絶叫   作:真の柿の種(偽)

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覚醒の叫び

 友からの誘いは、何と言うか、いたく面倒だ。至極、非常に、とてつもなく、やったらめったら、とにかくどう言い繕っても言い換えても、面倒臭いが加速する。誘いの用事が遠出なら尚更で、ふとした時間にぼうっとするたびに、今頃ベッドの上にいれば最高の夢心地だったろうなとかとか考える。

 加えて一つ、これが興味の欠片も無い催しなのが大きな要素だ。

 

「んで、小日向はなんて?」

「来られないって……」

「……」

 

 しかもドタキャンときた、どうしてくれようかあのスプリンターは。

 

「理由次第では許されざるだな」

「親戚のおばさんが怪我しちゃったんだって」

「……チッ」

 

 不機嫌だからこその舌打ち。しかしこれは小日向を恨んでのものではない。単にこの巡り合わせの悪さを恨んでのものであり、言うなれば、そう――――

 

「私たちって呪われてるかも……」

 

 遠出に付き合う程度に、仲の良い友達はそう代弁してくれた。

 何がどうして、興味の湧かないライブに数時間も拘束されなければならないのだ。

 

「よし、帰るか」

「即決だね……折角だし、見ていこうよ」

「……」

「お互いこんな機会も滅多にないだろうし、これくらい付き合ってよ」

 

 きっとダルそうな雰囲気が分かりやすく顔に出てるのだ。何なら隠す気一つだってありはしない。

 

「一人だと心細いし、それに、きっと楽しいよ?」

「……」

「ね? お願い、響慈くん」

「…………」

 

 コイツの顔にも分かりやすく出ている。「何やかんやで付き合ってくれるもんね」みたいな、そんな表情を隠す気一つ無い。

 そして、その考えは概ね合ってもいて。

 

「……ほら、列進んでるぞ」

「! うんっ」

 

 いつものように、項垂れながらも先を示す。

 日常の延長線。のほほんと過ごして、一寸先の闇の中にも、和気藹々とした平和が広がっていることを信じて止まない毎日。

 ただ、雑音とは、いつだって平時に差し込み不快を奏でるからこそ雑音(ノイズ)と呼ばれる。

 分かれ道は此処だ。少なくとも、確かな分帰路はこの瞬間。

 その歌が聞こえるまで、少年は自分の運命を知らずに居られたのに。

 

 

 腹が減ったのとは少し違う。生まれてこの方、何かが足りない。

 感覚を語るには曖昧としていて、言葉にするなら、それもまた難しい。言いようのない不足感を何度も自己分析していたが、どうやら自分の生きてきた人生には、上手く言い当てられるだけの経験が欠けているようだ。と、自分は結論付けて流しておいた。

 勉学へ励む気はさらさら無い。運動は肉体的な素質なのか、そこそこ苦手ではないが、あくまで健康な範囲で留まる程度に。趣味は音楽鑑賞、といってもトップカルチャーを聞き齧っては、素人目線で好き勝手に友達との会話の種にする。その友達でさえ、少しとは言い切れない壁の距離を取って。

 

「あのバカ予約もしてないのかよ」

 

 こうして友人とのメッセージに悪態を吐く様子も、まさしく男子校生。

 

「ファンの風上にもおけん。本来なら許されざるだぞ」

 

 あと一つ、強いて付け加えるなら、やっぱり毎日には何かが足りない気がしている。

 おおう、なんということか。どこを切り取っても現代真っ盛りな思春期男子高校生の出来上がりだ。微妙な語彙力の無さあたりがそれはもう、高校生って感じだ。

 こうして学校をサボタージュしてでもCDを受け取りに並ぶところなんか、最高に青春している気がする。

 

「……」

 

 ふと、なぜか自分の財布の中身を覗いてみたくなって、つい確認する。

 自分の分は既に口座から金額が引かれて、後は受け取るだけなので問題無し。初回限定盤、通常盤、二つを前もって抑えておくのは嗜みの一つだ。忘れているようなら失礼に当たる。

 そして幸か不幸か財布の中には、ちょうど限定盤ワンセットなら買えなくもない紙幣の顔。日本人ならみんな大好きで愛するひとだ。

 彼はゼロを四つ引き連れて、この国の欲望を一身に受け止める英傑だ。彼が財布の中で顔を見せるたび、ぼくたち庶民はどれほど安心するのか、言わずとも伝わろう。

 さて、今回の目的はあくまで受け取りだ。買いに来たわけでもない。ちょろっとショップ内を回るつもりもあるが、買うにしてもこの場ではない。

 

