「ミギワ様。こちらをお召し下さい」
「?」
そう言ってチェルシーが静穂に手渡したのは眼帯。濃紺を基調として青い薔薇の刺繍、銀糸による装飾も施されている。
オルコット家、セシリア御用達のテーラーによる特注品だ。普段隠しているとはいえそれは奇異の目線を避ける為で、本来のそれと同じかそれ以上に物が見えるという義眼の為にメッシュ構造、裏側からは物が見えるという職人技が施されている。
「怪我でもないのに医療用では、何かと不便でございましょう」
というのもあるが、顔を横断するように耳に掛けられた白い眼帯では、悪目立ちがするのだ。
客人にそのようなワンコイン未満の医療品を、それも顔を横断するようにまざまざと施されていてはオルコット家の沽券に関わる。それ以前に家のプライドが許さない。
そこまでの内情を伝えた訳ではないが、元よりそれに執着や愛着、肌触りへのこだわりもなかったようで、すんなりと静穂は言われるがままに眼帯を交換しだした。
――客人が余所を向いて眼帯を交換する間、チェルシーは今日のセシリアの予定を頭の中で反芻していた。その殆どにこの客人は同席・同行する事になる。
(眼帯はこちらのものに交換した。これである程度、余計な
これは囲い込みだ。汀 静穂がイギリスにいる限りはオルコット家の客人であり、その乗機もまた、オルコット家の下にあるという。その証左として眼帯はとても判りやすいアイテムだった。何しろ顔だ。人は顔を見ずに会話をするという事は少ない。
オルコット家と日本のさる対策室での論争では当初、日本側の
(この方に対する肩入れが良く判りますね)
主とこの客人との関係は、単なる友人という括りではなさそうだ。ISに関しては師弟というし、その辺も含めていずれ話を聞いてみたいとチェルシーは思う。
「おお。見える」
「とてもお似合いですよ」
そしてありきたりな謝辞の応酬があった頃、部屋の主、セシリアが入ってきた。
「今日はお待たせしてばかりですわね」
「お嬢様」
「師匠」
こちらは当然の事だが静穂もまた立ち上がっていた。静穂の顔をセシリアが見て、チェルシーに目配せをした。
(ええ。全て滞りなく)
目を細め、そして閉じて軽く頭を下げた。それを見てからセシリアが言う。
「似合っていますわよ、静穂さん」
そう言いつつセシリアは自身の椅子へ音もなく腰掛けた。
この場は執務室。セシリアがオルコット家当主としての業務を行う場であり、彼女が父母から受け継いだ思い出の場所でもある。
「――それでは始めましょう」
セシリアが机に置いていた呼び鈴を鳴らす。すると扉を開けて数人の使用人が機材を抱えてやってきた。
空中投影型ディスプレイに始まりボード型透明インターフェイスを複数枚組上げ、複数台のパソコンを適宜立ち上げて接続する。
使用人らが一糸乱れず頭を下げ、
「隣室の準備、完了しております」
「ありがとう。少しうるさくなるけれど、よろしくね」
とセシリアが返すと、チェルシーを除く使用人らは波が引くように退室する。
それを見て「凄っ……」と呆けていた静穂に対してセシリアがスマートフォンを差し出した。
「さあ、静穂さんも」
これにチェルシーは無言で驚いた。客人に仕事を手伝わせるとは何事かと。
スマートフォンを受け取った静穂がイソイソとスマートフォンの電源を入れてロックを解除、AR操作を呼びだしボード型透明インターフェイスの一枚に試しの情報を掴んで投げつける。
チェルシーは努めて冷静にセシリアへ言葉なしに説明を求めた。
「学園に貴女はいないから」
そう言う問題だろうか。積もる話がまた増えた。
だが今問いただす事は叶わない。これからは仕事の時間だ。
「さあ二人とも、始めますわよ」
――その言葉により、執務室はちょっとした鉄火場と化した。
オルコット家はその中で新興に入るとはいえ上流階級である。そのお国柄故に上下の隔たりに絶対的な壁があるイギリスの社会において、オルコット家は比較的その壁に近い事で知られていた。
上流階級としては平均してその歴史が浅く、かといって頭打ち社会のその天井より上に位置するオルコット家は、新興企業にとって顔役としてのネームバリューは申し分ないものだった。
言ってしまえば財閥に近い。その傘下に入りたい、名前を借りたいという企業は後を絶たず、さながら戦国武将のようにその資力を伸ばしてきた。
勿論それを妬む人間は内外に存在した。そう、過去形である。
それはひとえにセシリアの手腕と現在の立場によるものだ。
