【駄目な子】 作:星野ヒスイ
○月□○日
ついに引っ越しの日が来た。
軽トラにダンボールを積めるだけ詰め込んだ私達はマンションの鍵を返して、いざ新天地へと飛び立つ。
「えっと……斉藤壱護。斉藤、斉藤壱護……斉藤……」
「あー、もしかして俺の名前って覚えづらいか?」
運転中、私が斉藤さんの名前を言い間違えないように小さく復唱していると横からそんな事を聞いてきた。
「ミヤコから聞いたよ。お前、人の名前を覚えるのが苦手なんだろ?だからいざって時言い間違えないように、よく復唱してる」
「そ、そんな事……ないよ?」
「何で答えるほうが疑問系なんだよ」
だってこんなにお世話になってるのに、実は名前をちゃんと覚えていませんでしたーなんて失礼な事を言えるわけがない。
斉藤さんの言う通り、私は人の名前を覚えるのが苦手だ。
人の名前と言うか物の名前を覚えるのが苦手で、覚えたと思っても呼ぶ習慣がなくなると、あっという間に忘れてしまう。
流石にミヤコさんやアクア、ルビーの名前を忘れたりしないが、斉藤さんの下の名前は咄嗟には出てこなかったりするので、ミヤコさんと同じ名字と言うことで覚えている斎藤さんと今は呼ばせて貰っている。
だけど斉藤だとミヤコさんと一緒の時に紛らわしいし、いつかは壱護さんと呼びたいのだが………
「あ、そうだ。これからパパって呼んでいい?」
ミヤコさんを一時期ママと呼んでいたことを思い出して、そう提案してみた。
「ッッッゥ!!!!?」
その後の記憶がない。斉藤さんが急ブレーキをしたショックで私は気を失ったらしい。
何で急ブレーキしたのかと聞いたらネコが飛び出してきたのだとのこと。
それならば仕方ない。
午後には新居へと着いたのだが、肩に鈍い痛みがあり、服を脱いで見たらシートベルトが食い込んだような跡があって、少し紫色になっていた。
うわーと姿見を見て自分でも少し引く。
普通の人間ならこうはならないが、生まれついてのこの体が貧弱過ぎたのだ。
最近のジョギングで体力はついてきたかと思ったが、この分なら体も鍛えていった方が良さそうだ。
そうでもしないと日常での友人同士の軽いじゃれつき合いがあわや大惨事へと繋がりかねない。
それにしても、すごい痣だな……痕残るかな……でも小さい命の為なら仕方ないかと、斉藤さんが変に気負いしないように暫くは厚みある服を着ることに決める。
この日はダンボールの開封作業に残りの時間を使ってしまい、食材を買いにいく暇もなかったので夕飯はレトルトの軽いもので済ませた。
○月✕日
朝食は姉の好きなトーストピザ。
ケチャップとチーズ、ウインナーで軽くトッピングしたものだ。
普段は敢えてなのか私の手が届かない所にトースターがあるので姉が作る所を後ろから見ていることしか出来なかったが、工程が少ないお陰か初見で成功させることが出来た。
ちょっと前に作ったボルシチはあそこまで味を持っていくのに50回ぐらい失敗してしまったので、ちょっと不安だったが、才能がなくても流石にこれぐらいは出来るらしい。
特に感動するという味でもない為、二人でモシャモシャと食べると、昨日の片付けの残りを午前中までに終わらせてしまった。
それで遂に、撮影を!
「殺風景過ぎるな。壁紙でも買いに行くか」
と、二人で近場のホームセンターまで。
しかし二人とも映える壁紙と言われても素人だから分からない。色々あーだこーだと言い合った挙げ句、ウサギのぬいぐるみが可愛らしくデフォルトされたデザインの物をチョイス。
そしてせっせと二人で壁に張り付けて、斉藤さんが仕事用に持っていたカメラや反射鏡をセッティング。
「な、何をやればいいのかな?」
「初めてだからな。変に気負わず、どんと自分を大きく見せてみろ」
先ずは私の全力が見たいらしい。
それならばと……私が唯一、天才的アイドルの才能を受け継いだあのルビーに、判定ミヤコさんとアクアで接戦にまで持ち込んだ得意ジャンルを選択する。
『新人YouTuberが【サインはB】歌ってみた!』
再生数84。登録者数0。
コメント:3
信じられないぐらい下手。
声質は良いのに音程が滅茶苦茶。
これってB小町の曲だよな?脳破壊用BGMじゃなくて?
