月日が経つのは早いとはよく言うが、あれやこれや自分の中でしたいことだけが積もりに積もって、それでもしなければいけないことに追われていれば、いつしか入学して八か月。
降りたバス停から見えるキャンバスは茜色から喪黒へと移り変わり、自分の忙しない呼吸も自覚できるようになってしまった。
末端冷え性の自分にはこの季節は切に厳しい。
スーパーの安売りで買ったスマホが触れる手袋だが、便利を追求したためか本文を忘れてしまったようだ。いや、最近は接触反応も難しくなってきているから、もうこの防寒具はただの見掛け倒しの装飾品へとなり下がってしまった。ゲームセンターで一心不乱に使われている軍手の方が、まだ活躍しているだろう。
更には足である。つま先。靴下からのブーツという二重構造の砦をもってしても、私の足は凍てつくらしい。走ったり体を動かしたり心拍数に拍車をかければ多少マシかもしれないが、そうすると今度は汗をかく。冷えた汗は輪をかけて私の体力に削りを入れてくるし。何より、花の女子高生が汗だくというのは何とも聞こえが悪いだろう。
そういうコアな、悪く言えば悪趣味なジャンルがあるということも重々承知しているが、だからと言ってそんな目で見られたい訳ではないのである。まあ、だからと言ってこのまま誰かと会うというわけではない。あとは歩いて帰路につくだけだ。周囲の目なんて合っては無いものかもしれないな。
小、中と通い続けたこの道は、途中でアーケード街に流れる横道がある。シャッター外なんていうと聞こえが悪いが(本当に)、所々つぶれてしまった店もチラチラ見請けれる、そんな通りだ。
活気がないわけではない。近所に住む主婦や学校終わりに遊んでいる子供、井戸端会議に花を咲かせるマダムたち。ここが静まり返るのは、丑三つ近くの数時間だ。ささやかな賑わい。そんな言葉で伝わるかは分からないがまあ、そんな通りを私は十数年間通い続けている。
そんな通りも、今は緑と赤の聖なる夜にお熱。お肉屋さんでは普段見かけない七面鳥をたたき売りし、店先ではサンタコスしたバイトの子らしき子が元気にケーキを売っている。上を見上げればどうやってつけたのかも分からないようなところまで電飾が施されており、シャンシャンシャンと名前も思い出せないようないつもの曲まで聞こえてくる始末。
俗物的と言ってしまえばそこまでだが、私はこんな通りが嫌いじゃない。まだ息をしているように、年齢を重ねた私に安心感を与えてくれる。この通りが本当にシャッター外なんて呼ばれる日が来るなら、私はこの街を絶つだろう。そうならないことを、私が何も進んでいなくても、通い続けられることを願っている。
閑話休題。手足の冷えとあくせくしながら早足に歩を進めていると、ふと気になるものを見つけた。通りの中頃に位置する菓子屋が店頭で何やら面白そうなものを売っている。
フォーチュンクッキー。
中におみくじが入っているどっか外国のお菓子らしい。店先で実演している
どうやら若い子向けに作ったもので、恋みくじなんて入れてるんだとか。出来立てなことと若い女だからという理由だけで受け取ってしまった。
菓子類なんて、グミくらいしか食べてこなかったが、偶にはいいだろう。これも何かの縁である。……まあ実際はそんなに聞こえがいい話じゃなくて付き合いなんだけど。
恋。そんなもの犬に食わせたなんて言うつもりはないが、形容しがたいものであることには変わりなかった。少なくとも、私の中では。
周囲がやれあの先輩がかっこよくて好きだ、やれあの子に告白してOKもらったとか。いずれも伝聞であって経験じゃない。
男なんて皆似たり寄ったりな存在で、私の中で「恋」という単語が人生の大部分を占めてた時期なんぞどの記録を遡ったとしても見当たらないだろう。友人には「ちゃんみなも経験してみりゃ分かるって」なんて軽く言われたが、私にとっては心底どうでもいい事象ではあった。だから頼むから男としゃべってるだけでからかうのは辞めてくれ。いや、マジで。
そんな感じだから私の中で「よくわからないけど今のところ私の生活のストレッサー」なんて立ち位置にいる恋君だが、私自身理解する気がないというわけでは、実を言うとなかった。
私だって仲間意識もある。友人が共感できないことで盛り上がってると寂しいのはうそ偽りない気持ちだし、遠慮させるのも忍びない。だから高校に入ってちょっとは勉強しようと図書室で陰気な奴らが通い詰めているコーナーで、恋愛ものの小説を借りてみたりもした。
結果としては以前よく分からないという形で落ち着いたんだが。ガワだけ、名前として知っているだけの「恋」。その手がかりとなるかもしれない機会に、私はいま対面しているのであった。
南無三、とよく分からない掛け声を心の中で唱え、私は受け取ったソレを二つに割った。
クッキー特有の甘い香りが蒸気と一緒に漂ってくる。中から熱々の生地に挟まれていたおみくじらしき紙が出て来た。
少し湿り気を帯びたそれを、割ったクッキーを落とさないようにして開いてみる。ほんの少しの力が入っただけで破れそうなおみくじは私の手の中で、まるで生まれたての赤子の様にその文字を私に示した。
『好きな人の話を聞いていてはダメ! あなたから声をかけるのも気になるカレと距離を詰めるきっかけになるかも!?』
その時の私の顔と言ったら何と言っていいのか分からないような顔をしていただろう。
いや、文字通りの意で、店頭で立つ私はその内容を見て何も言葉が出なかったのだ。
なんだ、この文は。
いや書いてあることは理解できる。言っちゃなんだがありきたりな恋みくじの内容だからな。予想の範囲内だ。別にそこに驚いているわけではない。だが意を汲み取れるからといって共感できるというのは、それはお門違いというものだろう。
それじゃあ、なんだ。こいつはおみくじの癖して私に何一つ「恋」が何たるかを教えてくれなかったってことか。結局、私はおばちゃんからバニラの入ったクッキーを受け取ったってことか?
と、はたと手のひらにまだ少し熱がこもっているクッキーが残っていることを思い出した。ほ、と口に運ぶ。──ん、うまい。この素朴な甘さと少しの塩加減が、この菓子屋がこの通りで影響力がある原因なのかもしれない、と。先ほどまでのおみくじに対する熱いリピドーを
というのが丁度一週間前のこと。なんだただの過去話じゃんと思ったそこのお前。
その通りだ。実際、ついさっきまで私もこの記憶を、『あぁ、久しぶりにあそこのクッキー買ってもいいかな』って思い出すくらいの、そんな程度の認識だったんだ。
態々こんな長ったらしく描写してまで思い出すことでもない。
なんて、思ってたんだよ。
「えっと……転校してきました、向井巧斗って言います。ここにきて慣れないこともあるかもしれないけど、その時はよろしくお願いします」
私、恋したかもしんねぇ。