……何度目になるか分からない地下駐車場を、とにかく走る。
その先の角を曲がって、壁のパネルを探し、中から自分を掬い上げる。
何度も繰り返した一連の所作。
だが今回は先客がいた。
角を曲がったら目視した。
駐車場の中心に、エプロンドレスだろうか、以前にどこかで見たような衣装を身にまとう女性。
つい、足を止めてしまった。彼女の声が聞こえてくる。歌声に通じる耳通りだ。
「試してあげよう」
何を? と聞こうとして声が出ない。夢ではふつうの事だった。
「オマエは、この世界、楽しい?」
……思わず一歩踏み出した。なぜそうしたのかは分からない。
彼女の質問に腹を立てた訳でもない。先にいる自分に向かおうとしたのかも不明。
ただ一歩踏み出して、
――その脚が膝から割れた――
倒れる身体を支えようとした腕もまた然り。ひびが入るより先に砕けた。
スローモーションで落ちていく視界に彼女の足元が見える。
「またね石ころ」
頭が砕けた。
「静穂さん!」
「シズ! 平気!?」
(何度目の天井だろうね、これ)
そのうちシミの数も暗記できそうな医務室の天井を見て、身体を起こす。目を開いた途端に清涼感が澄み渡る頭は、少し興奮気味な保健の先生に注目する。候補生二人組は少し涙目。
「おはよう」
「おはよう、じゃありませんわ!」
「アンタも人の事言えないでしょ」
「なんですって!?」
「アンタの毒物平らげたからコイツは死にかけたのよ!?」
途端にセシリアが意気消沈。
「別に死んでないよ?」
途端に二人に抱きしめられた。
「シズ、もういい、もういいから」
「もう十分ですから、これ以上はもう……」
「? ?」
何があったのだろうか。
保健の先生は興奮した様子で説明してくれた。
調理場の一部を借り、静穂たち三人は料理教室を開いたと言う。
その時に、まずはセシリアの腕前を見てみようと独りで作らせたらしい。
事の発端は昨日、一夏に手料理を振舞うというイベントから。箒、鈴、そしてセシリアは思い思いに料理を作った。
箒はから揚げメインの弁当。鈴は唯一作れる酢豚。静穂はパイナップルありでもなしでも美味しく頂きます。
セシリアはサンドイッチ。これが問題だった。
一夏は気合を入れたのだろう一つ完食したが、興味を持った他の面々は撃沈した。
結果、セシリア一人の惨敗だったのである。
だから今朝の鈴は機嫌が良かったのかと静穂は納得。
しばらくしてセシリアが持ってきたのはミネストローネに見える何か。
そう、
静穂は一口すすり、直後一気に平らげ、倒れたらしい。
何故毒と分かっていながら飲み干したのかは当人でも分からない。ほんとうに、何故か。
(その場のノリだったのかな?)
お調子者ではないと自分では思っているが。
周囲は毒物の拡散を防ぐため身を挺したと判断されているようだがその瞬間だけは美味だったのは覚えている。
そして現在、何故か興奮している保健の先生を目の前に。
「……なんで興奮して」
「よくぞ聞いてくれました!」
言葉を食って先生が乗り出して来る。ここまで来ると怖い。
「汀さんの胃を洗浄した後、容器に残っていたスープの組成を調べたの」
確かに毒物が外から混入された可能性もあるだろう。天下のIS学園、スパイ行為や暗殺などとは切っても切れないのかもしれない。
「調味料も調べたけれどその辺は問題なし。毒は汀さんの胃と調理鍋からしか検出されなかった」
セシリアはいつの間にか毒料理を作成していたらしい。
(何? 評価が高くなって売値も上がるの?)
