あくる日の朝。
女中が王宮へ出仕すると、周りの使用人たちは女中の方を見て、こそこそと話をしていました。
王妃からの指名でそのお付きになったので、よく思われていない知っていますが、それとは何かが違うと侍女は感じました。
とはいえ、王妃のお付きとしての仕事があったので、そのときはあまり気にしませんでした。
女中がその視線の意味を知ることになったのはお昼を過ぎてからでした。
侍従長に呼ばれた女中は、何か仕事だろうかと思いつつ、部屋へと向かいました。
そして、侍従長が挨拶もそこそこに、一つ質問をしてきました。
「貴女、花を散らしましたか?」
「はい?」
「そういう噂が流れています」
花を散らす。それは純潔を失うことを示す比喩です。
少なくとも未婚である女中にとっては全く無縁の言葉のはずです。
女中の頭は一瞬真っ白になりましたが、すぐに否定します。
「い、いえっ、そのようなことは決してっ」
「ですが、火のないところにとも言いますでしょう?」
侍従長は疑いを隠そうともせずに言葉を返しました。
侍従長は大して身分が高くもない貴族の子女が王妃のお付きとなったことをあまりよく思っていませんし、そもそも平民だった王妃が自分の人事に口を出したのも正直にいえば気に入りませんでした。
そのため、今回の話は王妃や女中を表立って非難できる絶好の機会ともいえました。
「しかし、身に覚えがっ」
「私も貴女がそのようなことをしたとは言いません。けれど、そういう噂が流れたということは、何かしら貴女に疑われるような行動があったということではありませんか?」
「っ。…………はい、以後そうしたことがないよう、気を付けさせていただきます」
女中は否定を続けようとしましたが、侍従長の口ぶりから何を言っても無駄と思い、口を噤みました。
「是非そうしてください。仮にも貴女は王妃のお付きなのですから、日ごろから立ち振る舞いには心を配っていただきたいですね」
侍従長はどこか優越感に浸るように言って、女中を下がらせました。
周りからの浴びせられる好奇の目を無視しつつ、女中は考えます。
いくら自分のことが気に入らないとはいえ、王宮の品位を下げるような噂が公然と流れるのは明らかに異常です。
女中、より明確にはその主人である王妃を陥れようとする何者かの仕業だとしか思えませんでした。
「あら、浮かない顔ね。どうかしたの?」
「いえ、何も…………いや、そうですね。少し問題がありまして」
不思議そうに尋ねるシンデレラに、女中は一度は隠そうとしましたが、どうせすぐに耳に入ると思い、先ほどあったことを説明しました。
「まあ、そんなことが。でも、貴女はしていないんでしょう?」
「はい、そうですね。全く身に覚えがありません。でも、それより」
シンデレラはひどく傷ついた表情をしながらも、女中の潔白を信じてくれています。
自分を一切疑わずにいてくれたシンデレラにほっとしつつ、女中は注意を呼びかけました。
「おそらくこれは何者のかが、お妃さまを陥れようとしているのだと思います」
「え?」
これにはシンデレラも驚いた様子で、ぽかんとしています。
「これから何か仕掛けてくる可能性がありますので、身辺には気を付けてください」
「え、ええ。わかったわ」
戸惑いながらもこくりと頷くシンデレラに、女中はひとまず息をつきます。
侍従長に話を聞いてからずっと気を張っていたので、緊張の糸が途切れたようでした。
「えっと、私は何かした方がいいかしら?」
「いえ、とりあえずは事態を静観しましょう」
何だか疲れた様子の女中にシンデレラは尋ねますが、女中は今は動くべき時ではないと判断したようです。
「そう。でも、何かあったら教えてね? 力になるから」
「はい、そのときは頼りにさせていただきますね」
そう言って、二人は笑みを交わしました。
それからもしばらく噂がやむことはありませんでした。
それどころか、夜の街で春を売っていただなんて噂まで出てくる始末です。
そうなってくると女中が王妃のお付きにふさわしくないという話は当然のように出ましたが、それは王妃により強く止められため、女中は未だお付きのままです。
けれども、それを良く思わない使用人たちが更に噂を広め、きりがありませんでした。
また、女中にとっての災難はそれだけにとどまりませんでした。
王宮の噂が女中の縁談相手の家の耳に入ったらしく、まとまりかけていた婚約の話も全て白紙になりました。
