評価、感想ありがとうございます。
とりあえず、出来たところまで。
雨宮吾郎は医者である。
オカルトはあまり信じていない。当たり前である。
にも関わらず休みの日や時間があるときなどに、実家の裏山にある小さな社の掃除をするのが習慣になっていた。
子供の頃から変わらない習慣。東京に進学していたときも、里帰りするたびに手入れをしていた。
信心深いわけでもない彼が、なぜ長年そんなことを続けていたのか。
一言で言ってしまえば、自身を引き取って育ててくれた祖父母の為である。
田舎という狭いコミュニティーのなかで、父親も知れず母親もいない吾郎を引き取ることは相当の負担であったことは間違いない。祖父母との確執は彼が生まれた瞬間に決定的なものになってしまっていた。
雨宮吾郎にとって不幸だったのは、幼いながらもそのことを理解できるほど聡明だったことだ。
いい子でいなければ。誰からもいい子に見られなければ。
まだ子供であった彼は、当然のように努力をした。
模範的な『自慢の孫』であろうとした。
勉学に励み、『出来のいい子』になろうとしたのだ。
そうしなければ、この世に自分の居場所などないと思ったから。
偶然見つけた半分打ち捨てられたような社の手入れを始めたのはその一環だったはずだ。
周囲の目や祖父母との確執から逃れるように、追い詰められるように始まった『習慣』は、閉じた田舎のコミュニティーには有効だったらしい。
町の大人たちからの印象は少しずつ変わっていった。
祖父母との確執を拭い切ることはできなかったが、いい方向には向かっていたはずだ。
かくして雨宮吾郎は高校を出る頃には信心深く頭の出来も素晴らしい、『自慢の孫』になったのだ。
雨宮吾郎は産婦人科医だ。
東京の医大を出たあと、宮崎の病院に勤務している。
そんな彼が今抱えている患者は、いくつか特別な事情がある。
まず少女といっていい年齢で双子を妊娠している。
子供の父親は分からず、現役のアイドル故に情報は一切漏らせない。
そしてなにより、ドルオタである彼の推しだ。
列挙するとちょっと意味がわからないくらい濃いなと吾郎は思う。
(さりなちゃんに言ったらどうなるかなぁ、信じないだろうなぁ)
今日は午前中だけ時間ができたので、習慣になっている社の掃除をしながら昔の患者を思い出していた。
親からの愛を最後まで信じていた、アイドルに憧れていた少女。
あの狭い病室が世界のすべてだった、死にゆく運命だった少女。
あの子の最後は、今でも雨宮吾郎の記憶に強烈に残っている。
あんなに信じられていた彼女の親は、結局見舞いにすら来なかった。
肌身離さず持っているキーホルダーは彼のトラウマの証であり、少女―天童寺さりな―の思いの証だった。
そんなさりなの憧れた推しのアイドルが、紛れもなく今彼が受け持っている患者―星野アイ―なのだ。
今日の半休が終われば、アイが出産を終えるまで病院に詰める予定になっている。
事情が事情なだけに特別対応を余儀なくされているが、推しの為ならそれくらい余裕なのがこの男だ。
ちゃんと産ませることもアイと約束した。
(さっさと掃除を終えて、病院に向かうとするか。)
時間は10時を過ぎたあたり。ここからなら11時前には到着するだろう。
昼は病院の食堂で食べて今後に備えることに決めた。
その時。ふと思い出した。この社を見つけた日のことを。祀られている神様について教えてもらったことを。
昔、まだ幼かったあの頃。
何をすれば自分の居場所を見つけられるのかわからなくて、毎日追い詰められながら必死にもがいていたあの頃。
きっかけはもう忘れてしまったが、逃げ出すように家から飛び出た先で荒れ放題だったこの社を見つけたあの日。
良い事をしなければ誰にも許されないような気がして、一心不乱に境内の雑草をむしっていた哀れな少年に、通りかかったらしい女の人が教えてくれたこの社のこと。
「君はこの社に祀られているカミサマのことを知ってるかい?」
幼い頃の記憶。
曖昧な記憶はその人の年格好すらハッキリしない。
たが女性であることと、自分に母がいればこんな感じなのかなと漫然と思ったことは覚えている。
「ここに祀られているのは芸能の神様。いくつもある分社のうちの一つだよ。ご利益はあるだろうからキレイにしてくれると嬉しいかな?」