「…………」

 

 幼馴染から受信したメッセージからは、なるほど彼女の嘆きが読み取れる。自業自得の範疇でもあるが、しかし彼女の気質を思えば、もしかしすればどうしようもない込み入った事情が、予約を忘れさせた可能性とて、決してゼロではないのがなんとも言い難し。

 財布を今一度覗き込んでみる。

 

「………………」

 

 はてさて、買えなくはない。

 小銭を合わせてしまえば、この少年の金銭力はギリギリ消費税込みの額へと届きうる。

 ため息をもう一つ。

 

「……………………チッ」

 

 どうせ「私、呪われてるかも〜」とかなんとか、このまま手に入らなかったならいつものように始まる。飽き飽きとする至極詰まらない反応を、好んで目に収めたいとは思わない。

 ため息をもう一つ追加して、念押しに手持ちの他諸々を再確認した。

 所持金はあり、銀行へ下ろしに行くような手間は無い。目的地は同じであり、別の場所へ向かう煩わしさも生まれない。恩は売れるし、売る相手は買った恩を、捨て置いて無碍にはしないタイプだ。

 あとはまあ、何となくだ。本当に、マジで、なんとなく。

 

「売上貢献。売上貢献だ、売上貢献なのだ……これは、業界への投資に繋がるのだ」

 

 そんなこんなで、少年は見捨てる選択肢を早々に諦めた。

 

 

 ――少年が一人、叫ぶ。

 声は枯れて、涸れて、煤に焦がれて。

 無力のままに、叫んでいた。

 無力さを棚に上げて、人は隣人を呪う。無力さは目に入らず、人は友人を踏み潰す。無力が集結すれば、末路は言わずとも炭のチリへと行き着くだけだというのに。

 愚かしくを積み上げる地獄の中で、いかに歌女が希望を叫ぼうと。

 人を殺し尽くすために、温度のない雑音の人形は絶望の象徴として、存在証明をたんと示す。

 目を覆うのは、同族嫌悪から。嫌悪を覚えられるのは、少なからず共感ができるから。

 生きたいと願う心は皮肉な事に、誰にも否定ができないし、してはならない。人類共通で分かり合える、数少ない価値観の一つなのだから。

 

「ふざっ――――死ぬな!!」

 

 己の腕から流れる血に見向きせず、自分以上に命を零していく歌姫へ声を張り上げる。

 蒼い歌女の握る手は崩れた。取りこぼさんと掬い上げても、宙に舞って消えていく。繋ごうと、繋がろうと、他ならぬ人自身が繋がりを手放していく。

 人なんざ、どこまでいってもヒトでしかない。

 神の身姿を真似ただとか、進化の行く末だとか、霊長の王だとか、小難しくも傲慢に自分達を定義するのが大好きな生き物だ。でもその実情はこれだ。こんな風に平等に訪れる死に対して、何も出来やせずに悲鳴を謳って終わる。

 ましてや子供であるのなら、無力さはより助長させて。

 

「生きるのを諦めるなって!! あんたが響にっ、俺らに言ったんだぞ!? だったらっ! 俺らを一度でも助けたんなら、その責任を取れよ!!」

 

 堰を切ったように叫びを投げる少年へと、歌姫は力無く堪えたような微笑みを返した、ように見える。

 尋常の域にはない撃槍を振り回していた右腕。取るに足らない愚物連中を庇うために振るっていた、もしかすれば自分よりも細い腕。生きるのを諦めるなと叫んだ、その両腕。

 夢を追いかけるために使われていた、マイクを握るための腕。

 いっそそれは象徴だったのに。間違っても自分を含めた俗物なんかを助けるために使われてはならなかったのに。彼女の奏でる心からの叫びは、これからもずっと、これまで、今までが笑えるくらいの大勢を、これでもかと幸せにするだったのに。

 なんでそんな、これ以上ない希望の証明が、炭に崩れてしまう。

 

 ――――バラバラな世界だって、色んな人達だって一つにできるのに!!