元々密かに慕ってた相手だっただけに、女中にとってもひどく悲しい出来事でした。
女中の実家の方もせっかくの縁談を台無しにされたわけですから、女中をひどく非難し、帰ってくるように催促します。きっとこれ以上、面倒を起こされる前に飼い殺しにしておきたいのでしょう。
しかし、王妃のことがあるため、女中はどうしても帰るわけにはいきません。
少なくとも王妃の身の周りが安全になるまで、ここに居続ける必要がありました。
女中にとってシンデレラは単に自分の主人というだけでなく、敬愛する相手であり、守らなくてはならない相手となっていました。
「ねぇ、本当に大丈夫? 何か、私にできることはないかしら?」
日に日に疲弊していく女中の姿に、シンデレラは心配になって声を掛けました。
「いえ、ただでさえこんなことになってもお傍に置いていただいてる身です。これ以上お妃さまの手をお借りするわけにはいきません」
「別に、気にしなくてもいいのに」
「お妃さまが気にしなくとも、私が気にします。それにお妃さまの傍にいられるだけで、私は十分救われています」
「そ、そう。それなら嬉しいわ」
女中にとって王宮の中ではシンデレラの部屋だけが、唯一安心できる場所になっていました。
あまりに真っすぐな感謝の言葉にシンデレラは顔を赤くし、女中もその様子を見て頬をほころばせました。
「もうっ。そんな風に笑ってっ。…………罰として一緒に寝てもらうわっ」
「は? い、いえ、そういうわけには」
「ずっと疲れた顔を見せられる身にもなってみてほしいわね。いいからこっちに来て?」
そうしてシンデレラはベットに入っていき、ぽんぽんと自分の横を叩きました。
「…………」
「えっと、少しだけ、少しだけ横にならせていただきます」
ジトーと見つめるシンデレラの圧に、女中は屈しました。
それは本来なら許されるわけもないことですが、ここには二人しかおらず咎めるもの誰もはいません。
恐る恐るベッドに入っていく女中を、シンデレラころころと笑ってベッドに迎え入れました。
「…………柔らかいですね」
「ふふ、そうね。私も初めてのときはびっくりしたわ」
柔らかな感触と手触りのよさに驚く女中に、シンデレラはそう答えました。
それにしても本当に気持ちがいい。
暖かく柔らかいベッドに包まれていると、体が疲れを自覚したのか、女中の意識がぼんやりとしてきます。
それでも主人より先に寝るわけにはいかないという義務感から、女中は意識がなくなりそうになるのを堪えながら、シンデレラの言葉に相槌を打ちます。
「縁談のことは残念だったけど、あまり気にしちゃ駄目よ」
「はい。その通りです…………」
「えぇ、そうよ。仮に相手がいなくても私がいるもの。絶対一人にはさせないわ」
「は、い。そうです、ね…………?」
何か、違和感がありました。
けれど疲れている頭ではそれが何かまでは判然としませんでした。
だから、そのときはそのままにしてしまいました。
「これからもずっと一緒ね」
睡魔の誘惑に駆られ、眠りに落ちる間際、そんなシンデレラの声が聞こえた気がしました。
それから少し時間が経ちました。
使用人たちも飽きたのか噂の方ももうほとんどなくなりました。
王妃の周りでも特に何も起こらず、平和な日々が続いています。
女中が同僚の使用人から呼び出されたのは、そんなときでした。
呼び出したのはシンデレラのお付きとなるまではそれなりに親しくしていた仲で、女中にとってもある程度信用がおける相手でした。
女中は噂の出所を探るため、誰にも知られないよう密かに彼女に依頼していたのです。
「話すのは久しぶりかしら。それにしても、随分と大変そうだったわね?」
「それなりには。それで、何か分かりましたか」
「はあ、せっかく人が心配しているんだから、素直に受け取りなさいよ」
は心配し甲斐がないといわんばかりに肩を竦めました。
「まあ、いいわ。こっちも見つかると、面倒だし。ちゃっちゃと行きましょうか」
例の噂の出所について、ね。
そうして彼女は話を切り出しました。
かつての同僚から話を聞いた女中は、すぐさま王妃の部屋へと向かいました。
「王妃さまがあの噂を流したって話」
「貴女が王妃に仕える前の侍女が言っていたことだけどね」
「嘘は言ってなさそうだったわ。まあ、色々と何かもらってたみたいだけど、それでも王妃さまのことが嫌いみたいで口も軽かったわ」
「とりあえず貴女の評判を悪くしてほしいって頼まれたらしいわね」