――ISと国家、国家と国家代表候補生の関係――
ISのもたらす恩恵とはそれ本体の特異性に留まらず、その関係者にもそれは及んでいた。国家間のパワーバランスを左右するISの搭乗者育成は至極当然の急務であり、国家代表候補生に任命された少女達・女性達には相応以上の権能が与えられていた。税金の控除など権能の種類は多いのだがそれはともかく。
新興企業がオルコットの後ろ盾を欲しがるように。セシリアは国家を自分の後ろ盾としたのだ。結果として、過程はどうあれ。
彼女に仇為す事は即ち国家への妨害である。セシリアを代表候補生に任命した大人達は通則に則りそう認識づけた。それだけ彼・彼女らのセシリアと第三世代試作ISであるブルー・ティアーズに対する期待は今だに大きい。
そうしてセシリアは国家の後ろ盾、虎の威を得た訳だが、その身分を捨てた場合の事を考えない筈はない。セシリアは国家への“お返し”を忘れないよう努めている。
それが今回の、汀 静穂とグレイ・ラビットの訪英である。
彼女の機体は現在、共通の友人である箒と同じく個人の所有として登録されている。つまりは交渉次第で国家の登録、力関係を一変させる一角が手に入るチャンスをセシリアはセッティングしたのだ。
交渉の結果がどうなろうとこの功績はセシリアの立場を盤石のものとする一つの要因となるだろう。
……だがまだそれは空論だ。現実とする為にはまずこの仕事の山を片づけなければならない。
隣室の臨時応接チームはひっきりなしの陳情やアポイントメントの取捨選択を繰り広げ、執務室内ではチェルシーとセシリアが現行事業の書類にサインをしつつ為替相場と株式流通市場に睨みを利かせていた。
故に鉄火場。しかして行われるは経験と情報に裏打ちされた真なる博打。同じくするはその熱のみで。
「二度は言いませんわ。それでは」セシリアがしつこい相手との交渉を打ち切り同時に一つの会社を傘下から外す事を決意する。
――携帯電話の向こうに指示を送る。「静穂さん、次を」
『わかった』
執務室から離れた書庫。高さ3メートルを超える本棚が立ち並ぶ中を静穂が隙間を縫うように飛ぶ。それが執務室から判るのはボード型透明インターフェイスの一角に静穂とグレイ・ラビットの視界が携帯電話のカメラによって中継されているからだ。
「エージー社のファイルを探して下さいな。前々回に通り過ぎた二つ前の列ですわ」
『前々回の二つ前、二つ前』静穂が反芻しつつ書物の中を征く。『――跳んじゃうか』
突如、画面にノイズが数度走った。それが収まった時に視界はセシリアが伝えた、会社についての調査資料が収まっている本棚に移っている。
「静穂さん、そこから上に……そう、それですわ」
『パラパラするよ』
「どうぞ。……そこっ」
静穂がページめくりを止める。セシリアはページの見開きを数秒で熟読して、
「もう大丈夫。次はジョンストン」
『人名? 社名?』
「人名ですわ」
わかったという返事をして、静穂からの画像に再度ノイズが走り視界が瞬時に変化する。
「これがテレポート能力者の視る世界ですか」チェルシーが合間を挟むように言った。
「カメラがまるで追いついていませんわね。それも見続けると酔いそう」セシリアが愚痴るように告げた後に隣室へと株売買の指示を出す。
「――チェルシー。次は?」
「こちらの書類にサインを。それで本日の業務は最後になります。後は
「用件は?」
「早くグレイ・ラビットを連れてこいとの事でした。もちろん要約ですが」
「返答はどのように?」
「雑務とお色直しに時間が掛かっていると」
「そう、
手早くサインを済ませて本日最後の実務を終わらせる。
セシリアは携帯電話を手に取った。「静穂さん」
静穂が携帯電話のカメラを自分に向ける。『次は?』
「制服を着て、一緒に研究所ですわ」
研究所、と呟いて静穂が固まった。
「どうかしまして?」
『……妙な解析とかないよね?』
「あったとしてもわたくしが守りますわ」
うぉう、と静穂が画面から仰け反った。そして取り繕うように、
『防御力とシールドならこっちが上だからね』
「はいはい」
そこで通話を切った。あくまで対等としたい辺りが微笑ましい。照れ隠しの意味合いもあるのだろうが。
「チェルシー」
「ご用意を」
チェルシーが礼をして先に執務室を出る。防音耐震対策は完璧な屋敷だ。人の動きを感じ取る事は出来ないが、隣室もまた撤収に入っている事だろう。
「…………」
