【駄目な子】 作:星野ヒスイ
「はい、ワン、ツー、ワン、ツー!テンポ遅れてきてるよー!もっとリズムを意識して!」
「わん、つー!わん、つー!……」
体感時間で三週間ほど経った。
この代わり映えのない真っ白な世界で今日も私たちはダンスのレッスンに励んでいる。
「わんっ……痛っ!あ、止まっちゃったからもう一回最初からお願いします!」
「はい、だめ。今足首捻ったでしょ。ほら見せて。…………あちゃー。これは3日は安静にするしかないかな~」
「ミッッッ!?そんなことない!これぐらいの怪我なんてどうってことも」
「わがまま言わない。約束したでしょ?無理はしないって」
心の中なのだから一日中練習出来るとヒスイは思っていたようだけど、今みたいに怪我はするし動けば疲れる。
だから時間だけはあることを良いことに適度に休みながらやっていた。当然ヒスイは不服そうだけど、約束が守れないようならレッスンには付き合わないと言うとしぶしぶながら従ってくれている。
そんな自覚はなかったけど、私ってば教えるのがかなり上手いらしい。
死んでからずっとヒスイのことは見ていたのでそのお陰でもあるのだろうか?私にとっては小さな気付きでもヒスイにとっては目から鱗で。今自分に何が足りていないかを的確に指示して導いてくれるから身になる成長を実感出来ているのだという。
端から見ても、地下アイドルのデビュー当日ならまぁ……という有り様から、それなりに有名なグループのデビュー当日というぐらいまでレベルアップしている。
まだまだプロレベルとは言えないが、この空間があと半年も続けば当時のB小町ぐらいにまでは到達出来るかもしれない。……練習につぎ込んでいるこの一曲は、と条件は付いてしまうが。
「よし。今日はヒスイが足を怪我しちゃったから私が晩御飯を作ろうか!」
「あ、いえ。それは大丈夫です」
「……私の料理ってそんなに不味いかな?」
「一曲集中で、半年。それでやっとプロレベル……しかもアイドルの本命はダンスじゃなくて歌も合わせた踊りなのに……もうやだ……才能が無さすぎて嫌になる……」
「直ぐに出来るようにならなくたって悪いことじゃないんだよ。出来るようになるまで練習するなんて立派だと思うよ」
本日のメニューはカレーである。
何故かあった食材と何故かガスと水が通っているキッチンで、サクサクコトコト、手慣れた様子でヒスイが作り上げたものだ。
「むしゃむしゃ……別にアイドルになりたい訳じゃないからいいんですけど。アイなら半年で何曲踊れるようになるんですか?」
「私?そうだなぁ……半年もあれば5……いや、企画で10は覚えたことがあったなぁ」
「は、はは!10倍とはこりゃー無理だ!」
「うーん。でも私もダンスは評価されていたわけじゃないし、踊れるようになったって言っても振り付けを覚えてただけだったからなぁ。それに本番中にド忘れして勢いで誤魔化したこともあったし」
「え?たまに振り付けと違うなぁ~て思うところあったんですけど、あれってアレンジしてるんじゃなくて忘れてただけなんですか?」
「うん。ヒスイもそういうスキル身につけた方がいいと思うよ。努力することは立派ってさっき言ったけどさ、ヒスイは余計な努力をしがちだと思う。もっと肩の力を抜いてアドリブで全部乗り切ってやる!ぐらいの気持ちでいた方が気が楽だよ」
「……それが出来たら苦労はしませんよ」
ヒスイの顔がちょっぴり強ばる。
確かに全部アドリブで出来たら気が楽だし、それで結果を出せるなら最高だろう。だけどそれが出来ないから努力してるんじゃ!とむしゃむしゃカレーをかきこんで噎せてしまう。
「ごほっごほっ!」
「あーもう。慌てて食べるから」
「気管に入った!ごほっ!」
そう言えばこの世界でトイレに行ったことはないけど、食べたものってどこに行ってるんだろう?