 

 だって、これが証明だ。

 未だに狼狽を思うがままに吐き出す者達。彼等彼女等は、彼女たち二人が歌っていたから――ツヴァイウイングが歌っていた間は、あんなにも幸せそうで、一体感もこれまでに感じたことのないほどで。

 こうまでの地獄が広がるのは、二人が歌わなくなったからだ。歌えなくなったからだ。

 逆説的に、彼女らが心のままに歌う限りは、完膚なきまでに完全無欠の救世主も同然だった。

 どうして価値ある者が死のうとして、なんでただの人である自分が生き残る。

 どちらの価値が低いのか、ではない。どちらの価値が高いのか、掛けられた天秤はこれだ。

 片や人を救う歌声を持ち、抗うことのできない前提が染み付いた殺戮の雑音を貫く戦姫。

 片や一般的で普遍的で、何かを成し遂げた覚えなど一つもない。長所など寝起きが良いことくらいな、社会や世界にとって有無を検討する必要性すら生まれない、ただの喧嘩っ早い中学生。死が蔓延する状況の只中に在ろうと、端から生者が熱を喪失していこうと、何一つ、意味が見出せない。戦わずに逃げる惑う背中を見れば、反吐すら湧き上がり怒りも込み上げない。

 選ぶなら、選ばれるならどちらなのか、消えるべき誰なのか、答えは自ずと、決まりきっている。

 

「……死ぬなよ」

 

 ずっと――ずっとだ、ずっと何かが欠けている。あるいは不足している。人間は生存に不可欠な要素を他所から取り入れて、それでようやく生きていける。酸素を始めとして、水分、ビタミン、必須アミノ酸等々。それと同じくらい、心を枯らし続ける何かが、どうしても足りない。

 近代になっては遠ざかったもの。きっとそれを望む心が在るだけで、どうしようもないくらい自分は野蛮だ。

 陽だまりのような、木洩れ日の気配とは違う――――生温くぬめついて、喉の乾いてくる鉄の香り。

 普遍的な親に育まれて、異質な過去なんかはサッパリ思い当たらなくて。それなのにどうして自分からは、そうも偏った価値観が拭えないのか。

 そんな風に捻じれて歪んで見える世界でも、その歌は鮮明に聞こえた。思考のノイズを吹き飛ばすくらい、鮮烈に高らかに、未来を歌い掲げる姿はそれこそ魂へと焼き付いた。

 自分とその他の者達が、別の生き物にしか感じられない――そんな自分が上を向いて歩いても良いのだと、言ってくれた気がしたのに。

 

「生きろよ」

 

 これは違う。歪んだ望みでもない。明るい願いでもない。

 こんな光景は一つ足りも望んじゃいなかった。

 

「……っ! 生きて! っ、し、死なないでよ!!」

 

 崩れていく歌姫はその喉すら無に還り、声一つを上げる権利すら剥奪される。

 

「人の心を踏み荒らして、そのままっ、死んでんじゃねぇ!!」

 

 歌姫が尽きる、その最期の声を歌声にしてやることすら出来ず。

 剣崎(けんざき)響慈(きょうじ)は、無力を叫び続ける。

 

 

「響っ……!!??」

 

 背後からの気配に骨髄がぶるりと震える。

 その信号へと全身を従わせれば、頭が数センチ左へと傾き――弾丸のような音を立てて、目の前の車が四散した。

 

「ぅおっ!?」

『もしもし響慈くん! どうだった? 買えた? 買ってくれた!?』

「買えた! 買えたからこっちに来るな!!」

 

 こめかみのすぐ横を通り過ぎて、風が前髪を少し撫でる。触れてないのは本当に幸いの中の幸いだった。例え髪の毛一本だろうと、テレビなんかで語られる理論通りなら掠ればお終いだ。そこから炭化の浸食は進み、人はゴミのような塵になって風に溶けていく。

 自分一人がそうなるならまだしも、今はこの手に自分なんかよりも未来のある子どもを抱えている。

 それを思えば、自分には足掻く選択肢しかない。

 

「寮にっ、戻ってろ!!」

『こっちに来るの? 珍しいね』

 

 この状況において電話越しに聞こえるほんわかとした口調は、トンカチで頭を殴られるくらいには頭に来る。

 恨むべきはこんな運命を引き当てた自分自身か、こんな運命を引き連れた手の中の少女か。

 あるいは、こんな不条理を――――死地を演出したナニモノか。

 

