簪の聞きたい事とは何だ。
この状況で聞きたい事とは何だ。
いやそもそも簪が静穂に聞きたい事があり、半ば待ち構えていたこと自体初めてだった。
ここ一週間で二人の生活スタイルはおおよそ固まっており、静穂は夕食が終わってもあまり部屋に戻って来ず、その間に簪がシャワーを済ませてしまっている。
二人が部屋にいるときも互いに我関せず。簪は日付が変わってもパソコン作業をやめないが静穂はそのまま眠る。つい先日まで続いた激辛授業で疲れきっていたのもあるが。
同室に居ながらすれ違いそれでいて噛み合ったような生活を続けていた二人が交わした会話など以前の髪梳きしかない。
そんな間柄での質問とは、
(バレたか)
冷や汗が出ている。喉も乾く。350ml缶でウーロン茶を飲んだばかりだというのに。
心当たりはない。だが無意識下ではどうか。
例えば寝ている時。夜の何時まで簪が作業しているかなどは先に寝ている静穂に分かり様がない。その間につい簪が男性特有の生理現象を目の当たりにしてしまってもおかしくはない。
さらに懸念材料がある。静穂の精神状態だ。
これまでの静穂の精神状態は病気の一言。病的ではない、病気だ。
精神を病んでいた間、静穂の記憶は曖昧だ。思い出すのは参考書の内容しかない。
もしも夢遊病に近い症状だった静穂が簪に襲いかかっていたら。最悪、手籠めにでもしていたら。
(さすがにないと思いたい、でも否定できるかといったら……)
実際ない。あれば逮捕されている。
「静穂……? 平気……?」
静穂が思考から戻ってくる。「あぁ、うん。ちょっとびっくりしただけ」
「びっくり?」
「もう大丈夫。聞きたい事って何?」
「えと」
簪はどう切り出したものかとオロオロしている。静穂としてはその仕草は少し食傷気味だ。
今日だけで3回か4回はこの手合と対面している。最近の女子は相手に意図というか心情を酌ませるのが流行りなのか。
やはり疚しい内容なのか。静穂が寝ている間に盛り上がったそれを見てしまったのか。
「すごい失礼だって、分かってはいるんだけど」
「別に気にしないよ」
(失礼って何!?)
脈が耳元で聞こえている。かなり早い。
覚悟はどうするか、まず何に対しての覚悟か。
(今は聞き届ける覚悟! それしかない!)
「今日の試合で使ったプログラムとかある!?」
崩れ落ちた。
つまり、
「他人の血と汗の結晶かもしれない物においそれと触れるのは気が引ける、と」
簪は頷いた。
早とちりで墓穴を掘る所だった。結果は自分がズッコケ芸を習得するに留まったのだが。
「どうかした?」
「いや、寝てる間に寝相とかいびきで迷惑かけてたのかと思ったから」と誤魔化す。
「別に静かだけど。でも明かりも点けて私のキーボードでうるさいのによく眠れるなーとは思った」
「まあこういうのは慣れだから」
「中学校も寮だったとか?」
「寮ではないけどそんな感じ」
まだ正体は無事なようで静穂は安心する。同時に危機感も覚えたが。
プログラム一つでここまで悩む彼女に、もしも静穂が男と知れたらどうなるか。
卒倒で済めば御の字だろう。最悪トラウマでも植え付けかねない。
一層気を引き締める必要がある。大事なルームメイトの機嫌を損ねては今後の生活に支障が出る。
静穂は鍵付きの引出を開けて中を探る。10歳の時に買った今でも愛用のエアガン、護身用に携帯しているフラッシュバン内蔵型コンパクトの予備などがそれぞれ半透明のケースに収まり整然と引出を埋めていた。
その中から縦に収まったケースを取り出す。薄い。フラットな形状のそれを静穂は開けた。
中にはタブレット端末と記録チップが数枚。
端末を起動させてチップを差し込む。軽いタッチで操作を行い、今度は引き抜く。
「はいどうぞ」
「お借りします」
簪は丁寧にそれを受け取るとすぐに自分のパソコンに読み込ませにらみ合う。
その真剣な眼差しを確認すると静穂はシャワーを浴びる準備を始めた。
風呂上り後のあれこれを済ませてみれば、簪がいない。
IS学園の寮にも消灯時刻はあるにはある。だがそれは廊下や談話室などの共用部分のみで、自室にまでその束縛はない。多種多様な文化・国籍が集うのだからという寛容さだ。勿論外出は禁じられるが。
まだその時間ではないが余裕はあまりない。その証拠に寮長の織斑先生が見回っているのだ。タイミングよく廊下に出た静穂の目の前に。
「どうした汀。自販機なら夜中も動いているぞ。あまり褒められた行動ではないがな」
「同室の更識さんが帰って来ないんですよ」
更識が? と織斑先生は少し唸った。
「とうとう消灯前に出て行ったか」
どうやら常習犯らしい。
「丁度いい。汀、お前が連れて帰れ」
「わたしですか」
「同室の人間が心配していれば多少は変わるだろう。今は余裕もある様だしな」
遠回しに静穂の責任だと言ってくる。
(回りくどい)
「普段は整備室だ。では行け」
出席簿が頭上に上がるを見るや静穂は飛び出した。
寮を出て気付く。
「整備室ってどこの?」
IS学園に整備室が幾つあると思っているのかあの先生は。
(深く聞かない方も悪いけど……)
これも織斑先生の罰の一環なのだろうかと愚痴りながら、静穂はローラー作戦を決行した。
……アタリをつけた一発目で発見した。
背中合わせに駐機されたラファールの列が数本。その一角に不自然な明かりが灯っていた。ノートPCのバックライトだ。簪が照らされながらそこにいた。
(あれって)
静穂が試合に使ったラファールだろうか。練習機のカラーリングは皆同じだが、所々に番号が振ってありペイントされている。
確か静穂が割り振られた番号と一致する。
(なんでまた実機に用があるんだろう?)