熱に浮かされたようにボーっとしながら頷いたはずだ。
気がついたら誰もいなかった。
沈みかけた夕日の中で、草にまみれたまま一人境内に立ち尽くしていた。
子供の頭では整理しきれないまま、とぼとぼと社を後にした。
社は意外なほど家から近くにあり、すぐ裏の山の中腹にあったことに驚いた記憶がある。見つけたときは家から遠い場所だと思ったが子供の感覚などそんなものだろう。
その日から裏山の社の手入れは雨宮吾郎の習慣になった。
(そうだ、芸能の神様だったはずだ)
星野アイはアイドルだ。それも完全無欠の。
であれば、これほど頼める神様もいないだろう。
(無事に彼女が……星野アイが…家族と帰れますように。子どもたちを愛せますように)
作法も何もなくなんとなく手を合わせて、しかし心から祈った。
雨宮吾郎は医者である。
オカルトはあまり信じていない。神頼みなど本来はしない。
気まぐれだった。
だから運命が変わったのだとしたら、この偶然がきっかけなんだろう。
数日後の夜だった。
雲が出ていて、風は強いが雨は降っていない。そんな空模様。
雨宮吾郎は分娩室に向かっていた。
アイが産気付いたのだ。
まだ体が成長しきっていない弱年齢者の出産だったが、定期検査では母子ともに順調そのものだったので自然分娩による出産の予定だった。
可能性として遷延分娩になってしまえば帝王切開に切り替えることも視野に入れていたが、アイの仕事上傷跡が残る処置は可能な限り避けるよう斎藤壱護から頼まれていた。
お産自体は順調で、時間にして3時間ほど経った頃だ。
結論から言って、双子のうち妹は無事に産まれた。元気に泣き声をあげ、母であるアイの腕に抱かれている。
ただ先に取り上げられた兄は産声を上げなかった。
心臓が動いていない。雨宮吾郎は急ぎ処置をする。
直前の検査では母子ともに問題はなかったはずだ。
新生児の死産。
経験がないわけではない。だが今回のケースは予想外だった。
子宮外の生存能力を獲得しているのは間違いない。事実、先に取り上げた兄は生まれた瞬間は生きていた。
なのに、母体から切り離された瞬間に心臓が停止してしまった。
(新生児仮死、まだ助けられる!)
皮膚の羊水を拭い体温を保持し、気道を確保して呼吸刺激を行う。人工呼吸と並行して胸骨圧迫をして気道挿管の準備を指示した。
雨宮吾郎は優秀だった。
しかし、心臓は動かない。
ほとんどの場合で新生児の仮死状態は蘇生可能だ。雨宮吾郎の処置に落ち度はない。
それでも心臓は動かない。
雨宮吾郎は優秀だった。
静脈注射を行い循環血液量を増量させる。
それでも心臓は動かない。
雨宮吾郎は優秀だった。
処置を続ける。間に合うはずだが、何をやっても蘇生できない。まるで反応が帰ってこない。
雨宮吾郎は優秀だった。
最悪が頭を過るのは仕方がないことだ。故に冷静になろうとして、周囲の状況を確認した。してしまった。
そして目があった。
「………しんじゃったの…………?」
思わず動きを止めてしまった。
そこにいたのは嘘で完全に塗り固めた偶像の少女ではなかった。
そこにいたのはようやく見つけられたかもしれない愛を失ってしまった母親だった。
「………………」
彼女は声をださなかった。涙は流れていたがその瞳にいつもの光はなかった。
「っ…………!!」
心停止からは10分近く経過していた。
彼女の顔は無表情だったが、徐々に歪んでいく。
「ぁぁぁぁぁぁぁぁ…………っ!……わたしの……わたしの……っっ!」
ダムが決壊したかのような感情の爆発。嗚咽を漏らし目を見開いて泣き叫ぶ少女の瞳は暗く光っているように見えた。
(……誓ったのに………約束したのに……………)
雨宮吾郎は祈るように処置を続ける。罪悪感から、彼女の顔をそれ以上見れなかった。
(………僕の力不足だ…………すまな―)
産声が2つになった。
「えっ!」
「っっ…あああ!わたしのわたしのあかちゃん!!!あああ……っっ!」
蘇生した。それどころか元気に泣き声を上げている。我が子を求め手を伸ばす母親に慎重に看護師が男の子を預けた。
「っっありがとうっっ!!…センセー……っっありがとう、わた、わたしのあかちゃん……っ!ぁぁぁぁっ!」
