絶叫   作:真の柿の種(偽)

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 シンフォギアを劇場スクリーンで見たい欲、正直あります。


落涙の叫び

 自意識を得てから、物心ついた時から。他に言い換えるなら、最初に剣崎響慈としての記憶を得た時から。

 胸の臓から廻り続ける違和感が『不足』なのだという答えをくれたのは、二年前のあの事件。

 日本人なら、あるいは大なり小なり音楽の世界に精通していれば知っている事件を切っ掛けとして、手探りも出来ない不満足と自らのズレに当たりがついた。胸の内には、ソレが今も根付いている。

 自分が求めているモノが何なのか。自分はどんな行いが一番好ましいのか。今なら分かる。

 その答えを二年越しにくれた天羽奏は、生きることを諦めるなと言っていた。

 ああ、賛同しよう。同意を示そう。確かに生きることは、決して諦めてはならない。

 だってもったいないじゃないか。

 

『とっておきのをくれてやる――――絶唱』

 

 歌が聞こえた時も。

 

『チッ――ああもうクソ!! 諦めるなよ響! 分かってるんだろ!!』

 

 戦士としての証も無く、弱者として走っていた時も。

 

『■■■■■……ッ! ■■■■ッ! ■■■■■■■■■■■■■■■!!』

 

 黒く潰れて読めなくなった過去の記憶でも。

 いつだって自分は、命が無為に喪われるのがもったいないだけだった。その命が一つあれば、もっと楽しめるのに。その命を守れたなら、更なる明日が待っているのに。

 命があれば、()()()()()()()を得られる。喜悦に震え、愉悦を貪り、喜楽のままに命を左右する快楽を補給して、この先の人生をより鮮やかな命の色で飾り付けられるのに。

 例えば立花は、命を()()()ことの重みを知っている。こと己は視野に入らないが、その他へ対する守護の心は計り知れない。二年前の一件で重症にならずとも、彼女は元々からその方向性の気質はあっただろう。

 でもその少年は――――響慈は、命を()()()ことが、何よりも。

 

 ――――血の滾る限り戦えと、心臓が五月蠅い――――

 

 剣崎響慈は、戦いたい。

 戦って、命を奪いたいし、奪われたい。

 命の駆け引きを楽しみたいし、命の鬩ぎ合いをこの手で醸し出したい。

 ただ殺したいだけでは違う。殺されたいとも違う。欲望の下種さでは変わらないだろうが、一方的に嬲ることを目的とした殺人鬼とは違う。どちらか片方では足りない。その二つは両立されなければ意味が無い。それは何故なら、人間という愚かしい生き物が創り上げた、相互理解のための対話に他ならないから。対話なら、相手がいてこそ成り立つものだから。

 殺し、殺され合う。敵の生を己の力で引き千切ることと、己の生を敵の手で引き裂かれること。血をぶちまけて、敵の血も同じ量をぶちまけて。臓物が欠けたのなら、相手にも同じだけの喪失を押し付ける。そうして互いに笑い、満面で笑い尽くし。

 心身のはらわたを見せつける戦場の災禍の中心で、ようやく人は互いを知れる。そんな非常識でなくては満たされない人種もいるのだ。

 屍山を築いた先に流れる、血河の絆。

 命を燃やした者達の、清廉で悍ましい美しさを内包した血潮の雫が、混ざり絡まり、一つの流れとなって積み重なる。歴史のように、更なる英傑の鉄の香りを加えて、混沌とした熱は嵩を増して昂揚を誘発する。

 響慈が欲していたのはこれだ、これ以外にあり得なかった。

 ()()()に始まった居心地の悪い日常から、ずっと欲しかった非日常。

 

 ――――血潮で噎せ返る、戦乱の絆――――

 

 全身全霊、全ての命全ての人生、己の中で息をする悉く。

 即ち、『命を賭けた戦い』と呼ばれるこれだけが、これこそが、闘争の渦の中で得られる、掛け替えのない命達の結晶となる。

 剣崎響慈は、それが欲しかった。

 

 

「ネフシュタンの鎧……!?」

「へぇ? って事はアンタ、この鎧の出自を知ってんだ?」

 

 好戦的に、小馬鹿にする笑みを浮かべる

 

「――――響、ギアを纏え」

「へっ? うっ、うん……」

 

 戸惑いながらも、言われたままに聖詠を歌う立花。それに一瞥もせず、響慈の視線はただ一人に釘付けだった。

 確認は――――不可欠だ。

 是か否か、それだけを指針にしてきたこれまでだ。今になってそこを破るわけにはいかなかった。

 

「二年前、私の不始末で奪われたモノを忘れるものか……」

 

 悲壮にまみれた声。

 裏に潜む後悔は推し量れず、至極どうでもいい。

 

「何より……ッ! 私の不手際で奪われた命を忘れるものか……!!」

 

 絶望を乗り越えようとする声。

 秘められた決意の総量は計り知れず、そして、当然のようにどうでもいい。

 大剣を構えた風鳴に呼応して、棘の連なる鞭を構えるのは鎧の女。盾のような、槍のような、杖のようにも見えるナニカも同時に携えて。

 確信は殆ど得た。もう跳びだしても許されるだろう。響慈が動かねば二人はじきに激突する。だが、だが、もう一押し。

 自分の価値観に寄らない、絶対的な事実が欲しい。

 

「おい、待て」

「――今は貴方に構って「黙れ、答えろ」っ……?」

 

 有無を言わさない。そんな暇こそない。必要事項だけを疾く喋れ。

 込められた意味合いとは別に発された感情は、敵意ですらなく、戦意とも質が明らかに違う。

 

「ソレは、敵か」

 

 問い掛け一つにすら染み付いてしまう、隠しきれない殺意。

 憎しみではなく、疎んでもいない。ああ、でも、そうか。

 自分は、今、笑いたいのか。

 ()()()()()()()()()()()()()()()()()()、それでも自分は、この場で大きな声で叫んで笑いたいのだ。

 

「……敵よ」

「――――――――」

 

 それ以上は要らない。一言も要らない。その一文字だけでよかった。

 待っていた、のだろう。

 望んでいた、のだろう。

 喜んでいる、のだろう。

 

「! 待って響慈くん!!」

 