「まあ、思った以上に広がったからすぐに止めるように言ったそうだけど」
まさか、そんな。
そんな訳がないと思うものの、シンデレラに対する疑念は膨らんでいきます。
心の中で渦巻く疑念を晴らしたい一心で、足を動かしました。
そんなわけがなかったと、女中はそう思いたかったのです。
「あ、どこに行ってたの?」
部屋に入るなり、女中を見て笑顔を浮かべるシンデレラに、女中は荒れる心を必死に抑えつけて、尋ねました。
「お妃さま」
「あら、どうしたの? 何かあった?」
「貴女が、噂を流したのですか?」
「え?」
一瞬、虚を突かれたような顔をしたシンデレラでしたが、すぐに何でもなかったように笑います。
「なあに、誰かにそう言われたの? 私がそんなこと、するわけないでしょう?」
「…………」
シンデレラは冗談めかしてそう言いましたが、女中はぴくりとも笑いません。
「ねえ、黙ってたら怖いわ、なにか」
「お妃さまは」
シンデレラの言葉を遮るように女中は言いました。
本来なら不敬もいいところですが、女中は気にしませんでした。
女中はひどく冷めた目をシンデレラに向け、言葉を続けます。
「嘘があまり上手ではありませんね」
「あら、わたしがいつ嘘をついたのかしら」
「…………もう、いいです」
「えっ?」
「聞くに堪えません」
あまり身分が高くないとはいえ、女中も貴族の端くれです。
言葉を弄して人を陥れるのを生業とするような人たちと付き合うのですから、嘘にはそれなりに敏感です。
そんな女中にとって、元は平民であったシンデレラの嘘はどうしようもなく稚拙でした。
「ちょ、ちょっと、待ってっ? 何か誤解しているわっ」
「…………なら、一つ聞きたいことがあります」
「そう、何でも言って? わたしと貴女の仲だもの。隠し事なんて、絶対にしないわっ」
シンデレラは取り乱したものの、落ち着きを取り戻していいました。
「そうですか。では、なぜ私の婚約が破談したことを知っていたのですか?」
「…………それは、貴女から聞いたんじゃないかしら?」
嘘でした。
女中はこれ以上シンデレラに心配を掛けたくはないと、あえて婚約が破談になった話はしませんでした。
精神的に参っていたとはいえ、こんなことにも気づかなかった自分が馬鹿のようだと思いました。
あるいは気付いていながらも、信じたくなかったのでしょうか。
どちらにしても、もう女中には関係のないことでした。
「いえ、違うわねっ。他の人から聞いたのかもしれなかったわ。それに別にそんなこと、どうでもいいでしょう? きっと誤解あるわっ。話し合いましょっ、ねっ?」
女中の顔色から答えを間違えたことに気づいたシンデレラは咄嗟にそう言い募りますが、女中はもう相手にしませんでした。
「待ってっ、お願いだからっ」
涙を浮かべたシンデレラは、女中に縋りついて懇願します。
泣きわめくシンデレラを、足を止めた女中は冷めた目で見つめています。
「まだ、何か」
「ごめんなさいっ」
「でも、わたし、あなたとわかれたくなくてっ」
心からの言葉なのでしょう。
しかし、女中の心には全く響きませんでした。
女中が悩んで苦しんでいる間も、自分がさも味方であるように振る舞っていた女の言葉です。
自分の幸せのためであれば、女中の人生を台無しにしてしまえる女の言葉です。
女中は、心底吐き気がしました。
これに比べれば自分の悪意を自覚する使用人たちの方が幾分かマシにすら思えるほどです。
「もう、いいですか」
「今までありがとうございました。それではさようなら」
ああ、行ってしまう。
嫌でした。嫌でした。嫌でした。
嫌われるのは仕方がありません。
それだけのことをしてしまったのは、シンデレラです。
それは認めます。だけど、嫌です。
離れ離れになるのは、どうしようもないほどに耐えがたいのです。
だから。
気付いたときには、シンデレラは女中をベットの上に押し倒していました。
「っ、何を」
「好きなの」
「はっ?」
シンデレラは身を裂くような思いで愛を吐露しました。
しかし、シンデレラの告白は、女中にとってこれっぽっちも理解できないものでした。
「好きなの、貴女が」
シンデレラの顔は真っ赤で、目には涙さえ浮んでいました。
再び告白するシンデレラの言葉を、女中は今度こそ理解しました。
「気持ち悪い」
ふと口から零れた言葉でした。
心からの軽蔑と嫌悪が滲み出た言葉でした。
シンデレラの言葉は理解できました。けれど、シンデレラのことはもっと理解できなくなりました。
