花嫁は姫将軍 作:水没図書館・第7号館
フリッツ・ヴァン・ベンジャミン、16歳。
セントリア帝国貴族ベンジャミン伯爵家当主。
それが、私を特定する個人情報の全てだ。
もっとも、伯爵家の実権は、母上に握られてしまい領地運営に私が口を挟む余地など何処にもなかったけれど、その分、私はとても暇で亡き父のコレクションである魔導書を読みながら、魔術の研究に没頭する堕落した日々を送っていた。
帝国新聞の朝刊にチラリと目を向ければ、共和国軍と王国軍、そして我が帝国軍は飽きることなく泥沼の三つ巴の戦争を続けているようだったが、戦火が私の屋敷にさえ届かなければどうでもよいことだった。私にとって世界とは、この屋敷と自領が全てだ。
だから、今日も昼過ぎに起床してあまりにも遅い朝食を摂り、書斎に籠ってダラダラと気ままに魔術論文を執筆していた。
突然、書斎の扉が勢いよく開かれ、扉と壁が激しくぶつかり大きな音が部屋中に響き渡る。
不意を突かれた私は、「ひゃ!」と小さな悲鳴を上げて椅子から飛び上がり両膝を机に強打した。
それから、痛みに悶絶する私の目に飛び込んできた光景は、倒れた小壺から零れたインクが現在執筆中の論文を真っ黒に染める絶望的なものだった。
嗚呼、私の七日間の成果が……。
まあ、いいか。学会に提出するためじゃなく、趣味的な内容だったし……。
一方で、この凄惨な出来事を引き起こした元凶といえば、壁に当たって跳ね返ってきた扉が額に直撃し、頭を両手で抑えて床に蹲っている。その人物は、侍女の制服に身を包んだ小柄な少女、当家の元気娘メイド、キャロルだった。
「君がノックも無しに扉を勢いよく開け放つなんて、久しぶりだね。だいぶ、落ち着いてきたと思ったんだが。痛たた……」
「痛たた……。はっ!フリッツ様にお急ぎお伝えしなければならないことがありまして、この不肖キャロル、書斎まで急行して参りました!」
キャロルは勢いよく立ち上がると満面の笑みでビシッと敬礼を私に向けてきた。
その額には、大きなたん瘤が出来上がっていて、その様子が少しおかしくて私はクスリと笑ってしまった。
「では、その伝達事項を聞こうか」
「はい!……アレ?……なんだっけ?……申し訳ございません。扉で頭を強打した瞬間忘れてしまったようです……」
「よし、まずは呼吸を整えて落ち着くんだ。落ち着いたら、一生懸命に思い出してくれ」
「すぅぅぅ……はっ!そうだ!帝都より皇帝陛下の勅使様が御来館です!大奥様よりフリッツ様の身支度を整えて客間まで急ぎ連れてくるよう言いつけられたのでした!」
「事前連絡も無しで勅使が来た?何故……?いや、今は兎に角、急がなければ!キャロル、私の礼服を用意してくれ!」
「了解しました!」
急に来た皇帝陛下の勅使。
一体何を私に告げるというのか、考えると不安で胸が苦しくなる。
心当たりが無い訳でも無いのだ。
当家は帝国政府に一つ嘘をついているのだから。
◇◆◇◆
急ぎ身支度を整えて、客間に向かうと、そこには顔面蒼白となり機能停止に陥った母上と勅使と思われる若い軍人、そして軍人の背後には副官と思われる無表情な女性がいた。
母上の顔色が余りにも悪い様を見た瞬間、様々な悲惨な未来を一瞬にして想像してしまい、私の胃は急に痛みを訴え始めたが、表面上は苦痛を顔に出さないことになんとか成功した(と思う)。
「皇帝陛下の代理人たる勅使殿をお待たせした不敬をお許しください。第16代ベンジャミン伯爵フリッツ・ヴァン・ベンジャミンで御座います」