 無理だった。もう、これ以上は待てない。

 何年間だ。何時間だ。何日間だ。己の異質さに気が付かなくとも漠然と過ごしていた日々からか。それとも黒く潰れた記憶の彼方からか。とにかく長い、とても長い間だった。織姫と彦星の逸話の気持ちも、ロミオとジュリエットの想いも、引き裂かれる別離に近かった感覚も理解できる。誰でもよかったと言えども、待ちに望んだ状況だ。

 この来訪を、邂逅を、自分はどんな心で待ち侘びたのだろう。

 立花と小日向の約束を破らせた衝撃が吹き飛ぶような、強くて甘い底無しへの誘惑に似ている快楽物質が溢れ出る。ドーパミンは異常な量が垂れ流しっぱなしで、脳を痛いくらい圧迫し続けて、平常心の置き所を奪い去ってしまった。

 自覚している。手で顔に触れなくても分かる。周りの反応で確認する必要もない。

 今、自分は、どうしようもなく、笑いを堪えていて。

 

「――――――――そうか」

 

 敵へ、距離を詰める。

 撃退、打倒、迎撃、交戦、意味合いなど選び放題だ。どれでもいい。敵と戦う、この一点を意味する行いの中でなら、自分は翳りなく上質な空気を吸える。

 どれを選んだとて、行き着く結末は二極化するだろう。

 

「ッ!?」

 

 自分は命を賭けて戦う気概がある。敵は命を賭した気概を向けられて、同様の気勢で迎え撃つだろう。そうでなければアッサリと結末は手に入ってしまうから、どうか持てる気骨を全て用いて、魂の熱量を見せつけて欲しい。

 自分も、そうするから。

 亀のような装甲の懐へ飛び出し、踏み込んだ脚が大地を叩き割り、右の拳が腹へ叩き込まれるのは地響きの震える音と同時だった。

 

「硬っ」

「ぐっっ!?」

 

 浮き上がる小さな身体。体制を整える前に一回転し、頭部を狙って蹴り飛ばせば、ゴムボールみたく跳ねて飛んでいく。

 正直、それだけでもう、感が極まりそうだった。

 

「はしゃいだ喧嘩の売り方しやがって!」

「人を殴って蹴った感触がしねぇ。ふざけた()()()でオシャレしやがって」

 

 受け身を取り、今度は鎧を纏う少女が響慈へと詰め寄って来た。

 それを見て、離れはしない。距離は取らない。足は常に求めていた方角へ固定されて、迎撃以外の選択肢を自らの意思で握り潰す。

 一撃と二撃を先んじて喰らわせて、それだけで分かる、敵の装甲は堅固だ。気持ちよく打撃の鈍い残響をこだまさせたのにも関わらず、肝心の少女自身はケロッとしているのが現実を示している。

 敵の真髄を知る前に早くも結論が一つ出た。闇雲に打つだけでは砕けない。その絶対性は、生半の装者である響慈が穿つには不足している。

 ならどうするのかと考えれば、さて、せめて得物があれば何かしらの手立てはあるだろうが、いかんせん無形の我流の徒手空拳が響慈の持つ最大の武器だ。アームドギアの形成方法も知らない自分では、どうシミュレートしても鎧へ風穴を開ける未来が見えそうにない。

 白の鎧が低空を這い、眼前へ踊るように近づいて来た。

 大振りの足刀が右から襲い来る。

 蹴りを試しに真っ向から右腕で受け止めれば、ギシリと、装甲の奥から骨の軋む手応えが、痛みの熱が脳と反復する実感を得て。

 

「っっ、」

 

 その一撃は、充分すぎるフィードバックを響慈へと知ら示す。

 なるほど、足りないのか。

 欠片のそのまた欠片、それも立花ほどにもその真価を奮えない響慈では、聖遺物の塊のようなエネルギーを発するこの鎧には届かない――ああ、いや、確かこの鎧は、ネフシュタンの鎧とやらは、そういえば完全聖遺物とやらだと聞いていた記憶があった。

 少年の怯んだ様子を見た鎧の女は獰猛に笑い、流れるような追撃が飛んでくる。

 

「よく、動くやつ」

「さっきの威勢はどこに行ったってんだ!!」

 

 おもむろに顔へ撃ち込まれた拳は、しかし危なげなく首を逸らせば躱わせる。足元を刈ろうと目論んだ足払いも、油断なく構えていれば逸らせる。

 拳も蹴りも、依然としてまともには受け止め難い威力が込められている。しかしいなすだけなら簡単だ。

 完全聖遺物とやら、案外見掛け倒しか。

 

「オラオラオラッ!!」

「……っ――……」

 

 手首を横合いからぶつけて、拳を緩やかに流す。膝が下方から飛んだ来るなら、それを踏み台に宙を敢えて舞う。着地を狩ろうと飛び上がる女を見てから、重心を一気に落とし、敵の視界外へと身を翻す。

 掠るだけで骨からは音が鳴る。一撃の速度は風鳴と張る迅速。防的行動を取れば取るほど、次に移りたい行動と実際に動かせる稼働域との齟齬が生まれていく。敵の一動作へと合わせる度、響慈の体力は明確に削れていた。

 されど、決定打は確かにズラせてもいた。

 バイザーに隠された女の表情には、思うように攻撃が当たらない苛立ちが見えてきた。だがそれ以上に困惑しているのは響慈だ。見切り始めたと言っていいのだろうか。

 攻撃をいなす、それが可能なら反撃の手口は五万と浮かぶ訳で。

 

「このっ、さっきの一発をお返しだァッ!!」

 

 業をいい塩梅まで煮やした鎧の女は、拳を大きく振りかぶった。鎧の絶対性に安心を置いているのだろう。素人に毛が生えた響慈はもちろんのこと、ズブズブの素人から見ても同様に隙だらけだった。

 タイミングを図り、距離感を見抜き、そして力の加減はトップギアまで持っていく。

 敵の拳が頬を掠め、裂けた肌が瑞々しい色を吐き出させる。それすら、待ち望んでいた痛みであり、自分の救い難い在り方を自覚させる実感そのもの。

 

「ごァッ?!」

「見通してるよレオタード女」

 