今まで自分がそういう目で見られていたと思うと、おぞ気が走りました。
女中の目からはかつての親愛の色はなく、気味の悪いものでも見たかのような目でした。
シンデレラはとても悲しくなりました。
痛くて、苦しくて、辛くて。
自分が悪いの分かっていて。けれど、こんなはずじゃなかったという思いも確かにあって。
どうすればいいかなんて分からなくて。どうするべきだったのかなんて分からなくて。
だから。もうどうにでもなれと思います。
シンデレラは少しでも遠ざかろうと後ろに下がる女中の体を捕まえました。
そして。
「んっ」
「っっ」
シンデレラは女中と口づけを交わしました。
触れるだけのキスでしたが、ずっとシンデレラがしたかったことでした。
既に愛がなくなった王子とのそれも、女中のことを思えば耐えられました。
女中と話すことだけが、シンデレラにとって唯一の生きがいでした。
多くは望むつもりはありませんでした。一緒にいられたら、それでよかったのです。
なのに。
「っいや」
シンデレラからの口づけに茫然としていた女中は、我に返るとシンデレラを勢いよく突き飛ばしました。
「痛いわ」
かなり強く押されて痛かったシンデレラですが、心ほどは痛みません。
あのときだって、そうでした。
顔を赤らめて心底嬉しそうに婚約することになったと話す女中が。
痛くて、痛くて。好きなのに、誰よりも好きなのに。
ずっと穏やかに過ごせればそれでよかったのです。多くは望みませんでした。
それなのに。
それなのに。
そうさせてくれなかったのは、女中の方です。
罪悪感から一転して、憎悪が湧きました。
そうでした。
初めてに裏切ったのは、女中の方です。
だから、噂を流したのは女中のせいです。
それに何も、苦しめたいわけではありませんでした。ただ少し困らせてやろうと思ったのです。
実際に婚約が破談するだなんて思いませんでした。思うわけもありませんでした。
ただ何もせずに。奪われていくのを見ているのだけは、嫌でした。
何かやって、それでも無理なら仕方がなかったって諦めもつきました。
だから、そうなったらいいのにとは思っていたものの、まさかあんなにも望み通りになるだなんて思ってもみませんでした。
けど、だから。そうなったのだから、こうなるのはきっと運命だったのだと思いました。
未来を信じていました。
色々あったけど、噂もなくなって。
これからまた二人で穏やかな毎日を過ごせると信じていました。
なのに。
また、裏切りました。
「ひっ」
シンデレラが女中を見つめると、彼女はおびえたような声を上げました。
ひどいです。
シンデレラは思いました。
そうやってちょっとしたことで、貴女は私を傷つけます。
それはとてもとてもひどいことです。
「…………罰がいるわよね?」
「はっ? 、っっっ」
とにかく逃げようとして背中を見せた侍女を、シンデレラは組み伏せました。
「っいやっ、離し、っひ」
シンデレラは、女中の白い首筋を甘く噛みついてみました。
そして、舌を這わせたり、強く吸ってみたりもしました。
その度に嫌悪感で体を震わせる女中の姿にシンデレラは少し傷つきました。
けれど、シンデレラはなんだが愉しくなってきました。
「いっいやっ、やめてっ。お願いだからっ」
女中を組み伏せたまま、シンデレラは女中に乱暴しました。
女中は必死に抵抗し、声をあげて泣きましたが、最後にはされるがままになりました。
「私たちずっと一緒ね」
「…………」
ベッドの中、生まれたままの姿でシンデレラは、隣にいる女中にそう言いましたが、女中は何も言いませんでした。
「…………」
シンデレラは、強引に女中の体を引き寄せ、後ろから抱きしめます。
そうしてもう一度耳元で先ほどと同じ言葉をささやきました。
「私たちずっと一緒ね?」
「っいやっ」
「ふふっ」
シンデレラの手を振り払おうとする侍女に既に大人らしさはなく、初心な少女を思わせる言動はとても倒錯的で、とても素敵でした。
泣きじゃくる女中を逃げられないようぎゅっと抱きしめます。
じたばたと抵抗しますが、耳や首筋を噛んだり吸ったりしているうちに、次第に大人しくなります。
そして、こくりと。最後には諦めたように頷く女中に、シンデレラは少し不満を抱きながらも、今はこれでいいと思います。
だって、ずっと一緒なのですから。
めでたし、めでたし。
とりあえず完成。細かいところは多分明日書き直します。
にしても、…………どうしてこうなった。