ヒスイの背中を擦りながら疑問に思う。
「ごほっ、ごほっ!…………ふぅ。こほっ。死ぬかと思った」
「死人の前で不謹慎だな~。私よりは絶対長生きしてよ?」
「二十歳で死ぬのはちょっと。せめて百二十歳までは生きたいんで」
「おっと。私の六倍は生きようとしてるとは……我が娘ながら強欲だね」
「それより……シャワー浴びてきていいですか?カレーで服がびちゃびちゃになっちゃいました」
「そうだね。なら私も!…………ううん。カレー温め直しておくね」
「?分かりました」
ヒスイが洗面所に向かう時、どうしても震えてしまう手を後ろに下げて見送る。
昔、ヒスイを沐浴途中で落としてしまったことがあったのだ。そのせいでヒスイは溺れかけ、私に苦手意識を持ってしまった。
その事を今でもヒスイが覚えているとは思えなかったが……その時の私は疲れていた。
疲れていて、暫くヒスイが溺れていることに気付かなかった。
あの時はルビーが居たから助かったが、もし思うのだ。あと少し遅れていたら私はヒスイを殺してしまっていただろうと。だからその事がトラウマになった。
……いや、違うなぁ。あの時、私は疲れてはいたが溺れているヒスイを見てはいた。放って置けば死ぬと分かって…………。
ヒスイを育てるのは二人に比べて大変過ぎた。
「びぇぇぇぇ!!!!」
「あーよしよし。オムツかなぁ?ミルクかなぁ?それとも怖い夢でも見ちゃった?」
夜泣きは多く、好き嫌いも多く、近くに誰かいないと不安で直ぐに泣き出してしまう。
ミヤコさん達がこれない日は(当たり前だが)、私が面倒を見ていたのだが夜中に起こされる頻度は一時間に一回以上であった。
「びぇぇぇぇ!!!!」
「人見知りしちゃったねぇ……ごめんねぇ……直ぐ着くからね……」
身体が弱くて人見知りが激しいものだから易々外に連れ出すわけにもいかない。
でも車の免許なんて持っていないから、やむを得ない事情の時はヒスイを連れてバスに乗ることもあったが、周りの目がとにかくキツかった。
アイドルと子育て。やりきって見せるとセンセと約束したもののアクアやルビーに比べてしまうと……その、ヒスイといると心が軋む。
疲労が溜まり、赤ん坊のアクアとルビーが流暢に会話しているような幻覚まで見てしまった時にはいよいよかと乾いた声が漏れた。
「ごぽっ!ぼこぼこ!」
だから、楽になれると思ってしまった。
「ま、ママ!!!」
「ッッ!ヒスイ!!!」
白々しく、私はヒスイを抱き上げた。
ヒスイが居なくなれば、アクアとルビーだけなら私は幸せになれる。
どんな子が生まれても、私を捨てたあの人のようにはならないと誓ったのに。同じことをしようとした。
いや、殺そうとしたのだ。より悪い。
許される筈がない。許されていいことではない。
警察に自首して罰を受けるべきだった。けど私はそんなことを考える筈がない。疲れていただけなんだと自分に嘘をついて母親のふりを続けた。
私は結局、都合の良い愛して
「そりゃあ他人行儀になるよね。こんな危ない人を母親だなんて呼びたくない」
だからこれは罪滅ぼし。
これは死に別れた母が娘と感動的な再会を果たしたのではなく、罪深い女が被害者へその身を捧げるような話なのだ。
今度こそちゃんと愛してると伝えるなんて……許される訳がない。
○月✕日
この世界でも日記帳を見つけたので今日から日記を付けることにした。
この世界に閉じ込められてから三週間ぐらい経ったのか?