 スペック任せ、感情任せの拳一つ、反撃の拳を交差させるなど容易い。

 鎧の女のバイザーへ叩き込まれる衝撃が、装甲に包まれた拳へ響いてくる。

 即座に炭素と散る雑音共とは訳が違った。

 装甲の先にあるバイザーを通して、命のその感触に、ぶるりと背骨が奮い立つ。

 

「完全聖遺物、お前には似合ってないな」

「この程度でアタシの底を測ったつもりでいんのかよッ!?」

 

 安く見られた事へ対する怒りと共に、その両手に鞭が握られる。

 鞭に並んだ鋭利な棘は、獣の犬歯のように尖り、敵対者を削ぎ落すのだろう。

 

「喰らっとけ!!」

 

 その言葉へ馬鹿正直に従えるほど響慈は己を軽んじれない。回避へ徹するのは言うまでも無く。

 後方へ跳び退く瞬間と重なって、棘の羅列はしなり、鞭打が響慈の立っていた地点を大きく抉る。

 

「痛そうじゃねぇか」

 

 殺傷力、破壊力、パッと見の総じた威力も申し分無し。

 避けるのが吉。その判断は間違っておらず、では取るべき選択肢も安全択。躱し、避け、隙間を縫って拳を打ち込むのが確実で堅実で。

 

「味わってみりゃ嫌でも分からぁッ!!」

()()()()()()

 

 振り下ろされる二つの鞭。それを見上げれば月が白く香って、心を乱し、狂わせ、正常さなどという価値観を唾棄させる。

 

 ――――退屈は、御免被る――――

 

 敵の狙いがどこへ向いているのかは知っている。拳を主武装として用いているのは存分に見せている。であれば敵ならば、仮に自分がその立場ならば、まず敵の武器を狙って攻撃の択を潰しにかかる。

 引き裂く為の武装。肉を削ぐカタチ。敵を嬲り、弄ぶ悪趣味な棘の並列。

 それを掌で、一思いに掴み取った。

 

「なッ!?」

「響慈くん!!?」

「ハァッ!?」

 

 驚愕の声が、三つ聞こえた。

 ギャリリと、摩擦が音となったのは右から。

 左からは、ブヂリグヅュリと、水っぽい音を奏でる楽器のように、筋やら細胞やらが引き裂かれて潰れて、骨まで削れる感触がした。

 失敗をすぐさま悟った。だって左手が動かせなくなってしまったのだ。手首から先を動かそうとしても、今際の虫が藻掻くのと変わりない動作しか受け付けない。いくらフォニックゲインのエネルギーに包まれてはいるとしても、装甲やインナーに包まれた右腕とは勝手が中々に違うらしい。

 装甲を纏わない部位でも、ノイズを相手取る程度ならばさしたる問題にもならなかった。しかし成程、流石の完全聖遺物とやらに対しては、そうも信用が効く保険にはなり切れない。大きな学びだ、これは。

 

「痛い」

 

 痛そう、そんな予測を遥かに超えて、とんでもない痛みだった。痛みを過剰なまでに受け取ったのなら、いっそ痺れすら起こるのだという事が知れた。

 けれど、ドクッと動いた。

 

「めちゃくちゃ、痛い」

 

 流れる血が、肘をつたう。

 水がつたう感触とは少し違った、張り付くような不快さ。ベタベタして、お世辞にも心地よいなどとは言い難い。

 だが、ドクンと鳴った。

 

「すげー、痛い」

 

 痛みを自覚した。

 裂傷を受け取った。肉を引き裂かれた。血を流させられた。骨まで削られた。神経すら断裂しているのかも。

 自己の状況を認識し、自己の在り方を再確認し、自己の昂揚を肯定する。

 そして、何度も、ポンプの役割をこの瞬間に全うし尽くするように。

 何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も。

 心臓が、血を巡らせる。

 自分の生きる糧は此処に在るのだと、血管をゴリゴリと削りながら廻っていくイノチが教えてくれる。

 

「いってぇから、さ、テメェは」

 

 動かない左手を無理に動かせば、断裂していく何かを感じる。それでも鞭を強く握り締める。もう二度と離してなるものか。オマエの命は剣崎響慈のモノだ。代わりに剣崎響慈の命をくれてやる。そうしてどちらが先にくたばるのか競争しよう。鞭を強く握るほどに痛みは加速して、痛覚に伴って心中の鼓動が加速していく。末端までを走り抜ける血液を意識するたびに、何故か目の前の要塞堅固な鎧など紙切れにしか見えなくなってきて、いとも簡単に破れそうな気がしてならない。腹ぽこに大きな拳くらいの穴を開けてやろう。その反撃できっと自分は首元を咲かれるだろうが、きっと彼岸花みたいに裂き誇るだろうが綺麗だろうから良しだ。戦場に裂く花なら、自分は悍ましいほどの赤が好きだから、自分も咲かせるし、相手の女にも咲かせてあげよう。白い鎧に塗し、芝の大地に垂らし、夜空の月に飾られる血河のカーネーション。なんてことだ、想像するだけで感動が止まらずに、快楽物質が脳内にぶちまけられていく。

 この痛みは、響慈()を生かす全てなのだ。

 やはり、ああ、そうだ、そうなのだ、じぶんは、そうでしかありえないのだから。

 

「■■■やる」

 

 鞭は離さない。左手はそれだけに使う。云わばこれは絆だ。一期一会の世界の中で、奇跡のような星の最中で巡り会えた自分と鎧の女を結ぶ、一つの絆の形だ。

 姿勢を前傾に、右手は離した。これから左手で鞭を思いっきり引き寄せて、相手の胸の内へ飛び込む。やることは非常にシンプルで極まっている。顔と顔がぶつかるような、互いの感情も隠し通せない距離の中で、存分に殴り合い刺し合い削ぎ合い蹴り合い潰し合い切り合い噛み合い、心ゆくまで踊り狂えばいいのだ。

 だからこうして殺し合うだけだ。

 命を奪い合い、血を流し会い、魂を貪り逢い、殺し遭いの日々を死ぬまで生き続ける。

 それだけだ。それだけが剣崎響慈の求める、ささやかな、唯一の願い。

 

「やめて響慈くん!!!!」

「■■てやる」

 

 聞こえない聞こえる訳が無い聞きたくないどれほど待ったと思っているどれだけ悩んだと思っている。

 ああそうだ、今更声など届かない。

 その声を、響慈は聴きたくない。

 

