……
一番の荷物をベッドに寝かせ、洗面所への扉を元の位置に。蝶番がひしゃげているが扉枠の木はさしてダメージも少なめだった。新しい蝶番とちょっとした材料さえ調達すれば工具を借りて修理できると思ってしまう辺り、その手の作業に慣れきってしまっている。
デュノアは部屋の片隅でシーツを被り着替えている。まるでハムスターが食事する背中を見ているようだった。
暫くして出てきた彼女はジャージ姿。小柄な男子だった筈の彼女は女性のラインが明らかになっている。
(本当に女子だった)
その反対の感想を彼女の方も抱いている筈だ。
静穂は今制服を脱いでいた。正確にはその上着のみ。
ロングスカートはそのままに上はTシャツ。濡れハムスターに倒れこまれた上着は今ハンガーに掛かっている。
「……凄いね」
と言われ気付く。腕を視線に晒していたのだ。
慌てて抱えて背を向け隠す。クラスの皆はもう慣れてしまったが彼女には初めて見せた。
(やっちゃったぁ……!)
みだりに見せるものではない。見て欲しいものではない。
ラビットの隠蔽率も相まって忘れていられたのが慢心を誘った。
……後悔の念に苛まれていると、
「……?」
くすくすといった笑い声が聞こえてくる。
一夏はまだ寝ている。なのでデュノアだ。
「ぼくより女の子みたい」
隠す仕草がツボに入ったようだ。
「ははっ」
つられて苦笑い。
気まずい状態からは開放されたと思っていいだろう。
「でも本当に男の子なんだね」
「?」
「背中に漢字で『一撃』なんて、いかにも男の子っぽい」
「……義姉の趣味です」
とりあえずお互いに着席して、話題の探りあい。
だが目に付く大きな話題がある訳で。
「話には聞いていたけど、本当に凄いんだね」
「まあ、事情がありまして」
「これだけ練習してれば巧くなる筈だよ」
「……そうだね、あれだけやってこの程度だから参るよ」
誤解は何度試しても解けない。もう諦めの境地だ。
それに本当の理由は要人保護プログラムに触れるので明かす事はできない。だったら誤解させたままでいいだろう。
デュノアは物珍しそうに見て触れてその度に息を漏らす。悲しそうな表情は消えたのだから、いい効果だ。
(バレたんだよね)
目の前の少女を見て静穂は思う。
自身の正体、正しくは本来の性別を知っている人間は少ない。彼女達は事情や都合上で元から知っていたり知った上で普通に振舞ってくれているが、
(デュノアくん? さん? はどうなの?)
彼女も性別を偽って学園に入学してきた。それも世界で一人しかいない方、少数の方の二人目として。
それにどれだけの努力が要るか。森の中に隠れる静穂とは違う。わざと射線に入り集中砲火を受けるようなものだ。
静穂は森の中に隠れるだけで相当の精神を削っている。射線に出る事がどれだけの負担かなど考えたくない。
理由はいずれ聞くとして、彼女は静穂の存在を表沙汰にしないと言えるだろうか。
(…………)
正直、ないとは言えない。そして、
一旦そう考えてしまうと他の人達も信じられなくなってくる。
――嘗て心に決めたのだ、亡き義姉に誓ってしまったのだ。
(殺してでも、生きる)
今は、絶好の機会。
注意が逸れている彼女の首を、空いている手で掴み、ラビットを展開。ラビットのパワーアシストの助けを借りれば小指だけでもへし折れる。
そうして次に箒、山田先生、保健の先生、織斑先生と虚を突きさえすれば――
(――加畑か、わたしは)
振り払うように首を振る。驚いて手を引くデュノアに謝る。痛かった訳ではないと。痛い妄想はしていたが。
犯罪者になれば自分の首を更に絞めるのと同じだ。自らモルモットとなりに行く馬鹿がどこにいる。
何より実際に似たような、感情に任せて事に当たった人間を知っている。
加畑という年上の少女は自分を狙い、成功し、結果として失敗した。今彼女がどうなっているのかなど知りたくも無い。
(とにかく殺伐としたのはナシ!)