「よい、連絡もせず突然来訪したのは当方である。これを私が咎めては、陛下の顔に泥を塗ってしまう」
私の初手『謝罪』に対し、勅使が寛容な態度をとってくれたことに、ひとまず安堵する。
勅使に任じられるような官僚や士官は、ほとんどが上級貴族出身であり、自分よりも格下の者には理不尽な叱責や説教をすると聞いていたので、少し恐怖を感じていたのだ。
ほんの少しだけ心に余裕が出来た私は、改めて勅使を観察してみることにした。
勅使を一言で表現するなら、彼は『美少年』である。
或いは、貴公子然としているともいえるだろうか。
歳は十代後半か、と言っても私よりは幾らか上のように見える。
白銀の髪を短く切り揃え、スラリと長い脚を優雅に組み、カップを片手に紅茶の香りを楽しんでいるようだった。
なんというか、凄く気品に満ち溢れている。私の貧弱な語彙力では、彼の美しさをどう頑張っても表現できそうになかった。
そして、彼の首元を見れば、そこには『陸軍少将』を示す襟章が確認できた。
少将か……。
軍事に疎い私だが、将官と呼ばれる軍のお偉方は皆、初老のおじ様ばかりだった気がするのだけど……。
「どうした?私の首元をじっと見つめて。もしかして、私のような若造が将官の地位にあるのが不思議かな?」
「いえ、そのような……」
「よい。当然の疑問だ。私自身は正当に評価された戦功によって、この階級を得たと思っているのだが、戦場を知らぬ輩には血筋による不当人事だと陰口を叩かれることが多くてな。彼らを前線に招待しようかと何回か考えたよ。一人だけ本当に連れていったら、実はソイツが俊足の持ち主でね。戦場のど真ん中を走り抜けて逃げ帰った時はこっちが驚かされたものだ。いや、アイツを文官にしておくのはもったいないな、どうにか伝令兵として引っこ抜けないものか……」
今、その話をするということは、『お前も私の実力を疑っているのだろう?同じように、前線に連れっていってやろうか?』と暗に言っているに等しいのではないか?
目は口程に物を言うが、視線一つで相手の機嫌を損ねてしまったのか。
私の顔は強張り、頬を一筋の冷や汗が流れた。
「いや、そう愕然とした顔をして硬直しなくとも、別に脅しているわけではないのだ。しかし、ベンジャミン伯は感情が表に出やすいのだな。帝都の古狸共ばかり相手にしている私にとって新鮮な反応だよ。見ていてとても愉快だ、フフッ」
だが、私は勅使の発言を深読みし過ぎていたらしい。
空になったティーカップを魔術で浮遊させ弄びながら、勅使は私に微笑みかけた。
「まあ、そろそろ勅使としての任に当たろう。まずは、ひとまずおめでとうとでも言っておこうか。伯が勅命の内容を内心どう思うかは分からないがね」
「それは一体どういうことで……」
「セントリア帝国第35代皇帝ウルビチェス・サン・セントリアの名において、第16代ベンジャミン伯フリッツ・ヴァン・ベンジャミンに勅命を下す。第3皇女と婚姻せよ」
「こ、皇女殿下と私が婚姻……?な、何故……」
「おや、勅命を聞いた伯の顔が、伯の母君と同じように血の気が引いていくぞ。婚約の報告は血統維持管理局に出されていなかったはずだが、平民の中に意中の娘でもいるのかな?」
「い、いえ。そうでは、ありませんが……」
まずいまずいまずい!
婚姻だけは駄目だ!
そんなことをしてしまえば、ベンジャミン伯爵家最大の嘘が発覚してしまう!
だから、先に勅命の内容を聞かされたはずの母上の顔が真っ青になっていたのか!
