みりおん同窓会 作:ここあらいおん
なので現在と設定が違う点もあるかと思いますが、修正するの面倒なのでそのまま初投稿です。
「えー、プロデューサーさんたちだけズルいですよー」
古びた雑居ビルの一室に差し込む、暖かな色味を含みつつも眩しさを秘めた日差し。
養生テープが貼られた窓の向こう側には橙色の夕焼けが果てしなく広がっており、窓辺に立って不服そうに頬を膨らませる少女の影を長くながく、一直線に伸ばしていた。
「そう言われてなぁ、翼たちはまだ未成年なんだからダメだ」
「そうですよ。お酒は大人にならないと飲めなんですから」
2人の大人に宥められる翼は、それでも納得ができないといった様子で反抗的な視線を向けている。
そんな様子を少し離れたところから見守っていた黒い長髪の少女が、子供をあやすような優しい口調で声をかけた。
「ま、大人になるまでの我慢ね」
「––––そうだっ! ねぇ、良いこと思い付いた!」
不貞腐れる翼の隣で、桜が咲き誇る街路樹を見下ろしていた少女が突然手のひらを合わせ、乾いた音を部屋に響かせた。
まるで無邪気な子供のように屈託のない笑顔を浮かべる少女は、目を輝かせながらこう言った。
Episode1 素敵なミライ
程よく効いた暖房がどこか息苦しい空気を作る社内には、今日も至る所から黙々とキーボードを打つ音だけがこだましていた。
ふと自分の周囲の人たちを見渡すと、そこにいるのは瞳から灯りを零した大人たちばかりで、皆自分の瞳から灯りが溢れていることにも気付かずに、悲壮感に打ちひしがれた様子でディスプレイと向き合っていた。
––––息苦しいなぁ。
この会社にやってきたばかりの時は、目の前に広がる光景を見てそんなことを思っていたものの、いつしかその息苦しさにも慣れてしまった。
きっと、これが社会人として生きていくことなのだろうと、自分に言い聞かせることで、それ以上深く考える思考を放棄したのだ。
「––––春日さん、また漢字間違ってるよ」
「え? あ、はいっ、すみません! すぐ修正します」
ふと名前を呼ばれて視線を向けると、フレームのない眼鏡をかけた課長が、つい先ほどまで自分の机の上にあった資料を持ったまま、こちらを見つめていた。この狭い社内の中でも一際目立って悲壮感に溢れている課長は、眉をしかめて私だけを射抜くように不機嫌な視線を投げていた。
すぐに課長の席へ向かって書類を受け取ると、乱暴なボールペンで丸が描かれた部分を確認し、キーボードを叩く。マークされている漢字たちが修正されたことを最後にもう一度確認して、新たな資料を印刷した。
すぐにコピー機から出てきた温かな資料を持って、小走りで課長の席へと向かう。資料を受け取った課長は私の方を一瞥して、目で「戻れ」と合図した。
「……春日さんって、本当に学がないよね」
「え、えへへへ……」
背後から聞こえてきた胸をチクリと刺す課長の小言に、私は笑って誤魔化しながら自分の席へ戻る。入社当初は言われてる度に気にしていた小言も、今はもう何も私の胸には響かなくなってしまっていた。
その時だった。
「そういえばニュース見た? 天海春香の」
会社の出入り口近くで営業職の男たちが繰り広げている世間話から、“その名前”が耳に入って、自分の席へ向かっていたその足を無意識に止めた。
ゾクゾクと背筋を正すような冷や汗が刹那で全身を駆け巡った後、静かに胸の鼓動が早くなっていく。まるで自分の時間が止まったかのように思考と動作が停止すると、すぐさま脳内にフラッシュバックした映像は今となっては思い出したくもない苦い日々だった。
胸がギュッと締め付けられていく。呼吸が苦しくなって、私は思わず俯きながらスーツのシャツの胸元を掴んだ。
「結婚だろ? ずっと熱愛報道出てたから今更って感じだけど」
「いや、まぁそうなんだけどさ」
営業の男たちは器用に社用車の鍵を指で回しながら、会社を出ていく。扉の向こう側で男たちの声が聞こえなくなったのを確認して、私はゆっくりとシャツを握っていた指を解いた。
額からゆっくりと伝ってきた汗が、床に一滴だけ落ちていく。そんな私に誰1人目を向けることなく、社内には相変わらず黙々とキーボードを叩く悲壮感に支配された社会人たちの機械的な音だけが響いていた。
☆★☆★
昼休憩の時間になっても食欲が全く湧かなかった私は家から持ってきた小さな弁当箱には手をつけず、螺旋状になっている非常階段で1人、春風に当たりながら街を見下ろしていた。
今年で社会人5年目の私は25歳になる。だが情けないことに、25歳になった今もなお、私は過去のトラウマに悩まされ、胸を締め付けられ続けていた。
「……はぁ」
無意識に溢れる小さなため息も、誰の耳に届くことなく肌寒い春風によって攫われていった。
