IS 灰色兎は高く飛ぶ   作:グラタンサイダー

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68.予定調和の回り道

 最初は何かの間違いだと思った。もしも寝ぼけているならば、なんて酷い夢だと思った。

 ()()がここに居る。廊下を幽霊のように大浴場へと進んでいった。

 最悪な事態だ。自分は彼女から逃げてきたのに、彼女の方からこちらにやってくるとは思わなかった。

 ……だが同時にチャンスだとも思った。

 話がしたい。声が聞きたい。言わなければならない事が沢山ある。

 ――そう思うといてもたってもいられず、かといって彼女に気を遣う事も忘れられず、バレた時の言い訳を考え、後をそっと追う事も躊躇って、

(…………)

 暫し間抜けに佇んでいた。勇気を出して踏み込んだ時、

 彼女は――――

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 他人の息づかいをこれまで、こんなにも気にした事があっただろうか。

 自分の息づかいをこれまで、こんなにも殺した事があっただろうか。

 ほんの少し左側、ほんの1メートルにも満たない距離に。

 

 

――簪が隣に座っている――

 

 

 失念していた。やはり恥じらいある女子としては、タオルを身体に巻いて風呂場に入ってくるべきだったのだ。

(いや違う! そうじゃない!)

 隣に男湯があったではないか。それなのに何故、自分はこうも簡単に違和感もなく、女湯の暖簾をくぐったのか。

(誰か入ってくる危険があったじゃないか! どうしてそれを忘れていた!? というかどこから!? いつから!? 見られてた!?)

 とにかくここから逃げなくては。社会的に死んでは堪らない。

 更に問題点を挙げるとすれば隣にいる少女が更識 簪、まごう事なき純然たる女子という点だ。

 知られている箒やシャルルなら後で挽回の可能性が1パーセントでもあるが、もし静穂が男だと知られようものならば、

(簪ちゃん、死んじゃうんじゃないか……?)

 友人が女装癖の変態だったなど、到底受け入れられるものではない。もしそうなら今頃一緒に入浴するなどありえないとは思うが。

 静穂は恐怖のあまり隣を向けなかった。とにかく今は如何に自然に先に風呂から上がるか、それしか今は考えられない。

 脳が巡る。雑念しか出てこない。誰がダブルク○スのダメージ計算をしろと言った。思考(おまえ)裏切っ(ダ○ルクロスし)てどうする。

「……静穂」

「! なにゅぃっ!?」

 突如呼ばれて左に向き、急いで右に切り返した。

(ちょっと待ってお願い待ってそんな格好にその顔は販促じゃなくて反則でうわあぁあああ!!)

 見てしまったものが忘れられない。上気して血色の良くなった頬。濡れた首元、水面から浮かぶ珠の様な肌、肩、鎖骨。胸の前でタオルを握る手が、却って水面下のその膨らみの規模を物語る。濁り湯がタオルの存在を隠してしまい、水面より下部分の想像をかき立てた。

 目蓋を引き絞り記憶を消しに掛かる。左の目蓋が機能しない。しまった、完全に治りきっていない。

(忘れろ馬鹿! 簪ちゃんをそんな目で見ちゃ駄目だろうが! わたしは確かに男だけれども簪ちゃんにとっちゃ女の子であって彼女にやましい気持ちなどこれっぽっちもないのが当然でまさか簪ちゃんがそういう方向の子だったとしてもわたしがそれに当て嵌まるかといえばそんな事のある訳ななななななな)

「あの……」

(忘れろ忘れろ忘れろ忘れろ忘れろ忘れろ忘れろ忘れろ忘れろ…………!!)

 

 

「目、見せて…………」

「忘れろわすれ、――――はい?」

 

 

 ――煩悩を散らしていた静穂に、簪のその動作は回避出来なかった。

「っ――――」

 細い腕が、手が指が、静穂の頬に触れて首を回す。

 急ぎ目を閉じる。目蓋の治りきっていない左の義眼、ラビットの待機形態の一部がこちらを覗く簪の姿をまじまじと静穂に叩きつけてきた。

 左の視覚の遮断が出来ない。あらぬ方向に義眼の目線を向けようとするも、ハイパーセンサーは全天周の視界を約束する。ラビットが自動的に彼女を視界に捕えて離さない。

(ラビットぉ!)

