市の護り手として、そしてかつての惨劇を知るものとして、ガネーシャは問わねばならない。そう問うガネーシャは普段とは違う、
「それは無い。」
そしてその視線を受ける時雨も同様。神の審判を受ける彼は、一切怖気付くことなくガネーシャの視線を真っ向から受け止めた。
「それは、それだけはない。断言します。俺は自分の青春を過ごしたこの街でただ美味いもの食べて、そんでのんびり息子の成長を見たいだけですよ。」
「…そうか。」
その答えを聞いたガネーシャは頷き、すぐに普段の陽気な雰囲気へとその態度を戻した。
「ならよし!民衆の守り神として、このガネーシャが入国を許可しよう!」
「ガネーシャ様、いいんです?」
「うむ!そもそもファミリアを抜けている以上はゼウス・ファミリアへ下された沙汰の対象外!そして今の問答にも一切の嘘はなし!ならば許可を与えるのになんの問題もあるまい!」
「…ありがとうございます、ガネーシャ様。」
ガネーシャに対して時雨は深々と頭を下げた。そんな彼を尻目に見ながら、シャクティはサラサラと書類にペンを走らせる。
「入国おめでとう、時雨。」
「ありがとう、シャクティ。いやーこれで一安心。久しぶりに屋根の下で寝れる。」
「ああそうか、旅の途中だと基本野営か。それはいいとして…これからどうするつもりだ?どこかのファミリアにでも入って冒険者に復帰するのか?」
「いや。冒険者には一応なるけど、ギルドに申請してしばらくは
「ほう?」
その言葉にシャクティの手が止まった。無所属の冒険者もいないわけでは無い。だがそれは色々な面でファミリアに所属するのに比べてデメリットの方が目立つ、賢いとは言い難い選択であった。
「それはまた、なんでだ?」
「まあ単なる意地の話だ。俺はあのジジイ以外から
よっぽどいい神がいるならまた別だけど。そう言って時雨はもう一口茶を啜り、地元の農村では味わえない深い味わいをじっくりと噛み締める。さすがガネーシャ・ファミリアと言うべきかいい茶葉を使っているようだ。
「そうか。なら何も言うまい。…そうだ。」
「ん?」
書き終えた手元の書類をトントンと束ねて、シャクティが時雨の方を向いた。
「お帰り、時雨。」
「…ただいま、シャクティ。」
「…うおお。」
城門を抜け、時雨は今オラリオの街へと足を踏み入れた。彼にとって久方ぶりの、数字にして15年振りのオラリオだった。街並みは軒並み変わっていて、城門からの景色は記憶のものと随分違っている。
「変わったなあ、ここも…。」
それでも変わらないものはある。街を行き交う武器を背負った冒険者に、数えきれないほど他者多様な人種の
そしてそれはその遥か向こう、オラリオの中心に聳え立つ
「ただいま、みんな。」
変わったものと変わらないもの。その2つに思いを馳せながら、時雨は小さくそう呟いた。
時雨
本名『セト・時雨』。元ゼウス・ファミリアのレベル7。
現役時代には同年代の静寂とは一悶着あったはず。
シャクティ
時雨とは同じ時代を生きたものとして関わりがある。
ガネーシャ
君もガネーシャだ。