ダンジョンに『元』冒険者がいるのは間違っているだろうか 作:チキンうまうま
一文字も出てきてないのに安否を心配される某太陽神の明日はどっちだ
「今から
薄暗い、ジメジメした洞窟─
「まず、迷宮の中ではモンスターは壁から生まれる。それはいいな?」
時雨にそう聞かれて、緊張を隠せないままにベルはコクコクと頷いた。なにせ今日は彼の人生で初めて、冒険者として迷宮に潜った日なのである。恩恵を授かったとは言え、緊張してしまうのも無理はないだろう。
「よし。で、そのモンスターの中には『魔石』があるからそれを壊す、あるいは魔石を綺麗なままにしたいなら普通に殺せばそれでいい。お、ベル。あれを見ろ。」
鼻唄でも歌いそうなほどに上機嫌な時雨は、話している途中であるものを見つけ、足を止めた。ベルもつられてそちらを向くと、そこではちょうどダンジョン上層を象徴するモンスター─ゴブリンが産み落とされるところだった。
「よし、あれでいいか。とりあえず俺が手本を見せよう。」
言うが早いが、時雨は産み落とされたばかりのゴブリンの方へと歩いていった。そしてベルに合わせてか刀ではなく
「まず大事なのは周囲の敵の把握だ。今回はこのゴブリンだけだな。」
時雨の接近に近づいたゴブリンがギシャア、と吠えた。そしてその咆哮の勢いのままに時雨へと突っ込んでくる。
「速い…!」
その様子を見てベルは思わず叫んだ。彼の知るゴブリンは地元の村の周囲にいたもの。それは数千年の地上での繁殖を経て極めて弱体化したものであり、純度100%ダンジョン生まれのモンスターとは
そして今、義父の元へとモンスターの暴力が振り落とされようとしていた。
「お義父さん、危ない!」
「─このように突っ込んできた場合は、まずは相手の動きを予測して回避する。そんで、」
ベルの叫びもまるで気にせず、時雨に飛びかかってきたゴブリンを軽く躱すとゴブリンの背中に軽く触れた。…つもりだった。
「…へ?」
「…ほ?」
もう一度言おう。時雨は軽く触れたつもりだった。しかし悲しいかな。15年と言うブランクは決して短いものではなかった。レベル7という人の形をした天災レベルにまで昇華された肉体を御するには、15年の空白はあまりにも代償として大きいものであった。
つまり、何が言いたいかというと。
「お義父さん、それ…。」
「……バカな。」
有り得ねえ。ボソリとそう呟く時雨は、今や返り血で真っ赤に染まっていた。それの意味するところは─彼が触れただけでゴブリンの息の根を止めたということである。時雨は完全に力加減を間違えていた。
そしてその様子は、離れてみていたベルにとっては極めて衝撃的なものであった。なにせ、ゴブリンが義父に襲いかかったかと思うと、突然に爆散したのである。平和な農村に暮らしていたベルにとって、突然の血飛沫と、それによって真っ赤に染まる義父の姿はあまりにも刺激的だった。
「いや待て、ベル。俺にもう一度チャンスをくれ。今度はうまくやる。」
「う、うん…。」
今の醜態を挽回すべく時雨は(血まみれのまま)慌てて周囲を見渡し始めたが、正直ベルはその姿にまあまあ引いていた。というか生まれてこの方、いつも優しく、ときに厳しく育ててくれた人物がとてつもないゴリラだったことにドン引いていた。正直半分ちびりそうになっていたのは内緒である。
「いた、あそこだな。上層はモンスターが少なくて困る…。見とけよベル、今度はうまくやるから。」
そしてついに時雨は哀れにも捕捉されてしまった
「……すまん、ベル。」
辺りを漂う鉄の香りと、地面に積もった灰の中で時雨は苦々しく呟いた。
「俺、手加減とかそう言うのできなくなってるみたいだ。」
多分そう言う話じゃない。内心で『昔この人に剣を教えてもらわなくて良かった。』と思いながら、『リハビリしないとなあ』なんて呟く義父に対してベルは壊れた人形のように頷いた。
「忙しい中、集まってもらって感謝する。」
「特に【ロキ・ファミリア】。遠征の直前だと言うのに、このような時間をとらせてしまって申し訳ない。」
「構わないさ。
シャクティの視線の先、そこにいるのは金髪の少年。彼こそ【ロキ・ファミリア】の団長たる【
そして軽く頭を下げるシャクティに微笑むフィンの反対側。そこには大柄な
「御託はいい。さっさとやれ、【象神の杖】。こっちも暇じゃねえ。」
愛想の良いフィンとは打って変わって猫人─アレンが舌打ちと共にそう言った。その様子にリヴェリアが整った眉根を顰めるが、アレンもシャクティも気にした様子もない。
「ああ。では早速本題に入ろう。」
全員の視線を集めたシャクティは、その口上の後に爆弾を落とした。
「【夜叉】が帰ってきた。」
「「「「……!!」」」」
「…だれだ、そいつ。」
