東京都立呪術高等専門学校。表向きは私立の宗教系学校となっているものの、実際は公費で運営されている。国内に2校のみ存在する呪術高専──その東京校は都内某所の
呪術高専の役割とは、すなわち呪術師の教育機関である。御三家や術師家系以外からも、呪力を有する人間は産まれるため、そうした一般家系出身の術師の育成を行う機関としての側面があった。呪力や術式を扱える人材の流出を防ぐ機能も有している。しかし、その一方で、決して後ろ盾が多いと言えない人材に危険な呪霊祓除任務が回ってくるリスクも存在していた。
都内とは思えない程の山間を抜けると、山二つ分の敷地内には荘厳な寺社仏閣が立ち並んでいる。宮子を侍らせた辻倫は、たった今高専結界を抜け、視界へ入った光景に目を奪われていたようだ。
「……ハリボテだな。見える建造物は全て虚像。"隠す結界"とやらも面白そうだ」
「迷われても知りませんよ。私ではとても探しきれませんからね」
宮子は早速釘を刺している。黒い水干に日差しが強く差しており暑そうなものだったが、汗ひとつ見せない。黒のミディアムヘアは低い位置に括られまとめられており、耳周りから垂らしたおくれ毛が特徴的だった。
辻倫が立ち並ぶ建造物に触ろうとしたところで、宮子から物理的に制止の意思を示された。引っ張られた白い水干の袖を目に捉えると、ため息と共に道へと戻って歩き始める。その姿は一見すると、艶のある長い黒髪と秀麗な女顔が調和した美男子であった。しかし、整った眉目には美しくも怖じ気を感じさせる光が宿っている。式神達を操り好きに燥ぐ戦いの姿は、加茂家の最年長たる四乃をもってしても"鬼"と呼ばれ恐れられていた。
一方で、辻倫の背丈や呪術の成長は著しくとも、内面はちっとも変わっていない。その事実を宮子は何度も痛感していた。わがままの度合いと、小言の回数が比例するという結果を学習したことで、最近ようやく
「本日中に用件を済ませます。よろしいですか?」
言外に──遊ぶ時間はない──というニュアンスを含んだものであったが、辻倫は素知らぬ顔で述べていく。
「今日のスケジュールに余裕があることは知っている。早ければ午前中に終わることもな。暇を潰す術は見つけておきたい」
何分余裕を持たせた時間配分であったため、却って辻倫の言い分に正当性があるように聞こえていた。宮子は若干歩くペースを引き上げて目的地を目指し始める。
辻倫がこういった屁理屈を述べるからには、早めに呪力の登録を済ませなければならなかった。高専結界内で未登録の呪力が検知された場合、警報が鳴るシステムが存在する。現在辻倫の呪力は未登録の状態であり、術式が行使された瞬間に警報が鳴り響く。辻倫に警報をわざと鳴らす愉快犯的な側面はないものの、高専に慮る思考もまた持ち得ない。宮子の鍛えられた勘は明確な危機感を示していた。
諸々の事務手続きと呪力登録を迅速に済ませた二人。その目的地にて待ち構える人影は190cmに差し掛かる高身長であった。
「遠い所からわざわざご苦労さま。お土産ある?甘いヤツとか。生八つ橋でいいよ」
出迎えた白髪の長身の男。白い包帯で目隠しをした黒服に、軽薄な声色での呼び掛けは妙にマッチして怪しい印象を与えた。呪術高専東京校において教鞭を振るう人間ではあったが、指導者としての人間性は保証されていない。現代最強の呪術師──五条悟であった。
「こちらは夜蛾学長にお渡ししますね。五条様のお口には合わないかと思われますが……」
ちなみに用意した土産物に甘味はひとつもなかった。宮子は五条悟対策も怠ることはない。
「学長は急用とかで手が離せないらしいよ。君達がしばらく暇になることはもう確定してるからねー。恵と会わせようと思ってさ」
「……十種の使い手。僕の一つ下だったか。そういえば会ったことはなかったな」
辻倫が禪院直哉を殴り飛ばしたことで、加茂家と禪院家は程よい距離感を保っていた。辻倫は長いこと会合に顔を出しておらず、家の関係等知ったことではないと構えて好きに活動していた。そのせいか、両家当人同士の関係性(殴り合った事実)が精算されることはなく、御三家の用事に引っ張り出される伏黒恵と辻倫が出会うことも今までなかったのだった。
「というわけで──じゃじゃーん!!伏黒恵君でぇーす!!あっちの怖いロン毛が加茂辻倫!!呪術師としての腕と引き換えに人間性と社会性が壊滅的だよ!!」
「……どうも。伏黒恵です」