奇跡と言ってもいいだろう。なにせ雨宮吾郎は駄目かもしれないと思ってしまった。救えなかったと、約束を守れなかったと思ってしまった。
だが蘇生した。兆候もなく突然。
雨宮五郎は医者である。
オカルトはあまり信じていない。
それでも今日は。今だけは。いるかもわからない神に感謝した。
もしそんな存在がいるのなら、この出来事に関係ないわけがないと思ってしまったのだ。
なんとなくあの社のことと、教えてくれた女の人のことを思い出した。
あの奇跡のような日から数日。
星野アイは病室のベッドに腰掛けながら隣で眠る二人の子どもたちを見つめていた。
胸に湧き出るのは暖かく安心するような、目が離せなくなるような不思議な感覚。幸せとも少し違う、けど幸せとも感じている。正体不明な感覚。
妹の瑠美衣―ルビー―は吾郎によれば健康そのもので順調であると、なぜかルビーにへばりつかれながら困った顔をして教えてくれた。
兄の愛久愛海―アクアマリン―はまだ様子を見る必要はあるが健康体だと、ずっとルビーにへばりつかれたまま不思議な顔をして教えてくれた。
(センセが言ってた……なんでこの子が……アクアが助かったのかよくわからないって)
そうなのだ。吾郎が必死に処置をしていたのは間違いない。
テキパキ動いて救おうとしている姿を、アイは疲れた頭と体でルビーを抱きしめながら見ていた。
しばらくそれは続いていた。
じわじわ恐怖が何かを剥がしていくような感覚がした。背筋が寒くなるより先に、何かが壊れるような気がした。
怖くて。怖くて。見ることしかできなかった。処置の合間で顔を上げた吾郎と目があった。
その時アイは気がついたのだ。
―センセがだめかもしれないって思ってる。嘘ついてる―
誰かが聞いた。アクアは手遅れなのかと。聞いたのはアイ自身だったかもしれない。
それを聞いた吾郎の反応は―
(思い出したくない……)
アイにはわかってしまった。自分は失ったのだと。
あのときの喪失感は、恐怖は。
母が施設に迎えに来なかったときの絶望など及びもしない暗い感情が、アイから根こそぎ何かを破壊し尽くした。
死ぬよりつらいことはこんな簡単に経験できるのだと、うまく働かない頭で考えていた。
感情が抑えられない。
嘘がつけない。
怖い。辛い。
腕に抱いたルビーだけは失うまいと抱きしめた。それでも喪失感はなくならなかった。
―あぁ………なんでわたしからかぞくをうばうの…?―
アイは愛がよくわからない。ただ、この世に神のような存在がいるとしたら、自分はそれには愛されていないのだと思った。
その直後だ。
アクアが産声を上げたのは。
結果を見れば、雨宮吾郎の懸命な処置により蘇生に成功したということだろう。
(嬉しかった。生きてたって。今思い出しても泣きそうになるくらい。………こうして何事もなく眠っているのを見られるのがこんなに幸せだなんて)
無意識に頬が緩む。
(ふたりとも何事もなくてよかった)
もう、それしか考えられない。
コンコンッ
控えめにノックがされた。
ゆっくり扉を開け、中の様子を伺うように顔を出したのは担当医の雨宮吾郎だった。
「や。調子はどうだい?」
「ん……二人ともよく寝てる。疲れたのかな?」
「それは何よりだね」
そう言いながら、大きな音を立てないようにそのままベットに近づくと子どもたちの様子を慣れた手付きで確認し、安心したように傍らの椅子に腰掛けた。
「一時はどうなるかと思ったけど、母子ともに健康で良かった。ほんとに」
吾郎は少し疲れた様子で天を仰ぎ、白衣のポケットからお茶のペットボトルを出して一口飲んだ。
「…………なにか悩んでる?」
「――驚いた。わたし、そんなに顔に出てる?」
「何となくね。悩んでる内容も何となく分かるよ」
「――っ」
アイは、二度目は返事が返せなかった。
「君の心に湧いてるその暖かいような不安のような、けれども幸せに感じているそれ。なんなのかわかるかい?」
不思議な感覚としか形容できていなかった、漠然とした感覚をかなりの精度で言葉にされてアイは三度目の驚きを感じた。
吾郎は少し笑いながら、けれどもしょうがないなぁという呆れの表情ものぞかせながら続ける。
「僕はそれなりにこの仕事長いからね。産後のケアは結構やってきたんだ。二人を見てるとそういう気持ちになるんだろ?」