深呼吸しつつ伸びを一つ。学園にいた頃からコツコツと、細々とした下準備や業務を片づけていなければ今日の市場が閉じて以降も業務は続いていただろう。いつになく上々の成果、効率的に仕事が出来たとセシリア自身も思う。
……思うのだが。
「お父様、お母様」
どうしても前任、この部屋の前の主達を想起してしまう。
あの二人の背中を見て育ってきた。それがなければ遺産を狙う親族達を返り討ちには出来なかった。
チェルシーが居て、使用人達の力を借りて、友人をいいようにこき使って今日の業務を終わらせる事が出来た。
あの二人はどのようにしていたのだったか。そこまで詳しくは思い出せない。使用人達はあまり答えてくれない。自分なりに頑張れば良いと皆が言う。
果たしてそれで良いのだろうか。
……疑念は積もる。
「わたくしは、うまくやれているのでしょうか…………?」
二人がこれから向かう研究所の所在地は、車では遠く飛行機では近過ぎる距離にあった。ISで飛べば早いのにと言った静穂に「そういう事は言わない」と遠回しに同意するくらいには、セシリアもこの研究所の立地には苦言を呈したいと思っている。まあ研究所の敷地内にヘリポートがある時点でセシリアの執る手段はそれと決まっていたのだが。
僅かながらの空の旅、その最中に静穂は聞いてみた。
「何の研究をしている所なの?」
「この国で現在最も重要なものの一つですわ」
「007?」
「それは映画。まあ実在はしているようですが。
わたくしと貴女が呼ばれる以上当然ながらISなのですけれど、その中でイギリスのISにおける全てのエッセンスを集約した所とでも言いましょうか」
「いつも皆で行くショッピングモールみたいな?」
「その店舗一つ一つが異なる研究施設とでも思えば近いですわね。パイロットの養成施設も兼ねているので簡単な喫茶もありますが」
「じゃあこれから行くのは行きつけのお店」
「ブルー・ティアーズが生まれた部門、その出張所になりますわ」
はぁ、と嘆息のように静穂は理解した。
――静穂にとって研究所のイメージというものは昭和のロボットアニメによる影響が強い。だが実際はそうではないのだとも静穂は理解している。
「ほえー……」
思わず口が開いていた。それ程までにこれから降り立とうという研究所は、普遍的、ありきたりな形状だった。
行ってしまえば大学だ。この程度の外観ならば探せば日本にもありそうな、意識が妙に高いような、そんな建物群が眼下にあった。
某アニメのように花開くような形状でも、割れるバリアを発生させられるような外観でもない。その辺りは静穂の予想通りだった。それもそうかと納得させられる程に、普通だった。
なんだか妙な気分である。非難する訳ではないし、それなりに規模と敷地面積こそあるが、ここにこれからセシリアが乗り込むというのがおかしかった。騙されているのではないかと。勝手なイメージなのだが。
「いつ見ても地味ですわね」
撤回する。彼女は想像通りだった。
……チャーターしたヘリが降り立つや否や関係者であろう連中に囲まれた。手は空いているようだが懐には間違いなく
その中からざんばら頭に丸眼鏡をした白衣の女性、恐らくティアーズの関係者が代表してか口を開く。
「お待ちしていましたミス・オルコット。ミス・汀も、ようこそこの国の最前線へ」
「お久しぶりですわミズ・ネスビット」セシリアが会釈する。「このような待遇を受ける謂われはありませんが」
ネスビットは肩を震わせて笑った。「失礼、気分を害されたのなら謝ります。何せ国賓級の方に王室の方より先にお会いする訳で、何よりこの場の中へご招待するのです。中身を知られてから逃げられては困る」
セシリアが表情を変えず無言で返した。
「まあそんな事はないようにしますがね。さあどうぞお二方、ここからは一分一秒が惜しい」
そう言ってネスビットはさっさと行ってしまう。これはついて行くしかないのだろう。
「――行きましょう静穂さん」セシリアがそう促すが、「――静穂さん?」
「お兄さんお兄さん。懐のそれって何ミリ? ジャケット?」
男に拳銃の口径と弾頭の種類を聞いていた。
「い・き・ま・す・わ・よ」
「師匠、耳。耳は痛いよ?」
「そんな事聞いてどうしますの」
「ラビットで耐えられるかなって痛い痛い」
「普段はレーゲンの主砲も受け止めているでしょうに」
「それは流石にシールド削れてるからね痛い痛い痛い」
周囲に奇異の目線を向けられながら、耳を引きつ引かれつ二人は屋内へ入っていった。