TSミステリアス系ヤンデレお姉さん 作:藁人形
今日は、来ないな……彼…………
いつも通り音楽室にて本を手に彼を待っていた僕は、壁に掛けられた時計を見て落胆する。
いつまで経っても現れぬ彼に、どうも落ち着かない気持ちになる。これではいつもソワソワしながら入ってくる彼を笑えない。
仕方なく手にしている本に視線を落とした。一体の『怪物』が一人の少年に恋をする話だ。玉水物語のオマージュなのか随所に類似点が見られる。こういう美しい悲恋小説ばかり読んでいるようだが、一体彼の恋愛観はどうなっているのだろうか。少しだけ覗いてみたい気持ちがある。
既に読んでしまった本の表紙を撫でながらどうやって暇を潰そうか考える。
もう
部屋の隅っこに置かれている古いスタンドピアノの前に立つ。これだけはまだ旧音楽室に取り残されたままだ。鍵盤の塗装が剥がれ木の部分が露出しているし、内部を覗いてみれば錆が広がっているのが見える。今まで共に過ごしてきた仲間として多少愛着はあるものの、もう長いこと調律されていないこれを弾くのはあまり気乗りしない。
「まぁ、ないよりはマシだけど」
埃を被った椅子を引き、そっと上を払って腰掛ける。旧校舎は使われなくなった教室が多いもののまだ使われている教室もある。そこにいる生徒に聞こえないよう配慮してミュートペダルを踏んだ。
鍵盤のカバーを取り払って軽く準備運動をする。やはり音も狂っているし何より鍵盤の反発もおかしい。幾つかの鍵盤はスカっと音を立てて沈み戻ってこない。
僕と同じでもうおじいちゃんな彼にちょっとした親近感を覚えながらも、ハノンを弾き終えた僕はお気に入りの曲を弾き出す。
レクイエム ニ短調 II.キリエ
かの有名なモーツァルトの遺作、その第二曲だ。選曲に意図は特にない。ただ死を経験した身として特別気に入っている曲だった。死者の追悼を神に祈る曲を死者が弾くというのはなんとも滑稽というか、皮肉というか。
思ったように音を発しないこの古ぼけたピアノに苛立ちを感じながらも、心の赴くままに指を動かす。
転生してから両親にやらされていたピアノだが、思いの外楽しくてすっかりハマってしまっていた。曲を奏でている間は、自分と周囲との境界が曖昧となる。このピアノと一体化したような感覚は非常に心地のいいものだった。
キリエを弾き終わるとそのまま今度はラクリモーサを弾き始める。『涙の日』とも呼ばれるこの曲は、モーツァルトが力尽きる最後の瞬間まで作曲に努めたとされているものだ。結局8小節までしか書き記すことのできなかった彼の想いが、この曲を弾くたびに心に深く入り込んで叫び声をあげる。
不遜にも当時のモーツァルトと自分を重ねながら演奏する僕。ピアノを弾く際は普段の自分では考えられない程情緒が乱れている自覚があった。
やはり音楽は素晴らしい。こうやって音を奏でている間だけは、嫌なことを全て忘れてしまえる。とは言ってもここで弾くのは少しリスクが大きいので普段はあまりこういうことはしない。旧校舎は広いため早々誰かに届きはしないだろうが、他の生徒に聞かれては大変だ。
今日くらいはいいだろうと自分に言い訳をしている内に一曲を弾き終えた。
一度手を止めて余韻に浸っていると突然後ろから拍手が聞こえてくる。不意の出来事に思わず体が跳ねた。
素早く振り返るといつの間にか彼が後ろに立っていた。自分の世界に入りすぎて全く気づかなかった。
びっくりして暫く呆けた顔をしてしまった。クール系として振る舞っていたのに大きな失態である。きっと顔に血が上って真っ赤に染まっていることだろう。
コホンッ
咳払いを一つ、気まずくなった僕は彼から目を逸らしてもう一度ピアノに向き直る。顔が熱くて彼の方を見ていられない。
「来ているなら声をかけてくれてもいいじゃないか」
自分でも拗ねたような口調になっている自覚があるが、恥ずかしくてつい口を出た言葉だった。
「あまりに熱心に弾いてるようだったんで……ちょっと声かけるの躊躇われたというか……」
「まぁ、いいけど」
キーカバーをかけ直してピアノを元の状態に戻すといつもの場所に移動する。
改めて彼の姿を見るといつもと違って体操服を着ていた。
「今日は珍しく体操着なんだね」
「スケジュール狂って今日は五限が体育なんです。いつもは六限なんですけど」
「あぁ、それでいつもより遅かったんだ……」
理由を聞いて納得する。もしかしたら体調を崩したのではないかと心配していたのだ。
その「彼がここにくるのは当たり前」という前提での思考に自分でも驚いたものだが、それくらい彼は熱心にここへ訪れていた。
「先輩、ピアノ弾けたんですね」
「まぁ、小さい頃習っていたからね」
「めちゃくちゃ上手でびっくりしました」
「そう……ありがとう」
ピアノを弾いているとトリップしてしまうため彼に見せるつもりはなかったのだが……それはそれとして、内心では褒められて喜んでいる自分の現金さに苦笑した。