「あ、あの何故、私が第3皇女殿下の伴侶に選ばれる栄誉を賜ることになったのでしょうか。もっと、相応しい上級貴族の御子息方がいらっしゃるのでは……」
「なんだ、嫌なのか?しかし、伯は、陛下に何か隠し事をしているのではないか?もし、その隠し事を初めから陛下が御存じで、慈悲深くも罪を長年に渡って咎められていないとすれば、伯は陛下に大きな借りを作っていると思うのだがなあ?」
そう言う勅使の言葉は、こちらを非難する内容だったが、当の本人はこちらの反応を楽しんいるようで、口角が少し上がっていた。もしかすると、彼は加虐趣味なのか。
いや、待て、そんなことはどうでもいい。
勅使は今何と言った?
伯爵家の隠し事?
何故そのような言葉が今、勅使から……。
まさか、すでに陛下は!
「よく見れば、伯の顔つきは、実に可愛らしいなあ?動きも、どこか小動物的で庇護欲を掻き立てるようで、少年でなく『少女』であれば、さぞ、貴族子息どもから求愛を受けただろうに。残念だ」
気がついた時には、勅使は私の目の前にいて、私の顎を掴みこちらの顔を覗きこんでいた。
「……陛下は既にご存じなのですか、私の本当の性別を」
「ああ、そのようだな。分家から乗っ取られること、或いは継承資格者無しと判断されて取り潰されることを危惧して、伯の母君が性別を偽って出生届を政府に提出したことも、全てご存じだ。今回の婚儀を受ければ、虚偽報告の罪を不問に付すともおっしゃられている」
「ならば尚更わかりません。何故、皇女殿下を男装女の下に降嫁させるのですか」
「私が望んだからだ」
「え?」
「私が望んだのだ。姉上たちのように皇女を家の格を上げるための母胎としか見ていない上級貴族の家には、嫁ぎたくないと。そう言ったら父上は、いや、陛下は私にベンジャミン伯爵家に嫁ぐよう命じられた。そして、伯の出生の秘密についても教えてもらったよ」
「何を言って……」
「わからないか?私が、君の婚姻相手の第3皇女リシュー・ロヴ・セントリアさ」
「勅使殿が第3皇女殿下……?」
自分を第3皇女だと主張する勅使を改めて見ても、やっぱり彼女は『美少年』にしか、見えなかった。
困惑する私を見て、悪戯が成功した悪ガキのような顔をする勅使。
「大尉、やっぱり君の変装技術は本物だな!ベンジャミン伯は私が女には見えんらしい」
「殿下はもとより少年顔ですので、他の人間ではこうはいかないでしょう」
勅使あらためリシュー殿下は、彼女の後ろに控えていた女性将校に嬉しそうに話しかけていた。
そういえば、この客間には、殿下と私、そして母上の他に殿下の副官として、この女性将校がいたのだ。
殿下の副官を務めているぐらいだから、他者の秘密を漏らしたりしないとは思うが、彼女の人格を全く知らない私にとっては不安材料でしかない。特に、分家の奴らに私の性別を知られればどうなるか……。
「おい、伯が不安そうに大尉を見ているぞ。大尉、伯に秘密を漏洩しないことを誓え」
「はっ。ベンジャミン伯爵閣下、私は不必要に閣下の秘密を口外しないことを誓います。ご安心ください」
「この者は、リジャン・ウーと言う名でな。合理性の塊みたいな奴だ。必要もなく伯の秘密を口外するような人間ではないと私が保証しよう」
「その言い方だと必要であれば秘密を漏らすということでは?」
「まあ、どんな状況でも、とは確約できんな」
「……」
「まあ、そんな困った顔をしなくても。伯が女だと発覚して困るのは、私も同じだ。腐れ貴族の求婚を跳ね除ける正当な理由が無くなってしまうのだから。我々の利害は一致している。それに、君をただの便利な隠れ蓑として利用しようとは思っていない。真の夫婦にはなれずとも、互いに信頼できる関係になれるよう最大限努力すると誓う。……だから、私と結婚してくれませんか?」
跪き、私に右手を伸ばすリシュー殿下の片眼は、自信に溢れていた先程とは変わって少しだけ不安の色を浮かべているように見えた。
