──毒沼を駆けながら攻防を繰り返す。
今出現しているヒュドラの頭は五つ。伝承から産まれた仮想怨霊なら、最低でも頭の数は九つ。足りない四つの頭は今も沼の中に潜んでいるのだろう。
噛み付いて来た頭の一つに刀を振るう。当然刀身の長さが足りないから、少し深めの切創にしかならない。
「で、その傷もすぐに塞がる⋯⋯と。どんだけ呪力あるんだこいつ?」
傷が塞がるとはいえ、当然血は流れる。でも、その血がとてつもない毒性を持っている。
並の人間ならば触れただけで患部が溶け落ちるだろうし、粘膜にでも付着すればもう助からない。俺は喰蛇と反転術式で対応できるけど、俺じゃなかったら死んでたかもしれない。
「〈生成り〉じゃちょっと厳しいかな⋯⋯。相性が良ければ特級相手でも勝てるはずなんだけど、相性悪いかなーやっぱ」
この拡張術式は出力を絞る関係上、喰蛇の術式がほぼ制限されるデメリットがある。負担は無いが、戦力も低い。道理だ。
ギアを一つ上げれば、全てとは行かないが術式も使える。当然肉体に負担はかかるけどね。
四段階のうちの二段階目。
生成り面が般若面に変わり、装備に蛇革張りの手甲と足甲が増える。そして、喰蛇が取り込んだ術式が
成長途上の体で使うのはここが限界だろう。卒業頃には三段階目くらいまでは耐えられるようになるだろうけど、今三段階目以上を使うのは
「首がたくさんあって羨ましいなあ⋯⋯一つくれよ?」
より高まった身体能力で死角に回り込み、風を纏わせた刀を振り抜く。当然刀身は足りないが、今度は風そのものが刃となって首の一つを斬り落とした。
そして──
「──止血してやれば血も流れず、再生もしない⋯⋯と。術式選択は正解だったみたいだね?」
『──!!』
今まで攻撃を受けても、構わず攻撃してきていたヒュドラが明確に雰囲気で感情を表した。困惑、怒り、恐れ、殺意。
複数の頭で別々の感情を表している。それぞれで感情が異なるのか、それとも⋯⋯一つに見えて
「今使ったのは奈良に発生した『かまいたち』の一級呪霊が持っていた術式。転ばし、切り、止血するという三段階から成る術式なんだけど、蛇であり地を這うお前に転ぶという概念は無いからね⋯⋯。転ばす段階をスキップして、切って止血という効果になった」
一級という枠に収めていいのか不思議なほど強力な術式だ。
喰蛇の防御力を突破できなかったから勝てたけど、下手したらそこで死んでいたかもしれなかった。
使ってみると非常に使いやすい。各段階だけ抜粋するという使い方も出来るため、応急処置にも使える良術式だ。
「リーチは解決した。再生力の対策も問題ない。とっととくたばれ蛇野郎!!」
『⋯⋯
首の一つが不敵に笑う。
蛇のように見えても呪霊は呪霊ということか。*1
沼の中から
周囲の様子が一変する。
毒沼からはあぶくが立ち、より強い臭気と共に毒々しい赤紫色の霧が立ち込める。空も霧と同じ色の雲で覆われ、立っているだけで気分が悪くなってくるようだった。
生得領域の上から領域の展開⋯⋯?
⋯⋯いや、
隠蔽に特化した誰でも出入り可能な結界が貼ってあって、その内側を術式で毒沼に変えていただけ⋯⋯!
⋯⋯悔しいけど認めよう。こいつは
『我々の術式はあらゆる毒の生成。毒沼を作り出したのも、体を再生するのも、体を蝕むのも我らが
術式の開示による効果の底上げ⋯⋯決めに来たか!
さらに言えば内容が最悪だ。術式内容に
『言葉を発さぬからと、知性を持たぬ呪霊と侮ったな? 阿呆め、毒に溺れて死ぬがよい』
空気中を漂う毒で自由を奪い、必中となった術式で即死級の劇毒を食らわせる⋯⋯。よく出来た作戦だ。毒が効く相手なら、問答無用で殺せるだろう。
同じ方向性*2の漏瑚よりも、なおタチが悪い。
⋯⋯が、俺を殺すには足りないな。
「君、強がってるけど首が減ってるのは変わってないよね? つまりさ⋯⋯俺が死ぬより先に殺せばいいってことでしょ?」
領域展開への対策はいくつかある。
一つは同じ領域展開。呪霊操術は相性が悪いので使用不可。
一つは呪力による防御。回避は不可能でも防御は可能。その発展系が落花の情だが、ルールを強制するタイプや複雑な必中効果とは相性が悪い。そして、今回の領域は後者の複雑なタイプ。
一つはシン・陰流の簡易領域及び、その原型たる
一つは発動の妨害。もう発動済み。
一つは領域の解析と解体。どうやるのか教えて欲しい。
そして、領域展延。自分の体に合わせて薄く領域を展開し、相手の領域、術式を中和する。高等技術だが、術式との相性が関係ないので当然使用出来る。
まあ、〈般若〉からは術式を併用する関係上、いくつか縛りを持たせた上で同じ効果を持たせてあるんだけど。
むしろ、そのせいで負担が増えているまである。
「それはそれ、これはこれってね」
『当たらぬ⋯⋯否、効いていないのか』
「そ。術式反転の効果。これで俺はお前の領域の必中効果を無効化できる」
『だからどうした? それでは我らを殺すことは出来ず、真綿で己の首を絞めるようなものよ』
「まあ、普通ならね。でも俺は普通じゃないから」
領域を展開しようと俺の方が速いことはなんら変わりなく、先手を取れるのは依然として俺。
『二度も同じ手が通じるかぁ!』
死角に回り込み、刀を八相に構えた俺に向き直る。
毒霧を吐くのには溜めがいるのか、丸呑みにせんとヒュドラは大きく口を開いた。
あーあ、そんなに大口開けちゃったら前見えないでしょ。しかもどこに来るか分からないからって全部の首で同じ動きしちゃってさ⋯⋯。──でもね?
執拗に首を狙ってたのも、
刀以外で攻撃しなかったのも、
生得術式だけじゃ勝ち目がないように振舞ったのも──
「──
右手を柄から離し、傷口を止血する効果を右手だけに乗せる。
──刹那、ヒュドラの口が閉じ、視界に暗闇が満たされていく。
顎門が閉じられていくのがスローモーションに見える中、下顎という足場を踏みしめ、八相から更に引き絞った右拳を、全力で叩き込んだ。
口調がころころ変わるのは情緒不安定だからって訳じゃなく、ただ遊んでるだけです。
2023/11/03:黒閃の前のセリフをブラフ→布石に変更しました
2026/03/26:呪霊纏→纏に変更しました