現れたのは黒髪つんつん頭の少年。黒を基調としたスポーティな服装は今からランニングへ出かけるような姿だった。その静かな挨拶の態度は若干気後れしているようにも見える。ひとえに、恩人たる五条悟の言動に気を悪くしていないか──という心遣いであったのだが。
「ご丁寧にどうも。私は宮子と申します。あちらで五条様と戯れてらっしゃるのが辻倫様です。何かとご迷惑をかけるかと思いますが、ぜひ辻倫様と交流していただけると嬉しいです」
綺麗な所作で一礼すると、辻倫の分も含めた挨拶を述べていく宮子であった。柔和な笑顔と、向こうで術をぶつけ合う術師二人とのギャップが凄まじい。宮子と恵には全く余波が届いていないのも不思議ではあった。
「同じような相伝の式神使いでしょ?良い刺激と暇潰しになるかなーっと思ってね。顔合わせは早いに越したことはないし」
「急に呼び出しておいて意外とまともな用件ですね。動ける服装でとは言われましたけど……」
相伝の術式を持って産まれながら、宗家に迎えられた者。かたや家から離れた者。お互いの価値観や人格は違えど、何かシンパシーを感じる可能性もあったのだが──
「十種の式神を見てみたいな。影を媒体にした顕現と、完全破壊や調伏のデメリットを踏まえたうえでの性能。六凶が見たければこちらも見せる気はある……それじゃあ早速やっていこうか」
五条と戯れていた辻倫は息一つ切らさずに立っている。立ち振る舞いそれだけで恵には強者として感じられた。そんな相手に術式を披露しなければならない。すなわち──軽い手合わせを始めることと同義であった。
「まだ調伏は半分も済ませていません。それでもいいんですか」
「良い。好きに動いて構わん。虎の子も出来れば見せてくれ」
術師から漲る呪力。それは術の"起こり"として感じられるものである。互いに式神の顕現をスムーズに行うものの、一方は両手を用いた影絵。もう一方はだらりと両手をぶら下げた自然体のままであった。
「『
「『
恵の足元にある影から、ずるりと音を立てて飛び出したのは二匹の犬であった。玉犬白・黒の二体の額にはそれぞれ紋様が象られている。サイズは大型犬さながらであり、持った牙と俊敏性は野生よりも遥かに研ぎ澄まされていた。
辻倫の袖に隠された腕から飛び出た血液。そこから顕現したのは黒い甲羅であった。サイズはゾウガメやウミガメのそれに近しく、一見して年代を感じさせる艶と丸みを帯びている。ごぽりと音をあげて出始めた黒い水流は、量こそ控えめながらも込められた呪力は危険極まりないものであった。
「いつでもいいぞ」
刀印を構えて式神操作に移行する辻倫。そこへ向けて、既に玉犬が二匹走っている。続けて恵本人は──同じく走り出して攻勢をかけていた。
(式神使いは術師を狙う。五条さんが言うには、本人のフィジカルは歳相応。まずはペースを握る!!)
客観的な自他の情報をもとに組み立てる戦法。式神使い本人が直接戦うための体術は五条悟に教えられたものであったが──対する辻倫の呪力操作は天稟のそれであった。
玉犬の噛みつき。咬合力は現時点で呪霊への有効打になり得るレベルではあるものの、その牙が肉を貫くことには至らない。
辻倫は玉犬黒の首元を掴みながら攻撃を受け流すと、逆方向から向かってきた玉犬白の頭部へ一蹴り入れた。玉犬黒は首根っこを持たれ、そのまま伏黒恵の元まで放り投げられる。一瞬狭まった気道から息の漏れ出る音がした。
「!!」
恵はすかさず玉犬黒の顕現を解除する。黒い液体のような状態へと変わった瞬間──向かい合う両者の中間位置へ弾かれたように甲羅が飛び上がった。
辻倫は呪力を乗せた前蹴りで甲羅を打ち飛ばす。巨大な砲丸と化した甲羅は質量と速さを兼ね備えた破壊力があった。恵は受けた衝撃でたまらず後退る。
「ヅッ──!!」
「まだまだあるぞ」
恵が瞬時に防御を構えられたのは、五条の鍛錬の成果でもあった。再び攻め入った玉犬白の方は、辻倫から頭を抑え込むように抱えられて身動きを封じられていた。さらに甲羅に空いた穴から黒い水を放出することで、恵への追撃も欠かさない。
「チィッ!!『鵺』!!」
黒い水流によって生じた懐の影。そこから飛び出したのは茶色い羽毛に覆われ、仮面をつけた鳥のような式神。『鵺』は防御困難な電撃による攻撃を可能とする式神である。
恵は『鵺』による電撃で黒い水を弾き飛ばし、続けて甲羅を殴り飛ばして辻倫の元へ急いだ。式神を差し向けた辻倫に対して、恵は式神による手数の利を保っている。たった今絞め落とされた玉犬白は形を崩したものの、2対1の状況を作ることが可能だった。
「影だからこそ顕現と解除が手早い。完全破壊のリスクヘッジも兼ねると……面白いな」