「ああそうだ……っ! だからっ、今すぐ帰れ!!!!」

『ええ~? でももう来ちゃった……あ、見つ、け……」

「帰れつったろバカァ!!」

 

 曲がり角の先に、茶髪の癖っ毛を見つけてしまった。

 まあでも、この少女の口癖モドキにも頷ける話だ。

 自分達は、呪われているのかもしれない。

 

「走るぞ響!!」

「へっ、ぁ、ノイズ……!!」

 

 都心に特有の曲がり角の多さを利用して、二人並んで駆け走る。

 抱えた子供の重さなんて感じていられなかった。苦痛を押し退けられるくらい、必死さが自分達を支配していく。

 

「ど、どこまでっ、行くのっ!?」

「撒けるまで!!」

「当てはないの!?」

「あれば焦ってない!!」

 

 用水路を浸かって抜けて、工業地帯の凹凸を利用して駈けずり回る。

 命を晒している。剥き出しの内臓を風に晒しているような、嫌悪と涼やかさが混ぜ合わさった厭な感覚が汗になってシャツを濡らしていく。

 正直、死んだと確信していた。だって無理だ。触れればお終い、それも髪の一本や服の袖でも同じくお終い。しかも敵の数は一匹や二匹では済まず、スクラムを組んで我先に突っ込んでくると来た。現実離れした映画ですら生き残れるような展開は稀だ。

 諦めればいいのに。諦める方が気楽なのに。

 諦めてこの手の荷物を捨てて、横に並ぶ荷物も見捨ててしまえば助かる可能性も上がるのに。

 諦めれば無駄に命を捨てずに済むのに。子供を一人抱えるよりも囮にでもすれば簡単に生存率は跳ね上がるのに。立花すらも使えば確実性は更に上昇するのに。擁してしまった命を諦めれば万事が上手くいくのに。

 なのに。

 

「……おかあ、さん……」

 

 その声を、自分が拾ってしまったばっかりに。

 

「チッ――ああもうクソ!! 諦めるなよ響! 分かってるんだろ!!」

「大丈夫……! 大丈夫だよ!! ――お姉ちゃんとお兄ちゃんが一緒に居るから、大丈夫……!!」

 

 諦めない。何一つ諦めたくない。妥協するにしても、これだけは出来ない。

 他の何を浅く捉えても、これだけは一つだって。

 命を、諦めたくない。

 

「俺ら本当に呪われてるのかもな!!」

「確かに……!!」

 

 有り得ないくらいの不幸に蝕まれても、目の前の命を諦めるわけにはいかない。生きることを、生存を、誰かの命を諦めたくない。

 そんな自分が難儀で仕方なかった。

 

 

 ――ドクドクと、心臓が張り裂けそうになる。ブクブクと、血潮が沸騰していく。

 あり得ない速度で循環が始まる。途方もない速度で循環を終える。血中に乗せられている自分の構成要素が、欠けた自分を急速に補充していくのを感じられる。自分だけでは得られない必須要素が、目の前の光景から供給されているのを感じ取る。

 求めていたものは、此処に在った。

 

「……」

「……」

 

 立花と二人、固唾を飲むことすら忘れて戦場(ライブ)を見据える。

 長年欠かしていた命の糧が、生を散らし死を歌うこの世界に満ちているのだ。

 戦姫が歌う。槍が歌う。剣が歌う。雑音は散らされる。雑多が悲鳴を散らしていく。

 弱者を強者が喰らい尽くし、その強者を誅するのは槍と剣を携えた更なる強者。弱者の肉を屠り、強者がその肉を蹂躙する。

 血が流れないのは不満だが、鉄が香らないのも不満だが、肉が咲かないのだって不満だが。

 胸が熱くなるとはこれだ。指先から火が吹いている。視界が真っ赤に染まっていく。耳はクリアに武装の戟の響きを拾い、雑音を引き裂く甘美を捉えて離さない。産毛が引っ繰り返っていくように暑い。関節が風邪をひいた時のように軋む。踵はいつ飛び出してやろうかと踏み切るのを待っている。煤の無機質な香りが鼻を叩いて、鉄の香りの代替品として愉しんでいる。

 

「……」

「…………は、はっ」

 