「簪ちゃ――」

「これ、見えてるの……?」

「……見えてる……」

 見るべきではない、身を乗り出して上体が少し持ち上がった簪の姿をまじまじと。

 見たくない。こんな形で彼女をこうしていたくない。そんな資格が何処にある。

 

 

――自分は彼女から逃げたじゃないか――

 

 

「良かった……」

「っ」

 義眼のすぐ前で簪が笑みを浮かべる。そんな事を言ってもらえる権利も、その表情をむけてもらえる権利もない。

「簪ちゃん。もう……」

「あ……」どうしてか名残惜しげに指が離れていく。「ごめんなさい……」

「いや、こちらこそ……」

 ……お互いに、ただ謝るしか出来なかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 それからしばし、二人とも無言という訳にはいかなかった。

 静穂の「簪ちゃん、のぼせてない?」から始まり、

 簪が「うん、大丈夫」と続き、

 ――視線こそ合う事はなかったが、会話に小休止が入る事はなかった。

 全てとりとめの無い会話だった。それはかつて、静穂が一夏と戦ったあの日からトーナメントの練習が始まる前までのあの頃に戻ったような。

 何のことはない普通の、普通の同居人だったあの頃が続いていたとしたら、きっと今のような会話が止む事はなかっただろう。

 だが今は違う。二人の関係はもう元同居人の範囲内では居られなくなっていた。

 全ては、トーナメントのあの日から。

「静穂。その……」

()()?」静穂は義眼を指さした。

「どうしたの、それ……?」

「功績が認められてタイ○ーロイドになる三○英介、みたいな?」

「篠ノ之博士はバ○ンだった……? 静穂は誰を助けたの……?」

「――学園、かな?」

「本当だったんだ、あのニュース……」

 当然ニュースになっていたかと、静穂は静かに唸った。

 あれだけの事をしておいて隠蔽されるなど、在ってはならないし、だとすれば本格的にこの国が侵されているという証左である。

「……凄いね。静穂は」

「簪ちゃん?」

「私なんかとは、全然違う……」

「どうしたの。何、いきなり」

「…………」

 簪は何かを覚悟した様子で、告げた。

 

 

――弐式、壊れちゃった……――

 

 

「弐式が?」驚きの余り彼女に振り向き、またも急いで正面、海を向く。

 簪は右手の甲を見ていた。正確にはその、打鉄弐式の待機形態である指輪のあった筈の中指を。

「増設した推進器が故障してて、でも使わないといけなくて……」

 そうしなければ一夏と箒を助けられなかったのだと。

 無理を通した結果、弐式は空中で大破した。当然といえばそれ迄だ。本来の弐式と大破した今回の弐式とではまるでその剛性、耐久力が違う。

 簪はトーナメントが終わっても機体の改修を進めてきた。その日々のたゆまぬ努力によって機体の完成度は日進月歩の進化を遂げてきたのだが、本来の打鉄弐式とは異なる、唯飛べるだけの代物からは脱却出来ないままでいた。

 弐式の開発元が送ってきた増設推進器は本来の弐式用のもの。それを継ぎ接ぎの仮留めと言って差支えない当時の弐式で、それも故障したもので瞬時加速など行えば……。

 簪に大きな怪我がなかっただけ、幸いである。

「…………」

 簪が俯いていた。そうなるともう目線を向けないという事は出来ず、かといって掛ける言葉もなく、唯漠然と眺めるように見続けるしか出来なかった。

(なんでそんな危険な事を)と、言おうとして、止めた。その言葉は彼女を傷つけかねない。

 それだけ大事にしてくれていたのだ、静穂と造ったあの機体を。本来の、正当な打鉄弐式以上に。

(…………)

 否定的な言葉だけが頭の中から沸いてくる。何故そんな危険な事を。時間はあったのだから正しい形に作り直せばよかったのに。

 

 

――自分との思い出など捨ててしまっても良いのに――

 

 

 そう言いたくて堪らなかった。重要なのは簪が安全に飛ぶ事で、危険を冒す事ではないと。自分の事など忘れてくれて良かったのにと。自分は簪に、危ない真似をさせる為に手伝ったのではないと。

 そう言おうとして、出来なかった。言うには彼女が傷つきすぎていた。

 そんな事を考えて、ふと頭に言葉が過ぎる。

(最低か、わたしは)