プログラムだけでは不足だったのだろうか。だが訓練用の機体は使用後に改めて
「簪ちゃん」
声を掛ける。反応はない。今度はもっと大きく。ぴくりともしない。
「えぇ…………」
どうしろと。
完全に自分の世界、というか集中し過ぎてしまっている。
試しに背中か肩でも叩いてみるかとも思ったが、PCの画面はほぼひっきりなしに羅列を吐き出している。もし声を掛けて間接的に誤作動でも起せばISに何が起きるか。最悪誤作動で怪我しかねない。静穂も知識だけはセシリア師匠のお蔭で豊富だが、整備面では比較的弱い。触らぬISに事故はない。
(待つしかないよね……)
静穂は長丁場を悲観した。
目がしぱしぱする。まだ飛蚊症などは罹患していないが、目薬を忘れないようにしている。
簪は眼鏡を上にずらして目薬を点す。染み込む痛みで少し震えた。
ノートPCは時刻を6時前と表示していた。午後ではなく午前。
道理で作業が順調だと思った。いつもなら織斑先生から出席簿を受けて中断させられている筈だ。
(……織斑)
その単語で簪は少し虫の居所が悪くなった。直接の関係はないが、それでも思うところはある。
ところで今回はどうしたのか。
その答えはその辺に転がっていた。
「っ!?」
近くのラファール、その脚部装甲に体重を預け、アクション映画で腹に銃弾を浴び迫りくる自身の結末を受け入れた男の最期、のような恰好で静穂が眠っていた。
一瞬、本当に死体なのかと思った簪だが、静かに胸が上下しているのを見て安堵した。
世界随一の価格を誇るベッドで寝息を立てる静穂のさらに近くには清涼飲料水が2本。どちらも栄養ドリンク系列で、結露の様子から随分前に買われたものだろう。
織斑先生の代わりに静穂が来ていたらしい。無視してしまったようだ。
(心配させちゃったかな……)
ついこの前までと立場が逆転している。人の振り見て我が振り直せというが自分はここまで静穂を心配しただろうか。
時間も時間なので起こしてしまおう。肩を叩くと少し震えた後に目を覚ました。
「おはよう……」
「おはよう。どう? 役にたった?」
「うん。だいぶ」
「私のISは未完成なの」
簪は独白する。歩きながら聞く静穂は頷きもせず簪に顔を向ける。
「私が代表候補生になった時にこの子は作られ始めた。でも織斑 一夏が現れて、企業はあっちの専用機を優先した」
本当なら。
「今頃は私が飛んでいた」
「……………………」
「でもちょうどいいとも思った。私も自分ひとりの力で完成させればお姉ちゃんに張り合えるとも思ったから」
更識楯無。IS学園生徒会長。簪の姉。
「あの二人に負けたくない」
「そっか……」静穂が口を開く。「まあ何かあったらまた言って」
「うん、そうする」
たったそれだけ。他には何もない。
手伝おうかとも言わず、静穂はただ簪を肯定した。
自分でも伝えきれていないとは思う。それでも彼女は理解しようとしてくれるのは分かって、
今回のように、
(ちょっと助けてもらうくらいならいいかな)
と思っていると、
「なにをやっていた、莫迦者共」
ゴルフボールを打ち抜くような音がして静穂が頭から突っ伏した。
「静穂!?」
「何時だと思っている」
いつの間にか後ろには織斑先生が立っていて。
「更識。また徹夜するようなら覚悟はしておけ」
それと、
「汀は責任をもって運べよ」
……意識を失くした人間はかなり重いものだと簪は身に染みて理解した。
ようやくあらすじを変更しました。
中二っぽいけどいいですよね。