 逃げるべきだというのに。ここには自分だけでなく立花もいる。彼女を抱えて逃げるべきだ。控えめに言っても絶望的なのは確かだ、彼女の命だけでも守り切れるか怪しい。

 なのに足は、戦場へ向いたまま離れない。

 自分に一体何ができる。機械じみた槍も剣もなく、戦う術などどこにも無い。惚けて見ているだけなど無意味でしかないのだ。

 なのに、心は魅せられている。

 

「…………あは、はっ――――」

 

 命を剥き出しにする舞台。命を魅せつける歌。魂の輝きを、綺羅星のような煌めきを、歌にて奏でる交響曲。

 初恋だ。心を奪われた。だってこんなにも鼓動は早い。息が荒くなって、普通ではない肺の動き方をしている。過呼吸で死んでしまいかねない。槍と剣の両翼は、いたいけな少年の心を残酷なほどに、果てしなく強引に奪い去っていく。

 剣崎(けんざき)響慈(きょうじ)とはそんな、無力な人間だった。

 

「きゃあ!!?」

「――――っ、うわっっ!!」

 

 阿呆みたいに並んでそれを眺めていれば、足元の崩落に気が付かないのは道理だ。

 普通を暮らしていた一般人に、咄嗟の受け身など取れる訳も無く。

 

「ぅぅ……だ、大丈夫、響慈くん……?」

「お前の、方こそ……」

「私は……痛っ」

 

 足を抑えるその姿に、自分の成すべきことを把握する。

 血潮は未だ熱くて苦しい。心臓はバクバクと爆発崖っぷち。四十度なんて体温の線引きはとっくに超えている。

 それとこれとは別だから――やりたい事、成すべき事、身体をどう動かすか、その三つを分割し、最も後悔しない最優先を選び取る。

 

「――駆け走れェ!!」

「ジッとしてろよ!」

「きっ、響慈くん……!」

 

 迷いは死を呼び込むと知っていたから、少女を有無を言わさず抱きかかえて、戦姫の声に従い、全霊を駆ける。

 雑音を引き裂き煤に帰す槍の歌女、その方へは目を一切向けない。一度でも目を奪われれば、意識を持っていかれる時間はきっと長い。

 色ボケた思考は、戦場に在っても利は一も無く、百の害しか生む余地がない。

 

「うううぅぅぅううううううっぅぅぅぅぅぅぅ……!!!!」

 

 声で、あるいは見ればすぐに分かる。先ほど眺めていたことからも察することが出来た。余裕の見えない最高速を、上限すら飛び越えて突き抜けようとする必死さは、デメリットの裏付け。安定感のある風鳴翼はともかくとして、欠けるバランスをジェット噴射で保つかのような鬼気迫る様相は、これは、時間制限だろうか。リミットの備わる戦士など落第も良いところだが、そんな不安定でなければ対せない災害という事か。 

 なんにせよ、戦姫の双翼は今に欠ける。

 その限界地点は、思ったほどに長くはなかったようだ。

 立花を背負って走り出している進行方向上へ――――飛礫が横合いから降り注いだ。

 

「あっっ、がっ」

「――――え」

 

 右腕への、手の甲への痛みを認識し切る前に、立花の胸から赤い鉄の香りが噴き出すのが見えた。

 落下するような衝撃に、身体全体が宙に浮いた実感があった。

 

「立花!?」

 

 吹き飛ぼうとする立花の身体を、取りこぼさないように抱きかかえ、共に瓦礫の方へと飛ばされる。

 痛みよりも辺りの危険よりも、立花を見やり、堰を切って溢れる流血に絶句しかける――――――――この量は、良くない。かといって応急処置を行えるすべも無ければ、そんな時間も無い。ただ彼女を連れて、医療を専門とする者へと任せることだけが、彼女の助かるか細い希望だ。

 その一つ手前の段階として、立花の意識の消失は、あってはならないものだった。

 

「立花!! クソっ……おい目を開けろ!!」

 

 即死という、不快な二文字が頭をよぎる。それを否定すべく、何度も呼び掛ける。

 光を失う瞼の奥へ、何度も声を叫び懸ける。

 

「立花ぁ! 寝るなバカ!!」

「――死ぬな! 目を開けてくれ!!」

 

 外装を罅だらけにした戦姫が、同時に立花へと呼びかける。

 ()()()()が聞こえたのは、この時間だった。ノイズという特異災害に見舞われた中心で、何物をも貫く無双の歌を奏で、尽きる瞬間までのこの短い時間こそが、自分自身の中で()()()()が流暢に聞こえた瞬間だった。