 人の顔色を覗きこんで生きてきた、きっとこれからも変わらないだろう。

 短いながらもそんな人生だ。だからこそ、この、その場しのぎでも打開策を見いだせる。

 例えこの場を凌いだ先が見えていても、彼女の為ならば、自分を敵にするなど簡単だった。

「簪ちゃん」

「……?」

 見て、と言い、静穂は湯船から右腕を持ち上げた。縫合後がまだ新しい、しなやかとはとても言えない腕の水滴が月の光に反射して、()()()()()()()()()()()()()()()

「この手の中にね、チタンの添え木が沢山と、ちっちゃなボルトが百本近く埋まってる。痛覚もまだ収まりきってなくて、調整しないと痛くてロクに動かせない」

「静穂?」

「一人でVTシステム(あんなの)と戦った結果だよ。束さんとグレイ・ラビット、ISがいなければこの手は二度と使えるようにはならなかった」

「それは、」

 自分を責めているのではという簪の表情に、静穂は指の先の月を見ながら笑って、

「そうじゃない。これは私が悪かったんだ。簪ちゃんと一緒にあの決勝に行かなければいけなかったのに、わたしは優勝する事を選んだ」

 一時コンビを解消し、静穂はラウラと再結成する事で決勝へと臨んだ、あのタッグトーナメント。

 それが間違いだったと静穂は言う。

「あの時はそれが正しいと思った。優勝する事が、簪ちゃんへの恩返しだと思った。それでこのざま。やっぱりわたしのパートナーは簪ちゃんで、わたしは簪ちゃんがいないと駄目なんだ」

「私への……?」

 静穂は頷き、手を翻す。

「わたしはまだ、簪ちゃんがいないと駄目なわたしのままでいる。

 それが堪らなく申し訳ないし、同時に、なんとかしないといけないとも思っている」

「そんな、私は……」

「簪ちゃんが良くてもわたしが許せない。わたしは簪ちゃんとなあなあの関係になんてなりたくないって、今話していてようやくわかった。

 わたしは…………」

 ――簪が静穂の、次の言葉を待っている。それを顔を向けずハイパーセンサーで確認して、振り向いた。

 

 

「簪ちゃん。わたしは簪ちゃんと戦いたい」

 

 

 簪が目を見開いた。「私と? どうして」

「あんな間に合わせの弐式で、簪ちゃんは綺麗に飛んでいた。まともに機能しない武装で、物の見事に戦っていた」

 力が入りすぎて拳が震える。今にも爪が掌に食い込みそうな程に。

「駄目なんだよもうこればっかりは。理屈なんて関係なく、わたしは我慢の限界が来ている。

 ISのせいだとは思いたくない。きっと最初から、簪ちゃんと顔を合わせたあの時からそう思っていたんだ。

 わたしは簪ちゃんより強くなりたい。簪ちゃんとは、()()()()()()()()()()()()、って」

「…………」

「――勝負をしよう、簪ちゃん」

 ……勝負? と簪が呟いた。

「それって、」

 静穂が頷いて、簪に向かって笑ってみせる。

「キャノンボール・ファストで待ってる」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「そんな……」

 そんなつもりはなかった。ただ一言伝えたかっただけだ。

 その一言を伝えたか、いやそれが何だったかすらも忘れてしまった程に、その言葉は鮮烈だった。

 

 

――わたしは簪ちゃんと戦いたい――

 

 

 そんな言葉を聞きたくて、あの影を追ったのではない。

 ニュースを見て信じられなくて、影を追えば本当にその姿があって、

 ただ一言を伝えたかった。それがどうしてこうなったのか。

 優柔不断な自分についに嫌気がさしたのだろうかと思って――――否。

(違う? 静穂もそんなつもりじゃなかった?)