その爆弾の破壊力は、絶大。アレンだけは直接の面識がないために眉を顰めるだけに終わっているが、それ以外の面子は相当な衝撃を受けたことを隠そうともしていなかった。その中でも猪人─現オラリオ『最強』の冒険者、【
「【夜叉】の時雨。【ゼウス・ファミリア】幹部唯一の生き残りにして…今の今まで消息の掴めなかった男だ。」
「…はあ!?ってことは…!」
フィンの補足にアレンの目が大きく見開かれる。彼とて7年前、時雨以外の【ゼウス・ファミリア】幹部と戦ったことのある身。それと同格、と言うことの脅威は身にしみて理解していた。
「なんで今更この街に…?」
「分からん。まさか7年前と同じ目的か?」
「いや、そうではない。特にそんな目的はないとガネーシャ様が証明している。あいつはただ、この街にセカンドライフを送りにきただけ、だそうだ。」
いくつかの疑問が飛ぶ中、シャクティはそれを否定した。何せ神の前で下界の人は嘘をつけない。つまりガネーシャの前で時雨の告げた言葉は全て真実ということである。
「…じゃあ、なんでこの場に僕たちを呼んだのかな。何か要望でもあるのかい?」
「ああ。…ただこれは今のところ保険ではあるが、【ロキ・ファミリア】だけでも【フレイヤ・ファミリア】だけでもなくその両派閥に頼みたい。」
この場に集うのはオラリオに無数にいる冒険者たちの最高峰。シャクティには彼らにしか頼めないことがあった。
「今のところ時雨にはこの街をどうこうする気はない。だがもし、もし時雨がその気になった場合。両派閥が手を組んで対処してもらいたい。」
シャクティは時雨にとって、そして逆もまた然りであるが『友人』と言える間柄である。2人はそれなりに親交のあるファミリアに所属していたもの同士として、そして同年代の冒険者として縁を紡いでいる。
だが、それでも。シャクティはこの街の治安を預かるものとして、いざとなれば時雨を討たなければならない。妹を失うことになったあの惨劇を繰り返さないために。
「…ふむ。」
「なるほどね。」
そして時雨はレベル7。今や世界に3人しか残されていない境地に至った男をもしも相手取ることになった場合、【ガネーシャ・ファミリア】では戦力として不安が残る。ならば確実に勝つためには現在最強に位置するこの両派閥を起用するのは、当然と言えた。
「…確認するけど、今のところ【夜叉】にその気は無いんだね?」
「間違いなくな。」
「そうかい。それにしても、彼の入国なんて【ガネーシャ・ファミリア】はともかくよくギルドが許したもんだね。」
「ギルドとしてもレベル7を野放しにするよりかは、リスクを負ってでもオラリオに閉じ込めた方がいいと判断したのだろう。仮にあいつがラキアにでも手を貸してみろ。そうなれば我々は毎日地図を書き換えることになるぞ?」
フィンの疑問に即答したのはリヴェリアだった。そして事実、時雨はギルド長であるロイマンに対して全く同じ殺し文句を持って自分のオラリオ滞在、および冒険者としての復帰を認めさせている。
「…だが、なんであろうと関係はない。」
騒然とした場において、今までほとんど話すことのなかったオッタルが突然に口を開いた。全員の目がそちらへと向く。
『お?いいねえお前。クソ雑魚なくせにバチクソ頑丈じゃねえか。俺がぶった斬っても気ぃ失ってねえ奴は久しぶりだぜ。』
そんなオッタルの脳裏には、かつて受けた屈辱が蘇っていた。それは遥か昔、未だ自分たちが最強派閥を名乗れなかった頃。最強に挑もうとした彼が、その前座としての時雨に笑いながら切り刻まれた、耐え難いまでの敗北の記憶。
「…借りは、必ず返す。」
全身に闘志を漲らせ、オッタルは誰に聴かせるでもなくそう呟いた。
─迷宮37階層、【
ダンジョンの中でも深層域に当たるこの場所には、滅多に人が訪れることはない。そんな場所を時雨は1人で歩いていた。
その目的は自身の錆落とし。現役であった期間よりも引退してからの期間のほうが長くなってしまった彼の体は、今やすっかり戦いの勘を失っていた。それこそ上層のモンスターを『殺さない』ことができないほどに。息子に触れる時は兎も角、少しでも戦いが介入すると途端に彼の五体は制御できなくなってしまう。戦友たちに見られたら失笑ものの不甲斐なさであった。
それを少しでも戻すための錆落とし。そのための【
「『霜天、月光、泡沫の君。』」
両手に大小二振りの刀を持ち、魔法を詠唱しながら戦場へと歩いていく。
「『夢見る君は慈しむ者。万象一切、笑み
闘技場まであと30
「『
詠唱の完成と共に時雨は宙へと躍り出た。その彼の背後に、雪のような白い髪をした女性の姿が作られていく。そして時雨に寄り添うかのように顕現した女性を引き連れ、瞬く間に彼は幾つもの紅い花を咲かせていった。
「─『