 例えば、呪いに変わるとしても。

 

()()()()()()()()()――――!!」

 

 この瞬間を、二人はきっと忘れない。

 剥き出しにした言葉が、二人の胸を打つ。心の底から吐き出された声が、死へと向かった命を引き上げる。

 それだけその言葉には血が流れている。その声には、命が込められている。

 

「生きてる……! ……生きてる!!」

 

 眼の中の光は薄く、呼吸は小さい。でも、確かに、立花響にはその声が聞こえていた。少年からの視線にも、応えるように合わせてくれて、命の灯はここにあると示してくれる。

 簡潔にでも礼を言おうと歌姫へと向き直り、そして、口端から流れる鮮血を見て、響慈は彼女の限界を察した。

 

「……アンタ、限界なんだろ」

「……分かるのか」

「風鳴翼に任せて休んでろよ。俺一人でも、女の子二人くらいなら運べる」

 

 だが天羽奏は首を横に振り、その提案を良しとはしない。

 

「アタシを誰だと思ってる」

「歌姫」

「おっ、即答とは嬉しいな。……だったら、やることは一つだろ」

 

 歌う。

 心から、胸に溢れる歌声を信じて、彼女は戦場にて歌声を涸らす。

 命の唱を奏でる。その血が尽きるまで、命を声にして枯らす。

 

「いつか、心と体、全部空っぽにして……思いっきり歌いたかったんだよな」

 

 歌い始めとは比較にならないほど色褪せた槍を拾い上げ、その命が燃え揺らいだ。

 その独白には、どれだけの覚悟があったのだろうか。どれだけ燃え滾る命を奮い立たせたのだろうか。

 響慈には分からない。立花にも分からない。でも、胸に預けられた一つのモノは分かる。

 

「今日はこんなに沢山の連中が聞いてくれるんだ。……だからアタシも、出し惜しみ無しで行く」

 

 後戻りが出来ない選択をしようとしている。命を天秤に掛けるのではなく、命を天秤として消耗しようとしている。

 その後ろ姿を、止めることが出来なかった。

 

「とっておきのをくれてやる――――絶唱」

 

 槍を静かに掲げるその戦姫が、美しくて、見惚れて、呼吸という反射行動すら忘れさせて目を奪う。

 そして――――そして。

 

「……歌、が、聞こえる……」

 

 立花はその歌を、今でも思い出せる。

 

「星が、燃えている」

 

 響慈はその歌を、いつだって夢に見る。

 命を燃やす最期の歌が、光と共に消えていき、二人の少年少女の血に、命に、最期の歌が灯っていく。

 受けた歌を加速させるように、心臓が、右手の甲が棘のように痛む。

 歌と命と死の満ちる会場の中で、響慈は己の血の滾りを愉しんでいた。

 

 

「ゲホッ、ゲホッ……撒いた、か?」

「まだっ、分からないっ、や……」

 

 どれだけ走ったのか、フルマラソンと比較しても胸を張れる。

 此処はどこぞの屋上なのだろうか。高所へ逃げ込むのが正しい判断かは分からないが、誰も正しい対処法など分からないのだ。だとすれば我武者羅でも全力で走り回るのがきっと最適解だろう。

 とはいえ避難所よりも遠ざかるのは悪手だったろうか。

 

「死んじゃうの……?」

 

 子供らしく、確信を突いた疑問だった。なるほど確かに生存の確率は絶望的に違いないだろう。その上ハッタリを利かせられる要素も無いのなら、不安だけが膨らんでいく一方だろう。

 その声を聞いて、立花は安心させるように笑った。

 

「死なせないよ、お姉ちゃんを信じて!」

「……俺は?」

「このお兄ちゃんもね!」

「ついでかよ」

 

 そう言って立花は強く笑った。

 

「……響!」

「何……っ!!」

 

 ノイズが、すぐそこまで迫る。

 談笑の雰囲気が灯ったような気がしたのに、ほんの少しだって休憩させてくれるような瞬間を与えてはくれない。災害とは須らくそういうものなのだろう。

 熱の無い、冷たくすらも無い、ただ其処に在るだけの殺意が、機械的な指針を向けてくる。

 

「大丈夫! ……大丈夫だよ!! だからっ――――」

 

 女の子を抱き寄せて、安心させるように。

 