 これは静穂なりの激励なのだと気づいても、これまでの付き合いにもなかった事に困惑し、同時に却って気を遣わせてしまった事を恥じ、

 水音を聞いて振り向いた時、静穂はそこに居なかった。

 夢幻の類かとも思いその姿を探した。結局その浴場では見つける事は出来なかったが、あの会話を、触れた時のあの感触を否定する事は出来なかった。

 静穂に触れた、指を握る。

(少し、震えてた……)

 拒絶ではなく恐怖でもなく、緊張に寄るあの反応は、ついこの前まで良く見受けられたもので。

(変わってないんだ、きっと)

 右腕に金属が埋め込まれようと、左目がISに換わろうと、その中身は変わっていなかった。前に進む姿勢も、それでも自分を気に掛けてくれる優しさも。

 静穂は自分より先に進んだ。専用機を手に入れて、もっと、更に先へ進むのだろう。静穂の前には既に幾人もの先駆者(どうきゅうせい)がいる。それらと並び立つ為に突き進むのだろう。

(…………)

 簪に、並び立ちたいという欲が生まれた。先駆する専用機持ち達ではない、それらと並び立つ為に進む静穂に。

 握った手を、胸元に。いつかそうしたように、簪はまた月を見た。

 いつか、この想いを返す事が出来るだろうか。

(……違う)

 必ず返さなければならない。この気持ちを、そして勇気を。

(キャノンボール、ファスト…………)

 二学期に行われる戦闘ありの高速三次元レース。そのスタートラインに立つまで静穂と会う事は叶わない。

 上等だ。やってやる。二学期までに間に合わせ、静穂の前に立って、見返してやる。

 迷っている暇も泣く暇もない。期限までは遠いようで短い。

「よし……!」

 湯船から立ち上がり、グッと拳を握った。

 少しでも前に、ヒーローのように前に、()()に近づく為に。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

(――上手くいったかなぁ)

 急ぎ流体装甲の上に浴衣を羽織っただけの姿で、壁にもたれかかり息を吐く。思わず月下乱斧を使ってしまったが、

(簪ちゃんが考え事してるから絶好のチャンスだとは思ったけど、けど!)

 ここまで自分に長風呂が出来ないとは思っていなかった。お湯とはいえ水の中にいたのに酷く喉が渇く。理由としてはただ汗をかいただけではないのだろうが。

 ウォーターサーバーから紙コップに注いだ水を一気に飲み干し、壁に体重を預けへたり込み、膝に顔を埋め、また息を吐く。

「はぁ――――」

 紙コップを握りつぶす。ノールックで放り投げ、ゴミ箱に入れる。

 ――逃げてきてしまった。結局簪にバレたか否かは確認出来ず、更にはもっと言い方はなかっただろうかと。

「今更後悔しても遅いってば……」

 一度演技に入ってしまえばどうにも止まれない。それだけ本性がバレる事も少ない訳だが、

「どうせなら最初から演技しようよぉ」

 泣き声になりながら過去の自分にツッコミを入れる。TRPGで女性キャラのロールプレイもやらされてきただろうに。

(人気だったよなぁ)

 複雑ではある。裏声もなしに出る女声、意識しても男になりきれない地声。それで今は怪しまれずに学園生活を過ごせているのだから、何が役に立つか判らない。いや、それは今はどうでも良い。

「……キャノンボール・ファスト」

 その日まで彼女と話す事も、会う事も叶わないと自分に制約を掛けた。

(……楽しかった)

 久々の簪との会話はとても弾んだ。彼女があんなに微笑む事があっただろうか。

(…………)

 恥ずかしい。これではまるで、アレではないか。口にするも、思うも恥ずかしいアレだ。

(馬鹿か、わたしは)

 あんな啖呵を切ってどうしてそんな感情を抱けるのか。あんな事を画策して、今更何を考えているのか。元よりそんなつもりもないのに。

(本当に、友達付き合いって難しいなぁ)

 学園に、というか、一つ所に滞在してそろそろ何ヶ月になるだろうか。そろそろ静穂の人生での最長記録を更新していそうだ。転校に次ぐ転校の日々。そんな学生生活を送ってきた静穂に、上辺以上の人間関係を築く事が、果たして可能なのだろうかと。

 ――彼女が出てくる前に脱衣場を出た。

 此処より先は、普段通り。普段通りの日常を過ごしきって見せると覚悟を決めた。

 いや、それだけでは駄目だ。それ以上に二学期のキャノンボール・ファストへ向けて臨まなければならない。

 宣戦布告をした。挑戦者を迎え撃つ、いわば赤コーナー側として。社会的立場としては逆であるし、何かに勝っている訳でもないが。

 それでも言ってしまい、迎え撃つ立場に立った以上、

「――全力だ」

 簪の技術力を静穂は知っている。おおよその概算をするならば、打鉄弐式がキャノンボール・ファストに間に合う可能性は半々、何らかの外的要因があれば変動するが、内的要因ではもうそれはない筈で。