「でも私が驚いているのはそこじゃない。彼女の作った毒は今現在、地球上のどこにも存在しない代物だったの」そしてこっそりと、「ISと同化していなければ絶命待ったなしだったかもしれない」
「すいませんどういう意味か分かりません」
保健の先生は落ち着こうとして深呼吸。のちに続けた。
「薬ってどうやって作ると思う? 実は薬の作り方の一つにまず毒から作る手法があるの。ううん、むしろ最初に毒ありきでその症状を討ち滅ぼすために薬は開発されるといっても過言じゃない!」
「先生落ち着いてない! 全然落ち着いてない!」
「話を聞く限りこの毒は無味無臭、即効性、細胞質破壊、さらに行動誘発の可能性も秘めている! 素晴らしい! うまくすればペニシリン並の大発見よ!!」
『そこまで!?』
「さあオルコットさんキリキリ吐きなさい! どうやって作ったの!? 貴女の発明で歴史が変わるわ!」
「わたくしの失態が後世に残るなんてお断りいたします!」
「何言ってんの歴史よセシリア!? 御家再興も楽勝じゃない!」
「こんな手段は御免被りますしまず没落しておりませんわ!」
女性陣三名に姦しくおいていかれ寂しい。
やいのやいのと騒ぐ他所で静穂は思い返す。
それは保健の先生の一言。
――胃を洗浄――
(なるほど、それで――)
「お腹すいた」
『!?』
「じゃあ失礼します」
楽しそうな三人を放っておいて静穂は医務室を後にする。
元は料理を作るという話だったのだから、久し振りに作りたい気分だった。……心なしか胃も痛いし。
エプロンを着用、セシリアが使用したスペースは黄色と黒のテープで侵入不可。おぞましい空気が漂っているように見えるのは気のせいだろうか。
(まあいいけど)
ラビットの腕部分だけを解除し、手を洗う。とりあえず使っていい食材を見繕っていると、例の二人が飛び込んできた。
「静穂さん!? 今日はもう結構ですからお休みになって!」
「でも胃の中空っぽだし」
「あれだけの事があってよく食欲湧くわね……」
また涙目のセシリアと呆れ顔の鈴。その後にはなぜか保健の先生。
「先生はなんでですか」
「私もお腹すいたし。一応洗浄はしたけどやさしいものにしときなさい?」
一応は心配してくれるらしい。だが前者が主目的だ絶対。
(やさしいもの……おかゆ?)
今の静穂はがっつりの気分。
レパートリーと呼ぶには大分遠い脳内からいくつか選び出し、後片付けの面も含めて決定する。
(面倒だから、鍋)
方向性を決めてしまえばそれからは早い。
まずしっかりと野菜類を洗い、大根に手を掛ける。
髭のような先端部分は泣く泣く切り捨て、皮ごとすりおろす。皮ごとなのはひとえに桂剥きも面倒だしピーラーも後で洗うのが面倒だし。
「うっわ早っ」
「手馴れていますわね……」
外野は放っておいて丸々一本分の大根おろしをそのまま鍋にいれ火に掛ける。火の存在を忘れても被害は少ないように弱火。
「水は入れませんの?」
「大根の水分を使うんじゃない?」
煮立つまでに具の方に着手。
(大根の葉と、あと胃にやさしいもの……噛みごたえはない方がいい?)
変に考えて失敗というのはセシリアの二の舞だ。やはり以前のとおりに作りたい。
大根の葉と一緒に白菜を切っていく。一口大、カードくらいの大きさで。
(肉も食べたい)
だがあまり噛まないで食べてしまいそうだ。それほど静穂は空腹だった。
目にとまったのは豚肉と鶏肉。鶏肉は皮を剥ぎ挽き肉製造機に入れていく。
(全自動だこれ。おいくら万円? これ)
機械が勝手に合挽き肉を作成してくれているのでその間に彩りを添える。ただ何となくというだけで意味はない。
人参を縦に置き削るように皮を剥く。流石に人参は皮を剥かないと固そうだ。
「とことんピーラーも使わないつもりね……」
「ピーラーって何ですの?」
「誰でも簡単に野菜の皮が剥けるのよ」
「大発明ですのね。ではなぜ静穂さんは使わないのでしょう?」
「料理人としての意地とかかしら?」
洗い物は少ない方がいいからです。
人参は薄めに輪切り。野菜はもういいだろうと、すべて鍋に放り込む。
鳥の皮は塩を振って揉み込み短冊状に切り、丸めて爪楊枝で刺し、野菜と同じく放り込んだ。
気分に任せ軽くかき混ぜて蓋を下ろし機械から合挽き肉を受け取る。
(あー、臭みとか出るんだっけ?)
