【駄目な子】 作:星野ヒスイ
「ふふふっふ~んふ~!」
「………………ハァ」
スマホの画面を見ながら鼻唄を歌うルビーと死んだ魚のような目をして頬をもみじ色に染めるアクアだ。
「…まさに天国と地獄って感じね」
斉藤ミヤコは入学式から帰っていた二人を見て、おおよその事情を察した。
恐らくルビーはヒスイと仲直りして、アクアは盛大に失敗したのだろう。そしてやはり二人の後ろにヒスイが居ないことから、三人の関係を修復するには至らなかったと…。
「取り敢えず、アクアは氷持ってくるからそれで冷やしときなさい」
星野家の末っ子のヒスイ。
乳児期から普通じゃないこの子達とは違って普通かそれより成長の遅かったあの子は今もこの家には帰らずにいる。
氷袋に氷をつめながら、そう言えばこれはあの子がたん瘤を作った時に買ったものだったとため息をついた。
「それで、何でこうなったか聞いてもいい?」
「……ルビーとヒスイが喧嘩してると思って仲裁しようとしたら、勘違いで逆に怖がらせた」
元々小柄だったヒスイは、平均的な女性より小柄な有馬かなよりさらに小さい。ただでさえアクアに苦手意識があった彼女は肩を掴まれた時、そのあまりの体格差からパニックになった。
それで頬を叩き、逃げ出した。
「もしあの場に居合わせたのが俺じゃなくて有馬だったらああはならなかった筈だ。そうじゃなくても静観していれば、ヒスイを怖がらせることはなかった」
午後の授業では離れた席のやつと交渉して席を変わって貰った。そんなことでは何の解決にもならないと思うが、少しでもヒスイへの負担が減ってくれればよかった。
「俺はもう致命的なまでに間違えまくっている。ヒスイとの和解は……俺には出来ない」
「……入学初日に何一人で言ってるんだか。そんなに心配しなくても一、二回嫌われるようなことをしたぐらいで、絶縁なんてされたりしないわよ」
「…………いや、無理なんだ」
「何が無理なの?」
「二人が和解出来たのはお互いに変われたからなんだ。ヒスイはユーチューブで称賛されて、それに裏付けされるスキルを磨いてきた。ルビーも同じくアイドルをやるために努力してきた」
「貴方だって監督さんの元で映画制作の手伝してるじゃない」
「俺のは延長線だ。ヒスイもルビーも好きな自分に変われるように努力して、変わったんだ」
ルビーのそれはアイに憧れているからだと思っていた。
だがあの後、ヒスイがいなくなってから話して、彼女はもうアイへの未練を断ち切って、アイは凄いアイドルだった。だけどそれより凄いアイドルになってやるんだと純粋な気持ちで夢を目指しているんだと分かった。
だからヒスイも受け入れたのだ。
「……ヒスイには違うと言ったが、俺は今でもあの子をアイの忘れ形見のように思ってる」
「それは…………そう」
そう言われるのが嫌なのは分かっていた。だがどれだけ頭で否定していようと心までは偽れない。ヒスイとアイの容姿は瓜二つ。……それにあの家で出会ったヒスイはアイ以外の何者でもなかった。
『そう言えばヒスイは何処にいるの?私が刺された時、あの子はあそこに居なかったみたいだから、ちゃんと愛してるって言葉で伝えて抱き締めてあげたいんだけど……』
アイが残した最後の言葉は俺とルビーだけの秘密の筈だ。
あの時のヒスイが知るわけもない。
だからあり得ないとは思いつつ、ヒスイはアイの生まれ変わりではないにしろ、彼女にはアイの守護霊のようなものが憑いているのではないかと、どうしてもアイというフィルターを通して見てしまう。
それがヒスイにとって、最大の侮辱であることは理解している…………だが俺はあの日、冷たくなっていくアイの体温を、止まる鼓動を、星の無くなった瞳の全てを脳裏に焼き付けた。
何度あんな出来事がなければと呪っただろうか。もう一度彼女の声を聞きたいと願っただろうか。
死者でも幽霊でもいい。彼女がそこにいるならと…………俺は変わることが出来なかった。
「俺がいる限り、ヒスイはこの家に戻ってこれない」
また四人で暮らしたいだなんて考えは甘えだった。
アイへの復讐を誓うなら、これからはこの家を離れて一人で活動していくべきなんだ。
「それは極論が過ぎるわ。人間変わりたくて変われるようなら苦労はしない。貴方がこれからやるべきことは今の自分をあの子に理解してもらえるようにすることよ」
なのに、この人はそれを否定する。
「貴方は自分が歪んだ愛情を持ってるから離れるべきって……突発的に動く癖に、失敗すると全部自分に責任があるみたいな言い方をして、悪いものまで持って何処かに行こうとしているようだけど……アクア、それは逃げてるだけよ」
「これ以上、ヒスイに嫌がることをして何になるって言うんだ……俺はもうあの子を追い詰めたくない」
「追い詰めたっていいの。そんな生半端なストレスで潰れるほど柔な育て方はしてないわ」
ヒスイが一番信頼している……ヒスイにとっての本物の母親。俺たちはアイのことを覚えている為、それを弁えて育ての親として接してくれていたが、この人はヒスイにだけは……何と言うか色々とがさつだった。
愛がない訳ではない。むしろ俺たち以上にヒスイのことを可愛がっていたのだと思う。
ただ必要以上に構わない。嫌いなものは積極的に克服させようとしてきた。おおよそ一般的な家庭というものを経験してこなかった俺には分からないが、二人は本当の親子のようだった。
思えばヒスイの異常なまでの反骨精神は彼女によって築かれたのだろう。
「あの子は強くなったわ。貴方達が天才で、あの子には貴方達のような生まれ持った才能はなかった。だけどそんな事で妬んで不貞腐れるようにはしたくなかったから、強い子に育てたの」
「育てたって言っても……俺のせいで傷つくの変わらない」
それに
「そういう風に育てたからって子供が理想通りに成長するとは限らない。って言いたかった?