(ああ。わたしは今、)

 不謹慎にも滾っている。自分で強敵を作り出した、自分で小さいながらも一つの場を作り上げた感覚に、ゲームマスターとしてシナリオをプレイヤーに楽しんで貰っている時の感覚にその身を焦がしている。

 チリチリとした焦燥感? これを高揚感と言わずして何と表すのか。

 トーナメントの時にもなかった、所属不明機と対峙した時にも似た、使命感の含まれない純粋な心持ちが、静穂の後悔を押し流しに掛かる。

 それでも後悔は流されず、それが胃を下に押し込めるような感覚を苛ませる。

 高揚と後悔を同時に味わいつつ、その表情は渋面のまま、静穂は布団部屋に戻っていった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ねえセシリア。昨日一体なにがあったの?」

 翌朝、朝食の時間に相川 清香が隣のセシリアに聞いてみた。

「ですから機密だと何度言えば、」セシリアが何度目かの説明。「もしも今回の事が外部に漏れた場合、わたくし達は拘束されてしまいますのよ?」

「えー? セシリアならお金の力でどうにかなりそうじゃない?」

「わたくしをなんだと思ってますの?」

 オルコット家は成金ではないと、その家柄を一から説明すべきだろうか。そこまで深くも浅くもないが、今日一日は丸々と費やす程度だ。

 すると「駄目かぁ」と清香が今回は随分あっさりと退いた。どうしてだろう、逆に不気味だ。

「じゃあさ、セシリア」

「今度は何ですの?」

「静穂ちゃんがいるのはなんで?」

「…………何ででしょう」

 それは自分も聞きたかった。セシリアと清香は揃ってその方を見る。

 

 

 ――朝食を摂り始めて一分にも満たない時点で既に三杯目の白飯がなくなろうとしていた。

『…………』

 ただ白飯を掻き込むだけで、どうして彼女、静穂はそんなに幸せそうなのだろうかと、周囲の生徒達は思う。白米の湯気を吸い込むだけで彼女の頬はほころび、一口噛んで目を輝かせ、塩昆布を少しのせて口に含んだ瞬間、彼女の箸は止まらなくなった。

 それはもう、見ているだけでこちらも腹の空きそうな喜び様だ。

「はい、みぎー」

「ん、ありがと本音さん」

『布仏さん!?』

 彼女のお椀が空になるや否や、隣に座っていた布仏 本音がおひつから白飯を空のお椀によそった。いや何故。何故更にこれ以上食べさせようとするのか。一組以外の生徒にはこれがわからない。

「みぎーは沢山食べるからね~」

「いやペース早すぎでしょ」少女の隣、鷹月 静寐がツッコむ。「いつもの汀さんでもここまでは希よ?」

 希にはあるのか……。静穂の普段を知らない他クラスの生徒が驚愕する。

「昨日は晩ご飯食べ損ねてるから」静穂がアジの開きを頭から骨ごとかじりつく。「んく、チョコバー一本で一晩過ごしたんだよ?」

「食べてるじゃない」

「足りると思う?」

「その一本で私達が何時間保つと思ってるのよ」

 そのカロリーによっては女子は一晩どころか半日は耐えなければならない。

「でもみぎーはさ~、どうして今になって臨海学校にきたの~?」

 本音がいきなり斬り込んでいった。

 対する静穂は味噌汁を飲み干し、目線が上を向く。

「……気づいたら、ここに居た」

「ごめん、ネタがわかんない」

 あれぇ? と首を傾げつつも静穂は箸を止めない。四杯目のお椀をそっと本音から受け取った。

「それって師匠(セシリア)達の誰かは昨日の事言ったの?」

「言ってないわ。機密とか言ってるから」と静寐。

「だったらわたしも言えないなぁ」それが答えだった。

「汀さんも関係してるのね。というか腕もどうしたの? 目は?」

「治ってるよね~」皆が静穂の右腕を見た。

 浴衣に通された腕はいつもの()()()()()を纏いつつしっかりと箸を使いこなしている。食への執念から左手で箸を持つ訓練はなんだったのかと、それを知る一部の人間はツッコむ。