「人と戦っちゃ駄目!!」

「■してやる」

 

 とうに血は流れた。互いの敵意は明確だ。既に死人も出ている。完膚なきまで、此の場所は戦場に他ならない。これでもかと、現場を正しく読み解けるだけの材料は揃っている。どうあっても、この場においては無視される綺麗事。

 本当に、馬鹿な事を抜かす友人だった。

 その声を、響慈は汲み取りはしない。

 

「その子は私達と同じ人間なんだよ!?」

 

 その声は。

 

「随分、甘ったるいのとお友達じゃねえか」

「……」

 

 その声は、響慈には響かない。

 

「続きだ、アタシとも仲良くじゃれ合ってもらおうか?」

「……」

 

 常識を説き、平和を重んじ、安穏を尊ぶ陽だまりの中の声。

 暖かく優しい声は要らない。響慈が欲するのは『浴びれば熱く、すぐさま冷める』、そんな赤色の温度。

 だから、立花響の声は響かない。剣崎響慈の中に在る価値観を揺るがしはしない。ただ。

 

「…………――――冷めた」

「なんだと?」

「気が失せたつってんだ」

 

 込めた力を緩めて、鞭を手の平から溢した。

 昂る血潮を人肌に戻す、その程度の声だ。

 

「馬鹿馬鹿しい……ヘルピータンだかネフシュタンだか知らねぇ、勝手にやってろ」

「逃げんのか!?」

「は?」

 

 その一言は、戦意を一気に盛り上げるのに一役買えるだけの価値があった、が。

 

「――――……いや、やっぱやめだ」

 

 しかし足りない。臨界には遠い。貧血のような倦怠感が思考を鈍らせる。

 

「テメェ、喧嘩売ってきておいて……!!」

「後ろ」

 

 敵への一応の礼儀として、女の背後を指さした。

 大剣を上段に振りかぶった風鳴が、鎧の女へと狙いを突けていた。

 

「彼にかまけて私を忘れたかッ!!」

「ッッ!!」

 

 風鳴の一撃を、鞭で真っ向から受け止めた。

 それを横目に、響慈は立花の方へと歩いていく。その姿に緊張感など微塵もなかった。それどころか響慈は眠気すら覚えていた。

 

「響慈くん!! 怪我は大丈夫!?」

「……うるせぇ」

 

 左手に縋り付こうとする立花を払いのける。

 

「後は風鳴に任せれば落着だ」

「でも、相手はノイズじゃないのに……」

 

 甘い、のだろう。この甘さは、人の非情さを立花が知らないから()()()()

 信じたいから、そういった関係性や衝突を信じたくないのだ。

 それを響慈は否定しない。ただし、肯定を出来る程の優しさも、響慈には欠けている。

 昔から響慈に出来ることは変わらない。立花の決意を、進む道の先を見ているだけだ。口を挟みこそすれ、強制をした事は無かった。

 

「! 翼さん!!」

 

 様子見の段階を踏み越え切れない風鳴は、鎧のスペックに圧されつつあった。天羽々斬の速度をもってして大きな一撃は喰らわずに済んでいるが、このまま圧されるだけでは、その内に捕まるのも時間の問題か。

 立花が声を上げ、走りだそうとする。

 その方へ、鎧の女は盾のような、杖にも見えるソレを翳した。

 

「特異災害の元凶はアレか」

「ノイズが、操られている!?」

 

 首長の鳥。羽も無い歪なノイズが響慈と立花を囲い込む、その数八体。

 響慈も含めた牽制のつもりだろうが笑わせてくれる。こんな足止めは無意味でしかない。

 全てを迅速に殴り叩く、それで済む話だ。

 

「響はそこにい――!?」

「……わ、私もた、戦……うぇっ!?」

 

 がら空きな胴体へ拳を捻じ込もうとした視界へ、覆い被さる半透明の液体。

 殴れば通り抜けて、蹴れば足を取られる。

 トリモチのようなものだ。一瞬だけ鈍った響慈へ、同様に近くにいた立花にも、八体からの粘液が一斉にぶちまけられた。

 

「……あー、クソ……さっきから力が、入んねぇ……」

「そんなっ……響慈くん……!」

 

 ノイズを呼び寄せた隙を狙った風鳴の一撃も簡単にいなされ、一蹴されて。

 

「お前らはそこで大人しくしてな! アタシの狙いは……ハナッからお前らを掻っ攫う事だからな」

 

 体勢を取り戻し、激突を交差させる風鳴と鎧の女。

 

「そうだ、アームドギア……!」

「……」

 

 懸命に事態の打開を模索しようとする立花。だが一方で、響慈はこの拘束から抜け出す気が無い。というよりも、抜け出せるだけの活力が無いと言った方が良いか。

 さっきから嫌に頭が重い。思考能力は極端に愚鈍になっている自覚がある。体調不良と言い切れる不快さが、鉛のように身中に存在していた。

 

「奏さんの代わりになるには、私にも、アームドギアが必要なんだっ……それさえあれば……!」

「……」

 

 だから響慈は、その藻掻く様を目に焼き付ける。

 

「出ろっ、出て来いッ! アームドギアッッ!!」

 

 腕のガントレットを振って、一生懸命に、それが今自分に出来ることだと信じるように。

 

「なんでだよ……どうすればいいのか、わかんないよ……」

「チッ……馬鹿が」

 

 それを響慈は、不機嫌そうに眺めるだけだ。

 

 

 その女は、()()()から心の内をひた隠しにしていた。

 恥じるように刀身を鞘へとしまいこんで、その刃も、その刃紋も、その切っ先も。誰に見せることの無いよう、無味の武骨な鞘に美しい中身を隠すように。

 だから()()()から歌姫の声を追いかけても、()()()に見た本物の歌声は一切聞く事は無かった。

 だから、なのだろう。

 綺麗に見えていた片翼だったのに、自らその美しさを翳させる。

 そんな女の歌声が、天羽奏の最期の歌声に届く道理などどこにも無かった。

 天羽奏は、最期の瞬間まで楽しんでいた。思いっきり、命を尽くして命を凝らして、そうすることで己の全てを表現しきったからこそ、笑顔で逝ったのだ。

 己を誤魔化して灯す歌の価値など、あの瞬間に比べてしまえば滓にも劣る塵みたいなモノ。風鳴翼が歌うのは、強がりながらも防人として戦う意志を示す歌であり、響慈は決して嫌いではない。嫌いではない、が、しかし、やはり天羽奏には届かない。