『鵺』は辻倫へ翼を叩きつけた。完璧に打撃を防いでもなお、ビリビリと痺れるような衝撃が彼の体に走っている。電撃は単純な手段で防ぐことは出来ない。しかし、それを数回喰らった程度で──辻倫の余裕は崩れない。
「畳み掛けろ!!」『
影絵を象って顕現した大蛇。特徴的な紋様が頭に刻まれており、その牙をもってして素早く辻倫へ食らいついた。さらに長い胴体を辻倫へ巻き付かせて動きを封じ、そのまま『鵺』が連撃を仕掛けていく。続けて恵自身も攻撃へ参加するために駆け寄るところで、背後から這い寄る黒い流体は──
「連携の組み立ても早い。調伏した式神の数も恐らく
「──まだ式神は活きたままか!!」
恵自身は辻倫の式神を警戒していた。それ故に黒い水には目ざとく気づいて回避できたものの、いつまでも回避し続けることは不可能に近かった。
恵の脳裏に走った先程触った甲羅の頑丈さ。黒い水の自由度との差し引き。甲羅自体を何らかの形で抑えれば、黒水を封じられる可能性がある……とまで予想したものの、それは誘導された
駆け寄った末の打撃によって容易く砕け散った甲羅から、その事実に恵は思い至った。しかし、既に辻倫の身は自由になっている。
「本体は甲羅──でもない。液体全てが『玄冥』そのものだ。他に比べて少し燃費の悪い面もあるが……何かと役に立つ」
『鵺』が翼を叩きつけるすれ違い様の一瞬。そこで辻倫は『鵺』の頭部を掴んでいた。恵の背後から襲いかかった水流の一部は、目を盗んで辻倫の元へと届けられ、『大蛇』の締め付けから両腕を解放するための文字通り潤滑剤になっていた。左腕の方では『大蛇』の頭部へ肘打ちを済ませて、その脳を的確に捉えて揺らしている。
だらりと力の抜けた蛇体から手早く抜け出すと、辻倫は『鵺』の気道を締めて意識を刈った。一見して猛禽を仕留めた狩人の姿であったが、一連の動物型の式神を狩っていることから、あながち間違いでもなかった。
「見せていない手札もあるだろう。何か条件があるのか?もう少し遊んで──」
「──俺の負けです。命まで賭ける気はありません」
目の前の人物がどういった人間性を持っているのか、恵には思い至る節があったために潔く降参の意思を示した。ここで自らの
体感したのは──隠しきれないドス黒い強さ。呪術を使う心中に迷いなど欠片もなく、ただ己のために力を振るう意思が伝わってきたためだった。やると言ったら本当にやる──出来てしまうタイプの人間だと。恵の脳内では、辻倫の存在が早速"五条悟カテゴリ"へと放り込まれていた。
「……そうか。使う時があればぜひ教えてくれ。調伏には期待しておく」
案外すんなりと引き下がった辻倫であったが、その胸中には彼なりの思惑があった。五条悟から端を発する新たな呪いの時代。十種影法術の虎の子が使われずに終わることなど有り得ない。遠くない未来で披露されるであろうそれを辻倫は本能的に予期していた。故に大人しく引き下がり、今は待つ選択肢を取っていた。彼なりの成長である。
「お疲れサマンサー。相変わらず式神の扱い雑だねぇ。反省会でもする?お菓子あるし」
「お疲れ様です御二方。夜蛾学長の用件がもうしばらくかかるそうですので、一休みつきましょうか」
一行は場所を移して談話室へと向かった。特に怪我を負うこともなかったために、手当の必要もない。『鵺』の電撃と『大蛇』の牙を受けても何食わぬ顔で歩く辻倫に対して、伏黒は軽く畏怖の念を持ち始めていた。
「にしてもさー、なんでこのタイミングで
「まぁそんなところだろう。詳しい話は僕も興味がない。立地上・立場上の問題なんてどうでもいい」
「アイヌ呪術連へ伺うためには東京校を通した方がよろしいかと思いまして。詳しくは夜蛾学長にお話しますが……呪術界上層部の保守派筆頭──つまり加茂の人間が呪詛師と通じて、北海道へ手を伸ばしているようです」
軽く聞き耳を立てていた恵は早速後悔し始めていた。しかし、五条に多大な恩のある現状、伏黒恵は全くの無関係でいられない。
白い目隠しをしても尚五条が鋭く視線を向ける先は、見えるはずのない障子の向こうに座る老人達であった。
「君達が来たのも
「宮子曰く、"膿"を絞り出すためらしい。僕を神輿に乗せて好きに操りたいヤツもいるようだが……──」
「──そんな事は許しません。ええ。絶対に許しませんとも。加茂家も改革が必要かと思いまして。私達が参ったのもそのためです」
笑みに込められた強い呪詛。気圧された一名と爆笑する一名、そしてよく分かってない人間一名が談話室に座っていた。
辻倫君はまだ高専入学に至っておりません。