「うん………。センセ、私ね……前に言ったかもしれないけど、愛がよくわからないんだ」
吾郎は何も言わず、優しい眼差しで続きを待っている。
「……お母さんは私を迎えに来なかった。」
そこから語られたのは星野アイが愛を求めて苦しんだ半生。
嘘を本当にするために努力を重ね、愛を叫ぶようになった少女の話。
母親に育児放棄をされた彼女は愛がなんなのか、存在するのかすらわかっていない。
子供を産んだのは自分の家族なら心から愛せると、嘘ではない本当の愛を理解できると思ったから。
アイの過去を聞きながら雨宮吾郎は昔の患者を思い出していた。
かつて研修医時代に受け持った、アイと同じく愛を知らない女の子。愛を求めながらついに手に入れられなかった天童寺さりなのことを。
(さりなちゃん…本当のアイは君に少し似ている)
「わたしは、この子達に愛してるって言うのが怖い。もし自分の言葉に嘘があったとしたら、今わたしのなかにあるこの感覚が愛じゃなかったら…………わたしはもう………」
「…………僕はね、母親のことを知らないんだ」
「……え?」
血を吐くような思いで自分の中の臆病な部分を語った彼女に、吾郎は自身のことを語り出した。
「母は僕を産んだ時に亡くなったんだそうだ。父のことは誰にも告げずに」
お茶を一口飲む。
「だから祖父母に育てられた。母親がどんな存在なのか、僕は想像でしか知らない。
母がどんな気持ちで僕を産むことを決めたのかも、どんな人を愛して僕ができたのかも、どんな声で喋るのかも知らない」
「…………」
「だから子供の頃はよく想像したよ。勉強を頑張ったらどんなふうに褒めてくれるのかな?とか、風邪を引いたら心配してくれるのかな?とかね」
お茶はほとんど残っていないが飲みきらずにペットボトルを握り直した。
「僕が何をしていても、想像上の母は優しく見守ってくれていた。………その表情はこの子達の寝顔を見ている時の君によく似ているよ」
アイは言葉を一つずつ自分に浸透させるように、吾郎の話を聞いている。なにかに気づけそうな、そんな気がしていた。
「いいかい、よく覚えておいて。この子達に何かあったとき、泣いて悲しむ人はたくさんいる。君だけじゃない。
……けどこの子達に何もないことが、泣くほど幸せなのはこの世で唯一人。母親である君だけだ」
若干の気恥ずかしさもあり、誤魔化すように残りのお茶を飲みきった。
「………さて、僕はそろそろ仕事に戻るよ。焦ることはないよ、本当に。君たちは親子になったばかりだ。戸惑うのもわからないのも当然さ。時間はたくさんある。君なりのやりかたで、少しずつでいいからその感情を消化してあげて。
君が抱えるその感覚が確かに愛であることを、僕も願ってる」
そういいながら椅子から立ち上がると、来た時のようにゆっくりと部屋から出ていこうとする。
アイは反射的に呼び止めた。
「ゴローセンセ………ありがとう、わたしを母親にしてくれて……」
「いいんだよ、お礼なんて。それが僕の仕事だし―」
吾郎は振り返りながら、少し照れた顔をしてネームプレートの裏側にいつも入れてあるキーホルダーを見せた。
「―これは預かりものだけど、君は僕の推しだから」
見せつけるように持ってるキーホルダーにはしっかりと、『アイ無限恒久永遠推し!!!』と書いてあった。
「名前、覚えてくれてありがとう。認知はファンにとって最高の名誉だ」
そう言って、イタズラが成功した悪ガキのようなどこか憎めない笑顔を浮かべながら、恥ずかしそうに部屋から出ていった。
一人になった部屋で、アイは子どもたちを見つめていた。まだ少し怖いが溢れるようなこの気持ちは、きっとそうなのだろう。
「……アクア、ルビー………」
やはりまだ怖い。ゴローセンセもいっていた。時間をかけてちゃんと向き合おう。この感情に確信はあるがまだ勇気が持てない。
そう遠くない未来、彼女は知るだろう。
愛とは振りまくものでも探すものでもない。
湧き上がり、溢れ出し、気がつくものだということに。
一回誰か死なないと愛がわからないなんて厄介すぎません?
次話は神様が頑張ってた話(予定)
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