 風鳴翼の歌を未だに聞いているのは、あくまでも『ツヴァイウィング』に惹かれた惰性と義務感だ。個人への思い入れよりは、そんな無機質な感情が圧倒的に勝っていた。

 これまでは、そうだった。

 

 

 月光は差し込み、蒼と白の影を一つづつ浮き彫りにする。

 身動きの取れない無防備と、決めに掛かるための心意気。

 満身創痍に打ちのめされた風鳴は、その報酬として必殺の構図を作り出していた。

 

「月が出ている間に、決着を付けましょう……」

「まさか……歌うのか……?」

 

 響慈は此の場面に至るまでの推移を、死んだように俯瞰していた。

 その名称を聴くまでは。

 

「絶唱を……ッ!?」

「ぜっしょう? ――――絶唱だぁ?」

 

 まさか、そんな訳があるか。

 天羽奏の晒した命の輝きを、風鳴翼に再現できる訳が無い。

 

「真似事ならやめとけよまな板女……!」

「……」

「お前じゃ天羽奏に届かねぇに決まってんだろうが!!」

 

 星すらかすむ煌々とした燦然。

 あの光に――神すらも超えるヒカリを、高々風鳴翼程度が歌い上げられる筈が無い。

 

「そう……なら、貴方に見せてあげる」

「つ、翼さんっ……!」

 

 風鳴翼にとっての覚悟の形――――剣のアームドギアを、響慈と立花へ向けて。

 

「防人の生き様! 覚悟を!!」

「無駄死にだぞ!!」

 

 黙って見ていろと、その瞳は雄弁に語る。

 風鳴は、その心の内を、衝動のままに叫んだ。

 

「――――貴方達の胸に、刻み付けなさい!!」

 

 そして――――そして。

 

 ――――Gatrandis babel ziggurat edenal――――

 

 空気の質ががらりと変わる。世界の音が消えたように切り替わって、風鳴の歌声だけが、耳へと良く響く。

 

 ――――Emustolronzen fine el baral zizzl――――

 

 鎧の女がノイズを苦し紛れに召喚しようと、その一手は今さら遅かった。

 

 ――――Gatrandis babel ziggurat edenal――――

 

 風鳴は鎧の女の目の前へ。そして、その位置は、まごうことなき、絶対の圏内。

 

 ――――Emustolronzen fine el zizzl――――

 

 回避は許されず、迎撃は許されず、助けを乞うたところで意味はなさない。

 戦場には、既に、刃鳴が鳴り響いている。

 その破壊を、ネフシュタンの鎧は一番近くで受け止めた。

 

「…………ぁ」

 

 破片を零しながら、悲鳴を上げて飛んでいく鎧の女。

 風鳴の周囲へ膨らむエネルギーが、地表を捲り上げて抉っていく。立花と響慈を拘束していた粘液など、即座に消滅していって。

 中心地で佇む姿。見えるのは背中だけ。

 剣になろうとして、心を圧し潰そうとして、それでいて片翼を喪いながらも歌女として、地上から飛び立たんと藻掻く、女の子の背中。

 

「星が、燃えて――――」

 

 二年前に憧憬として灯った、天羽奏に負けない輝き。両翼として並べても遜色ない。世界を繋げることのできる、美しくも激しい音色が胸の内へと響き――――――――右腕が、あり得ないほどに疼き、血潮が、悍ましいほどに音を立てて泡立って吐き気すら心地良い。

 あの時、響慈の魂は焦がされた。

 今この時も、同じように、魅せられ、焦熱に奪われる。

 頬が熱い。目が離れない。動悸が激しくなる。凛とした背中を見る目が、これまでにない熱を帯びていく。

 見惚れていた。

 

「――――翼さんっ!!」

 

 戦うために命を燃やす姿。

 守るために魂を燃やす姿。

 覚悟を示すために、戦いの限りを尽くすその姿。

 血を流しても――穴という穴から血を噴き出しても、その姿がいくら悍ましくとも。

 響慈には、何者よりも魅力的に映って仕方ない。

 

 

『風鳴翼が勝手にカッコ付けて、勝手に命を懸けた。それ以上もそれ以下でもねぇよ』

 

 泣きじゃくる私の横へ、突然に座り込んだ彼は、憮然とした顔でそう言ってのけた。

 

『お前のせいじゃない』

 

 彼はわざわざ隣に座ったのにも関わらず、腕を組んで、あらぬ方向を向いて。柄にも無い行動の自覚は、私と目を合わさせない事で表されていた。

 ぶっきらぼうに言い放つ姿には、確かに優しさを感じる。()()()()()の優しさは、いつもと変わらない量で、いつもと変わらない微熱を携えて。

 でも今日のこの日は、そこに付随する普段とは計り知れない熱量は、知らない。

 

『でもっ私が、弱いから……っ』

『チッ…………わっかんねぇかなぁ』

 

 苛立ちを見せつけて、髪を掻きながら吐き捨てる。

 

『風鳴の成果を奪うなって言ってんだ』

 

 たまに見た事のあるその価値観は、たまに彼の事が心底から分からないと感じる部分でもあった。

 血を吐いて、血を噴き出して、血化粧を派手に纏う、その姿を指して成果と称せる感性は私には不足していて。

 そんな私にとって凄惨でしかない考え方を、けれども彼は押し付けては来なかったし、理解させようともしなかった

 

『あの女は命を懸けた。天羽奏と同じ歌を歌った。その覚悟は、お前の罪悪感で塗り潰していいものじゃない』

 

 理解して欲しそうでもなかったから、だから私も知ろうとは思わなかった。

 知らずにずっとここまで生きることを望んでいたから。

 

『お前はどうしたって天羽奏の代替品にはなれない。あの女と立花響は何もかもが違うんだよ馬鹿』

 

 だからどうしても分からないんだ。

 

『ようやくそれを思い知れたようで安心したよ、馬鹿女』

『……ひぐっ……っ、馬鹿馬鹿って、相変わらず酷いや』

『まあ、自覚ができたんなら、風鳴も命を使った意味も増えたろうが』

 