こんな錆びついた、音もズレまくっているピアノでの演奏だったことが悔やまれる。
「また、気が向いたら聞かせてください」
「このボロボロのピアノでいいなら…………またいつか弾いてあげるよ」
彼のワクワクしたような顔を見ていると、社交辞令ではなく本心で言ってくれていることがわかる。毎日会いに来て、純粋な好意をぶつけてくる彼といるとなんだか不思議な気持ちになる。
まるで犬みたいだなと思いながら特に意味もなく彼のおでこにデコピンした。痛ッとでこを抑える彼を見てくつくつと笑う。
「なにするんですか」
「いや、さっき驚かせてくれた仕返しをしようと思っただけさ」
「この前先輩もしてきたんですからお相子じゃないですか」
なんか妙に構ってあげたくなる雰囲気なんだよな……彼。彼が喜ぶならまぁ、少しピアノを演奏するくらい苦ではない。いつも楽しませてくれるペットにご褒美を与えないといけないしね。
そう心の中で言い訳しながら、いつかちゃんとしたピアノで演奏する機会があれば良いのにと思わずにはいられなかった。
──────────────────────────ー
俺は一瞬、彼女が本当に俺のよく知る先輩なのかと疑ってしまった。いつもの落ち着いた雰囲気からは想像できないような顔でピアノと向き合う彼女は、まるで別人かのように見えた。
頬を朱に染め、恍惚とした表情で曲を奏でる先輩は、かと思えばこの世に絶望したかのような顔をし、次の瞬間には楽しげに笑っている。
そんな彼女の見せる表情は全て新鮮で、とても愛らしかった。何時間でもこのまま見つめていられるような気がした。
端的に言って見惚れていたのだ。
この顔を独占してしまいたい。その楽しそうな顔を、その赤らんだ顔を俺だけに向けて欲しい。そんな暗い欲が胸の奥からドロドロと湧いて出てくる。
この音楽室の外では、こんなに表情豊かな先輩が見られるのだろうか。もっと先輩に物理的にも精神的にも近づくことができれば、それもきっとわかるはずだ。
先輩のことをもっと知りたい、そしていつかこの気持ちを伝えたい。彼女と関われば関わるほどその気持ちは増していくばかりだ。
そして、演奏を終えた先輩がふぅっと深く息を吐いて目を閉じる。
俺は思わず拍手をしていた。それを聞いた先輩がビクッと外から見てもわかるくらい綺麗に跳ねる。バッという擬音語が似合う動きで振り返ると、目をパチパチとさせながら口を半開きにした状態で固まる彼女。とても可愛い。
初めて見る先輩の『人間らしい仕草』は破壊力抜群であった。ギャップ萌えというやつだろうか。
その後の拗ねたような顔も、恥ずかしがった顔も、全てが可愛くてつい衝動的に告白しそうになった。
この先輩といると本当に心臓がもたない。
※※※
体育の時間、旧校舎の横を通って体育館へと行く。一年生の教室からはかなり距離がある上に、斜面の高い場所に位置しているせいで階段が多い。そのため一部の体力がない生徒は体育が始まる前から息を切らす始末だ。
「あ、やば体育館シューズ忘れた」
そしてそんな場所に体育館があるせいで忘れ物をすると非常に大変なのだ。全てのやる気を削がれてしまう程度には。
うわっ最悪だ…………
そう呟きながら隣を歩いていた同級生に体育の先生への伝言を頼む。快諾の声を聞いて、すぐさま教室へ引き返す。せっかく上った長い階段を再び駆け下り、旧校舎を経て自教室へと向かった。
途中でめんどくさくなって走るのをやめる。もうどうせ授業には間に合わない、そう開き直った。
長い廊下を歩いていると妙な背徳感を覚える。人影なく物音のしない廊下は独特の世界を形成しているように思う。立ち入り禁止の場所でもないのに、この学校にいるのは自分だけであるかのように錯覚した。
授業開始のチャイムを聞き流して歩いているうちに自分の教室までたどり着いた。誰もいない教室へ入ると、後ろにずらりと並ぶ個人用ロッカーから自分のものを探す。俺はあまりロッカーにものを入れないため、これだけ並んでいるとすぐに自分のものを見つけられないのだ。自分の番号であることを確認し、ロッカーに入れたままの体育館シューズを取り出す。そして黒い袋に入れたシューズをブンブンと振り回しながら教室を出たその瞬間────────
ふぅ〜〜
何者かから耳に息を吹きかけられた。あまりに突然の出来事に思わず1.5メートルくらい後ろに飛び退く。そして盛大に机にぶつかり角に腰を打ちつけた。
「うおぉぉぉいったぁ!」
その激痛に顔を顰めて患部をさすりながら犯人の方へと目を向ける。そこにはあまりに意外な人物がいた。
「こんな時間にこんなところで……何をしてるんだい?」
先輩が、ニヤリと笑いながら腕を組んでこちらを見下ろしていた。セミショートを揺らしながら佇む彼女の姿は確かにあの
え…………?