この状況で、私が婚姻を断れる余地が一切ないのは明白なのに、何を不安がる必要があるのだろうか。
「……殿下は、何が不安なのですか。隠していた罪の真相を握られた私が婚姻を断るはずが無いのは明白なのに」
リシュー殿下は一瞬驚いた表情になり、私に差し伸ばしていた右手を自身の頬に当てた。
「……不安?……ああ、私の顔に不安の色が浮かび上がっているのか。先程、伯は感情が表に出やすいと言ったばかりなのに、私も人の事は笑えないな……。帝都の狸どもと話す時は、無感情になれるのに……」
そして、彼女は今度は自嘲的な笑みを浮かべた。
「伯は信じてくれるか分からないが、私は今回の婚姻を伯が心から嫌だと思うのなら諦めようと思っていいる。あれだけ、脅迫的な言葉を吐いておいて何を言っているんだと思うかもしれないが、伯とは対等な立場になりたいんだ。皇女と伯爵という身分的な壁を感じず、ただの人と人との関係に……」
「伯爵閣下、殿下は対等な友人という存在に飢えているのです。帝都は、若者でも何を考えているか分からない伏魔殿でしたから」
「大尉、余計な事を言うな」
「失礼いたしました」
ウー大尉とリシュー殿下は、自由に言い合える関係のようだった。
考えれば、今回の婚儀は私にとっても有難いものであるように思える。理由もなく、周辺の令嬢たちとの見合いを断り続ける私は、重い病を抱えていると噂され始めているようだし、それに伴って爵位の簒奪を企てる分家の動きもきな臭いと報告を受けている。
親族と会えばしきりに体調が悪化していないか聞いてくるし……。
そうなれば、いずれ嘘を隠す為、何も事情を知らない令嬢と結婚しなければならなくなり、でもそうすると結局、嘘は発覚する……。リシュー殿下を妻に迎えれば、それは防げる。現時点では、身分差を笠に着るような悪人には見えないし……。
……脅されていなくとも、断る理由が見つからない。
「殿下が私を裏切らない限り、私も殿下を裏切らないことをお約束します。この婚儀が互いに実りあるものとなるよう、ともに歩んでいきましょう」
「そうか!受けてくれるか!有難い!」
私が婚姻を承諾した瞬間、リシュー殿下は満面の笑みを浮かべて、私の両手を勢いよく包み込んできた。
「では、伯の真の名を教えてくれないか?いつまでも、伯と呼び続けるのは味気ない!」
「真の名?」
「フリッツは男装用の偽名だろう?女性としての真の名を教えて欲しいんだ」
「なるほど、そういう意味ですか。……残念ですが、私にはそのようなものはありません。今日に至るまで一貫して私を示す名は『フリッツ』だけです」
「そう、なのか」
「でも、真の名というのも悪くないように思えます。いつか、私が性別を偽ることなく生きていける日が来たならば、それは必要になる。発案者の責任として、その日が来たら殿下が私に名付けて下さいませんか?伴侶から、貰った名ならば大切にできそうな気がするので。自分で考えたなら、きっとぞんざいに扱ってしまうでしょう」
「ああ、君にふさわしい名を一生懸命に考えるよ!それと、私のことは殿下ではなくリシューと呼んでくれないか?それで、これからは君のことはなんと呼べば……」
「フリッツで良いですよ、リシュー」
「フリッツ、これからよろしく頼む」
「こちらこそ、よろしくお願いしますね」
フリッツ・ヴァン・ベンジャミン、16歳の春。
私はこうして、ある姫将軍と結婚した。
しかし、この婚儀をきっかけに波乱の幕が上がることを、この時の私はまだ知らなかったのである。
「ところで、何故、リシューは男装して来たのですか」
「戦場では、私の容姿は無駄に注目を集めるようでな。最近はずっと、こんな感じだ。ちなみにウー大尉は男だぞ」
「え?」
「はい、私は男です」
「並みの女性より美人だよな。私も最初は混乱したぞ」