時間感覚が曖昧になってきていたのでちょうど良かった。
私はいま、この世界を抜け出すことが出来ないので仕方なしに中途半端だったダンスを鍛えるかと日夜練習に励んでいる。
レッスンの先生は何とあのアイ。この日記帳をプレゼントしてくれたという亡き私の実母である。
彼女が本物なのか偽物なのか、そもそもここがどのような空間であるか分からないので、どう扱っていいか当初は困惑していたが、ダンスを教えてくれるので教師役として見ることにしている。
その対価に掃除洗濯料理は私が担当するという役割分担だ。
彼女はこの世界から出る気はないそうなので、仮にこの世界の脱出条件が世界の破壊とかだった場合対立することになるかもしれないが、現状ではそんなことを考えるだけ無駄だろう。
アイは流石は元トップアイドルなだけあって教えるのが上手い。
やはり生徒が私なので絶望的な成長速度だが、それでも以前よりはステップのキレとか声の張り方とか段違いだ。
この分だと通常の3倍ぐらいの速度でマスター出来るようになるかもしれない。
追記、この世界で寝ると悪夢を見なくて済むので毎日が快眠である。
△月○日
この世界に囚われて一ヶ月。
今日は改めて真っ白なこの世界を歩き回ってみた。
アイ曰く、果てはなくどこまでも広がっているようで、幾つかの『部屋』があるらしい。
簡易的なライブ会場だったり、ぬいぐるみでいっぱいだったり、ハートの部屋、私たちの生活の拠点であるキッチンや寝室、そして私のライブが無限ループされているテレビがポツンと置かれた所など、近場にある部屋で六つほど、恐らく遠くにも似たような部屋はあるだろうが、帰れなくなるのが怖くて探しには行ってないらしい。
確かに各部屋の扉以外、目印になるものがないので今のところ唯一の外界の情報を得る方法となるテレビの場所が分からなくなるのは怖い。
排泄の必要はないようだが、お腹は空くし、食べ物を見つけられずに餓死する可能性だってありうるだろうし。
私は脱出を目的としてるのでいずれは地図でも書きながら探索していこうと思っているが、今はダンスを極めるのが先である。
△月✕日
カメラを見つけた。
私が撮影の時に使っているカメラである。
何故ここに?と辺りを見渡せば、ネットこそ繋がっていないものの編集ソフトが入ったパソコンまであるではないか。
これは私にこの世界でも動画を取れという神の啓示だろうか?
という訳でレッスン中にカメラを回してみたが………録画を見返すとアイだけが色落ちしたみたいに黒くなっていた。
こいつ、やっぱり人間じゃねぇ!
と、本人に見せれば、でもこっちも可愛くない?
……うーむ。確かに可愛い。
△月○✕日
日記と合わせて動画で記録を残すことにして一ヶ月が経った。
一ヶ月ぐらい日記を書いていなかったがカメラの方で手こずったのだと察して欲しい。
その間になんと私はアイからギリプロレベルだとダンスの腕を評価され、今は歌の方に力を入れている所である。
現状のルビーがどの程度レベルを上げているかは分からないが、少なくともカラオケで60点取れる程度の歌唱力なのが私である。
アイ……やはり彼女は素晴らしい。私の理想系だ。
彼女の指導ひとつで私は1つ、また1つ成長することが出来る。
もし彼女が現実で生きていてくれれば私がアクア達にコンプレックスを抱かなくて済んだと思うほどだ。
今日はうっかりお母さんと呼んでしまったが、目に見えて喜んでいたようのなので呼び方は要検討である。
✕月○日
…………一年経ってしまった。
本当に……いや、マジでヤバいかもしれない。
歌やダンスは既にそれなりの物となり、脱出方法を探している毎日であるが、出口らしきものは確認出来ず、私が来るまでは外界の情報を映し出していたというテレビは相も変わらずライブ映像のループを流している。
壊れているのかと一度バラそうとしたが、空間に固定されているようでピクリともせず断念。
ボタンというボタンを押しまくったが変化はなかった。
もしかしてこのまま一生ここにいるのだろうか?
レッスンは続けて行こうと思う。
○月✕日
そうだ。複数覚えるのが苦手なら逆に一曲で世界取るレベルの凄い曲を作り出せばいいのでは?