 慮る心は響慈くんの中に存在していて、他人には汲み取り辛い形なのは確かだけど、けれど確かな優しさの熱がその心にはある。

 でも。

 

『貴方は翼さんを嫌っていた筈ですが……心変わりが?』

『心変わりも何も、価値観をぶつけ合うのは嫌いじゃねぇ』

 

 喧嘩好きなのか喧嘩に好かれる星に産まれたのか、少なくとも売られた喧嘩はどんなにお高くても買ってしまうとは本人の言。けれど、自分から進んで殴り掛かる行為は()()()しない。そういった姿を見たのは二年前っ切りだ。

 乱暴者の気質はある。暴力に傾倒した選択肢は選びがちだ。しかし悪人ではない。誰かを嬲ることが楽しかったり、いたぶる行いに喜びを覚えるような心は持ち合わせていないことを知っている。

 でも。

 

『好く理由よりも、好きになれない理由の方が強かっただけだが……話が変わった』

 

 ファンでもあった翼さんを好きになり切れなかった理由も、その、私としては複雑だが、彼が大切にしてくれている証だという事も、その不器用な優しさも、理解は出来ている。

 でも。 

 

『あの歌、は、絶唱、だったか? ……――――命を燃やす歌を歌える女だ』

 

 でも、そんな一面は、知らない。

 理解できないのではない。その表情を、片鱗でも私は見たことが無い。

 

『昨日よりも断然、好印象かも……』

 

 そんな、熱に浮かされたような、まるで――――まるで、恋でもしているように、目を爛々と輝かせて。

 命を懸けた全霊を、嬉し気に語る姿。

 

『…………響慈、くん……?』

『……っ――――』

 

 ぱちくりと、問い掛けた声とまばたきの瞬間は重なって、よく見知ったぶっきらぼうが目に入る。

 そう、よく見た顔だ。知らない表情何てどこにも無い。私が知らない響慈くんの一面は見間違いだった。血だらけになった翼さんを喜ばしそうに語る姿は無い。

 想いを馳せるような語り口も、きっと聞き間違いだ。

 

『んだよ』

『……ううん、何でもない』

 

 そんな訳、ない。そんな筈、がない。そんな、事は、あり得ない。

 そそっかしい私の勘違いでいつものことで彼に限ってそんなことはないのだから。

 翼さんが大変な時に何を妙なことを考えているのか、自分でも呆れてしまう。

 

『翼さん、きっとよくなるよね……?』

『当たり前だろ』

 

 口端が少し、口角が少しだけ、私か未来かしか分からない変化が現れた。

 でもまばたきすれば、全部なくなる。ぶっきらぼうが戻ってきているから。

 だから、勘違いだ。

 

『強い女だからな、アレは』

『……うん!』

 

 ああ、よかった、安心した。

 安心した、って――――――――――――――――――――何に?

 

 

 次の日の登校など、どこへやら。

 昨日は夜の光景が焼き付いて離れず、何も食わずじまいのままで今日の朝へ至っている。腹が減ったと単純に表すには、少しだけ過小な表現だった。

 

「よお」

「あら、珍しいお客さんだこと」

「……そういや、高校に入学した時っきりか」

 

 暖簾をくぐった瞬間、気安い声色で声を掛けられる。

 返答も要らないだろうと勝手に判断して、柔和な笑顔を一瞥してすぐに適当なカウンター席へ腰掛けた。

 

「よっぽど良いことがあったと見た」

「まあ、正解ではあるか……なんで分かんだテメェ」

「年の功ってやつかねぇ」

 

 まだ大して会話も交わしていないのにこれだ、長い付き合いでもないのに、どうしてこうも見通されるのか。

 まるで既視感があるような言い方で、尚且つ乱暴に言い放つ。

 

「ババアってのはどいつこいつも似た生態してやがる……」

「キョウちゃんのお婆ちゃんもこんな感じだったかい?」

「あん? …………チッ――――さあ、興味ねぇ」

 

 その時、腹の音が叫んだ。

 催促の連打には定評のあるマイボディだ、早急に食物を欲する。今ならあれだ、食材のままでも無造作に喰らえそうな気はした。

 

「とっとと焼けよ」

「注文は?」

 

 唱えるべきは決まっている。

 

「ソースオオメニクヤサイカイセンマシマシ」

「相変わらず呪文みたいだこと」

「いいから早く。昨日の夜から何も食ってない」

 

 テーブルを指で叩いて分かりやすく急かせども、調理の手は揺らぐことなく、一定のペースを保ったままだ。全くもって腹立たしい態度だ。

 頬杖を突きながら、携帯を弄る若者スタイルでお好み焼きを待ち侘びる。老婆との雑談などは手遊びの暇潰しだ、片手間で済ませてもバチなど当たるまい。

 

「どうせまた塩パスタだけの生活でも送っていたんだろう? 不摂生もいい加減にしておかないと、またガールフレンドに怒られちまうよ」

「うるせぇほっとけ。……てかガールフレンドってなんだよ」

「いつも一緒だった子達に決まってるじゃないか」

「模範的なダルい年寄りだ、いいね、さっさとくたばれババア」

「はいはい」

 

 歯に衣着せない罵倒も右から左へ素通りする。いくら口汚く言われようとも平気な顔をして、馴れ馴れしい態度を改めないのだから、響慈からすればお手上げという他無い。

 喉の渇きを感じて、勝手知ったる様子で厨房へと入り込んでいく。

 それを見ても咎める声はない。

 

「貰うぞ」

「はいよ」

 

 家の物とは規格が違う冷蔵庫を開き、瓶の炭酸飲料を取り出した。

 売り物だとかどうのこうの、そんな意識は既に消え失せている。流石に他の客が居るなら自重はするが、だからこそ開店してすぐの時間帯を狙って来たのだ。

 栓抜きを慣れた手つきで使い、元の位置に戻した後に席へと戻った。

 

「キョウちゃんがウチに来るってことは二択。よっぽど良い事があったか、よっぽどの悪い事があったか」

「大体の悩みに通じるカス理論をどうも」

 

 瓶に口をつけて喉を鳴らし、一口目を味わおうとした時に。

 

「そうだねぇ……好きな人が出来たとか?」

 

 喉の嚥下が止まった。

 

「お、図星かい?」

 