正気が削れていくあの感覚は何度も味わうモノではないと静穂は考える。
何より箒は大切な友人で、教師陣には恩がある。それを蔑ろにする事は静穂を実験材料にしようとする連中と同じところにまで堕ちると同議だ。
ではどうするか。
「どうしようか?」
つい聞いてしまった。
「ぼく達の正体って事だよね」
静穂は肯定した。
「わたしは黙る、誰にも言わない」
「自分が言われたくないから?」
また悪戯しそうな微笑だった。静穂は振り払うように頭を振り、
「バレたらホルマリン漬けより酷いから必死だよ……」
「そっちはそんなに深刻なんだ……」デュノアは俯き「こっちは悪くても幽閉かな」
溜息が二つ。どっちもどっちである。
結果として、お互いに密告する事は失うものが大きいので留めておく事に。
……となると問題が一つ。
「思い出した」
「なに?」
「わたしはバレてないけれど、そっちは一夏くんにもバレてるよね」
溜息がまた二つ。前途は多難のようだ。
一夏が目を覚ましてから、デュノアは訥々と語りだした。
「ぼくは妾の子なんだ」
一夏に代わって静穂がお茶の準備中。自分でやろうとする彼を宥めるのは大変だった。気絶した人間と金的のダメージが残る人間の間にも微細ながら優先度は存在する。
やかんを火に掛けつつ静穂は目線を向けていた。
(喋るのか……)
静穂ははっきりと聞かない旨を話していた。それは自分が言えないからだ。
一夏は知らないがその実男子二人と同室にいる事が不安にさせるのか。
「病気で母が亡くなって、頼るように言われた場所には本妻の奥様がいて」
一夏はベッドの上で黙って聞いている。
「いきなり叩かれたよ、一夏がボーデヴィッヒさんにやられたのと同じように」
デュノアは笑う、乾いた自虐だった。
「その後は父と名乗る人の下でテストパイロットをやらせてもらってた。幸いにも周りの人達は優しかった。あの人も時折は顔を見せに来ていたよ」
それまで押し黙っていた一夏が、口を開く。
「男として転校してきたのは、俺のせいか」
当然の帰結だった。デュノアは頷く。
「ウチの会社、って言っていいのかな。デュノア社は経営危機に陥っている」
その一言に一夏は反論。「ラファールは世界3位の使用率じゃなかったのか?」
「ラファールは第2世代なんだよ。一夏の白式といったような第3世代機がデュノア社は開発できていない。今はもう第3世代機が主流になりつつあるから、会社が時流に乗れない事は致命的なんだ。……汀さん」
突然呼ばれて静穂は肩を震わせた。
「イグニッション・プランって、聞いた事はない?」
言われて少し脳内を探る。以前にセシリアがどうのこうの言っていた事柄を引きずり出した。
「イギリスとかドイツとかが手を組んで防衛軍を作ろうとしている。そうして欧州全体で一番性能がいい機体を量産しようと考えていて、その機体を決めるコンテストの名前がイグニッション・プラン」
「なるほど。そのコンテストにシャルルの会社も参加したくて白式のデータが欲しかったのか!」
「汀さんは人それぞれに最適な説明ができるんだね……」
今にも頭を抱えそうなシャルル。頻りに頷いている一夏とは対照的だ。
……沸いた熱湯をティーポットに注ぐ。話題は近い将来の話に変わっていく。
一夏が切り込んでいった。
「それでシャルルはこれからどうするんだ?」
「どうすればいいのかな」シャルルは苦笑いしつつ「いっそ公表しちゃうのもありかな」
「公表したらお前は何か変わるのか?」
「会社は打撃を受けるだろうけどそれまでかな。ぼくはもう日の目を見る事はないだろうけど」
「待てよ! それじゃあ意味ないだろ!」
「じゃあどうしろって言うのさ!?」
立ち上がる激昂と俯いた激昂。静穂はポットを取り落としそうになる。
――激昂は続く。
「今のお前はやけくそになってるだけだ!」
「分かったような事言わないでよ! 一夏だってどうしようもないじゃないか!」
「そんな事はない!」
「じゃあ言ってみてよ!」
「考えればいい! 皆で!」
「はあ!?」
「俺達二人だけじゃ無理でも静穂がいる! その気になれば箒やセシリア、鈴にも千冬姉にも手伝ってもらえばいい!」
「そんな悠長な事を言ってられる訳ないじゃないか!」
「最後まで聞け! 静穂!」
戸棚から缶を取り出しその中身をポットの網に放りつつ静穂は顔を向ける。
「IS学園、特記事項の二十一! 分かるか!?」
随分と昔に聞いたような覚えがあるが思い出せない。
とにかく答えさえ出ればいいと、静穂はラビットでネット検索をするという暴挙に出た。
「学園における生徒はその在学中においてありとあらゆる国家・組織・団体に帰属しない。本人の同意がない場合、それらの外的介入は原則として許可されないものとする」
「暗記してるの!?」
「ホントに凄いな!?」
(カンニングです!)
せめて口に出すべきではないだろうか。
「で、どうだ!」
(何が?)