3年も会ってない癖に何が分かるんだと貴方なら思うでしょうけど、別にあの子に限った話じゃなくてもそんなに分かりやすい顔をしていたら何を考えているかぐらい分かるわよ」
母親なんだから。声には出さなかったがそう言ったような気がした。
「自分が消えて、私とルビーがヒスイと暮らせば満足?違うでしょ、貴方が本当に望んでいるのは、前みたいにヒスイが二人に勝とうとよく分からない骨董品の玩具を取り出して、わちゃわちゃ騒いだりする日々に戻りたいんでしょ?」
……あぁそうかもしれない。
アイが亡くなったことへの喪失感はあったが、あの頃はそれと同時に家族の温かさに安らぎを感じていた。
ヒスイとアイがダブったのはあの家に行った後のことだから、あの目を離すと何をするか分からない困った妹を…
『大変!ヒスイが食器棚を倒そうとしてる!!』
『嘘だろっ!急いでヒスイを抱いて逃げろ!』
『あれ……何かチリチリって……』
『チョコジャムを容器ごとレンジに入れた!!?銀紙がついてるから爆発するって……!』
『はぁい!おにいちゃんにぷれぜんと!』
『あ、ありがとう………(泥団子を家まで持ってきちゃったかー。ミヤコさんが帰ってくるまでに掃除しないと雷が落ちるぞ)』
………あれ?
気づけば俺の頬に熱い何かが流れていた。
「涙が……なんで?」
「それが貴方の本当の気持ちじゃない。心には嘘はつけないんでしょ?」
俺は……俺は………また皆で暮らしたいだけだった?
ヒスイが居なくなって、自分がまたとんでもない過ちを犯していたのを知った。挽回しようとしたけど、余計事態をややこしくしてしまって……ヒスイはアイに似てるからネットで有名になればまたアイのようになるかもしれないと気が気じゃなくて。
早く犯人を見つけて、ヒスイとルビーを守らないと。俺が兄貴で大人なんだからしっかりないと、失敗するわけにはいかないんだと、自分を追い込んで……追い詰めて。
何が……俺がこの家を出れば全てが元通りだ。
そんなの嫌に決まってる。復讐なんてしたくてしている訳じゃない!俺は家族と幸せに暮らしたいだけなんだ!
これが俺の本音じゃないか。
やめろ。そんな事がお前に許されるわけがないと、雨宮吾郎の残滓が後ろから語りかける。
『それは駄目だ。お前は苦しむべきだ。
幸せな家庭?妹と仲直りして一緒に暮らしたい?そんな理想を追い求める暇があったらアイを殺した犯人を探せ』
『アイから本当の親子の愛の言葉を掠め取ったお前が家族の愛情を噛み締めるなんて許されねぇよ』
これはあの日、無力だった自分。悲しくて悔しくて仕方がなかった。俺が残した復讐の原動力だ。
こいつの言っていることは何一つとして間違ってはいない。現状、俺が家を出ればヒスイは帰ってくることが出来、何の憂いなく復讐へと走ることが出来る。
『お前はヒスイに勘違いされているが、お前は天才でもなんでもない。この家に必要のない駄目な子はお前なんだよ』
俺は前世のアドバンテージがルビーよりもあるからまだ上に立っているふりが出来ているだけで、ゲームで言えば既にレベルマックスだ。そこから成長することは出来ない。
いずれ二人に追い越される。それが遅いか早いかの違いかもしれない。
だけど…………嫌なんだ。
我が儘、優柔不断、なんて言われてもいい。
「俺の心は四人でまた暮らしたいと言っている」
「……それでいいのよ」
心に嘘をつけないとさっき言ったが、俺たち三人はこの人の前では嘘はつけないのだ。
だってこの人は俺とルビーとヒスイの……
「これまでよく頑張ったわね。これからは私たちに任せなさい」
ミヤコさんは涙が溢れる俺を優しく抱き締めた。
「ちょちょちょちょ!!!!!!
「しー、アクア疲れて寝ちゃったの」
「へぇー、アクアがおかあさんに甘えるなんて珍しいね……じゃなくてこれ!何でヒスイが『今ガチ』に出ることになってるの!?飛び入り!?人数合わせ、じゃないよね?だって女子の数が多くなるじゃん!て言うかヒスイに彼氏なんて百万年早いんですけど!?」