 背中越しで、尚且つ若干の動揺だというのに見逃さない。背中に目でも付いているのかこの妖怪は。

 もっとも、些かの見当違いではある――と、言い切れるかどうか

 

「多分、テメェが想像しているようなモノとは、ちょっと違う」

「なら悪い方?」

「言いたくねぇ」

「そうかい」

 

 そうして会話は止まり、お好み焼きのタネを作る音だけがこだまする。他に客もおらず、この沈黙も至って普段通り。響慈はさして気にならず、この後の予定に思いを馳せる。

 ふと、何気なく。

 

「食べた後、学校は」

「フケる」

「まったく……食べた後は休んでいくかい?」

「ん……いやいい、帰る」

 

 本当に、ふとした瞬間に思い返してしまう。

 響慈は、天羽奏と同じ輝きを風鳴に見た。それは立花も同じくして、あの光を見ていた筈だ。

 自らの命を懸けて他者を助ける姿を見て、その覚悟は無双の槍を受け継ぐ二人に向けられて。

 立花は、悲しんでいた。泣いてもいた。己の無力さに虚しさを覚えて、優しい涙を溢していた。目を腫らして、鼻水を垂らして、ああ、でも、それでも、瞳は一段と輝いてもいた。なら奮起するには、そう時間は掛かるまい。

 響慈はもちろん悲し――む事もできない。

 心に積もるのは感動と喜悦、その二つだけだ。

 

「何か――変わんのかな」

「変えたいなら、きっと変えられるさ」

「……当人が変えたがってなくても?」

 

 誰かから指摘されたとしても、改善を志すことは無いだろう。とんだ馬鹿ではあるが、至極善良に依った行動指針だからこそ彼女は質が悪い。もっとも、悪性と自覚しても尚、その欲を求める己を否定しない方がよっぽどなのかもしれない。

 どちらにせよ言える話としては、先で待っている末路がロクでもない始末に終わるという事。響慈はいいのだ。凄惨でも構わないし、むしろ壮絶であればあるほど、ともすれば一番に望んだ渦中で果てる事も出来るかもしれない。

 でもせめて、自分が尽きる前に、()()だけは。

 

「もしかしたら変わる必要が無いのかもしれないね」

「適当な事言いやがって……」

「ありのままのキョウちゃんをそのまま受け入れてくれる女の子だって……ああ、もういたじゃないか」

 

 隙あらばそれか。それを言いたいだけか。

 

「それで、あの子はどうなんだい?」

「そんな間柄じゃねぇ。そもそも好みじゃねぇ。もっと色気のある方がいい」

「うーん……確かに姉と弟って方がしっくりくるかもねぇ」

「逆だ逆、俺が兄以外ってのはあり得ねぇだろうが」

「ほほう? 兄妹くらいの仲だってことは否定しない、と」

 

 具材が鉄板の上で焼ける音が、香ばしい雰囲気と共に店内へと広がっていく。

 背中越しに順調に焼き上げられて、五感へ語り掛けてくる全てが食欲をそそる。

 

「口より手を動かせ」

「あんまり年寄りを急かすもんじゃないよ」

 

 生地の焼ける音に紛れて、キャベツや肉の焼ける匂いが鼻まで運ばれてくる。この段階になればありつけるまでそう遅くはならない。ソースの焦げる香りが足されたなら、もうじきだ。

 

「切り分けなくていい」

「ああ、そうだった」

 

 テーブルに置かれた皿には、湯気を立てた一枚のお好み焼。

 

「さあ、できたよ」

 

 顔よりも大きなその一枚に振られたかつお節は、躍るようにそよいで、緑の青のりと黒のソースと締めに掛かったマヨネーズ。表面上だけでも唾液がかなりの量を分泌させる。きっとその内には様々な具材がひしめき合って、混沌とした旨味を凝縮させて待ち構えている。

 量もさることながら、食べる前からその味が如何に自分の食欲を満たしてくれるのかを分かってしまう。

 これまで何年と何日、何回食べてきたのか。

 いつから食べ始めたのかを忘れるくらい、剣崎響慈へいつの間にやら馴染んだ味なのだろう。

 

「今日も今日とてデケェな」

「悩んだ時は、お腹をいっぱいにするのが一番だからね」

「……別に、悩んでなんか……――――いただきます」

 

 それからは完食するまで黙々と口を動かした。

 悩みへの答えは得られず、糸口の穂先も掴めない。会話も無く、食べる様子を静かに見守られて。むず痒い時間は食べ終わるまでそんな時間は続いて。要約すれば非常に、途方もなく、それなりに、そこそこかなり不服だ。

 

「出来栄えはどうだい?」

「黙れ。静かに食わせろ」

「はいはい」

 

 でもこの時間が、剣崎響慈にとって数少ない憩いである事は確かだった。

 

 

「たのもー」

 

 やたらと大きな門の前で、そこそこに気力の籠った声が木霊したようなしていないような。

 耳をすませば拳が空を切る音がした。しかしかすかに聞こえる音圧は少し頼りなくて、されど力強さが芯に根付こうとしている芽吹きは感じられた音感。

 なるほど噂の通りは確かだったようで。

 

「稽古つけてるって、聞いたけど」

「響君のことならそうだが」

「見に来た」

 

 風鳴は倒れた。そして戦えるものが減り、戦うべき敵対者はノイズだけに加えて、ネフシュタンの鎧を携えた女と、増えてすらいる。

 ただでさえ力の不足を実感している立花が、これからに不安を感じるのは当然。その上、風鳴の絶唱を目にして、戦う覚悟を確固たるものにしたらしい立花が力を求めるのは、自明の理ですらある。

 

「迷惑か?」

「いや、歓迎しよう」

 

 無茶なトレーニングを行わない信用値は不本意ながらある上、実力も過不足無くであるのに間違いない。もとよりこの特異災害対策機動部は、敵がノイズだからこそシンフォギアに頼っている面も大きいのだろう。相手がノイズではなく人間なら、間違いなく目の前の男に任せてしまう方がすぐに解決一直線だ。

 だからと言って、物申したい気分もある訳で。

 

「なんだってアイツはこんな筋肉ダルマなんかに……」

「聞こえてるぞ?」

「だから言ったんだよ」

 