興奮冷めやらぬ一夏、一方のシャルルは今のやり取りで牙が抜けたようだった。
「つまりIS学園を卒業するまではフランスに強制送還されるような心配はないって事だ! まだ1年の1学期だ! 余裕じゃないか!」
……考える時間は十分にあるから悲観するには早すぎる。一人で抱え込む必要はなく周りに頼ればいい。少なくとも一夏の周囲にデュノアを貶める人間はおらず、むしろ知恵を貸してくれるに違いない。
「要するにそう言いたい訳でしょ? 一夏くんは?」
「汀さんは通訳でもやっていけるよ」
「俺の話はそんなにダメだったか?」
頭に上った血が下りれば話は別だっただろうか。
トレイからティーセットを展開していく。紅茶に砂糖、ミルク粉末、ティースプーンに次いでフォーク。
「フォーク?」
「なんでだこれ?」
まあまあ、と静穂は二人を座り直させた。その後、電子レンジの終了音。
レンジから取り出した皿にはスコーンが並べられていた。
「上級生がくれた紙袋の中にあってね。折角紅茶を飲むのなら丁度いいかな、と」
それぞれがスコーンを取り、それを確認して静穂は紅茶に口をつける。
「……、まあ紅茶を飲んでおやつを食べる余裕くらいはあると思うよ? 一夏くんも女子だからって追い出したりはしないでしょ?」
「当然! 前は箒と一緒だったからな、あの頃よりかはずっといい!」
「あ、今の会話、録音しちゃった」
「静穂!?」
「えと、どうしようこれ?」
「まず箒には言わないでくれ! というかなんで録音しようとか考えた!?」
「いや、いろいろと試してみようかと」
「今する事じゃないだろ!?」
「あぶ、危ない、零れる零れる!」
カップ片手に攻防戦。互いにそろりそろりとした足取りで。
「…………っ」
ついにデュノアが噴き出した。
そこには自棄を起こした少女も、自身を悲観した少女もいなかった。
それを見る男子二人といえば、
「熱ぅい!」
「静穂!?」
同じ轍を踏んでいた。
紙袋を抱えてきた同居人は、些か難しい顔で戻ってきた。
羽織るように着込んだ制服は少し縒れていた。水でも被ったのか。
かもしれない、と簪は思う。
昼の騒ぎは十分に記憶に新しい。あのような相手が彼女以外にいない筈がないのだ。バケツでぶち撒けられでもしたのかと心配になる。
簪自身にもそういった悪意・敵意の類いを受けた記憶があった。その時はこの同居人のオマケといった程度だが、入学から今までそれを受けた経験はない。
ただ、たった一度、それも序で程度のそれでも不快感は極めて強かった。それを彼女は柳に風とばかりに受け流した。
実際に聞いたりはしないが、その答えは想像できた。
(いつもの事だから、とか言いそう)
彼女を責めるタネは多そうだ。外見など分かりやすく周囲と違う。
そして何より……、
「どうしたの?」
「どういう訳か先輩方からたくさんもらった」
「服は?」
「紅茶を零した」
「全身?」
「ぬるま湯をぶち撒けちゃった」
「……イジメ?」
「イジメより希少な体験かなぁ」
イジメではないようだ。というかイジメの経験もあるのか。
紙袋を机に置いて席に着く静穂は脱力していく。相当疲れているようだ。
聞いてもいいのかと考えて、此方からは聞かないと決めた。彼女の方も何かあれば言ってくれるし、聞かれたくない場合もある。
案の定、彼女の方から話題が飛んできた。
「簪ちゃんはさ」
「何?」
「簪ちゃんはさ、一人でISを作ろうとしているんでしょ?」
二人の間では今更といった話題だった。頷いて先を促す。
「すごいなぁ、って思った」
顔が熱くなるのを感じる。嬉しいやら恥ずかしいやら。
誤魔化しを兼ねて先へ促す。
「さっきね、デュノアくんに話を聞いてきた」
意外な名前を聞いた。まさか二人目の方に彼女から接触しているとは。
(好みなのかな?)
「大まかにだけれど、ISを作るのって大人でもカンニングしたくなるくらい大変だって聞いて、それを一人でやろうとしている簪ちゃんはやっぱりすごいな、って」
……そう、何よりも彼女が周囲と異なる点は向上心。
IS学園に入学しただけでは飽き足らず、代表候補生にも恐れず立ち向かい、自身を痛めつける事も厭わない執念が彼女にはある。それこそ周囲は心配に思うか疎ましく思うか妬ましく思うかをする程に。
今回、彼女はIS関連企業の息子に質問をぶつけに行ったのだ。
(多分だけど)
恐らくは近く開催されるトーナメントに向けた質問。練習機で専用機に勝つ方法。
となると彼女が心配なのは
デュノア社はラファールを開発している。それをよく選ぶ彼女には最高の質問相手だっただろう。
――練習機のラファールを個人レベルで改造する場合、必要となるものは――
(――羨ましい)
この同居人はいい意味でプライドを置き去りにする。相手が女子だろうが男子だろうが構わず乗り込んでいく。
姉への反抗心で動いている自分には眩しく、そして、
「……見てみる?」
それでいてどこか自分と近しく感じるのだ。
「何?」
「私の打鉄」
いつか約束をしていた。丁度いい機会だった。
「…………そのTシャツ」
「何? 変?」
「変」
「……お姉ちゃんの趣味です」
この辺りにも親近感を覚えるのだろうか。