「生きるのを諦めないで!!!!」

 

 立花響は、その歌を奏でた。

 

 ――――喪失までのカウントダウン(Balwisyall Nescell gungnir tron)――――

 

「――――おい、その歌、は――――ヅぐッ」

 

 光が立花を包み込む。

 同じ光が、響慈の右手を包み込んでいる。

 

「っ、どうなってっっぁああ!?」

「うぐ、ぅああぁぁああああぁああぁあぁあ!!??」

 

 この輝きを、知っている。

 黄の色に輝く、星が如き無双の輝きを知っている。

 力強く、優しい歌声が作り出した、災害を退ける戦姫の光。

 この光を、輝きを、何よりこの歌を、立花響と剣崎響慈は胸に刻んでいる――――!!

 

「あああっぅああっああぁぁぁああああ!!!!」

 

 機械的な部品のようなものが、生き物であるはずの立花の背から引き摺りだされていく。

 規模と量は違えど同様に、響慈の手の甲からも、明らかに収まり切らないであろう機械部品が引き出され。

 

「響っ、き……っっ!!」

 

 その全てが、再び内へと押し込まれていく。

 

「ッ、がっっぁ、っぁ、■■■■■■ァァ――――!!!!!!」

「響……ッッ!!!!」

 

 バリアフィールドが装甲を形を成す。

 黄のラインが入った手装甲。黒と黄のヘッドセット。白のヘッドギア。足には黒の装甲。腰に二対のブースター。

 全身を黄色の基調にして、黒と白の三色で彩るインナー。胸元には紅のペンダント。

 それをして、どうしようもなく、天羽奏と被る格好だった。

 

「お前、どうなってんだよそれ」

「ふぇ……?!」

 

 とぼけた声を上げて、困惑の声色はさらに上がる。

 

「な、なんで……私っ、どうなっちゃてるのー!?」

「……体は何ともないのか?」

「え、えっと、歌がこみ上げるくらい……?」

 

 そういえばどこからともなくと思ってはいたが、よくよく耳を傾ければ立花から音楽が流れてきている。

 あの時の天羽奏と同じような原理なのだろうか。

 

「って! 響慈くんもその腕!!」

「……なんか、お前のと同じになっちまった」

「ホントだ! お揃いだねっ!」

 

 引き攣る痛みに苛まれた右手も――右手だけが、立花と同様の装甲に包まれている。

 咄嗟に思い浮かぶ疑問の数としては相当に在り、どうして自分は腕だけなのかとか、どうして立花は全身なのかとか、どうして天羽奏と似た姿なのかとか、数知れない、が。

 

「お姉ちゃん、カッコいい……」

 

 その無邪気な顔を見て、今、この瞬間に成すべきは戸惑う事ではないことを理解している。

 立花はその手を握って、そのつないだ手を離さないように。

 眼前の雑音へと向かい合った。

 

 

「反応絞り込みました!!」

「ノイズとは異なる、高質量エネルギーを検知!! ……!? それも、二つ!!」

 

 動揺が、職員の全員へと奔っていく。

 モニター上に示される一つの波紋。とある唯一の無二を指し示す、所在の証。

 

「まさかこれって……アウフヴァッヘン波形!?」

「ガングニールだと!?」

 

 二年前の喪失が、否が応にも呼び起こされる。

 

「新たなる適合者……!?」

「馬鹿なっ、一体どうして二つの反応が……!!」

 

 誰一人予想にしていなかった想定外。

 神すらも知らない運命が始まる、その瞬間を彼等は目にしている。

 

 

 ――さっきから、うるさい――

 

「飛んだぁ!?」

「うわわわわわー!!」

 

 ――喜べって言わんばかりに、騒がしくて仕方ない――

 

「あの高さから無事って…………やべっ」

 

 背後からの気配が鋭敏に感じ取れる。細く研ぎ澄まして、この肉体を突き破ろうとしていることが、手に取るように分かる。

 とにかく避けるために、身を捩れば足を滑らせて、落下した。

 

「おわっ……いや、多分いける!!」

 

 立花と同じ原理が働いているのだとすれば、自分とてこの高所からでもきっと。

 

「っっっ……!!」

 

 両の脚が、コンクリートの床へ真っすぐに着地させる。衝撃の一つも受け流さず、だというのに痛みの一つもない。

 