料理の本など読んだ事はない。だが自分ひとりだけならともかく、他人に出すとなると気にしなくてはならないだろう。
下味なども考えた事もないが、挽き肉はもっとキメ細かくてもいいかなと思ったので丁度いい。
ビニール手袋を嵌め合挽き肉を更に潰すようにかき回す。
「何故手袋を?」
「野菜を触ってたから一応でしょ?」
「手を洗うのが面倒だからとか」
先生が正解。手を洗うのが面倒だから。
潰して混ぜて合間に塩とコショウと生卵。ネギトロを彷彿とされる頃合いで鍋の火力を強め、かき混ぜていた挽き肉を指で絞るように成形し落としていく。100面ダイス……は大きすぎるのでそれよりは小さく。みぞれに落ちた肉団子がみるみる色を変える。
(後は待つだけ)
蓋を戻す。その間に使った調理器具を洗いに入る。
「え、終わり、ですの?」
「みたいね」
「……うちのキッチンも掃除してくれない?」
(聞こえない聞こえない)
当初の人数に一人足して、料理教室は予定の航路に戻ってきた。まあ作った静穂本人が今更の後悔をしている訳だが。
(投げやりすぎたかな?)
今回の料理を選んだのもすべて作業の簡略化が根本に立っている。見た目は肉団子のみぞれ鍋だが、水を測るのも面倒だし皮を剥くのも嫌だったし肉団子もあまり噛むのが面倒だったからだ。ここまでやるなら真面目にやった方が早い気もする。
(第一、人に出せる腕前じゃあないし)
本当に今更だった。
静穂が人数分を取り分けるとほぼ同時、
「頂きます!」
「鈴さん!?」
「早ぁ!?」
ちょっとマナーが悪いが気にする必要もない間柄か、真っ先に鈴が食いついた。
「お鈴、早いよ?」
「いいじゃない別に。ちょっと味薄すぎよ?」
「だから早いって。はいポン酢。それとも塩?」
「両方!」
「塩分摂りすぎは気を付けてね……?」
一応肉団子にも塩は使っている。
「なんといいますか」
「師匠?」
「冬にいただきたい味ですわね……」
塩を振っていた彼女はスプーンで肉団子を持ち上げて眺めている。そんなに珍しいのだろうか。
「もちろん今も素敵ですけれど。こんな簡単に作ってしまえる程の腕前とは驚きですわ」
「極力手抜きだけどね」
「いえ、食す相手の事を考えたメニューを考えられるのは素晴らしい事だと思いますわ」
褒められているのに胸が痛いのは気のせいだろうか。その相手とやらが自分だからか。
「それにこのスープ、どこか懐かしく感じるのはきっと気のせいではないのでしょうね」
なんだろうかそれは。
静穂ば首を傾げているとセシリアは手で目線を誘導した。
その先では保健の先生が電話していたり鈴が勝手に鍋の中身を配っていたり一口は食したであろう女子複数人が涙を流していたり。
「なんで泣いてるの!? というかいつの間に!?」
「近くで覗いてたから誘ってみたわ。料理で泣かすなんてなかなかできないわよ?」
全く悪びれる様子のない鈴。自分のした事が分かっていない。
「お鈴」
「何?」
「わたしの分、ないんだけど」
「なんか、お父さん思い出した」
「ごめんね、パパ、ごめんね、ごめんね……」
「ああ母さん? 父さんいる? 畑? ううん大丈夫。ちょっと声聞きたくなっただけ。仕事は順調。うん。顔見たくなったから今度の休みに帰るわ。お見合い? 父さん泣くからパス。……うん、そうかも」
「…………てへ」
(かわいいけどてへ、で済ませないで!)