 甚平を着こなしきれない筋肉に先導されて、屋敷の裏手へと歩きながら悪態をついていく。

 強者に倣うのは、確かに最短であり、最適解だ。最適解だが。

 

「チッ……」

「もしかして……拗ねているのか?」

「んなっ、は、はぁっ?」

 

 見当違い――実に、それはもう見当が間違い過ぎている。敏い大人にしてはなんというか、盛大に不正解を選び抜いてしまっている。

 

「誘ってもらえなかったからか」

「アホくさ」

「ああ、自分に頼んでくれなかったのが気に食わないのか」

「……ぃってる意味が、分からねぇ」

 

 勘違いが激しい馬鹿野郎の類か。どうせ脳まで筋肉に満ちている脳筋なのだろうが、説明してやらねば相互理解には近づくまい。

 

「俺はむしろアイツに戦い方を覚えて欲しくないんだがけどよぉ、アイツは甘ぇ、甘い奴は足元を掬われるから、根っこから戦いに向いてねぇし、そんな奴と背中合わせて戦うなんてやり辛いに決まってんだろうが。俺は歌が無いと戦えないから仕方なしだけどな、本当ならあの馬鹿は邪魔だから引っ込んでてほしいくらいだ。大体あの馬鹿は昔っから面倒事に首を突っ込みたがるわ、反感を買う事も多いわで……」

「響君、いったん昼休憩にしよう」

「聞けよテメェ」

「はい! ……えぇ!? 響慈くん!??」

 

 そんなに驚かれても困る。

 四の五の言わせる前に、片手にぶら下げていたビニール袋を突き出して、二の句は発させない。

 

「ふらわー、寄ってきたけど、食うならやる」

「食いまーす! ありがとう響慈くん! お腹ペコペコだったんだ~!」

「ふむ、美味そうな匂いがすると思えばソイツだったか」

「……旦那の分も、一応買ってきたけど」

 

 此方へ駆け寄ってくる立花の脚運びを一瞥して、少し考える。。

 たった一日やそこらしか時間は経過していない。だというのに、立花は脱力してしかるべき今でも姿勢の維持を、身体へ染み付けようとする意識を持っていた。加えて外門からでも聞こえてきた、空を叩き抜く拳の音。

 意識の改革とは時間が掛かって然るべきだが、こうも短時間で仕込める手際。

 気にならないと言えば噓になる。

 

「俺の奢りだ。だから俺の頼みを一つ聞け」

「……まずは話を聞こう」

「つっても単純な……おい、ボケっとしてないで箸だの皿だの用意してこい馬鹿」

「へっ? あー……うん、分かった」

 

 聞き耳を立てる馬鹿は払った。

 そう時間が掛かる対話でもあるまい。聞きたい事はお互いに済ませてしまおう。

 

「俺にも戦い方を教えろ」

「正直……そんな事だろうとは思っていたが」

 

 迷いの感情が見える。

 多く付随するのは、逡巡か。

 

「ずっと聞きたかった。君はノイズとの戦いを、楽しんでいるのか?」

 

 聞きながらこの男は『そうではない』ことを既に理解している。

 剣崎響慈はそんな生易しい生き物ではないと知っているから、その否定をまるで知っていたように。

 

「ノイズと戦ったって何も楽しくない」

「では……人と戦うのは楽しいか?」

「楽しい」

 

 頬を吊り上げながら、心情を端的に吐き出した。

 この男ほどの実力者では隠しようもなく、即答以外では不義理ですらあるだろう。

 片や開戦の手前で止められ、片やこれから加速する手前で戦意は萎れて。数えて二人、不完全にも程があるお粗末な内容だった。それでも、人と争うのは、人と戦うのは、人と血を流し合える状況に身を置けていた実感は、子供の喧嘩なんて程度の低い争いではなく、命のやり取りの実感は、今までに得難く、触れる機会が無く。

 ()()()()()()()()()()

 

「お遊びとかそんな次元じゃ語れない」

 

 生き甲斐であり、ともすれば、生きる糧。

 背筋が、肌が、血管が、神経が、骨髄が、脳が、心臓が、魂が、剣崎響慈を構成する悉くに、怖気が走るように震えが奔る。

 想像するだけでこうなる。

 一度体験すれば、手放せなくなる。

 命を散らす中心で、互いの命を躍らせている自覚は、響慈へ活きた笑顔を齎すのだ。

 

「命を流す戦いがたまらない。俺はもう、違和感に答えが出る前の自分には戻れない……この生きる悦びを知る前には戻りたくない……心に、染み付いて離れねぇんだ」

「……」

 

 弦十郎は目を伏せて、響慈へ掛ける言葉を探しているようで。

 

「まあ、なんだ、俺のこの……在り方は、特異災害対策機動部(とっきぶつ)の方針と克ち合わない。……不便ってことも、無いだろ」

「君がその欲望に従って、人々へ害をなすのならば……」

「それはねぇな」

 

 美学どうのではない。根本からして選択肢にすらない。

 この欲望の矛先は、然るべき相手でなければ発散できないのだから。

 

「断言しとく。俺は人を殺したいんじゃねぇ、()()()()()()だけだ。その違いは……旦那なら分かるだろ」

「…………わかった」

 

 随分と長い溜息を吐いていた。面倒事を背負いこんだも同然だ、我が身なら響慈だって溜息を吐くだろう。

 

「だが、我々は……俺は君に手を汚させるつもりはない。それを心しておけ」

「止めたきゃ止めりゃいい。俺も時と場所の見境くらいは定めてっからな」

「心の枷は響君の存在か」

 

 歯止めとなる存在に気づかれていたが、特に否定する材料も乏しい。枷としての役割も些か不完全気味ではある。有ってないようなものだと、そう捉えて貰えれば、響慈の扱い方も分かりやすいのではないだろうか。

 

「で、どうなんだよ」

「ん……ああ、そうか、戦い方を教わりたいんだったか」

 

 切り替えた顔をして、屋敷の中を――おそらくはキッチンの方を指さして、弦十郎は笑って言った。

 

「美味そうなお好み焼きも奢られたことだ」

「……ってことは?」

「俺の教えは厳しいぞ!」

 

 そうこうして、響慈は弦十郎に弟子入りをしたのだった。

 

「時に響慈君」

「んだよ」

「君は、アクション映画などは嗜む方かな?」

「は?」

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