「おおー! 高得点だね!」

「……足がピリッピリするんだけどな」

 

 逆に言えば痺れる程度で済んでいるわけだ。無論、自分は御伽話の怪物の血が流れているとかでは無いと思われるので、単にこの肉体強度は外的要因によるもの。

 この場合は、歌、だろうか。

 

「どうなってるのか知らないけど、これなら逃げきれそうだね!」

「……どうだろうな」

 

 ――急かすのだ、全身が音を立てて――

 

 行く手を阻むノイズの群れ。恣意的にすら感じられる物量が、響慈達の進行方向を塞ぎきる。

 この分では仮に跳ぼうと、空からも追い立てられてお終いだ。

 

「……私が囮になるから、響慈くんはこの子を」

「うるさい黙れ馬鹿」

 

 ――待ち望んだ瞬間が、この瞬間に訪れたと――

 

「この数に囮なんて意味あるかよ。貧乏くじを自分から引きに行くな馬鹿」

「でも、それしか……――響慈くん!!!!」

 

 立花の叫びと同時、視界の外から、雑音を奏でる人形が槍となって襲い来る。

 対応は困難なタイミング。響が気が付けたのは、響慈を気に掛けていたが故であり、本人が他へと気を配らせていれば意識の外だ。

 

 ――手にしたのだから、二年前とは違うのだから――

 

 なのに、それを自分は、見ずとも手に取るように分かる。

 どう動くべきか、どう振るうべきか、どう躱すべきか、どう殺すべきか。

 その存在を撃ち砕くには、()()()()()()()()をどう扱うのが良いのか。

 

 ――戦士ならば、英雄の列に並びたくば――

 

「っ!? ぅおっ!!」

「……へ?」

 

 白い装甲が、白の装甲の下地となる黒のグローブが、超常を宿す右腕が、雑音へと風穴を開ける。

 ノイズは崩れて風へと消え去る。色味を失い、この世からいなくなったのは、そのノイズたった一体のみ。

 

「えっと……さ、触っても、大丈夫らしい」

「ええー!?」

「お兄ちゃんすごーい!!」

 

 キラキラとした目で見られるが、素直には喜びがたい。

 

「反射で殴ったなんて言えねぇ」

「聞こえてるから!! 無茶しないでよ!?」

 

 少なくとも()()()の二人は、ノイズに触れようとものともしなかった。あの装甲とよく似たものを纏う今なら、立花も自分も、ノイズの炭化に蝕まれることはない。

 最低限、()()()()()()()()()。これが知れただけ、不明瞭に賭けた甲斐はあった

 

「響、その子を守ってろよ」

「響慈くんは……大丈夫なの?」

 

 身の丈なんて容易く超えた、雑多の数々など笑い飛ばせるような、巨大なノイズが現れる。それを見てすら、躊躇いもない。巨躯の足元にも夥しい人形ども。されどやはり、憂いは無い。

 それどころか喜びが圧倒的に勝っている。ようやく生の実感を手にすることが出来る。自分はようやく生きられる。

 拳を強く握り締めれば、武者震いが止まらない。

 

「別に、たまの喧嘩と何一つ変わらないんだ。殴れば沈むんだから、かえって話は早い……――――」

 

 踏み込む寸前だった。

 夕暮れも過ぎ去った夜の空に、排気の音が軽やかに響く。

 大きな駆動音は蒼の軌跡を残して響慈達を通り過ぎ、爆発の熱と音を響き渡らせる。

 

 ――――羽撃きは鋭く、風切る如く(Imyuteus amenohabakiri tron)――――

 

 爆発の寸前に跳び上がった一迅の風が、聖なる詠を奏でる。

 

「風鳴、翼」

 

 歌が、唱が、唄が、詠が、(うた)が、戦場に木魂する。

 立花の歌声も、天羽奏の歌声も、はたまた風鳴翼の歌とて同じ。

 その全てが、剣崎響慈の心臓を加速させる。音叉のように、血の巡りが反響して、鼓動は際限を知らずに弾んでいく。

 

 ――血の滾る限り戦えと、心臓が五月蠅い――

 

 覚醒の鼓動は胸の歌と共に、世界へとその存在を知らしめる。

 どこまでも、天の果てまで届くよう、高らかに叫んでいた。

 

 ――血が、いつまでも、嬉しそうに叫んで(うたって)いる――

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