フリーズする思考。確かに音楽室の外でも会えたらいいなとは思っていた。しかしあまりにも唐突すぎたのだ。今まで散々探したのに結局見つけることができなかったため、この校舎で会うことを完全に想定していなかった。
「さっきチャイム鳴った気がしたのだけど、もしかして聞き間違いだったかな?」
小首を傾げながら悪戯っぽく笑う彼女
「い、いや俺はただ忘れ物しただけですよ。先輩こそ何してるんですか?」
「ん? あぁ僕はちょっとあっちに用事があるだけだよ」
そう言って職員室がある方を指差す先輩。
本当に、初めての外での邂逅がこんな形になるとは思わなかった。やはり今まで偶然会わなかったのだろうか。
「それにしても、なんか新鮮ですね。あそこ以外で会うの」
「ふふ…………そうだね。………………会わないように気をつけてたし」
「え? なんでですか」
「内緒」
相変わらず、先輩の考えていることはよくわからない。しかし、片目を閉じてふふっと笑う先輩が可愛かったので全てどうでも良くなった。
「へぇ、ここが君のクラスなんだ。どこの席?」
「一番左の列の真ん中です」
そう俺が言うと「この席?」と言いながら勝手に僕の席まで行って座り出す。一応肯定しておいたが、本当に自由な先輩だ。今授業中だというのに。
ふん、ふ〜んと鼻歌を歌いながら僕の机の中を漁り出す先輩。
「おや、こんなところに転○ラの最新刊が」
スッと中からラノベを抜き取るとわざとらしく掲げてみせる。そしてこちらをチラチラと期待した目で見る彼女。
「はぁ……‥すぐ返してくださいよ? まだ読んでないんで」
「わかってるじゃないか後輩君」
ニコニコしながらそう言った先輩は本をそっと机の上に置くと再び机の中を漁り始める。
それからしばらく俺の席でくつろいだ後思い出したようにこちらに向き直った。
「で、授業行かなくていいのかい?」
「あ、やっば」
先輩に言われてようやく思い出したが今は体育の時間だった。この学校の体育はかなり緩いので特に問題にはなっていないだろうが、これでは完全なサボりである。
先輩もここにいて大丈夫なのだろうか。まぁ本人が問題ない風に振る舞っているし俺が気にすることではないか。
「おーい、何してんの杉本。授業始まってるぞ」
と、そこで向こうの廊下から、俺を呼びながら同級生の一人が駆け寄ってくる。流石に遅れすぎたから呼びにきたのだろうか。
「ちょっとシューズ取りに来るついでにトイレ行ってた」
「僕も荷物取りにきたんだよね」
咄嗟に嘘をついたがどうやら先生に何か言われたわけではないらしい。まぁあの緩い先生だしわざわざそんなことしないか。
一応先輩にも教室を出るよう言っておこう、そう思い教室の方を見るも何故か先輩の姿はもうなかった。いつの間にいなくなったのだろうか。
恐ろしく速い逃走、俺でも見逃しちゃうね。
本当に一瞬のうちに消えた先輩に疑問符を浮かべながらも駆け足で体育館へ戻る。先輩忍者説がまた真実味を帯びてしまった。
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