今の冴えない私にその面影は微塵も残っていないが、かつて私は「天海春香2世」と言われていた。
中学生時代、同じ学校の同級生だった最上静香に引き寄せられるように765プロで始めたアイドル活動。デビューしたての頃に、今となってはどこの誰が言い始めたのかは定かでないが、たまたま同じ事務所の先輩アイドルとして活躍していた、“あの”恐れ多き国民的アイドル・天海春香に私を重ねた人がいて、そう呼ばれるようになったのだ。
天海春香といえば今でもなお、日本国内で屈指の大人気・国民的アイドルとして名を馳せている偉大な人間だ。私が765プロに入ったばかりの頃、天海春香はまだ高校生だったが、当時からその人気は絶大でアイドルとしても1人の人間としても、非の打ちどころのない完璧な人間だった。私なんかじゃ手が届かない、そんな雲の上の存在だった。
初めはそんな偉大な先輩になぞらえて呼ばれることを私は光栄だと思っていた。それこそ、いつか天海春香に追いつき、追い越せるようにと。そんな意識で、夢中で毎日を過ごしていたはずだった。
だが次第にアイドル活動を続ける日々の中で、私は気付いてしまった。
何をしてても、どこにいても、自分のソロ曲を歌っている時でさえ、私は「春日未来」としてではなく、あくまで「天海春香2世」としてしか見られていなかったことに。
『未来にはこれから先、アイドルとして素敵な未来が待っていてほしいと思ったから、この曲をデビュー曲に選んだんだ』
照れ臭そうに頬を赤らめさせながら、当時私を担当していたプロデューサーが、私のデビュー曲となった『素敵なミライ』に込められた想いをそう語ってくれたことは今でも覚えている。
3年間実際に身を置いたアイドルの世界に、私の“素敵なミライ”なんてものは存在しなかった。あったのは地獄のように私を苦しめ続ける、“天海春香2世の呪い”だけだ。
中学3年生の夏頃、その呪いの存在が確信に変わる出来事があって、以降急速に自分のアイデンティティーは損なわれていってしまった。
楽しかったはずのアイドル活動も、嬉しかったはずの天海春香との比較も、何もかもが自分の胸を苦しめる重い鎖となってしまい徐々に精神を蝕んでいった。
そして中学卒業と同時に仲の良かった最上静香がアイドル活動を辞めることを知り、私も辞める道を選んだ。これ以上この世界にいたら最後、自分が何者なのか分からなくなってしまう気がしたからだ。
だが、普通の生活に戻ろうとした私を、心に負った深い傷は簡単には戻してくれなかった。
春日未来とは、自分とは、一体何者なのか。
そんな自問自答を繰り返す日々。
一度損なわれたアイデンティティーは、そう簡単には取り戻せなかったのだ。
偉大すぎる先輩と対比され続けたことで、知らぬ間に私は自分の存在意義や価値を見失ってしまっていた。
自分のことすら満足に把握できていないのに、他人のことを知ることなんか、ましてや深く交わることなんかできるはずがない。
次第に私は他人と関わることを恐れるようになり、人と上手に人間関係を構築できない、コミュニケーション能力が欠落した大人になってしまったのだ。
どうせ誰も私の事なんて見てくれていない。
そんな一種の諦めのような感情が、アイドルを辞めた今でもなお、腐ることなく肺の奥底にある深淵に深い根を張り続けている。
自分の表現方法を思い出せないまま、高校、短大、そして社会人と環境を何度も変えてきたものの、未だに私は「天海春香2世」という過去の重責に苦しめられていた。世間はもう私に「天海春香」になることを期待なんかしてないはずなのに、だ。
そんなこんなで自分を見失ってしまった私の存在など、まるで初めからなかったかのように、世間には次から次へと「天海春香2世」が現れた。だけど、他の「天海春香2世」たちも長くは持たず、私と同じように壊れて、アイドルの世界から消えていく。すると、また何処からか新たな「天海春香2世」が発掘されて、壊れるまで対比され続ける。決して2世が本家を超えることはないことに、誰も気付かないまま、だ。
そうやってまるで使い捨ての駒のようにコロコロと現れては消えていく「天海春香2世」たちが、更に私の傷を深く抉り続けていったのだった。
☆★☆★
午後の仕事を終えて自宅に戻ると、ふとポストの投函口に挟まった一通の封筒が目に入った。半分だけ顔を出した封筒には達筆な文字で“春日 未来 様”と書かれている。
自分宛に郵便が届くことなど滅多になく、不思議に思って手に取ると、少し色褪せた封筒の裏面に書かれていたのは、かつての旧友の名前。
『765プロダクション 最上静香』
その名前と色褪せた封筒を見て、765プロを辞めてから今日まで一度も掘り起こされることのなかった記憶の宝箱がゆっくりと開き、眠っていたある日の情景が顔を覗かせた。