何のために作ったのか、誰の為に作ったのか。半分はセシリア等の他者の為だがもう半分は自分の為で。空腹がもう我慢の限界でもあった。もう作る気も起きない。
(……購買行こう。ヤケ食いしよう)
パンから菓子から買い漁ろう。商品入れ替えを余儀なくさせよう。すべて鈴が悪い。お腹すいた。
……だがそうはいかず。
「汀ちゃん、ちょっといい?」
「? はい?」
呼び止められて振り向いた。相手は年上、食堂のおばちゃん。
「実はね、あんたのお友達が買い取った食材、賞味期限が今日までだったのよ」
「……へ?」
「それに冷蔵庫も壊れちゃって今日中に食材使い切る必要があるのよ」
「はあ」
「本当なら私たちで何とかしたいんだけれど、みんな銀婚式だったり法事だったりで今日に限って人手が足りないのよ」
「そう、ですか……?」
「こっちの手違いで本当にごめんねえ。私たちも手伝うしお金も返すから、もっと大人数向けで作ってくれない?」
なんだか琴線に触れる美味しさみたいだし、とおばちゃんは年相応の可愛さを振りまいてくる。
「なんで? …………わたしのごはんは?」
……クラスの友人からメールが届いた。
――食堂で面白い事やってる――
うちのクラス、4組は基本、他人に干渉する事がない。
他人に興味がない集まりと言う人もいるが、私は個人主義だと思っている。
静穂とよく見たアニメでもそれっぽい事を言っていた。個人プレーがどうこう。
まあ余程重要な事があればこうしてメールや電話が来るから繋がりはある。この距離感が私は好きだ。普段は気にしなくていいから。
面白い事に興味が湧いて、私は食堂へ向かった。
「どうしてISで玉ねぎを切らないといけないんですの!?」
「目もしみないし手も切らない! ビニール手袋で衛生面もバッチリだからでしょ!? 静穂! トマトはどうすんの!?」
「なんで一々わたしに聞くかな!? スライスして水気を切ってハムとレタスと一緒にサンドイッチ!」
「味は!?」
「塩!!」
「汀さん! ちょっと味見て!」
「そんな暇はない! 味のもとをスティック2本!」
「コンソメは入れる!?」
「使った事ないから入れない!」
「汀先生!」
「先生!?」
「肉の下ごしらえはどうしましょうか!?」
「なにがどれだけ残ってる!?」
「牛340豚178鳥249です!」
「……単位は?」
「キログラムです!」
「やっぱり!? ――――とりあえず肉たたきで柔らかくして塩コショウ! お鈴! 今空いてる!?」
「包丁二刀流でキャベツ切ってるわよ! 何!?」
「衝撃砲で肉叩いて柔らかくして! その後酢豚班と合流お願い! ごめんなさい貴女キャベツ交代して!」
「分かりました!」
「静穂っち!」
「今度は何!?」
「使用許可が出た! 打鉄1、ラファール1、メイルシュトローム3、テンペスタ2! 整備科の先輩達が衛生処理作業中!」
「そんなの頼んでないよ!?」
「私が頼んだ!」
「何故!? 準備出来次第パイロットごと連れて来て! 料理できなくても切るかかき回すか配膳で手伝ってもらうから!」
「静穂! 手伝うぞ!」
「一夏くん!? じゃあ配膳に回って!」
「シズ!? 一夏は料理できるのよ!?」
「他の人が作業しなくなる! 一夏くんが表にいるなら行列も捌ける! 一夏くん! オーダー聞いて席に案内してテーブル綺麗にして! IS使って本当に飛び回って!」
「任せろ!」
「みぎー! せっしーを止めて~!」
「何事!?」
「ふよふよ飛ぶのでコンロの代わりにするとか言ってる~!」
「ティアーズで!?」
「コンロが足りないのならISで代用すればいいのですわ!」
「光学兵器の最低温度でも耐えられる鍋はないよ!?」
「ご覧に入れましょう! わたくしとブルー・ティアーズの――」
「奏でないでぇええ! IS班は師匠を羽交い絞めて!!」
「IS到着! 静穂っち、GO!!」
「なんでわたしが使う事になってるの!?」
「…………何、これ」
この日、食材救済と銘打った食堂特別割引セールは歴代最高売上高を記録した。
「何してるのわたし何してるの!? 内輪の料理教室がどうしてこんな大規模な炊き出しに進化してるの!? ワープ進化どころじゃないよ!? というかなんでわたしが陣頭指揮なのいったいおばちゃんどこ行ったのここにいるの学生しか見当たらないんだけど本職の人はどこ行ったのお願いだから職務放棄は勘弁してそしてどうしてIS使って料理してるの一体誰が許可したの!?」
静穂は翌日の昼まで食事にありつけなかった。
「あああもおおお腹すいたぁあああ!!」