変なテンションになっていた私は過去に作成した楽曲データをひっくり返し、再生成することに。
アイもその手の分野には少しだけ心得があるようで、手伝ってくれるようだ。
○月✕日
あれから五ヶ月かけて曲が完成した。
ネットに上げてお手軽に感想を聞けないのは残念だが、私とアイの力作である。
もしネットに上げてたら5億再生とか行っちゃうんじゃないだろうか?
これから振り付けとか色々忙しくなるぞー!
ー月ー日
色々と全部完成!三年かかった。
究極で無敵なアイドルの誕生である。あとは出るだけ!どうやったら出れるんだチクショー!全然老けないけどあと1日で成人しちゃうよ!!
○月○日
今日は私の誕生日。それも二十歳の日だ。
今日限りはレッスンもせずに二人でお祝いしようと、ささやかなパーティーを開いた。
「お、酒~!お、酒~!」
「いいのかな~?現実で歳を取ってなかったら未成年飲酒になるんだけど」
「もう一生ここにいるかもしれないのに外のこととか気にします?ほら、グラスを持って乾杯しましょう!」
この日をどれだけ待ったことか。待望のアルコール解禁日である。
「お酒……」
「そう言えばアイは飲んだことないんですけ?」
「うん。私は成人する前に死んじゃったから」
「なら今日はアイの二十歳の誕生日ということにしましょう!記念日、記念日!」
これまで抱えてきたストレスをアルコールで解かしてやるのだ。
カランコロンと私はジョッキの中の氷を転がし、アイはクールにワイングラスに注がれたお酒の匂いを嗅いでいた。
「ねぇ。ヒスイ……私の元に産まれてきて幸せ?」
乾杯しようとすると、匂いに当てられたのか眠たそうな目をしたアイが問いかけてくる。
「こうは思ったことない?私なんかの元に産まれてこなければ、ミヤコさんの子供として産まれていればもっと幸せだったのにって」
こういった話をするのは珍しい。過去を振り返ったりなどしないタイプの人だと思っていたが、母親としてそういうのを気にしていたりしたんだろうか。
「私は生きている頃、貴方に何もしてあげられなかった。むしろ母親として最低なことばかりしてた」
「あ、溺れかけた時の話ですか?いやーあの時は死ぬかと思いましたよ」
「そう、溺れかけ…………え!?覚えてるの!?」
ダンッと机を叩いた。
まぁ驚くのも無理はない。思い出したのはつい最近だし。
「でもそうだね、こんなお母さん嫌だよね。死んで当然だよ」
「助けてくれたでしょ?」
「え?」
「どういう経緯で溺れたのかは覚えていないですけど、溺れそうになった私に手を伸ばしたアイの顔は、自分が死ぬことより怖いんだと歪んでいて……私が水を吐き出すと本当に嬉しそうに泣いていて、あぁこの人は本当に愛してくれていたんだ。この人の子供で良かった、て感じました」
「…………そう」
「まぁ小さい頃の私が厄介だったなんて話は散々聞かされてましたからね。アイは……ううん。
「そう……そうなんだ」
「正直、この世界に閉じ込められた時は死んだ筈のお母さんがいきなり現れて戸惑いましたし、自分はライブで倒れてそのまま死んだんじゃないかと考えるようなこともありました。お母さんが勇気づけてくれなかったら、あのまま石みたいになってたかもしれません」
ぽつりとワイングラスに滴が落ちる。
「こんな奇妙な形ですけど、産んでくれてありがとうお母さん。私は今幸せですよ」
タイミングとしては今しかないと私が乾杯しようとすると、アイがそれを遮ってしまった。
「あ、あっは。はは……私ってば幸せ者だ。こんなに可愛い娘に愛されるなんて………」
「お母さん?」
「ごめんね。きっとここで大人になってしまったらヒスイは帰るのを諦めてしまう気がするから。ヒスイにはアクアとルビーと同じタイミングで大人になって欲しいから。お酒はお預け」
「……でも帰れる保証なんてどこにも」
「ライブをしましょう。私たち二人で」
母親として泣いて、アイドルの輝きを持つ母の目は白銀に輝いていた。