……どうやら姉は歌唱力がないらしい。
家出して初めて驚くべき事実に気付いた。
○月□△日
昨日は失敗した。
まさかアイのアイドルとしての才能を余すことなく受け継いでいると思っていた姉が駄目な子の私と同じぐらい歌が下手だなんて。
ミヤコさんとアクアがかなり悩んだ様子で、辛うじてルビー……と言っていたので、絶対に上手いであろうルビーをあと一歩のところまで追い詰めたと、今まで歌だけは絶対的な自信があったのだが、両者酷すぎて採点に困るぐらいだったとは。
アクアは私が友達とカラオケに行こうとすると全力で妨害してきたが、あれは私の地獄のような歌唱力で友達が悶絶する様を防いでいたということなのだろう。そんな回りくどいことをするぐらいならシンプルに下手だと教えてくれたらいいのに。……また末っ子扱い。
しかしルビーが下手となるとアイの歌唱力はアクアが受け継いでいるのだろうか?
歌っている所は見たことがないが、機会があれば見てみたいと思った。
そして何も言わずに編集して投稿した斉藤さんには、不意打ちで脇腹チョップを入れておいた。
○月□✕✕日
動画投稿は3日に1回のペースでやることに。
一日目に撮影をして、二日目から編集、三日目に仕上げでそして投稿する流れだ。
勿論、商品紹介だとか、あまり編集時間が掛からない物もあるが、初めのうちから毎日投稿を意識して逸るより、ある程度の質と量を安定してやることが持続させる秘訣らしい。
つまり今日は休みの日だ。
折角引っ越したばかりだし、家の回りを散策することにした。
しかし何もない。東京で一軒家を借りられると言うからどんな豪邸なのかと思えば、家はこじんまりとしていたし歩いて行ける距離にコンビニやスーパーはあるが、デパートのような大きな建物はない。
田舎である。
山や田んぼはないが木々が生い茂る。道路脇には必ず何かしらの花が植えられている。もう何年も舗装されていないのか道路はボコボコで、交通量は驚くほど少ない。
まさか東京にもこんな場所があるなんて思いもしなかった。
こうなると中学校まで毎日電車通勤とかしなければならないのかと億劫になったが、少し歩くと公立の小・中学校が見えてきた。
流石は斉藤さん。私の考えることはお見通しらしい。
「ねぇ、そこの貴方」
「ん?」
「ッ!やっぱり!貴方アイに似てる!」
だいたい見回ったし、もう帰るかと踵を返すと何やら年頃の近そうな女の子に絡まれた。
「あ、ちょっと!」
私はダッシュした。
「ヒュー……ヒュー……ヒュー……」
「アンタ体力無さすぎ。て言うか何で逃げるのよ」
しかし物の数秒で捕まり、ベンチに拘束されてしまった。
「あー、はいはい。過呼吸になった時は兎に角ゆっくり呼吸することを意識しなさい。変にリズムをつけちゃうと無意識に早くなっちゃうから意味がないの。これ実体験」
会って直ぐの子に背中を擦られ、何とか息を調える。
「もしかしてアイに似てるって言われるの嫌だった?ごめんなさい、私テンション上がっちゃうと思ったこと直ぐに声に出しちゃう性格なの」
「ヒュー……ヒュー…………ふぅ。もう、大丈夫」
「あらそう。ならお互いに自己紹介しましょう。私の名前は有馬かな。この近くの中学校に通ってるんだけど、
「私は星野
「……そ、そう。ヒスイね。4年生ぐらいだと思ったけど春から中学生なんだ」
息を整えた私が挨拶を返すと何故か肩を落とす彼女。
「………はぁ、同年代の子にも忘れられるなんてダメね私」
「え?忘れられ?」
よく分からないがガッカリさせてしまったらしい。しかし私と………やばい。もう何て名前か忘れちゃった。
でも間違いなくこの人と私は初対面の筈だ。それなのに忘れられるって…………あっ。
私は彼女の顔を見て、思い出す。
そう言えばちょっと前までドラマや映画にバンバン出ていた有名な子役ではないか。
確か、紹介文は
「重曹を舐める子役!!!!」
「なんでよ!!!!?」