「なんか治った」

「全治二ヶ月とか言ってなかった?」

「もう動かない筈だったのにねぇ」

 治ってるのか……。皆は暗黙のうちにその医療用眼帯の内側を想像する。

 静寐が溜息を吐いた。「せめてニュースとは関係していないで欲しいわ……」

 ニュース? 静穂は僅かに首を傾げる。

「見てないの? ()()()()()()()()()()()()()

「……朝までぐっすりだったから」

「学園の周りは大騒ぎみたい。ニュースでは学園を外国に移譲するべき、なんて意見も飛び出してるとか」

 ……昨日の()()()()が解除され、少女達がテレビで目にしたのは、戦艦が町に突き刺さるという非常識な光景だった。

 目的こそ不明のままに鎮圧された今回の事件は明確なテロ行為であり、進行ルートがアメリカ管制下にあった空域という事もあって、事件には様々な憶測が早くも飛び交っているのだが、

 目的地とされたIS学園、横田空域を我が物とするアメリカがこの件に関して「調査中」という玉虫色の発表をする中、本土に侵入された日本は、あろう事か「原因はIS学園にある」と発表し、物議の種を撒き散らした。

 問題の責任を自分らに押し付けられた学園は当然、これに対して反発した。

 これをマスコミはIS学園による造反行為の前兆と報道し、IS学園不要論へと世論を動かしに掛かっている。日本より先んじて鎮圧に向かったIS搭乗者の顔がバイザーで隠れていなければ真っ先に彼女らが叩かれていた事だろう。

 尤も、それをまともに信じられる程、日本国民は馬鹿ではないのだが。

「……何処まで信じて良いの、それ」

「私は日本のままがいいな~」本音が相づちを打つ。

 それを見て静穂は、「確かに、いざって時に水道水が飲めない国はちょっとね」

 そう言って五杯目の白飯を掻き込んだ。静寐はそれを聞いて、

「本当に関係ない?」

「? なんで?」

「友達として心配なの。ただでさえ汀組とか言って先輩達に物理的にも担がれてたし」

「わたしを一体なんだと思ってるのさ」

「あの先輩達なら今回の事もやりそうだと私は思う。あの人達って成果を求めてやまないって感じだし、危険よ」

「それは鷹月さんが皆を知らないからだよ。みんなそこまで生き急いでないし、それにね?」

「それに? 何?」

「頭として担がれている以上、キチンと手綱は握ってる」

 口元の米粒を取って口に入れながら静穂は笑い、

「…………といいなぁ」うなだれた。

「ダメじゃないの」静寐は呆れた。

 

 

「――でもさ、本当に静穂ちゃんがあの場にいたんじゃないかって話はあるんだよね」

 清香がスマートフォンを操作してセシリアに見せてきた。

「ほらこれ、この辺のつぶやきなんかだと包帯ぐるぐる巻きの女の子が戦艦に向かって行った、って言ってる。やっぱり静穂ちゃんはあの場にいたんだよ」

 それはすこし飛躍がすぎないだろうかとセシリアは思う。

「えー? でもさ、だったら誰がISを使って戦艦を落とすの?」

「それは自衛隊のISではありませんの?」

「かなあ?」

「わたくしに聞かれましても……」

 日本の軍事事情など代表候補生になった時くらいにしか聞いていないし、軍隊などあって当然としか考えられない。

 仮に静穂が本当にあの場にいたとして、何の意味があるのか。

 短絡的かもしれないが意味が分からない。よって切り替えていく。

「そんなことより清香さん。素敵な事をしませんか?」

「乗った。何するの?」

「何がどうあれこの臨海学校に、静穂さんは遅ればせながら完治した状態で合流している。授業は午前と午後の一部分だけ。後は各々自由時間」

 おわかりですね? とセシリアが微笑むと、

「静寐に連絡するね」清香が嬉々としてメールを作成し始める。

「代金はわたくしが」と告げてセシリアは再度、白飯のおかわりをする静穂の方を見た。

 その何とも幸せそうな表情が曇ってしまうかもしれない行いだが、彼女の師を自称する身としては、ただ見ているという訳にはいられなかった。

 親心という訳でもないが、やり過ぎの老婆心かもしれないが、

 それでも彼女を気に掛けてしまう。今は説明のつかない不思議なものがあった。

 

 

 ――静穂の受難は続く。




 次回、誰得の水着姿(予定)。
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